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竜の胎教 (2)



          * 2 *

 ホットミルク・目玉焼き・野菜サラダの並ぶ食卓に制服姿で着き、平日朝のテレビの情報番組を何となく眺めながらトーストをかじるモネに、母は、はい、お弁当、と言って、手製の弁当を食卓の隅に置き、
「モネ、今日も、帰り、遅くなるの? 」
 返してモネ、
「うん、もう明日が本番だからね」
 母は、ふーん、と頷き、軽く笑みを作って、
「まあまあ、頑張って下さい」
小馬鹿にしているようにも面倒くさくて早めに話を切り上げようとしているようにも、とれる口調で言う。
(…何、それ……? )
馬鹿にしているにしても面倒くさいにしても、そんなふうにしか返せないなら、初めから話しかけなきゃいいのに……。何だか、まともに答えた自分が馬鹿みたいに思えて、ほんの少し腹が立つ。
 が、これが母の話し方なのだと分かっている。それが証拠に、物心ついて以降、母と会話した回数分だけ、モネは、似たような腹の立て方をしてきた。
 怒っていても仕方ない。嫌な気分が続く分、自分が損するだけだ。
 モネは小さく息を吐き、心の中で、
(いいけど……)
と呟く、いつもの方法で、ムッとした気分の消化を試みる。

            *

 朝食を終えたモネは、カバンに食卓の上の弁当を入れ、玄関へ。いつもどおり玄関まで見送りに来た母の、
「行ってらっしゃい。気をつけてね」
いつもどおりの言葉を背中で受け止め、いつもどおり、行ってきます、と小さく短く返してドアを開ける。
 すると目の前に、正方形の白いパネルを組み合わせた天井と、むき出しになっている長型の蛍光灯が現れた。何故か、いつの間にか、モネは横になっていた。
(……? )
モネは、今ひとつ状況が掴めないまま、ゆっくりと上半身起き上がりつつ、懸命に記憶を辿る。
(…そうだ、私、地面の裂け目に落ちて……)
しかし、体は、どこも痛まない。
(その後、家に帰ったっけ……? )
寝ていた場所は、白いパイプベッドの上。掛敷布団とも清潔感のある白いシーツが掛けられている。
(…帰ってない、よね……? うん、帰ってないよ……。じゃあ、さっき、家で朝ゴハン食べたのって、夢か……)
 確信してから周囲に目をやれば、ベッドの頭側すぐと足側の少し離れた位置に白い壁。右手側に白く塗られた木枠に囲われた大きめの窓。その向こうには、手入れの行き届いた緑豊かな庭が見えた。左手側には、白いパイプの枠に白い布が張ってある、つい立。学校の保健室のような雰囲気の部屋だが、モネの通う高校の保健室ではない。
(ここ、どこ……? )

 モネは、ふと、つい立ての向こうに人の気配を感じ、ベッドから木の床に下りつつ、ベッドの下に揃えて置かれていた自分の靴を履き、2歩ほど歩いて、つい立の向こうを そっと覗く。
 そこには、白衣姿で壁に寄せた机に向かい、何やら書き物をしている、20代後半と思われる、短く刈り上げた黒髪の、見知らぬ男性の端正な横顔。
 モネがたてた微かな足音に気づいたのか、男性は手にしていたペンを置き、モネを振り返った。
 その、正面から見た顔に、
(……っ? )
モネは固まった。
 男性の額の中央に、黒くハッキリと、2センチ四方に収まるくらいの大きさの、文字のようにも子供の落書きのようにも見えるものがあった。
(何か、アブナイ、人……? )
 男性は立ち上がり、小さく笑んでから、
「気がついたかい? 」
モネのほうへ、ゆっくりと足を踏み出す。その笑みは実際には、実に爽やかな笑みだったのかも知れない。額の、字のような絵のようなものさえ無ければ……。
 モネは警戒。男性が1歩踏み出したのに合わせて、1歩後退る。
 モネが警戒していることに気づいてか、男性は、それ以上、モネに近寄ろうとせず、距離のあるまま、少し姿勢を低くし、
「僕は、サナ。医者だよ。大丈夫、怖がらないで。ここは、僕の養生所だよ」
モネを窺うようにしながら口を開く。
 「君は、発電所近くの林の中を通る道で倒れてたんだ。眠っている間に簡単に診せてもらった分には、怪我も無いし、他の異常も特に見られなかったんだけど……。一体、どうしたの? どうして、あんな所に倒れてたの? 」
 モネは、また、もう1歩、後退る。
 サナ、と名乗った男性は、困ったように、一呼吸分おいてから続ける。
「ゴメン。目覚めたばっかで、こんな色々言われたって、困るよね? とりあえず、もう一度、ちゃんと診せてくれる? 倒れてたからには、やっぱり何かあるはずだから」
 と、そこへ、サナの背後のドアが開き、
「サナ、改築の件だけど、玄関前の階段の3分の1はスロープにして、手摺とか……」
作業着の上下のようなものを着た、大柄で日に焼けた肌の男性が、筒状に丸めた大きめの紙を手に、大声で言いながら入ってきた。
 サナより少し若い感じの、その男性は、ふとモネに目を留め、
「あ、ゴメン。診察中? 」
足を止める。
 サナは男性を振り返り、
「ああ、シイ。いいよ」
シイ、という名前らしい彼に歩み寄ると、
「見せて」
と、シイが手にしていた紙を受け取り、机へと歩いて、その上に広げた。
「うん、いいね。これで、お願いするよ」
 シイは、チラチラとモネのほうを気にしている様子で、紙を見ているサナのすぐ傍まで歩き、
「どこの子? 見たことない子だけど、種族は? 」
モネにハッキリ聞こえてしまっているが、一応小声らしい声で聞く。
 シイの額中央にも、サナのものとは少し違うようだが、似たような、黒い字のような絵のようなもの。
 モネは、サナとシイを、きっと何か変な宗教の人たちだ、と思った。
 …怖い……。額中央の字か絵のようなもの以外は特に変わったところが無いあたりが、余計に怖い。何故なら、そんなものが額についていることが、彼らにとっては当たり前だということだからだ。 それに、自分は学校の前で地震によって出来た地面の亀裂に落ちたのに間違いないと、モネには自信がある。学校の近くに発電所や林など無い。サナの言っていることは、明らかにおかしい。 倒れていたモネを、医者であるサナが、本当に、ただ純粋に助けるために、ここに連れてきたのだとしても、あまり関わり合いにならないほうが身のためのような気がした。
 息を止めるようにして、じっとサナとシイを窺い、考えを巡らすモネ。
 その視線の先で、シイは急に目を見開き、チラ見をやめて、モネを凝視。
(…何……? )
怖すぎる。
 シイと見つめ合う形になってしまい、モネは視線を逸らしたいが、体が、視線さえ、貼りついてしまったように、動かせない。
 シイが、モネを凝視したまま声をかすれさせ、
「…族印が、無い……。サナ、まさか、この子……」
呟く。
 返してサナ、説明口調で、
「うん、人間だと思うよ。 さっき、発電所で急患が出たって連絡が入って、動かさないほうが良さそうな状況だって判断したから、出掛けたんだよ。幸い大したことなくて、その場で処置を済ませて帰る途中、林の中で、この子が倒れてるのを見つけて、運んできたんだ。 で、たった今、目を覚ましたとこなんだけど……」
「そんな! 」
シイはサナに向き直り、ムキになった様子で声を荒げる。
「サラッと言うなよ! 大変なことだろっ? 」
 サナは、まあまあ、と、宥めるようにシイの肩を軽く叩きながら、余裕のある穏やかな笑みを浮かべ、
「分かってるよ。連れてきたのは、倒れている人を助けなきゃっていう医者の立場からだけじゃなくて、族長の立場から、監視する目的もあってのことだよ」
(…監…視……? )
その言葉に、モネは、サナがモネを帰す気が無いのだと知る。自分の置かれている状況を、ハッキリと理解する。自分は、このアヤシイ人たちに捕まってしまっているのだ、と。
(でも……)
 話に夢中な様子のサナとシイ。モネに意識が注がれていない。
 今だったら、ここを抜け出せるような気がする。
(…この隙に……)
モネは、まず、ベッドの向こうの窓に目をやった。見える景色から、その窓が少し高めの位置にあるのだと分かる。窓から外に出るのは無理だ。それ以外には、シイが入ってきたドア。他にドアは無いから、あのドアは、直接ではなくても必ず何らかの形で外に通じているはずだ。
 モネは、サナとシイに注意を払いながら、ドアへと移動しようとする。が、足がガクガクと、言うことをきかない。無理に動かそうとしてバランスを崩し、転ぶ。
 サナとシイに気づかれたのではと、モネは息を詰めるが、彼らがモネの動きに気づいた様子はない。
 ホッと胸を撫で下ろし、転んだままの低い姿勢、四つ這いで、サナとシイを窺いつつ、ドアを目指した。

 あと少し。あと少しで、ドアだ。
 モネの注意が、サナとシイから逸れた。
 瞬間、
「おいっ! 」
(! )
モネは、反射的に声のほうを向く。
 シイが大股でモネのほうへと歩いて来、腰を屈めてモネに向かって腕を伸ばした。
 ビクッと身を縮めるモネ。
 シイがモネの右腕を掴み、真上に向かって吊り上げる。
 モネの足が床から離れた。全体重が、肩の関節にかかって痛い。
「どこ行く気だっ? 」
シイが、至近距離からモネを見据える。
「シイ! 」
サナが叫んだ。
「乱暴なことは、やめて! 」
 シイは、舌打ちをしながら、モネを床に放り出すようにして手を放す。
 放り出されたはずみで床を滑り、モネは、つい立の所まで逆戻り。
 離れた位置から真っ直ぐにモネを見下ろすシイ、
「お前、人間だろ? どうやって、ここへ来た? 目的は? 」
 質問の意味が分からない。…人間だろ、って…見ての通りだけど……。どうやって、 ここへ来た、って…アナタと仲間らしい、そっちの、サナって人が連れて来たんだって話を、今、聞いたよね……? 目的は、って…目的って、何……? 何て答えたら許してくれる? 解放してくれる? どう返していいか分からない。それ以前に、声が出ない。…怖くて……。
 無言でいるモネに、シイは詰め寄って来る。
(誰か、助けて……! )
心の中で叫ぶモネ。叫んでおいてから、ハッとする。
(…誰か、って、誰……? )
どこの誰が、今、モネが、この場所で、こんな状況にあるのを知っているだろう。 モネは学校から1人で帰ろうとしていた。学校の中には、その時、まだ大勢の人が残っていたと思うが、たまたま、モネが校門を出る時には、周りに、人も車も全くいなかった気がする。そして、校門を出たところで地震が起こり、地面が裂けて、その裂け目に落ちた。……そこまでは、憶えてる。その後、気がついた時には、もう、ここにいたのだ。モネの知る限りでは、誰も知らない。 仮に 誰か知っていたとしたら、助けに来てくれるだろうか? 助けに来ないまでも、110番くらいしてくれるだろうか? …無理な気がする……。何故なら、モネならしないから。巻き込まれたくないから、何もしない。
(…どうしよう……)
 すぐ目の前まで来たシイが、モネの襟ぐりを掴む。
「聞いてんだから、答えろよ! 」
 その言葉に被せるように、
「シイっ! 」
サナが叫びながらモネとシイの間に割って入り、シイの手を掴んで、モネの襟からはずす。 
 サナは両膝を床について、モネと目の高さを合わせ、
「ゴメンね」
 シイは、忌々しげに大きく息を吐き、背を向けて、モネとサナから離れた。
 その時、モネの指が、何か、床とは違う、冷たくて固い感触の物に触れる。つい立の足だ。
モネは、そうだ、と思いつく。 失敗した時のことを思うと、怖い。腕だけで吊り上げられたり、襟ぐりを掴まれたりするだけじゃ、絶対に済まない。
(でも……! )
モネは、サナに気づかれないよう静かに、一度、深呼吸。腹にグッと力を込め、シイが自分に背を向けていて、距離もあることを、チラリと見て確認した。そして、素早く立ちあがりざま、つい立をサナに向けて勢いをつけて倒すと、ドアへと走る。
(待ってても、助けなんて来ない!  自分で逃げなきゃ! )

 ドアを出ると、右手側に、真っ直ぐ奥へと続く薄暗く冷たい感じの廊下。左手側に、長椅子が並ぶ、病院の待合室のような場所が見えた。
 その待合室のような場所の向こうが、他の場所に比べて少し明るい気がした。ここからは見えないが、すぐ近くに出口があるかも知れない、と思い、左手側に走るモネ。
「いけない! むやみに外に出ちゃ……! 」
後ろから、サナの声が聞こえる。続いて、こちらに向かってくる足音も。
 モネは振り向かない。確認しなくても、追ってきてることくらい分かる。とにかく、必死で走った。
 前しか見ないで走って、突き当たり、磨りガラスの窓がはめ込まれたドアを右手に見つけ、開ける。

 窓がはめ込まれたドアの向こうは、外だった。しかし、モネの望んでいた外の世界とは、大きく様子が違っていた。
 モネの開けたドアの真正面数メートル先に、学校の校門のような、古そうなレンガで出来た大きくて四角い柱が2本建つ門。その両脇から、養生所という名称らしい、この建物を囲う形で両側へと続く、やはりレンガで造られた塀。その向こう側には、ありふれた雰囲気の住宅地が見える。……そこまでは、いい。大きく違っていたのは、ドアの前、少し開けた平らなスペースを置いて、すぐの、五段しかない階段の下に、門から溢れ出てしまうほど大勢の人がいたこと。
 ごく普通に、それぞれ自分の近くにいる人と喋ったりなどしている、その大勢の人々の額中央には、サナやシイと同じような黒い文字のような絵のようなものがある。
 あまりのことに、モネは反射的に一度、大きく息を吸い込んだきり、呼吸が出来なくなってしまった。
 人々の視線がモネに集中。一瞬、辺りが静まりかえり、そしてまた、ザワつく。
 「人間だ」
「な、言ったとおりだろ? オレ、見たんだよ。サナ先生が、人間を、お連れになって、養生所に入られるとこを! 」
「ああ、確かに人間だ」
「うん、人間だ」
との声が聞き取れる。
 突然、拳ほどの大きさの石がモネに向かって飛んできた。大勢の人々のうち誰かが投げつけたのだ。
 モネは、すっかり固まってしまっていて動けない。ただ、ギュッと目をつむる。 
 と、
「危ない! 」
サナの声。
 グイッと手首を引っ張られ、モネは、強引に、何か温かいものの中に包み込まれた。
 直後、ゴッ、と鈍い音。
 モネは、恐る恐る目を開ける。
 下向き加減だったモネの視界に真っ先に入ってきたのは、白衣の裾と、足下に転がる 自分に向かって飛んできたはずの石。それから、たった今、視界を上から下へと縦断してきて足下を濡らした一滴の赤い液体。
 モネは視線を上に向ける。そこには、額の上のほう、生え際あたりから血を滴らせ、顔を歪めるサナ。
 サナは、モネと視線が合うと、フッと目を優しくし、気遣うように、
「大丈夫? 」
 モネは、石が当たろうという、まさに、その瞬間、サナの胸の中に庇われたのだった。
(…この人……)
どうして自分を庇うのか、と、モネは驚き、混乱する。
 養生所の中からシイが飛び出して来、サナに駆け寄った。
「サナ! 大丈夫かっ? 」
 サナは、シイに、大丈夫だ、といったように手のひらを見せる。
 その時、
「サナ先生は、人間の味方をなさるのですかっ? 」
大勢の人々の最前列にいた20代前半くらいの女性が口を開いた。
 サナは女性のほうに顔を向け、
「何、言ってるの? 」
それまでモネに見せていた優しい表情とは、うって変わった険しい表情。
 女性は、ビクッとして黙り込んだが、その周囲の人々が、殺気立った様子で、女性を押し退けるように1歩、前に進み出、それぞれ片手のひらをモネとサナに向けて突き出した。
 その手のひらから、何やら白いものが、凄い勢いでモネとサナのほうへと伸びてくる。
 モネは再び、サナの胸に庇われた。
 シイは、素早く身を伏せる。
 モネとサナの体スレスレのところを、人々の手から放たれた白いものが通過し、2人の背後の外壁や開け放ったままだったドアに穴を開けた。
 (っ? …何? 今の……)
もし、これが体に当たっていたら、と、モネはゾッとする。
 何の道具も使わずに、手のひらから伸びた白いもの。…これは……
(…水……? )
壁に開いた穴の周りが濡れていた。そういえば、だいぶ前にテレビで観たことがある。……何かの工場で、高圧の水を使って硬い金属を切断する光景。そのため、水など液体で壁に穴を開けられるのは分かる気がするが、どうして手から……? 
 モネは怖いのを通り越して、ワケが分からず、呆然としてしまう。
 サナはモネを放し、モネを背に庇うようなかたちで階段の下の人々に向き直った。
「皆、聞いて! 」
 そこへ今度は、手のひらから水らしきものを放った人々の少し後ろにいた人々が、モネたちのほうへ手のひらを向ける。
 シイが身を起こし、いっきに階段を飛び下りて、大勢の人々と向き合う格好で地面に片膝をつき、サナを振り仰いで、
「サナ、今は何を言っても無駄だ」
早口で言い、地面に両手をつく。
 シイの視線も意識も、地面に集中。
 ゴゴゴ……と地鳴り。
 地鳴りに伴い、シイと大勢の人々との間の地面が、生き物のようにムクムクと、下から上に向かって盛り上がっていく。
 モネたちのほうへ向けられた複数の手のひらから炎が噴き出した。
 直後に、両側面の塀から塀にわたり、平屋建ての養生所の建物の倍の高さはある土の壁が完成。炎を防いだ。
 その土壁はシイが地面に手をつくことで作り出したものだと、モネは分かった。
 分かったが、分からない。 手のひらから水のようなものを放った人々といい、炎を噴射した人々といい、土壁を作るシイといい……。何がどうなって、そうなるのか、もう本当にワケが分からない。
 混乱しきるモネ。
 シイは立ち上がり、サナを振り返った。
「とりあえず、逃げよう。一度、養生所の中に入って、裏口から抜ければいい」
 サナは頷き、モネの手をとる。
 と、先程と同じ、水のようなものが、シイの土壁を貫いた。
 シイは舌打ち。
「あんまり、もちそうにねえな。急ごう」
 サナは、もう一度頷き、先に立って、モネの手を引いて養生所内へ。
 シイも、すぐ後からついてくる。
 モネは、ワケがわからないまま、手を引かれるまま。サナとシイの言動が、自分の存在さえも、何だか遠く感じられた。

 廊下を真っ直ぐ走って数秒後、モネたちは1つのドアに突き当たった。
 突き当たりのドアのノブに、サナが空いているほうの手を伸ばした、その時、足下が震動。
 シイは、
「クソッ、もう崩されたか! 」
歯ぎしり。
「これじゃあ、すぐ追いつかれちまうぞ! 」
 サナが、
「とにかく、外に出よう。僕に考えがある」
ノブを回し、ドアを開ける。
 そのドアは、さっきシイが言っていた裏口だったのだろう。開けた先には洗濯物が干してあったりして、生活感が漂っていた。
 3人揃って裏口を出ると、サナは、シイに、自分たち3人が入れるくらいの穴を掘ってくれるよう頼む。
 シイ、
「こんな所に穴掘って隠れたって、すぐ見つからないか? 」
 サナは、いいから、と短く返す。
 シイは首を傾げながら、地面に手のひらを向けた。すると、ボコッという音とともに、一瞬のうちに、直径1・5メートル程の円形、深さ3メートル程の穴が地面に開いた。
 サナ、シイに、その穴に入るよう促す。
 シイは納得いかない様子のまま、穴の中に飛び下りた。
 続いて、
「さ、君も」
サナは、モネにも穴に入るよう言う。
 それまでワケが分からないまま、ただ、そこにいたモネは、突然直面させられた自分で動かなければならない場面に、急に、今の、この状況を身近な現実と感じ、躊躇った。サナの言葉に従っていいものか分からない。それを抜きにしても、3メートルは結構深く、怖い。
 飛び下りずにいるモネ。
 サナは、
「シイ、受け止めて! 」
穴の中のシイに声を掛けるなり、モネの背を押した。
 (! )
モネはバランスを崩し、反射的に身を固くしながら穴に落ちる。
 実際に落ちている時間というのは、ほんの一瞬だったはずなのに、恐怖から、とても長く感じ、シイに受け止められた時には、その腕の中が安全かどうか分からないにもかかわらず、安堵の息が漏れた。
 シイがモネを自分の腕から穴の底面に下ろしたところへ、サナも飛び下りて来、底面に着地すると、すぐさま人指し指で頭上を指す。
 つられて頭上を見るモネとシイ。
 と、穴の上部、入口に、微かに揺らめく柔らかそうな質感の無色透明の蓋が出来た。 そして、みるみるうちに、その無色透明の蓋に蓋の周囲の土が混ざり、茶色く濁る。どうやら、水のような液体で出来た蓋のようだ。
 その蓋はサナが作ったのだと、モネは分かる。
 モネの感覚は、何だか麻痺してきていた。手のひらを地面に向けるだけで大きな穴を掘るのを見ようが、頭上を指さしただけで水のようなもので蓋を作るのを見ようが、いちいち驚かなくなってきていた。
 シイが蓋を見あげたまま、感心したように口を開く。
「サナ、すげえ頭いい! これって穴の外からじゃ、水溜りにしか見えないよ! 」
 サナ、ワザとらしく胸を張り、
「でしょ? 」
 シイは、大きな溜息を吐き、
「頭、いいのになあ……」
その場に、しゃがみ込んで頭を抱えた。
「どうすんだよ、これから……。…って、オレもだけどさ……」
それから、しゃがみ込んだまま顔だけを上げ、サナを仰ぐ。
「サナの考え方はオレも分かってるけどさ……。でも、あんな堂々と人間を庇うなんて、さすがに不味過ぎるだろ? 」
 サナは沈んだ表情で俯き、
「…ゴメン……。シイまで巻き込んで……」
 シイは大きく息を吸い込みながら立ち上がり、サナの肩に手をのせ、
「まあ、過ぎたことは仕方ないさ」
意識してのことと思われる軽い調子で言ってから、考え深げに、
「問題は、これからどうするか、だな」
 サナは沈んだまま、
「皆が落ち着くのを待って、ちゃんと説明すれば、分かってもらえないかな? 」
 その言葉に、
「説明? 」
シイは、呆れた、といった口調。
「人間を庇うなんて行動につながった、サナの考え方を? そりゃ、火に油だ」
 「そう、だよね……」
サナは小さく息を吐く。
 シイはサナから視線を逸らしながら、投げ出すように、
「分かんねーけどな」
 黙り込むサナとシイ。
 今は、あの大勢の人々に見つからないよう隠れてなくてはならない、という程度にしか状況を理解しようがないモネは、ただ黙ってサナとシイを見比べながら、その会話を聞いていた。 分からないことが多すぎると考えようと思わなくなる。……サナとシイに対して、いつの間にか、怖いと思う気持ちが消えていたから、余計かもしれない。
 しかし、怖く感じなくなったとは言え、
「ねえ」
不意に自分に向かって声を掛けられたりすると、やはり、ビクッとしてしまう。
 声を掛けた側のサナは苦笑しつつ、最初に聞くべきなのに、まだ聞いてなかったよね、と前置きし、
「君、名前は? 」
 モネに向けられた、答えを待つ眼差しは優しい。モネの心が、フッとほどける。答えやすい質問によって、久し振りに発したために掠れた声が、導き出された。
「…吉川、モネ、です……」
 サナ、ホッと息を漏らしながら笑み、
「やっと、口をきいてくれた……。モネ、か。いい名前だね」
 モネの胸が、一度、トクン、と、大きく脈打った。父以外の男性に下の名前で、しかも、こんなに優しく呼ばれたのなんて、初めてだ。
 モネは、思わずサナを見つめる。
 と、サナの生え際から額、目の横へと伝った乾いた血液が目に留まった。胸が、今度は、キュウッと締めつけられるような感じがした。
(私を、庇ったから……)
 モネはポケットからハンカチを出し、サナに差し出す。
「これ、よかったら……。オデコ、血が、ついてるから……」
 サナは、ちょっと驚いた様子で、
「ありがとう……。でも、汚れちゃうよ? 」
 モネは、何だか急に恥ずかしくなった。お節介だと思われたかも、と。普段は自分からハンカチを貸すなんて絶対しないのに、どうして、そんなことをしてしまったのだろう、と、後悔。どうにも、いたたまれなくなって、目を逸らし、ハンカチをサナの胸元へ押しつけるように渡して、
「いいから拭いて! そのままにされてると、何か、私のせいだって責められてるみたいで嫌なの! 」
言ってしまってから、庇ってもらったのに言い過ぎた、と、口元を手で押さえ、サナを窺う。
「何だよ、それ! 」
横からシイが怒った。
 モネは、ビクッと竦む。
「お前を庇ったせいで、サナがどれだけ……! 」
「シイ! 」
当のサナは怒った様子はなく、大きな声でシイの言葉を遮ってから、静かに、
「いいんだよ。僕が、僕自身のために、僕の責任でしたことだ。モネは、何も悪くないよ」
それから優しい笑みを浮かべ、モネの目を覗く。
「ありがとう。じゃあ、遠慮なく使わせてもらうよ」
(この人って……)
サナの優しさが痛くて、モネは、サナの、ハンカチを持つ手のほうへと、目を逸らした。
 シイは大きな溜息を吐き、モネとサナに背を向ける。
 サナが片手でハンカチを握ると、ハンカチが濡れた。濡らしたハンカチを軽く絞って、傷口を避けて血液を拭き取る。
 拭き終えたハンカチを自分の手から出る水で濯ぐサナ。
 数十秒後、濯ぐ手を止め、とても気にした様子で、濯いだが、やはり血液だから汚れが落ちないと、謝る。
 汚れると分かっていて貸したんだから気にしないで下さい、と、モネは上の空気味に返し、ハンカチを受け取った。
 上の空なのは、考え事をしていたから。
(…言いたい。…でも……)
と、迷っていた。あんな酷い言い方をしておいて、今さら、こんなことを言ったら、馬鹿みたいだと思われるかもしれない、と。
 胸が、キュウキュウと苦しい。言ってしまえば、どんな結果が待っていても、楽には、なるだろうか? ……そう考え、モネは思いきって、サナに向けて、まっすぐ顔を上げ、
「ありがとう。庇ってくれて」
言った。
 ハンカチのことで申し訳無さそうに俯いたままだったサナは、驚いた表情でモネを見る。
 モネは緊張する。
 少しして、サナはニッコリ。
「どういたしまして」
 モネは、気持ちがスウッと楽になった。
(…言って、よかった……)

「ところで、さ」
サナが笑みを消し、緊張さえ感じられる真面目な表情で口を開いた。
「モネは、ここに来れるってことは、人間って言っても、何か、次元を越えられるような特殊な能力を持ってるってこと? 」
(? )
モネは、質問自体が理解できない。サナ自身が、モネを、ここに連れてきたはずなのに、と。
 そう、モネが言うと、サナ、
「ここ、って、養生所のことじゃなくて、人間の世界から、この国に来れたのが、って、ことなんだけど」
(? ? ? )
言葉を付け加えられても、やはり分からないモネ。
 サナは、注意深くモネの心を探るように、モネの目の奥を見つめた。
「もしかして、ここが竜国だってことも、分かってない? 」
「? リュウコク……って? 」
「竜族が暮らしてる国だよ」
「リュウゾク……? 」
 サナは驚いて、
「竜族を知らないの? 」
 モネが頷くと、サナ、
「そっか、知らないんだ……」
小さく息を吐く。
「じゃあ当然、さっき、表にいた人に石を投げつけられたりした理由も、分からないよね? 」
 サナの説明によると、竜族というのは、モネと同じ人間。ただ、水や大地、火、風などを操る能力を持つという違いがあり、外見的にも、額に、その能力によって分類される種族の、族印、と呼ばれる印が生まれつき刻まれているだけ、とのこと。
 モネはさっきから、額に字か絵のようなものを書いてあるという変なところはあるにしても人間にしか見えないサナやシイ、表にいた大勢の人々が、モネを指して、人間、と言うことが引っかかっていた。今のサナの説明を聞いて、更に疑問は深まった。同じ人間だと言うのなら、違いはあっても、だけ、の違いだと思うのなら、何故、モネを人間と呼んだのか、と。
 サナの答えは、
「そう思ってるのは、僕だけだからだよ」
 聞けば、サナ以外の竜族の人々は、皆、今から156年前の出来事が原因で、自分たち竜族と人間を、完全に分けて考えているのだという。
「今から156年前、この竜国は、まだ存在してなくて、竜族の先祖は、人間たちと一緒の世界で暮らしていたんだよ。 人間の持たない能力を持っていることで、気味悪がられ、恐れられていることを理解し、受け入れ、当時生きていた先祖たちの、もっと前の先祖の時代から、竜族は、人里離れた山奥で人間たちとは距離をとって生活してきた。そうして何事も無くやってこれたんだけど、ある日、たて続けに大きな地震が2つも起こってね。竜族は、皆で自分たちの持てる力を合わせて、自分たちの村を守った。その甲斐あって、村は人的にも物的にも何の被害もなかったんだけど、無事だったことで人間たちから疑われたんだ。地震を起こしたのは竜族じゃないか、って……。 人間たちは、大勢で、竜族の村を襲ってきた。まともに戦えば、長い目で見れば無理でも、その場は勝てたかも知れないけど、当時の王族の長……って、簡単に言うと、竜族の中で一番偉い、指導者的立場の人なんだけど、その、王族の長が、戦うことを拒否したんだ。地震によって大きな被害を受けた人間たちを、これ以上傷つけたくない、って……。 当時の竜族は、自分たちは人間に嫌われていると知っていながら、人間が好きだったんだろうな……。村を離れ、更に山奥へと入って身を隠し、戦いを避けた。頃合いを見て村に戻ると、人間たちによって建物は破壊しつくされ、逃げ後れた竜族は変わり果てた姿になっていた。王族の長の考えを汲んでのことか、抵抗の跡は、全く見られなかったらしい」
(…そんなことが……。全然、知らなかった……)
竜族の存在自体知らなかったのだから、当然だが……。
 サナの話を聞いていて、モネは、何だか、居心地の悪さを感じた。 竜族に、そんな仕打ちをしたのは、モネではない。だが、きっと、表にいた人々、サナやシイにとっても、一括りに、人間、なのだと思えたから……。 
 サナは話し続ける。
「その出来事で悲しむ竜族の前に、現在も僕たち竜族が崇拝する神である、リュウシンが現れたんだ。 リュウシンは、平和に暮らせるようにって、人間たちの住む世界とは別の次元に、竜族の暮らしていける環境を整え、人間に襲われた村の竜族だけじゃなく、人間の世界各地で同じように人間たちと距離を置いて暮らしている他の村の竜族も、その別次元の環境に呼び寄せたんだ。 それが、竜国の始まりだよ」
(…ちょっと待って……)
モネは、サナの話の中の、ある、たった一部分をきっかけに、それ以降の話が全く頭に入っていかなくなっていた。
(人間の住む世界とは別の次元に整えられた環境……って? マンガなんか読んでると、たまに出てくる、異次元とか異世界とかいうもの、みたいな……? )
それは、そもそもフィクションであるマンガのために作られたものであるため、当然、何の根拠にもならないが、マンガの中の一般常識で考えると、
(普通に歩いたりバスに乗ったり電車に乗ったりして帰れない場所、ってこと? )
 モネは青ざめる。
(私、帰れない……? )
 サナの話は続く。
「どうして僕が、そんな160年近くも昔のことを知ってるかっていうとね、竜国では、子供時代に、学問所って所で教育を受けることが義務付けられてるんだけど、今、話したことは、その学問所で教えられることだからなんだ。だから、もちろん、竜族なら、 皆、知ってる。しかも、事実として淡々と教えられるんじゃなくて、人間を憎むように憎むようにってふうに教えられるんだ。 それを教わっていた当時は、僕も、その教え方について何の疑問も持ってなかったけど、今から5年くらい前にも一度、人間の男の人が竜国に来たことがあって、彼は、見つかるなり、人間だという理由だけで、よってたかって攻撃されて殺されてしまった。……その場面を目の当たりにして、僕は、この国の教育に疑問を持つようになったんだ。歴史的事実を正確に語り継ぐことは大事だけど、憎しみまで語り継ぐべきじゃないんじゃないか、って。人間の世界で竜族のことが語り継がれてないらしいことには驚いたけど、それは、きっと、人間にとっては、156年前のことも竜族の存在自体も、歴史的な出来事じゃなかったからだね。でも、それはそれで良かったと思うよ。モネが竜国や竜族に対して何か悪い企みを持ってここへ来たんじゃないことの証明だからね。…5年前の彼もそうだったのかも知れないって考えると、胸が痛むけど……。それに、人間が自分たちの過ちを知って反省した上でというのなら、過ちを繰り返さないためにも語り継ぐべきだとは思うけど、真実を知らない人間たちが語り継ぐとなると、大地震を起こして多くの人命を奪った極悪集団竜族への憎しみ、になりそうだからね」
そこまでで、心ここにあらずのモネの状態に気づいてか、サナは小さな笑みを作り、
「って、モネに、こんな話しても、仕方ないよね。ゴメン……」
口を閉じた。

 頭上から、ザワザワと人の声がする。表にいた人々が穴のすぐ傍まで来ているのだろうか。
 サナ、頭上を気にしてから、
「今、この場所から人間の世界に帰ることって出来る? モネが竜族にとって危険な人間じゃないって、僕とシイは分かったけど穴の外の人たちは知らないし、今、説明するのは難しいと思うんだ。だから、今のうちに帰ったほうがいいと思うんだけど」
(…どうやって……? )
途方に暮れるモネ。
 モネの表情を見て取ってか、サナ、
「…もしかして、帰れないの……? 」
 モネは頷く。
 サナは、ちょっと驚いたように、
「じゃあ、どうやって、ここへ来たの? 」
 モネは俯き、首を小さく横に振った。
(そんなの、分かんないよ……)
下校時に地震に遭って、地面の亀裂に落ち、気づいたときには養生所のベッドの上にいたのだ。分かるわけがない。
「もしかして、モネは次元を越える特殊能力があったりするわけじゃなくて、自分では何も意識しない状態で、偶然、ここに来ちゃったの? 」
 モネ、頷く。
 サナは声のトーンを落とし、気遣うように、
「…そうなんだ……。帰りたい、よね……? 」
 その時、頭上の水の蓋を破って、
(! )
中年の竜族の男性が2人、穴の中へ落ちてきた。
 2人の男性は、穴とは知らずに落ちてきたらしく、着地に失敗。1人は背中を、もう1人は尻を穴の底面に強か打ちつけ、打ったところを、さすりながら起き上がると、モネを見つけるなり目を円くして、2人同時に頭上に向かって叫んだ。
「いたぞっ! 」
 痛みに顔を歪めながら立ち上がる2人の男性。
 サナがモネを背に庇うようにモネと男性2人の間に入り、更に、そのサナを庇うように、シイがサナと男性たちの間に割り込んだ。
 殺気立つ2人の男性。
 モネは頭上からも殺気を感じ、仰いで、いくつもの顔が穴を囲んで、自分たちのほうを覗き込んでいるのを見、固まる。
 穴を覗き込んでいる人々が、一斉に穴の中に向けて手のひらを突き出した。
 穴の中の中年男性2人が慌てた様子で叫ぶ。
「おい! 何するんだっ! 」
「オレたちもいるんだぞっ! 」
 そんな2人の声など、聞こえていないよう。穴を覗く人々の手から、炎が放出された。 男性2人は反射的に頭を抱え込んでしゃがみ、モネはと言えば、
(! ! ! )
あまりの恐怖に、すっかり竦みあがり、一瞬、呼吸や鼓動まで止まった感覚。体が、スウッと冷たくなる。目を閉じることすら出来ない。
 咄嗟に、サナがシイを押し退けるようにして穴の中央へ。両腕を頭上に突き上げ、手のひらを上へ向け、太い柱状の水を放った。穴の外の人々から放たれる、いくつもの炎を、いっぺんに押し戻して、炎が、モネやシイ、男性2人に当たらないよう、食い止めようとする。
 が、多勢に無勢。時折、サナの水柱に勝って、穴の中の一同まで到達する炎。
 モネ以外の一同、それぞれは、自分の持てる反射神経を駆使して避け、
(怖いっ! …熱い……っ! )
完全に固まりきってしまっているモネの場合は、運で、その直撃を免れていたが、体のすぐ近くをかすめていく炎は、髪や衣服を焦がす。
 モネの全身が、カアッと熱くなった。
 直後、
(つっ……! )
額中央に、刺すような痛み。モネは額を押さえる。
 痛みは次第に強くなり、モネは、気が遠くなってきた。
 そこへ、
「やあ、楽しそうだね。何のお祭り? 」
穴の外で、実に気楽な感じの男性の声。
 炎の攻撃がやむ。
 サナは、自分の水柱の向こうの様子を探るように、暫し、目を凝らすようにしてから、上げ続けていた腕を下ろした。同時に、水柱も消える。
 気楽な感じの声の質問に、サナ先生とシイ様が人間の娘を庇うのだと訴える声。
 気楽な声は、
「そう。それはそれは、大変だねー」
全く大変だなどと思っていないような軽い調子で返し、軽いままの、
「とりあえず、この場は僕に預けてくれる? 」
 その言葉のすぐ後、1人の男性が穴に飛び下りてきた。
 長めの前髪を横分けにして流し、カチッとしたジャケットをカジュアルなパンツと合わせて着崩した、小洒落た印象の、サナより少し年上と思われる男性。横分けにして流した長めの前髪の隙間、額中央に、竜族の族印と聞く、サナやシイをはじめ校門を出たところで地震に遭って以降に見かけた全ての人と同じような、黒い字のような絵のようなものが覗く。
 サナが、
「ナガ、どうして、ここに? 」
小洒落た男性に話しかけた。
 ナガ、という名前らしい。
 ナガが返した。
「んー、ここの斜向かいの御茶屋の看板娘のイグちゃんに誘われてね、デートしてきて、彼女を送り届けて、帰るトコだったんだけど、何か、こっちから賑やかな声が聞こえてきて、楽しそうだったから立ち寄ってみたんだけど……」
その声、その軽さは、穴の外から聞こえた、気楽なもの。
「一体、どうしたの? 」
 問い返されて、サナは答える。発電所近くの林の中でモネが倒れているのを見つけ、監視目的で連れ帰ったこと。話してみた結果、特に危険な人間ではないと判明したこと。 その答えに、ナガ、
「何だ、大して楽しい話じゃないね。わざわざ立ち寄って損したかな……? 」
軽くガッカリしたように息を吐きながら、チラッとモネを見る。
 額の痛みは、既に、いつの間にか治まっていたが、何となく額を押さえたままだったモネ。
 ナガは一度、サナのほうに視線を戻しかけるが、ふと一瞬、動きを止めてから、また、モネのほうを向き、今度はジーッと、覗き込むようにモネを見つめた。
 何だろう? と、モネはナガの目を見つめ返すが、ナガが見つめているのはモネの目ではないらしく、視線はぶつからない。
 ナガは、モネに歩み寄ると、
「ちょっと失礼」
言って、額を押さえているモネの手をどかした。そして、
「やっぱり、これは……」
驚いた表情で呟いたかと思うと、突然、クックッと肩を揺すり、
「面白い……! 」
声をたてて笑い出す。
 モネは、
(……? )
他人の顔を見て面白いと笑うなんて、と、軽く不快感。
 ナガは顔に笑いを浮かべたまま、見てみなよ、と、サナとシイを振り返る。
 ナガにつられてサナに目をやるモネ。
 サナは、驚いた様子で立ち尽くし、モネを見つめていたが、やはり目は合わない。
 シイも、サナの隣で驚きをあらわに、
「…王族の、族印……」
呟いたきり、絶句。
 たまたまモネの視界に映り込んでいた中年男性2人は、慌てた様子で底面に平伏した。
(? ? ? )
全く状況が掴めないモネ。
 ナガは、ジャケットの胸元の内ポケットから小さな鏡を取り出し、気取った感じの仕草と口調で、
「ご覧になられますか? 」
モネの顔へと向けた。
 何の気なくモネが覗いた鏡の中には、
(……! )
額中央に竜族の族印がある、自分の顔。
 驚き、
(何、これ……! どうしてっ……? )
確かめようと、鏡を見ながら、自分の額の族印に手をやるモネ。さっき、痛くて押さえていた間も、何の感触も無かったが、今も、特に、その部分だけ脹らんでいるとか、そこだけザラつく、カサつく、ベタつく、といったようなことはない。強めに擦ってみても、消えずに、周りの皮膚が赤くなるだけ。
(ヤダッ……! )
モネはショック。右手で額を覆い、族印を隠して俯いた。
 視界の隅でナガが、鏡を自分のほうへ向け、ちょっと前髪を整えてから、元通り、胸元へ仕舞う。それから、ごく自然な流れるような動作で、モネの左手をとった。
 モネは、軽くビクッ。顔を上げ、ナガを見た。
 ナガは、フッと甘く笑って見せ、ワザとらしく気取った感じで一礼し、
「では、姫。早速、穴の外の民衆に、ご挨拶を」
(……姫……? )
キョトンとしてしまうモネ。
(…って、私……? )
 その無言の問いに、ナガ、
「そうです。アナタです。姫」
返してから、シイに向かって、冗談な感じで偉そうに、
「シイ君、この穴の底を、このまま上に移動させてくれ給へ」 
 シイは驚きから立ち直り、ムッとしたように、
「オレに命令すんなよ」
 やはり驚きから立ち直った様子のサナが、ちょっと笑って、まあまあ、とシイの肩に手をのせる。
「確かに、もう、穴の中にいる必要は無いね。シイ、お願い」
「そりゃ、もう穴ん中にいる必要は無いけどさ、何か、オレがやるのが当たり前みたいに言われると腹立つよ」
ブツブツ言い、最後に、
「特に、ナガなんかにっ! 」
ナガを睨んでから、シイは穴の底面に手のひらを向ける。

 底面が、ゴゴ……と震動しながら、ゆっくりと、エレベーターのように上がっていき、穴の周りの地面と同じ高さで停まった。
 そこには、養生所の表にいた大勢の人々全員と思われる人数が、穴を取り囲むようにして立っていた。
 底面が停まると同時、人々の殺気立った視線がモネに集中。
 その殺気の理由を知った今、モネは、攻撃など受けなくとも、その大勢から発せられる憎悪だけで押し潰されるように感じた。
 と、不意に、ナガがモネの右手首を掴み、額を覆っていた手を強引に剥がした。
(何を……っ? )
モネは驚いてナガを仰ぎつつ、族印を人に見られるのが嫌で、急いで右手を額に戻そうとする。
 が、ナガが手首を掴む手に力を込め、それを邪魔した。
 モネは負けずに、何とか、手を額に持っていこうとする。
 それに対し、ナガも更に手に力を込め……、と、そうこうしている間に、モネの視界の隅で、モネの、ほぼ真正面最前列に立っていた人々が、驚きをあらわに、後ろの人にぶつかりながら、数歩、後退り。膝を折り、地面に額をつけた。
 その行動は、順次、後ろへ、両側へ、伝わっていき、まるで、海の潮が引いていくように、数秒後には、穴の外にいた全ての人々が跪いた。
 異様な、その光景に、
(? )
モネはナガへの抵抗をやめ、人々のほうを向く。
 モネの隣で、ナガが小さく笑いながら呟く。
「楽しいねえ……」
 人々の、急な態度の変化。モネは、ワケが分からない。
 楽しいねえ、と呟いたきり、無言で笑みを浮かべながら、暫し、人々の様子を眺めて心から楽しんでいたように見えたナガが、
「姫」
急に笑みを消し、口を開いた。
 全く呼ばれ慣れない呼び名に、モネは反応出来ず、改めて、
「アナタです。姫」
至近距離から真っ直ぐに顔を覗き込まれながら呼ばれ、初めて、
「は、はい? 」
自分のことだったと思い出した。
 ナガは恭しく頭を下げ、
「参りましょう」
(……どこへ? )
モネの無言の問い。
 ナガは顔を上げて答える。
「王族の長の所へ。ワタクシメが、ご案内いたします」
 王族の長……サナの話の中で出てきた、竜族で一番偉い、指導者的立場の人だ。
(…そんな人に、会いに……? )
途惑い、意見を求めるべく、サナを見るモネ。そんな自分の行動に、ハッとした。いつの間にか、自分がサナを頼りにしていたことに気づいて……。
 サナの隣でシイが、
「まあ、当然だな」
 サナも頷く。
 モネは、サナについてきて欲しいと思ってしまいながら、サナを見つめた。
 モネの気持ちに気づいてか、サナ、優しく笑って。
「僕も一緒に行くよ」
 その一言が、サナが一緒に来てくれることが、とても心強い。
 ナガ、シイに、
「シイも一緒に来てよ。証人は多いほうがいいから」
言ってから、穴の中に落ちてきた2人の中年男性にも、
「あ、君たちも頼むよ」
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獅兜舞桂

Author:獅兜舞桂
獅兜座(しっとざ と読みます)座長・獅兜舞桂(しっとまいけー)です。
よろしくお願いします。
以前は恵子ミユキの名で活動しておりました。

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