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花さが表紙最新(タイトルあり)

※画像素材として、
 キャラクターなんとか機様にてキャラクターを作らせていただきました。
 ニコニ・コモンズ様より、
 矢車草(トヨ@引退様)
 魔界の平野(召し上がれ様)
 効果素材 緑(さっちゃん様)
 を、お借りいたしました。
 ありがとうございますっ <(_ _)>♡
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花をさがす少女 (1)




          * 1 *


(報せなきゃ! )
いかにも忍といった黒の忍装束の少年・芹(せり)は、武田の不穏な動きを察知し、報せるべく、信濃の深い森の中の獣道を、上野方向へ急いだ。
 芹は、保護者代わりである五形(ごぎょう)より、留守中の脅威である武田の動向を探る任を命ぜられていたのだった。
 五形は、先の川中島の戦いに於いて、武田方の啄木鳥戦法を見抜いた、優秀な軒猿頭領。その彼が、主・上杉輝虎の上野国和田城攻略に同行している最中のことである。
 本当は、芹も戦に同行したかった。自分の力を試してみたかったのだ。
 だが、危ないからと、代わりに与えられたのが、この任務。
 敬愛する五形に置いてけぼりを喰らい、自分だって、もう足手まといにはならないのにと、軽く拗ねながら臨んでいた任務だったが、武田の動きに気づいてドキドキした。これを五形様に報告出来たら、きっと、自分を認めてもらえるに違いない、と。
 早く報せたくて、認められたくて、実際にはそんなに遅くないと分かっていながらも、自分の足がもどかしかった。





(っ? )
芹は、自分のほうへ向かって来る気配を感じ、頭上の木の枝に飛び乗って身を隠す。
 ややして、芹と同じくらいの年頃の、肌の白い少女が駆けて来た。
 丈の短い茜色の着物を着、茶色がかった柔らかな質感の黒髪を顎の位置で切り揃えた、その少女の、黒目がちで吊り上がり気味の大きな目は真っ直ぐに正面を見据え、薄紅色の花びらのような唇からは苦しげな荒い息が漏れる。
(お、可愛いっ)
と、芹が思った瞬間、芹のいる枝の3尺ほど手前で、少女の脇を黒っぽい影が音も無く過ぎった。
 直後、少女はビクッとし、立ち止まった。
 芹は、自分が少女に見つかったのかと思ったが、違った。
 芹の枝を丁度中間に挟んで少女の正面に、明るい茶髪を無造作に後ろでひとつに束ね、鶯色の着物を緩く着た、30代半ばくらいの男が立っていた。どうやら、少女の脇をたった今、過ぎった影の、正体だ。
 少女は、怯えきった目で男を見上げる。
 男は、緩く着た着物のはだけた胸をポリポリと掻きながら、ごく軽い口調で、
「なーずなちゃんっ」
 少女は、なずな、という名らしい。
 少女・なずなは、また、ビクッ。
 その怯えは明らかに男に対してのものなのだが、その怯えっぷりに全く不釣合いに、男はニッコリ笑って、
「帰ろっか」
 なずなは目を逸らす。
 男は、小さく息を吐き、
「ま、いーけどね」
飄々と、半分独り言のように、
「けど、もうすぐ日が暮れるんだよなー。この辺は野犬が多いから、ちょっと修行を積んだだけのヒヨッ子くノ一なんて、いい餌だよなー」
そして、相変わらず目を逸らしたままのなずなを暫し眺め、もう一度息を吐いて、
「よし、行こう」
右手を伸ばし、なずなの左腕を取ろうとする。
 が、なずなは、その手をかわし、自分の左腕を右手で胸に抱きしめ、小さく小さくなって、見ていて痛々しいほどに震える。
 男の表情が、スッと変わった。一切の笑みを消した、冷たい表情。
「なずな」
ほんの少し前とはまるで違う、低い声、重く厳しい口調。
「今すぐ大人しく戻るなら、いつもの罰を受けるだけで許してやる。だが、抵抗するなら、俺は、お前を、今ここで始末しなけりゃならない。そういう決まりだ」
(…あの子、殺される……? )
見ず知らずの少女。しかし、最初に見た瞬間に、可愛いなどと思った。男を前に怯える姿を盗み見ていて、何となく不憫に感じたりもしていた。
(…助け、られないかな……? )
何だか放っておけない……そんな不思議な感情が芽生えた。
(あの男、強いのか? 強そう、だよな? )
 と、その時、背後でミシッと音。
(ミシ……? )
首を傾げる芹。
 直後、
(っ! )
芹は、乗っていた枝ごと地面に落ちた。枝が折れたのだ。
 落ちた場所は、もちろん、なずなと男のド真ん中。.
 青ざめる芹。
 なずなは、ギョッとしたように芹を見つめている。
 しかし男のほうは、チラリとも芹を見ず、
「どうする? なずな」
話を続けた。
(無視かよっ! オレ、いないことにされてるっ? )
 なずなは男の問いに対して、芹を見つめていた目を逸らし、かと言って、男とも目を合わさず、
「分かりました。殺して下さい」
 その様子に、先程までの怯えは無い。
(っ! 何でだよっ? )
芹はショックを受け、
「ダメだ! そんなのっ! 」
思わず、言葉が口をついて出た。
 なずなは、少し哀しげにも見えるが非常に落ち着いた瞳で芹を一瞥し、それから、真っ直ぐに男を見上げ、
「お願いします」
 男は頷き、
「いい覚悟だ。今回のような場合、ジワジワと苦痛を与えながら死に至らしめるのが本来のやり方だが、その覚悟に免じて、一瞬で楽にしてやるよ」
「ありがとうございます」
「よし。じゃあ、目を瞑れ」
「はい」
 目を閉じるなずな。
 男は、徐に自分の着物の緩い合わせ目の部分に右手を差し入れ、中から苦無を取り出す。
 なずなを護るべく、芹は、背中の忍刀を抜いて手に握った。いつでも動けるように構えて、男の隙を窺う。
 だが男は、腹の前の位置で苦無を回したり何だりと弄びつつ、なずなと手元の苦無を交互に見比べるだけで、それ以上の動きを見せない。
 芹は、
(……? )
首を傾げるが、男に、苦無を奪い取れるような隙は無い。
 ややして男は、溜息をひとつ。苦無を逆手にグッと握り直したかと思うと、なずなの胸めがけて突き出した。
 男が苦無を弄んでいた時間が長かったため、ちょっとボーッとしかけていた芹は、ハッとし、
(まずいっ! )
忍刀をしっかり握り直し、なずなまであと1寸と迫った苦無をその刀身で弾きつつ、なずなを背に庇う格好で、男との間に割って入り、男を見据える。
 男は感心したように、へえ……と言った。
 その「へえ」に、芹は、馬鹿にされているような見下されているような響きを感じ、ムカッとして、
「おい、てめえ! さっきからオレのこと無視してやがって! やっと無視しなくなったと思や、小馬鹿にして! オレのこと何も知らねえくせにっ! 」
 男は、芹と目を合わせることはせず、弾かれた苦無を、一旦、腹の前に戻し、再び回したり何だり弄びながら、
「何も知らねえ、か……」
その口調は、なずなを追って現れ最初に口を開いた時と同じく、軽い。
「確かに知らないけど、何か、分かる気がするんだよねー。無視してた、って言うけどさ、俺、親切のつもりだったんだぜ? お前、何処のかは知らねえけど忍だろ? 忍が木から落ちるなんてとこ見られたら気まずいだろうと思って、見なかったことにしてやったんだけど? 」
そこまでで、苦無を弄ぶ手を止め、芹を見る。
「……あのさぁ、とりあえず、そこ、どいてくんない? 」
口調は軽いが、その目には迫力がある。
「忍が、よそ様のことに口を挟むなんて、感心しないなあ……。いい加減にしないと、おじさん、怒っちゃうかもよ? 」
 静かな迫力に、芹はゾクッとしたが、気持ちを奮い立たせ、睨み返す。
「嫌だ! オレがどいたら、あんた、この子を殺すんだろっ? 」
 男は溜息。それからクックと笑い出し、
「甘いねえ、青いねえ、可愛いねえ……。俺は別に、お前がどかなくても、お前ごと、なずなを殺せるぜ? ただ、お前は無関係なんだから、命が惜しけりゃどいてろってことさ。あと、さすがに間にお前が入ると、一瞬で、っていうなずなとの約束が果たせねえかもしれないし」
 と、芹の喉頸に、後ろから、冷たく硬い、何か金属のようなものが、ヒタッと触った。ザワッと全身の産毛が逆立つ。
 男ではない。男の両手両足は、芹の目の前にある。
「どいて下さい。お願いします。見ず知らずのわたしなんかのために、命を無駄にしないで……! 」
背後で、なずなの声が言う。喉頸に触れている、おそらく武器である金属のようなものから、震えが伝わる。そのような物を人に向けることに慣れていないのだろう。
 震えで手元がブレたか、右の耳たぶに温かく柔らかいものが当たり、喉頸に触れている武器は長さの短い物で、耳たぶの下になずなの手があると判断できた。
「どいて下さい」
なずなが繰り返す。
 声の落ち着きに反して、手の震えは大きくなっていた。
 芹は辛くなってきた。なずなが、あまりに痛々しくて……。
 何かが、胸の奥の奥のほうから湧き出て来、それは、
「…い、やだ……」
呻き声のような形で口から発せられた瞬間、いっきに溢れ返った。
 芹は、耳たぶの下のなずなの手を、自分の喉頸から遠ざけるように、素早く右手で掴み上げた。
 なずなが、あっ、と小さく声を上げ、手にしていた武器を落とす。それは、男の物と同型の苦無だった。
 芹、なずなの手を掴んだまま、空いている左手で刀を操り、男のほうへと向けて牽制。
 男が溜息を吐き、
「なずな、悪いな。一瞬は無理かも」
言うと同時、苦無を持つその手が動いた。
目にも止まらぬ、とは、このこと。芹の左手が弾かれ、刀が芹の手を離れて飛んだ。そして、
(っ! )
本来なら手が弾かれると同時のはずの痛みを、後れて感じる。血などは出ていない。どうやら、苦無の、刃ではないほうを当てられたらしい。
 直後、芹はハッとした。男が非常に低い姿勢で、芹の懐の中から芹を見上げていたのだ。その手の苦無は、芹の胸の前に突きつけられている。
 男は、ニヤリと笑った。
(……っ! いつの間にっ? )
芹は慌てて飛び退き、飛び退いた先に、たまたま自分の刀が転がっていたため、条件反射的に拾う。
 その時、
(なっ、何だっ? )
にわかに辺りに煙のようなものが立ち籠め、芹は視界を奪われた。
 続いて、
(っ! )
腰の辺りを後ろ方向にグイッと引っ張られる感じで、体が宙に浮く。
 煙が濃くて周囲は全く見えないが、風の流れで、その引っ張られた方向へと、宙に浮いたまま、グングン移動しているのが分かった。
 芹は驚き、
(なっ、何だよ何だよ何だよっ? )
恐怖を感じた。
 状況が分からない以上、とにかくこの移動を止めなければ危険だと考えた。
 どうすればいいかと、頭を巡らせる芹。
 考えている間にも移動は続き、気ばかりが焦る。





 結局、何も出来ないうちに周囲を包んでいた煙は晴れ、芹の視界に、走る見慣れた純白の忍装束の脚が現れた。
 斜め上方に視線を移せば、長い黒髪を後ろで一つに束ねた精悍な横顔。五形だ。
 芹は、走る五形の右の小脇に抱えられていたのだ。
「五形様……」
 芹に名を呼ばれ、五形は、一度チラッと芹に視線を流し、フッと優しく笑んだだけで、走り続ける。
 芹は安心しかけるが、ハタと気づき、
(あの子はっ……? )
 しかし辺りを見回す前に、自分の右手がしっかりと握りしめている白く華奢な手を見つけ、その手とつながって五形の体の向こうに、なずなの着物と同じ布地と、手と同じく白く華奢な脚を確認できた。
 五形が、なずなも連れて来ていた。芹とは逆、進行方向を向いて抱えられている。
(…よかった……)



花をさがす少女 (2)

                    
            *


 森を抜け、小高い丘の上まで来たところで、
「ここまで来ればいいだろう」
そこにあった無人の古い小屋の裏手に、五形は、芹となずなを下ろし、優しく芹の目を覗いて、
「大丈夫か? 」
 芹はホッとして、
「ありがとうございます」
礼を言ってから、ふと浮かんだ疑問を口にする。
「でも、どうして五形様がここに? 御実城様と一緒に、上野におられるはずじゃあ? 」
「ああ、清白(すずしろ)から、武田に不穏な動きありと報告があってな。まだ和田攻略の途中だったが、一旦、私以外全員で帰還したのだ」
(清白さんが……? 清白さんも武田を探ってたのか……)
 清白は、五形の配下の忍で、時々、芹の修行に付き合ってくれたりする、芹の兄貴的存在の人物。
 芹は、五形が自分を信頼してくれていなかったのだと感じ、ショックを受けたが、五形は、そんな芹の気持ちに気づかないらしく、続ける。
「私は、清白がお前を放り出して報告になど来たから、心配になって、皆と春日山へは戻らず、上野から直接こちらへ、お前を迎えに来たのだ」
そして、一層、目を優しくして、
「捜したぞ。無事でよかった」
 五形の言葉に、
(…オレを放り出して、って……)
芹は大ショック。
(清白さんは武田を探ってたんじゃなくて、オレに付いてたのか……。五形様に命ぜられて……。戦どころか偵察も行かせられないって? けど、何か任務を与えなければオレが納得しなさそうだったから、清白さんをこっそり付いて行かせることにして行かせたんだ……。この忍刀も……)
芹は、地面に転がったのを拾って以降左手に握りしめたままだった自分の刀に、チラッ視線を流す。
(今回の任務にあたってと五形様から与えられて、望んでた戦場へは連れてってもらえなかったけど、それでも何か、ちょっとは認められたような気になってたのに、きっと五形様は、護身用のつもりで渡した、程度の気持ちだったんだろうな……)
 落ち込む芹に五形は全く気づかず、大きく息を吐いて、まだ続ける。
「まったく、清白には困ったものだな。武田の動向の報告も大事だが、自分の一番の務めを忘れている」
そこで一旦、言葉を切り、気遣わしげに芹を見、
「清白に急にいなくなられて、心細かったであろう? 」
(……は? こっそりじゃなかったのか。清白さんが傍にいたのなんて、全然気づかなかったけど……)
 それから、五形はまた溜息。不機嫌そうに、
「しかも、それを注意したら、芹はもう小さな子供などではないのだからと開き直りおって。それどころか、私の芹に対する態度は半人前扱いですらなく愛玩動物と同じであると、それでは芹に失礼であると、逆に意見までしおったわ。だが、やはり、清白が目を離したために、実際にこうして、芹が危険な目に遭ってしまったではないか。私が間に合わなかったら、どうなっていたことか」
ぶつぶつくどくどと話し続ける。
 芹は、
(清白さん……)
せっかく清白が、芹自身も感じていた、五形の芹への接し方について言及してくれたので、良い機会だから、勇気を振り絞って自分からも言ってみようと、
「ご…五形、様……! 」
口を開いた。
「オレが今、危ない目に遭ったのは、余計なことに首を突っ込んだからで、そんなことをしないようにすれば、何事も無く偵察をこなせるはずです。事実、オレは今、武田が不穏な動きをしていることを伝えるため、和田城へ向かう途中でした。…清白さんに先を越されましたけど……」
 清白さんに先を越された……自分であらためて口に出して言ってみて、芹は、更に落ち込みを深くした。
 自分の傍にいたということは、同じ時に同じものを見聞きしていたはずなのに、清白のほうが、全然早く武田の動きに気づいたであろうこと。そもそも、自分は清白の存在に全く気づいていなかったこと。……それらから、己の未熟さを自覚して。
 落ち込みがあまりに深くて俯き、
(…こんなんじゃ、せめて半人前扱いくらいしてくれなんて、言えないよな……)
口を噤む芹。
 暫し沈黙が流れる。
 五形まで黙ってしまっていたため、自分の発言で、五形が、自分を生意気だと怒ってしまったのではと、不安になって、芹は、恐る恐る五形を盗み見た。
 すると、五形と目が合った。目が合った五形は、驚いた表情をしていた。
 五形の手が、芹に向かって伸びる。
 殴られると思い、芹は、ビクッ。
 しかし、五形の手は、芹の頭にフワッと置かれた。
「そうか。武田の動きに気づけたのか」
五形は、芹と目の高さを合わせて、
「よく気づけたな。偉いぞ」
指で芹の髪を梳く。
 芹は、内心溜息を吐いた。
(やっぱ、愛玩動物扱いか……)





「ところで」
五形が、なずなに視線を流した。丘の小屋の裏手に下ろされて以降、なずなは、今もずっと、放心状態で地面にペタンと座ったままでいる。
「この娘は誰だ? お前が手を握っていたから、そのまま一緒に連れて来たが、この娘が原因で、藤袴(ふじばかま)に襲われていたのか? 」
(藤袴っ? )
驚く芹。
「ふ、藤袴って……! あの、さっきの人が、あの藤袴ですかっ? 」
「ん? ああ。そうだ」
五形はキョトンとして答え、考えるように、自分の顎をつまんで少し間を置いてから、
「そうか。芹は藤袴に会ったことが無かったな」
(あれが、藤袴……)
噂には、よく聞いていた。一般的には無名だが、同業者である忍の間では超有名人の武田の三ツ者。特に戦闘の能力に優れ、軒猿の頭領たる五形と互角に渡り合える唯一の存在と言われている。
 芹は五形の戦う姿を見たことが無いが、噂をする周囲の口振りから、それがすごいことであるとは分かった。
 とんでもない人物を相手にしようとしていたのだと、芹は今更、背筋が寒くなる。
 五形は、真面目な表情で芹の目を覗き、
「今し方お前の言った、余計なこと、とは、この娘のことか? 首を突っ込んだ、ということは、お前から進んで関わったのだな? 一体、何があった? 」
 芹は、真剣な口調の五形の質問の意図が分からず、顔色を窺いながら、怖ず怖ずと、
「彼女が藤袴に殺されそうになっていて……。なんか、放っとけなくて……。でも、オレは、たった今、余計なことって言い方をしましたけど、それは偵察任務を遂行するのに余計なことって意味で、助けること自体が余計なことだなんて思わないです」
 皆まで言ってなお五形を窺い続ける芹の視線の先で、五形は、大きく息を吐いた。
 芹はビクッとし、五形の出方を待つ。
 だが五形は、徐に、体ごとなずなの方へと向きを変え、
「娘」
冷ややかな目で見下ろした。
 自分に向けて声を掛けられて初めて、なずなは放心状態から復活したようで、ハッと五形を見た。
「貴様、くノ一だな? 藤袴が無意味な殺生をするとは思えない。貴様は、武田と敵対する勢力に仕える忍で、武田に害をなそうとしたところを藤袴に見つかったか、あるいは武田の忍で、裏切ったか何かの理由により粛清されるところであったか、どちらかなのではないか? そこへたまたま居合わせた芹を、何らかの術で惑わし、助けさせようとしたのであろう? 私の芹を巻き込みおって。芹が傷を負わなかったが幸い。命拾いしたな。即刻立ち去るがよい」
 なずなは震えている。
「即刻、立ち去れ……? 」
その声も。怯えているわけではなく、明らかに怒りで。
 なずなは、立ち上がりつつ暗い目で五形を見据え、
「あなたの言うとおり、わたしはくノ一です。でも、その人を惑わしてなんかないし、大体、そんな術、知らないし、そもそも助けてなんて欲しくなかった。…せっかく……せっかく、死ねると思ったのに……! 」
 芹は、せっかく死ねると思った、とのなずなの発言に、そう言えばさっきも死を望むような態度であったことを思い出し、何故そんなに死にたいのか疑問に思った。
 それに答えるように、なずなは、自らの過去と、藤袴に殺されそうになるに至った経緯を語った。その話によれば……

 なずな10歳のある日、姉と二人で留守番をしていた時のこと。
 なずなが家族と共に暮らしていた尾張鷲津砦近くの村が、今川の兵に襲われた。家に踏み込んできた兵に、姉は、なずなの目の前で強姦され、他の兵に犯されそうになったなずなを助けようとして、殺された。運悪く、丁度その時に帰宅した両親も、同じくなずなを護ろうとして命を落とした。
 両親を殺してすぐに、ごく僅かしかない家中の金目の物を掻き集め、兵は去って行き、生き残った身寄りの無いなずなは、その後しばらく、近所の人々に養ってもらっていたが、申し訳なさを感じ、村を出た。
 家族を自分のせいで死なせておいて自分だけが生きていること自体にも申し訳なさを感じながら、当てどなく彷徨い歩き、力尽きて倒れたところを、なずなは、甲斐信濃二国巫女頭領である望月千代女に拾われ、信州小県郡禰津村古御館に開かれたばかりの、甲斐信濃二国巫女修練道場へ連れて行かれる。
 そこは、なずなと同じく孤児となったり、他にも捨て子などとなった少女たち200から300人を集め、呪術や祈祷から忍術、護身術などを教え、諸国を往来出来るよう巫女としての修行も積ませる場所。一人前になると全国各地に送り込まれ、武田のために情報収集を行うのだという。
 全く気力の無かったなずなだが、罰が怖くて、毎日の修行に真面目に取り組んだ。
 修行は体力的にも精神的にも厳しいものだったが、それによって生きていることの申し訳なさを紛らわすことは出来ず、辛くて、何度も自殺を試みた。しかし、その度に死にきれず発見されては罰を受け、の繰り返し。
 だがこの度、修行の最終科目である房術の訓練を行うことになり、姉が強姦される現場を目撃したトラウマから道場を抜け出し逃げたところを、千代女の古くからの友人であり道場の用心棒的存在である藤袴に見つかり、追われ、追いつかれ、また連れ戻されて罰を受けるのかと恐怖したが、同じ罰を受けるのでも脱走の罰は死であると初めて知り、これでやっと死ねると安堵した。
 そこを、芹に邪魔されたのだ、と。

(邪魔……。任務のためだけじゃなくて、この子にとっても、オレのしたことは余計だったってことか……)
芹は、怒りを覚えていた。
 その隣で五形、
「そうであったか……」
呟き、
「芹のこととなると、私は、どうも短気でな。一方的な思い込みで物を言って、すまなかった」
なずなに向けて頭を下げる。
「娘。詫びと言ってはなんだが、何か私に出来ることがあれば、手を貸そう」
 なずなは暫し無言のまま五形を見つめてから、視線をスッと下方へ逸らし、小さく息を吐いて、
「それなら、殺して下さい。これまで何回も自殺をしようとしたけど死にきれなかったのは、きっと、自分でだと加減をしてしまっていたからだと思うので」
「…いい加減に、しろよ……」
芹の目に、怒りから涙が滲む。
 声に出したつもりは無かった。なずなと五形の視線が全く同時に自分へと向けられたことで、声に出ていたのだと知り、慌てて口を片手で覆う。
 しかし、昂った気持ちまでは抑えきれず、滲んでいただけの涙が、膨らんで重力に耐えられなくなり、粒となって零れ落ちた。
「せ、芹……! ど、どどどうしたのだっ? 腹でも痛むかっ? 」
五形が狼狽えて芹の顔を覗いた。
 一粒零れ落ちてしまった涙は、ポロポロポロと止まらない。
「何で……。何でそんなに死にたいんだよ……! 生きてることが申し訳ないなんて、そんなワケあるかよ……! 」
(自分を護るために家族が死ぬなんて、どんだけ愛されてんだ……)
芹は、自らの過去と比較し、愛されているなずなに嫉妬した。
 芹の、家族についての記憶は一つしかない。
 薄暗い森の中で、5歳の芹の首を鬼のように真っ赤な顔をして泣きながら絞める母親……それだけだ。その時に死なずに済んだのは、たまたま通りかかった五形が、母親から芹を金で買い取ったため。
 今にして思えば、母親も自分を殺したくて殺そうとしたわけではないのだろう、だから泣いていたのだろうとも思えるのだが……。
 だが、なずなが家族から注がれた愛情とは、やはり差がありすぎる。
 そして、その愛情に報いようとしない……どころか、自分が幸せであることに気づいてさえいない様子のなずなに、腹が立った。
「あんたが今、生きてるのは、あんたを護ろうとして死んでいった、父ちゃんや母ちゃんや姉ちゃんの望んだ結果だ! …それなのに……! 生きないことのほうが申し訳ないんじゃないのか……っ? 死んでいった人たちの命を、心を、踏みにじることになるんじゃないのか……っ? 一生懸命に生きることだけが、死んでいった人たちに報いる方法じゃないのかよっ……! 」
 興奮した状態で喋り続けたためか、芹は崩れそうになった。
「芹……! 」
五形が咄嗟に支える。
 芹、五形に支えられたまま、まだ喋り続ける。
「気づけよ! 自分が幸せだってことに……! 命を捨てるほど愛されるなんて……! オレなんて……オレなんて、母ちゃんに殺されかけたんだぞ! って言うか、五形様に助けてもらえなかったら、本当に殺されてた! 母ちゃんにだぞっ? あんたは当たり前に思ってるかも知れないけど、母ちゃんに、父ちゃんや姉ちゃんにも、愛されることは全然当たり前じゃない! 生きろと望まれることは、当たり前じゃない! オレは家族には望まれなかった! だけど生きる! 五形様が望んでくれてるから! 五形様に報いるために生きる! 」
「…で……? 」
なずなの、突然の冷ややかな声。。
「……っ! 」
芹は、頭のてっぺんから冷水を浴びせられた感じがした。
(で? …って……)
 返す言葉も無く固まる芹に向けて、なずなは溜息をひとつ吐き、遠い目をして、もうひとつ、今度は長い溜息に乗せ、
「『一生懸命に生きることだけが、死んでいった人たちに報いる方法』? ……そんな御託は聞き厭きたわ。村の人たちからも、それこそ、朝・昼・夕の挨拶代わりかってくらい、顔を合わせる度に言われた。『ご両親とお姉ちゃんの分まで生きなきゃね』とか」
そこまでで一旦、言葉を切り、視線を俯き加減に変えて、低く暗く重く続ける。
「確かに、わたしは幸せだった。愛されて、幸せだった。でも、もう誰もいない。生きていて申し訳ないと思うのは、護ってくれたことを感謝できない自分だから。『どうして、わたしだけ残して死んだの? 』なんて、恨みにさえ思ってる。
 ……自分ひとり生き残るより、皆と一緒に死ねたらよかった。自分に生きてくれと望んでくれている相手が、傍で一緒に生きてくれているあなたには分からないわ、こんな孤独。死者が遺した愛は永遠に変わらないけれど、思い出だけじゃ生きられないもの。死んでしまった愛してくれた人たちに対して恥ずかしくない生き方を、ずっと心掛けて生きていけるほど強くない。傍で生きて、恥ずかしいことをしたら叱ってほしい……」
 最後は消え入るように言って口を噤んだなずなに、芹は、キュウッと胸を締めつけられた。なずなの負っている傷の深さを感じて……。
 五形に甘えて支えられている場合ではないと、芹は、きちんと自分の足で立つ。
 自分の言ったことが間違っているとは思わない。だが、なずなの言ったことこそが、なずなの真実。
(…どうすりゃ、いいんだろうな……)
こんなにまで傷ついている人を見るのは、初めてな気がした。
 自分も、母に殺されそうになった幼い日の記憶に、散々傷ついてきたが、そんな比ではないと思った。
 どうにかして慰めてやりたいと思った。
 芹は考え、結果、
「オレが叱ってやるよ」
また冷たい声で何か言われるかもと、少しビクビクしながら切り出し、冷たい声が来ないのを確認後、
「オレが、叱ってやる」
もう一度、今度はしっかりとなずなを見つめ、目に力を込めて、繰り返す。
 考えた結果、慰めることは出来ないと思った。ここまで酷く傷ついている人の心を慰めるなど、自分には到底無理だと。
 しかし、なずなが今求めているものを与えることなら出来ると、結論を出したのだ。
 なずなは、信じられないといった表情で芹を見る。
 愛玩動物のあんたが? などと思われたようにも感じたが、気にしないよう努め、芹は続けた。
「オレは、あんたに生きてくれって望む。だから、もう誰もいなくなんかない。あんたはひとりじゃない。孤独なんかじゃない。オレがいる! 」
 言い終わりに、なずなの口がこれから言葉を発するように開くのを見、芹は、何を言われるかと緊張する。
 だが、なずなが掠れ気味に、聞き取るのが困難なほど小さな声で口にしたのは、
「…どうして……? どうして、会ったばかりのわたしに、生きてくれ、なんて思うの? 」
(どうして、って……)
なずなの口から発せられたのが、ごく普通の質問であったことに、芹はホッとし、同時に困った。
(どうしてって言われても……)
生きていて欲しいから生きてくれと望んだ。それだけだ。結局自分では助けられなかったが、藤袴から助けようとしたのだって、助けたかったからというだけのこと。
(理由なんて……)
それでも考え、何とか辿り着いた答えは、
「だって、あんた、顔が可愛いから」
 驚いた様子のなずな。
 芹は、すごくくだらないことを言ってしまったと思い、口を押さえ、今度こそ冷たい声が来ると覚悟を決めた。
 ところが、そんな芹の目の前で、なずなは、可愛いと言われたことに照れたのか、見る見る顔を赤らめ、再び芹から目を逸らして俯き、
「…ありがと……」
ぶっきらぼうに呟く。
(……あれっ? )
芹は、なずなの態度が和らいだのを感じたため、
「生きて、くれる? 」
恐る恐る聞いてみた。
 なずなは、目を逸らしたまま小さく頷いた。
 そこへ、
「では、私も叱ろう」
五形が真顔で口を開く。
(五形様……)
芹も驚いたが、なずなも驚いたらしく、照れから立ち直った様子で顔を上げ、五形を見た。
 五形は、なずなの視線を受け止め、続ける。
「芹の望みは私の望みだ。私の名は五形。上杉に仕える軒猿が頭領だ」
そして、芹の頭にポンと手を置き、
「こいつは芹。私の大切な奴だ。娘、お前の名は? 」
「…あ、はい……。なずなと申します」
 五形、確認したように頷き、
「なずな、行く当てが無いのであろう? 私の芹を苛めないと約束できるのであれば、私たちと共に春日山で暮らすがよい」
「…え、あの……。でも……」
なずなは途惑っている様子。
 しかし五形は、事も無げに、
「迷う事では無かろう。傍にいなくては叱れぬ」
言うと、なずなの返事も待たず、
「では、行くとしよう」
春日山方向へ踏み出した。





 進むスピードを徐々に上げていく五形。
 芹は、その背中を追いかけ、
「五形様っ! 」
声の届くところまで追いついて、
「ありがとうございますっ! 」
 五形は、顔だけ振り返り、フッと甘く笑った。


花をさがす少女 (3)

 
          * 2 *


(…あれ……? なんか……)
 上杉輝虎の居城である、越後春日山山頂に築かれた天然の要害を持つ難攻不落の城・春日山城。
 何度か休憩を挟みながら8刻ほどかけ、巽の刻。なずな・五形と共に、五形の屋敷のある、春日山南三の丸家臣団屋敷群に帰って来た芹は、違和感を感じ、辺りを見回した。
 ややして、いつもと同じように畑仕事に精を出す人々の中に、違和感の正体を見つける。
 男たちがいないのだ。
 不思議に思っていると、
「五形くん」
少し距離のある背後から、五形に向けて女性の声が掛かり、芹・なずな・五形の一同は振り返る。
 そこには、隣の屋敷の、恰幅のよい40代の奥方・カツ。
 畑で中腰の姿勢から上体を起こし、腰をトントンしてから、芹たちのほうへ歩み寄って来て、
「お帰りなさい」
無言でなずなを気にする。
 応えて五形、
「ああ、なずなと言います。今日から私が世話をすることになりまして」
そして、その答えにカツが、そう、と納得するのを待ってから、
「ところでカツ殿。男性の方々が見当たりませんが」
「ああ、皆、菅名荘へ行ったよ」
「菅名荘ですか? 」
「もう一昨日のことだけどね。何だか、蘆名軍が攻めてきたとかで、上野から帰ってすぐ出掛けたんだ」
 五形とカツの会話を、何か戦が続くなあ、などと、特に自身の感想など無く、表面を滑るように思いながら聞く芹。
 五形、
「然様ですか。ありがとうございます」
ちょっとボンヤリしてしまっていた芹にとっては突然、礼を言って話を切り上げ、早足で自分の屋敷へ。
 芹は、五形の後について先を歩くなずなの背中に、慌てて続いた。





 勝手口から屋敷内に入った五形は、真っ直ぐに、一番奥の自分の部屋へ。
 後をついて行き、部屋の入口で見守る芹となずな。
 視線の先の五形は、床に3尺四方ほどのきれを敷き、その上に、忍装束の懐から腰から足首内側から、これまで持ち歩いていた忍道具を出して並べた。
 そして、部屋の隅へと歩き、しゃがんで、そこに置かれた櫃の中から、たった今、装束から出した物と同じ道具を取り出しては、懐から出した物は懐へ、と、出した場所と同じ場所に仕舞っていく。
 ややして、よし、と小さく言って立ち上がり、入口へ。そこで覗いていた芹の前で足を止め、優しい優しい笑みを向けた。
「菅名荘の様子を見て来る。良い子で留守番しておるのだぞ? 」
 これまでであれば、こんな時、自分の力を試してみたくて、一緒に連れて行ってくれとせがんでいた芹だが、今回の武田の動向を探る任の裏を知ると共に己の未熟さを自覚してから、まだ1日と経過していない今、試してみたい自分の力など無い。
「……分かりました」
 五形は芹の頭を優しくポンポンッとやり、
「いい子だ」
そして、なずなに視線を移す。
「なずな。ここが今日からお前の暮らす私の屋敷だ。部屋は、この部屋の2つ手前、芹の隣を使うがよい」
「ありがとうございます」
なずなは真っ直ぐに五形を見つめ、返した。
 芹は、
(ん……? )
五形に礼を言ったなずなの態度に、ちょっと、あれ? と思った。
 頬がほんのり赤い。縋るように? いや、うっとりと? ただ五形だけを見つめる目。
(この子……。もしかして、五形様のこと……? )
何故か、少しショックだった。とてもしっかり納得していたが……。五形様はカッコイイからな、と。
 なずなの礼に対し、五形は、うむ、と頷いて、では私は行くからと言い、
「芹を頼む」
と続けた。
(何でだよっ? )
芹は、なずなの五形への気持ちについての少しのショックの上に、更に、今度は大きなショックを重ねる。
(何で、この子……なずなにオレのことを頼むんだよっ! )
 なずなは驚いた表情をしている。
 ショックを隠せない芹と驚いているなずなの視線を受けながら、五形は続けた。
「なずはは歳こそ芹と変わらぬが、脱走を捨て置けず追っ手を差し向けねばならない程度の力量があると、認められているのであろう? 芹を頼めるな? 」
 五形が話している間に、なずなの表情は、はっきりと途惑いに変わっていった。
 途惑った様子ながら、頷くなずな。
 五形は頷き返し、
「では、行ってくる」
視線を芹へと戻して、優しい目で芹の目の奥を覗き込み、頭を撫でてから勝手口へ。





(オレは、なずなより下かよ……)
同じくらいの年齢、しかも女の子のなずなより下に位置づけられた芹は、番所まで五形を見送りに出るべく山を下る道を、終始無言のまま不貞腐りながら歩いていた。
 完全に自分のペースでどんどん歩く五形と、その後を小走りで、心なしか嬉しそうについていくなずなから、少し後れて……。

 番所に到着し、番所の前を左右に延びる道を、ここ、春日山より北に位置する菅名荘を目指して左手方向、五形の背中は、あっと言う間に小さくなり、直後に見えなくなった。
 五形の行った後を、芹は暫し見送り、
(いつまでも落ち込んでたってしょーがねえし……)
一度、息を大きく吸って吐き、頭を切り換えた。
(五形様は、戦い方なんかについては、どうせ何も教えてくれねえし、清白さんに、もっと、修行の回数を増やしてもらうとか。あとは……)
そこまでで、自分よりも更に長いこと五形の行った後を、未だに見送っているなずなを見る。
(…なずなに教わるとか……? けど、どうも、なずなに五形様の言うような力量があるとは思えないんだよな。藤袴に殺されそうになってた時、オレに、どけと脅すのに、苦無を持つ手が震えてたし……)
 と、そこへ、五形が行ったのとは反対方向から、何やら不規則な馬の蹄の音。
 何の気無く音の方向を振り返る芹。
 ややして、酷く興奮した様子で芹たちのほうへ向かって駆けて来る、1頭の馬が見えてきた。
(暴れ馬っ? )
そう思い、なずなの手を取って、山を登る方向へ避難しようとした芹だが、すぐに、
(っ? )
その馬上に人が乗っていることに気づいた。
 上半身裸で頭髪の乱れた血まみれの若い武士が、落ちないよう必死といった感じでしがみついていたのだ。
 ぐんぐん近づいてくる馬。 
 武士の顔がはっきりと見え、芹は、その武士を見たことがあると気づいた。
 名前までは分からないが、確かにいつか、信越国境の境目城・野尻城で見掛けた顔だ。
 芹は武士と目が合う。
 直後、
(っ! )
武士は落馬した。
 芹は、なずなの手を離し、急いで武士に駆け寄って、
「おい! 大丈夫かっ? 」
地面に膝をついて抱き起こす。
 すぐ横で、なずなが、暴れる馬を宥めた。
 芹の腕の中で、武士が苦しげに口を開く。
「殿、に……。火急の、報せ、が……」
 芹は困る。
「御実城様は、菅名荘へ行ってるんだけど……。蘆名軍が攻めて来たらしくて……」
 武士のほうも困惑の表情を浮かべ、
「では、現在、この城の護りは……? 」
 武士の質問の意図が分からず、芹は、一体どうしたのかと逆に問う。
「…武田軍が……。武田軍が野尻城を落とし、越後に入って郷村に放火を……! あの勢いでは、そのまま、こちらの城にも攻め込みかねない……! 」
 やはり苦しげで途切れ途切れのその答えに、
(! )
驚き、
(ヤベーよ! それっ! )
今の状況で攻め込まれては、ひとたまりも無いと、焦る芹。
 武士は言うだけ言うと、報せなければ、と、立ち上がろうとする。
(あ、おいっ! )
芹は慌てて止めた。
「そんな体じゃ無理だ! オレが行くっ! 」
 それから、いくら急がなければならないとは言え、この武士をこのまま放置するわけにはいかないため、なずなに頼もうと、
「あ、あの……! な、なず、な! 」
初めてなずなの名を口にした。名前などで呼んで怒られないか緊張しながら、そして、いざ口にしてみて、何とも言えない甘酸っぱい気分になりながら。……急場だというのにと、不謹慎を反省しつつ……。
 すぐ隣で馬の鼻面を撫でていたなずなは、手を止め、芹を見た。
 芹、なずなの視線に不謹慎を見抜かれそうで、見抜かれれば何か言われそうで、大急ぎで甘酸っぱい気分を振り払い、意識的に真面目に、
「この人のこと、頼める? 」
言ってしまってから、いくら態度は真面目であっても、頼みごとなど、それ自体、調子にのっていると思われそうな行為だと気づき、それでも、もう話し始めてしまっているため、途中で話をやめることも、その他にどうすることも、それはそれで何か言われそうで出来ず、内心ビクビクしながらも仕方なく続ける。
「もう一度、馬の背に乗せて、南三の丸……ほら、五形様の屋敷のあるとこまで運んで、そうしたら、カツさんって分かる? さっき五形様と話してた女の人。後のことは、そのカツさんに事情を話して指示を仰げばいいから」
 芹の言葉に、なずなは意外と素直に、
「分かった。じゃあ、馬に乗せるのだけ手伝ってから行ってくれるかしら? 」
「あ、う、うん」
芹は驚き、もしかしたら自分が気にしすぎなのではと思った。
 考えてみれば、なずなから冷たい声を浴びせかけられたのは、「…で……? 」の一言だけなのに。それだって、芹がなずなの気持ちを置き去りにして好き勝手言った後のことで、なずなにしてみれば頭にきて当然だった状況。頭にきていれば、誰だって、相手に対して冷たい声のひとつや二つ、発する。それを必要以上に引きずって、勝手な印象を持ったりしていて、なずなに悪いことをしたのかも知れないと思った。



花をさがす少女 (4)

          
            * 


「芹! 」
林の中を通る道、と表現するには少し広い、両側を林に挟まれた道。そこを菅名荘へ向かって走る芹の背後から、非常に規則正しい駆け足の蹄の音と、芹の名を呼ぶ少女の声。
 芹は、足を止めないまま、頭だけで振り返る。
 そこにいたのは、先程の武士の乗っていた馬に跨ったなずなだった。
 出会った時から着ていた着物はそのままに、下半身に、裾をしぼった袴を穿いている。
 なずなは、馬に乗ったまま芹の横に並び、
「乗って。平らな道なら、馬のほうが速いわ」
言うが、止まろうとする気配は無く、ただ微妙に速度を緩めた。
(このまま飛び乗れって? )
そんなことは、したことが無いと、躊躇う芹。
 しかし、
(まあ、何とかなるか)
なずながごく当然の顔でいるのだ。きっと、なずなの周りの人たち……例えば、同じ道場にいたくノ一仲間などは、当たり前にやっていることなのだろう。だったら自分だって出来るはずだと思った。
 なずなに見られるのは何となく嫌なため、こっそり静かに、一度、深呼吸をしてから、芹は地面を蹴る。
 と、芹がなずなの後ろに跨った瞬間、
(……! )
馬が突然、尻を大きく横に振った。
 落ちそうになる芹。
 なずなが咄嗟の手綱捌きで体勢を立て直す。
 落ちずに済んで、
(あっぶねー……)
ホッと息を吐く芹に、なずな、目を剥いて一瞬だけ振り返り、
「芹! もっと静かに乗って! 馬が驚いちゃうじゃない! 」
(…そんなこと言われたって……)
芹は軽く不貞腐り、
「オレ、動いてる馬に飛び乗ったことなんてねえし」
 なずなは、えっ、と驚き、それから溜息。
「それならそうと、先に言ってちょうだい。忍なんだから、当然そのくらい出来ると思うじゃないの」
 突然、なずなの左手が後ろに伸びてきた。
(? )
すぐ次の瞬間、
(! )
手探りで芹の左手を掴む。
 芹はドキッとし、不貞腐った気分が何処かへ飛んで行った。
「ほら、ちゃんとわたしに掴まって。でないと本当に落ちるわよ」
言いながら、掴んでいた芹の手を、なずなは、自分の腰のくびれ部分に巻きつける。
(……! )
芹はドキドキッ。
 自分がなずなの手を掴んだ時には気づかなかった、自分の手を掴むなずなの手の滑らかな感触。柔らかな腹部。髪の甘い香り。自分の顔は、今、きっと真っ赤だと、芹は思った。
 芹は照れ隠しに、たった今何処かへ飛んで行ってしまった不貞腐った気分を大急ぎで呼び戻し、
「どうせオレは、半人前ですらない愛玩動物だからな」
 半分は本気で不貞腐っていたが……。
 芹は正直、なずなが追って来てくれたことにガッカリしていた。ひとりで行きたかったのだ。このくらいのことならひとりで出来ると、五形に見せたかった。自分の出来ることを小さなことからコツコツと証明していきたかった。それなのに、なずなが一緒にいては、なずなが一緒だから出来たのだと思われてしまう。
「報せに行くくらい、オレひとりで充分なのに、どうして来たんだ? さっきのあの怪我人はどうしたんだよ」
言ってから芹は、自分の口から出た言葉の調子が、ちょっとキツかったかもと感じ、気にする。
 しかしなずなは、全く気にした様子は無く、前を向いたまま馬を駆りつつ、
「あのお侍様は、カツ様が、カツ様のお屋敷で見てる。カツ様に事情を話したら、お侍様の馬を借りて行けって、袴も貸してくれたわ。それに、カツ様に言われなくても、わたしは五形様から、芹のこと頼まれてもいるし」
(そっか、そうだよな……。それなのに、オレひとりでノコノコ報せに行ったら、なずなが怒られちま……)
仕方ないと納得しようとした芹の思考を、
「でも」
なずなは遮った。
「そんなの口実だけどね。だって、あのお侍様に関する仕事は、運んで手当てして寝かせたら、とりあえず終わりなのよ? さっき五形様や芹と一緒に、ちょっとの間、足を踏み入れただけの場所に、ひとりでなんて居づらいじゃない」
 これにも芹は、そりゃそうだと納得。
「それに……」
そこからは何故か、躊躇い気味に続けるなずな。
「あなたは、わたしが本当に五形様のおっしゃるほどの力量を持っていると思う……? あなた自身は本当に自分を愛玩動物程度だと思っているの……? わたしがあなたを護れると思う……? わたしには、あなたは立派な半人前、しかも、藤袴と向き合ったこと然り、怪我をした状態でやって来たお侍様への対応然り、馬に飛び乗ろうとして上手くいかなかったこともまた然り、経験ごとにグングン伸びていっている人に見えるわ」
「え、そ、そうかな……? 」
愛玩動物扱いされている芹にとって、半人前は褒め言葉。それも、立派なとか、グングン伸びていってる人とか、ベタ褒めされているも同然で、芹は照れまくる。
 それに対し、なずなは、
「そうよ」
当然といった様子であっさりと返し、
「それに比べて、わたしは駄目ね」
自嘲的に笑った。
「わたし、道場を最終科目の修行を前に脱走したって言ってたでしょ? その科目を無事に終えれば、一人前の巫女として働くことになるの。あなた、気づいたわよね? 昨日、あなたを苦無で脅そうとした時、わたしの手が震えてたことを。…そんなんで、あとちょっともすれば一人前として働くようになるところだったなんて……。わたしの級友たちが、もしも脱走した場合、捨て置いたら確かに危険だとは思うけど、わたしは安全よ。他人に苦無も向けれないほどの劣等生なんだもの。追っ手が差し向けられたのだって、ただ、本当に決まりだからってだけ。五形様、きっとガッカリされるわね。わたしの真の力量を知ったら……。
 さっき、五形様から『芹を頼めるな? 』って聞かれて頷いたのは、ガッカリされるのが嫌だったのと、あなたなら、もし、わたしと二人きりの時に何か起こったとしても、自分の身は自分で護れると、わたしが護ってあげなくても大丈夫だと思ったから、だから、つい……」
(…なずな、やっぱり五形様のこと……? そうだよな。好きな人には、良く思われたいもんな……)
芹は、何だかなずなに対して、やけにおおらかな気持ちになっていた。
 馬上の風が清々しい。





 その時、ト……と、芹の背後の、ごく狭い馬上に、何か小さなものが乗ったような微かな震動。
 ハッキリと感じた芹だったが、全く気に留めなかった。
 直後、
「……! 」
芹は、襟の後ろの部分をグイッと後ろに向かって引っ張られ、そのまま馬から放り出される。
 咄嗟に受身の態勢をとって衝撃を減らし着地しつつ、もう先に行ってしまった馬を見ると、
(藤袴……! )
鶯色の忍装束を纏った藤袴が、芹のほうを向いて馬上に立ち、芹と目が合うと、挑発的に笑んでから、クルッと進行方向へ体の向きを変えた。
 なずなが藤袴の存在に気づいている様子は無い。
「なずな! 」
芹は、なずなと藤袴を乗せて走る馬を、大急ぎで追いかける。
 五形と互角と言われる藤袴。怖くないわけがない。しかし、怖がってなどいる場合ではない。
 追いかける芹の視線の先で、
(! ! ! )
藤袴の腕がなずなの首を捉え、薙ぎ倒すようにして落馬させた。
 藤袴もすぐさま馬を降り、仰向けに地面に倒れているなずなの体に馬乗りになって、片手でその細い首を押さえつける。そして、頬に、空いているほうの拳を、ガッガッガッと幾度も叩きつけた。
「っ! やめろぉーっ! 」
芹の頭の奥か胸の奥か、とにかく体の表面から遠いところで、何かがプツリと小さな音をたてて切れた。
 怖がっている場合ではないと思いつつ、それでもやはり怖がっていた気持ちが、どこかへ飛んでいった。
 芹は、藤袴に向かって突進しながら抜刀する。
「ダメ! 芹っ! 」
なずなが叫んだ。何度も藤袴の拳に遮られながら、
「狙いはわたしだけだから! 手出ししなければ、あなたは何もされないわ! わたしのことはいいから、早く菅名荘へ! わたしなら大丈夫だから! 」
 芹は止まらない。
(『わたしなら大丈夫』……? )
そのなずなの言葉が、芹には、「わたしのために芹にもしものことがあって五形様に嫌われてしまうくらいなら、わたしは死んだって大丈夫」と言っているようにしか聞こえなかったのだ。
「バカヤロー! 」
芹の中で、何かはプツプツと切れ続けている。
「オレはあんたに生きてくれって望んだんだ! 殺されるって分かってて放っておけるかよっ! くだらねーこと言いやがって! 望みどおり叱ってやる! 帰ったら覚悟しとけよっ! 」
 怒りに任せて忍刀を振りかざし、芹は、藤袴へと真っしぐら。切っ先が届く範囲に入ったところで、いっきに振り下ろした。
 藤袴は、芹のほうを一切向かないまま、何発目か用に握って振り上げていた拳をフッと解き、芹の振り下ろした切っ先を、頭上1寸ほどのところで、親指と人指し指だけで、つまんで止めた。
(! )
芹は一旦、刀を引こうとしたが、指2本で掴まれているだけにもかかわらず、どんなに力を入れても動かせない。
(やっべ! )
焦る芹。刀を引っ張り続ける。
 そんな芹を全く気に留めない……どころか、存在さえしていない感じで、藤袴、
「なずな」
ただ、なずなを見下ろす。
「俺は、今日は本気でお前を狩りに来た。昨日はさ、実は、その気は無かったんだぜ? 何とか連れ帰るつもりでいた。お前のほうから殺してくれと言われて、正直途惑ったし、躊躇った。だって、そうだろう? 10歳の頃からお前の成長を傍で見てきて、父か兄のような気持ちになってたんだから。
 けど、お前が何度も自殺未遂を繰り返してきたことを思って、辛い過去を抱えているお前が生きていくのは、もう限界なのだろうと覚悟を決めた。本来は始末しなけりゃならないところだから、何の問題も無いしな。ただ、せめて苦しまずにと」 
 長々と喋る藤袴の斜め後ろで、芹は、ひたすら刀を引っ張る。
 と、ツルッ。手汗で滑って刀から手が離れ、芹は、後ろによろけた。
 瞬間、すぐ目の前に真っ赤な飛沫が上がった。
 激しい目まいを感じ、立っていられず、膝から崩れる芹。
「芹っ! 」
なずなが悲鳴のような声を上げた。
 揺れる視界の中に、芹は、なずなに馬乗りになったまま上体を大きく捻って芹のほうを向いている藤袴を見た。その手にしっかりと柄の部分で握られている芹の忍刀は、何故か赤い液体で濡れている。
(…何だ……? 何が、起こった……? )
意識はハッキリしているが、声が出ない。
 体も言うことを聞かず、芹は、意に反して地面にうつぶせに倒れ込んだ。
 何とか顔だけを起こし、地面に顎をつく格好で、なずなと藤袴のほうを見る芹。
 藤袴は、芹の顔の前にポイッと忍刀を投げ捨て、なずなを振り返った。
「なずな。どうだ、辛いか? 自分を助けようとした人間が傷ついて辛いか? 短い間に随分と事情が変わったようだな。…お前は、生きようとしているんだな……。
 昨日の段階でなら、それは問題なかった。道場に戻るという条件下に限って。だが、お前は上杉についた。今そこに転がっている小童を昨日、助けに来たのは、軒猿の五形だった。その小童とまだ一緒にいるということは、上杉についたと判断して間違い無いな? 
 なずな、これは立派な裏切り行為だ。酌量の余地は無い。苦しんで、苦しみ抜いて死ね」
(…なずな……! )
芹は、必死に目の前の刀に手を伸ばそうとするが、腕が重くて思うように動かせない。
 時間をかけて地面を這わせるようにして動かし、何とか柄の上に右手を置くことが出来たが、そこまで。それ以上は、どうにも動かせなかった。
 その時、たまたま芹を一瞥した藤袴と目が合い、芹は、ギクリとする。刀を取り上げられてしまうのではないか、と。
 しかし藤袴は、芹の手が刀にいっていることに気づいたようだったにもかかわらず、特に何もせず放置。
(どうせ何も出来ねえとか思ったっ? )
芹は、馬鹿にされたような気になったが、実際、刀を握ろうとしても力が入らなくて握れず、今は悔しいよりも、
(何とか、しなきゃ……! なずなが……! )
焦りが募る。
 ビッビビビ、ビビ……。布の裂ける音と共に、藤袴が、馬乗りになる位置を後ろ方向へ1尺分ほど移動する。
 同時、なずなが小さく叫んだ。
(っ? 何を、しやがった……! )
藤袴の背中が邪魔をして、芹の位置からでは、なずなの姿が見えない。
「なずな。お前は淫乱だな。こんなに濡れてるぜ? 房術の訓練をすると聞いて逃げ出したんだから、お前には、これが一番苦痛だろうと思ったが、大きな間違いだったようだな。これじゃあ、お前を悦ばせるだけか? 」
蔑むような、どこか面白がっているような、藤袴の言葉。
「だったら、こんなのはどうだ? 」
 なずなが呻く。息が荒い。
(一体、何をしてやがるっ? )
「なら、これでどうだ? 」
 なずなが一層苦しげに呻き、それが暫く続いたかと思うと、ああ、と悲痛な声で叫び、以降、パッタリと静かになった。
(なずなっ? なずなっ! )
姿が全く見えないだけに、不安は言いようが無い。
「気を失ったか……」
藤袴が独り言のように呟く。
「気を失っちまったら、苦痛も何も無えもんな。もう、終わりでいいよな」
藤袴の肩越しに、何か、体や着衣の一部とは明らかに違う、鋭利な黒い影が覗いた。それは、芹の位置からでも確認出来た。苦無だ。
「さよならだ。なずな」
(まずいっ! まずいまずいっ! )
焦りに焦って、芹は、とにかく立ち上がろうと、刀に乗せていないほう、左腕に思いっきり力を込め、地面に寝そべったまま、藤袴の動きを気にして焦りつつ、それでもどうしても少しずつ少しずつになってしまうが気持ちだけは早く早くと懸命に、全身を刀に近づけていく。
 目標は、腰を、柄に乗せた右手の横一直線上までもっていくこと。…刀を握ることが出来るのであれば、刀を握った上で右手を腰の位置までもってきたほうが早いのだが……。
 そうしながら、芹は不思議に思う。
 何故自分が、こんなふうに頑張れる余地があるのだろう、と。
 本来なら、こんな体で急いだところで、間に合う見込みなど無い。なのに自分は今、間に合うために急いでいる。何故か。……藤袴が動かないためだ。
 藤袴は、苦無を出して手に持ったきり、微動だにしない。そう言えば、昨日もそうだった。なずなに殺してくれと言われ苦無を取り出した後、なかなかそれを、なずなへ向けようとせず、手元で弄んでいた。さっきの話からすると、なずなを殺すのを躊躇っていたとのことだったが……。ずっと成長を傍で見てきて、父か兄のような気持ちになっていたから、と。
(…藤袴……。ひょっとして、今も躊躇ってんのか……? )
 何にしても、今のうちに何とかしなければと、ちょっと気を抜けば遠のいてしまいそうになる意識を、必死につなぎ止めながら、
(あと少し! あと少しだっ! )
芹は、腕に力を込め前進を続ける。

 やっと目標の位置まで体が達した、その時、
(っ! )
突然、藤袴が動いた。それまで俯き加減だった頭をハッと上げ、芹たちの行こうとしていた菅名荘方向を見ただけだが……。
 反射的に、ビクッとする芹。
 直後、藤袴は立ち上がる。
 芹は、またビクッ。
 芹が2度目のビクッをしている僅かな間に、藤袴は、高く跳び上がりつつ脇の林の中に消えた。
(…助かった、のか……? )





 藤袴が退いたことで芹の目の前に現れたなずなは、全裸だった。傍に、ビリビリに裂けた着物が散乱している。
(……! なずなっ……! )
芹は、右手に意識と力を集中させて、何とか刀を掴み、それを地面に突き立て杖代わりに、中途半端に起き上がった。
 そして刀と膝を使って、ズルズルと体を引きずるように、その姿を出来るだけ見ないよう気をつけながら、なずなの許へ。
 なずなの脇に膝をついた芹は、やはり出来るだけ見ないように顔を背け、なずなに掛けてやるべく、自分の忍装束の上着を脱いだ。
 先程の真っ赤な飛沫は、芹自身が胸を斬られたことによる出血だったようだ。何故か痛みなどは全く無いのだが、あらためて見ると、芹のものも前身頃は切り裂かれ、血で汚れていた。
それを、ほぼ感覚のみでなずなに被せてから、やっと、
(…なずな……)
芹は、まともになずなを見る。
 頬の、殴られた痕が痛々しい。
 藤袴が去り、残された静寂。聞こえるのは、風で木の葉の擦れ合う音と、小鳥のさえずりだけ。
(…静かだな……)
 穏やかな陽の光が降り注ぐ。
 芹は、野尻のことを報せなければとの思いがキチンと頭の中心にあったものの、意識がスウッと遠のいていくのに勝てず、刀にもたれるようにしながら、ズルズルと地面に、うつ伏せに崩れた。

 木の葉の音と小鳥のさえずりに混じり、かなりの数と思われる人の足音と馬の蹄の音を、耳が捉え、ハッと音の方向を見る芹。
 音は、菅名荘方向から。
 ややして見えてきたのは、足音・蹄音の正体たる軍と、その旗印・刀八毘沙門。上杉軍だ。
 藤袴は、いち早くこれを察知して、去って行ったのだろうか。
「芹! 」
名を呼ぶ声と共に、芹は仰向けに抱き起こされた。
 目の前に、五形の顔。
(…五形、様……)
何だかホッとした芹。
 途端、いっきに視界がボヤけ、後、光が全て吸い取られるように一点に集まって消え、目の前が真っ暗になった。



プロフィール

獅兜舞桂

Author:獅兜舞桂
獅兜座(しっとざ と読みます)座長・獅兜舞桂(しっとまいけー)です。
よろしくお願いします。
以前は恵子ミユキの名で活動しておりました。

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