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花をさがす少女 (1)




          * 1 *


(報せなきゃ! )
いかにも忍といった黒の忍装束の少年・芹(せり)は、武田の不穏な動きを察知し、報せるべく、信濃の深い森の中の獣道を、上野方向へ急いだ。
 芹は、保護者代わりである五形(ごぎょう)より、留守中の脅威である武田の動向を探る任を命ぜられていたのだった。
 五形は、先の川中島の戦いに於いて、武田方の啄木鳥戦法を見抜いた、優秀な軒猿頭領。その彼が、主・上杉輝虎の上野国和田城攻略に同行している最中のことである。
 本当は、芹も戦に同行したかった。自分の力を試してみたかったのだ。
 だが、危ないからと、代わりに与えられたのが、この任務。
 敬愛する五形に置いてけぼりを喰らい、自分だって、もう足手まといにはならないのにと、軽く拗ねながら臨んでいた任務だったが、武田の動きに気づいてドキドキした。これを五形様に報告出来たら、きっと、自分を認めてもらえるに違いない、と。
 早く報せたくて、認められたくて、実際にはそんなに遅くないと分かっていながらも、自分の足がもどかしかった。





(っ? )
芹は、自分のほうへ向かって来る気配を感じ、頭上の木の枝に飛び乗って身を隠す。
 ややして、芹と同じくらいの年頃の、肌の白い少女が駆けて来た。
 丈の短い茜色の着物を着、茶色がかった柔らかな質感の黒髪を顎の位置で切り揃えた、その少女の、黒目がちで吊り上がり気味の大きな目は真っ直ぐに正面を見据え、薄紅色の花びらのような唇からは苦しげな荒い息が漏れる。
(お、可愛いっ)
と、芹が思った瞬間、芹のいる枝の3尺ほど手前で、少女の脇を黒っぽい影が音も無く過ぎった。
 直後、少女はビクッとし、立ち止まった。
 芹は、自分が少女に見つかったのかと思ったが、違った。
 芹の枝を丁度中間に挟んで少女の正面に、明るい茶髪を無造作に後ろでひとつに束ね、鶯色の着物を緩く着た、30代半ばくらいの男が立っていた。どうやら、少女の脇をたった今、過ぎった影の、正体だ。
 少女は、怯えきった目で男を見上げる。
 男は、緩く着た着物のはだけた胸をポリポリと掻きながら、ごく軽い口調で、
「なーずなちゃんっ」
 少女は、なずな、という名らしい。
 少女・なずなは、また、ビクッ。
 その怯えは明らかに男に対してのものなのだが、その怯えっぷりに全く不釣合いに、男はニッコリ笑って、
「帰ろっか」
 なずなは目を逸らす。
 男は、小さく息を吐き、
「ま、いーけどね」
飄々と、半分独り言のように、
「けど、もうすぐ日が暮れるんだよなー。この辺は野犬が多いから、ちょっと修行を積んだだけのヒヨッ子くノ一なんて、いい餌だよなー」
そして、相変わらず目を逸らしたままのなずなを暫し眺め、もう一度息を吐いて、
「よし、行こう」
右手を伸ばし、なずなの左腕を取ろうとする。
 が、なずなは、その手をかわし、自分の左腕を右手で胸に抱きしめ、小さく小さくなって、見ていて痛々しいほどに震える。
 男の表情が、スッと変わった。一切の笑みを消した、冷たい表情。
「なずな」
ほんの少し前とはまるで違う、低い声、重く厳しい口調。
「今すぐ大人しく戻るなら、いつもの罰を受けるだけで許してやる。だが、抵抗するなら、俺は、お前を、今ここで始末しなけりゃならない。そういう決まりだ」
(…あの子、殺される……? )
見ず知らずの少女。しかし、最初に見た瞬間に、可愛いなどと思った。男を前に怯える姿を盗み見ていて、何となく不憫に感じたりもしていた。
(…助け、られないかな……? )
何だか放っておけない……そんな不思議な感情が芽生えた。
(あの男、強いのか? 強そう、だよな? )
 と、その時、背後でミシッと音。
(ミシ……? )
首を傾げる芹。
 直後、
(っ! )
芹は、乗っていた枝ごと地面に落ちた。枝が折れたのだ。
 落ちた場所は、もちろん、なずなと男のド真ん中。.
 青ざめる芹。
 なずなは、ギョッとしたように芹を見つめている。
 しかし男のほうは、チラリとも芹を見ず、
「どうする? なずな」
話を続けた。
(無視かよっ! オレ、いないことにされてるっ? )
 なずなは男の問いに対して、芹を見つめていた目を逸らし、かと言って、男とも目を合わさず、
「分かりました。殺して下さい」
 その様子に、先程までの怯えは無い。
(っ! 何でだよっ? )
芹はショックを受け、
「ダメだ! そんなのっ! 」
思わず、言葉が口をついて出た。
 なずなは、少し哀しげにも見えるが非常に落ち着いた瞳で芹を一瞥し、それから、真っ直ぐに男を見上げ、
「お願いします」
 男は頷き、
「いい覚悟だ。今回のような場合、ジワジワと苦痛を与えながら死に至らしめるのが本来のやり方だが、その覚悟に免じて、一瞬で楽にしてやるよ」
「ありがとうございます」
「よし。じゃあ、目を瞑れ」
「はい」
 目を閉じるなずな。
 男は、徐に自分の着物の緩い合わせ目の部分に右手を差し入れ、中から苦無を取り出す。
 なずなを護るべく、芹は、背中の忍刀を抜いて手に握った。いつでも動けるように構えて、男の隙を窺う。
 だが男は、腹の前の位置で苦無を回したり何だりと弄びつつ、なずなと手元の苦無を交互に見比べるだけで、それ以上の動きを見せない。
 芹は、
(……? )
首を傾げるが、男に、苦無を奪い取れるような隙は無い。
 ややして男は、溜息をひとつ。苦無を逆手にグッと握り直したかと思うと、なずなの胸めがけて突き出した。
 男が苦無を弄んでいた時間が長かったため、ちょっとボーッとしかけていた芹は、ハッとし、
(まずいっ! )
忍刀をしっかり握り直し、なずなまであと1寸と迫った苦無をその刀身で弾きつつ、なずなを背に庇う格好で、男との間に割って入り、男を見据える。
 男は感心したように、へえ……と言った。
 その「へえ」に、芹は、馬鹿にされているような見下されているような響きを感じ、ムカッとして、
「おい、てめえ! さっきからオレのこと無視してやがって! やっと無視しなくなったと思や、小馬鹿にして! オレのこと何も知らねえくせにっ! 」
 男は、芹と目を合わせることはせず、弾かれた苦無を、一旦、腹の前に戻し、再び回したり何だり弄びながら、
「何も知らねえ、か……」
その口調は、なずなを追って現れ最初に口を開いた時と同じく、軽い。
「確かに知らないけど、何か、分かる気がするんだよねー。無視してた、って言うけどさ、俺、親切のつもりだったんだぜ? お前、何処のかは知らねえけど忍だろ? 忍が木から落ちるなんてとこ見られたら気まずいだろうと思って、見なかったことにしてやったんだけど? 」
そこまでで、苦無を弄ぶ手を止め、芹を見る。
「……あのさぁ、とりあえず、そこ、どいてくんない? 」
口調は軽いが、その目には迫力がある。
「忍が、よそ様のことに口を挟むなんて、感心しないなあ……。いい加減にしないと、おじさん、怒っちゃうかもよ? 」
 静かな迫力に、芹はゾクッとしたが、気持ちを奮い立たせ、睨み返す。
「嫌だ! オレがどいたら、あんた、この子を殺すんだろっ? 」
 男は溜息。それからクックと笑い出し、
「甘いねえ、青いねえ、可愛いねえ……。俺は別に、お前がどかなくても、お前ごと、なずなを殺せるぜ? ただ、お前は無関係なんだから、命が惜しけりゃどいてろってことさ。あと、さすがに間にお前が入ると、一瞬で、っていうなずなとの約束が果たせねえかもしれないし」
 と、芹の喉頸に、後ろから、冷たく硬い、何か金属のようなものが、ヒタッと触った。ザワッと全身の産毛が逆立つ。
 男ではない。男の両手両足は、芹の目の前にある。
「どいて下さい。お願いします。見ず知らずのわたしなんかのために、命を無駄にしないで……! 」
背後で、なずなの声が言う。喉頸に触れている、おそらく武器である金属のようなものから、震えが伝わる。そのような物を人に向けることに慣れていないのだろう。
 震えで手元がブレたか、右の耳たぶに温かく柔らかいものが当たり、喉頸に触れている武器は長さの短い物で、耳たぶの下になずなの手があると判断できた。
「どいて下さい」
なずなが繰り返す。
 声の落ち着きに反して、手の震えは大きくなっていた。
 芹は辛くなってきた。なずなが、あまりに痛々しくて……。
 何かが、胸の奥の奥のほうから湧き出て来、それは、
「…い、やだ……」
呻き声のような形で口から発せられた瞬間、いっきに溢れ返った。
 芹は、耳たぶの下のなずなの手を、自分の喉頸から遠ざけるように、素早く右手で掴み上げた。
 なずなが、あっ、と小さく声を上げ、手にしていた武器を落とす。それは、男の物と同型の苦無だった。
 芹、なずなの手を掴んだまま、空いている左手で刀を操り、男のほうへと向けて牽制。
 男が溜息を吐き、
「なずな、悪いな。一瞬は無理かも」
言うと同時、苦無を持つその手が動いた。
目にも止まらぬ、とは、このこと。芹の左手が弾かれ、刀が芹の手を離れて飛んだ。そして、
(っ! )
本来なら手が弾かれると同時のはずの痛みを、後れて感じる。血などは出ていない。どうやら、苦無の、刃ではないほうを当てられたらしい。
 直後、芹はハッとした。男が非常に低い姿勢で、芹の懐の中から芹を見上げていたのだ。その手の苦無は、芹の胸の前に突きつけられている。
 男は、ニヤリと笑った。
(……っ! いつの間にっ? )
芹は慌てて飛び退き、飛び退いた先に、たまたま自分の刀が転がっていたため、条件反射的に拾う。
 その時、
(なっ、何だっ? )
にわかに辺りに煙のようなものが立ち籠め、芹は視界を奪われた。
 続いて、
(っ! )
腰の辺りを後ろ方向にグイッと引っ張られる感じで、体が宙に浮く。
 煙が濃くて周囲は全く見えないが、風の流れで、その引っ張られた方向へと、宙に浮いたまま、グングン移動しているのが分かった。
 芹は驚き、
(なっ、何だよ何だよ何だよっ? )
恐怖を感じた。
 状況が分からない以上、とにかくこの移動を止めなければ危険だと考えた。
 どうすればいいかと、頭を巡らせる芹。
 考えている間にも移動は続き、気ばかりが焦る。





 結局、何も出来ないうちに周囲を包んでいた煙は晴れ、芹の視界に、走る見慣れた純白の忍装束の脚が現れた。
 斜め上方に視線を移せば、長い黒髪を後ろで一つに束ねた精悍な横顔。五形だ。
 芹は、走る五形の右の小脇に抱えられていたのだ。
「五形様……」
 芹に名を呼ばれ、五形は、一度チラッと芹に視線を流し、フッと優しく笑んだだけで、走り続ける。
 芹は安心しかけるが、ハタと気づき、
(あの子はっ……? )
 しかし辺りを見回す前に、自分の右手がしっかりと握りしめている白く華奢な手を見つけ、その手とつながって五形の体の向こうに、なずなの着物と同じ布地と、手と同じく白く華奢な脚を確認できた。
 五形が、なずなも連れて来ていた。芹とは逆、進行方向を向いて抱えられている。
(…よかった……)



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