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ロージア表紙N

※タイトルを「零零七式~ロージアより愛をこめて~」より変更いたしました。
※画像素材として、ニコニ・コモンズ様より、
 ゲスト様 みんちり様 (順不同) の作品をお借りいたしました。
 ありがとうございますっ <(_ _)>♡
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零零七式~ロージアより愛をこめて~ (1)




    * 1 *


「クソ! 見失ったかっ! 」
「あの野郎、どこへ行きやがった! 」
「次に見つけたら確実に仕留めねえとな! 」
男たちの乱暴な会話。荒い足音。
 是結(ぜむす)は咄嗟に飛び込んだ路地の入口すぐの所に置かれた大きなゴミ箱の裏に寄り掛かり、耳だけで、自分を追ってきた男たちの様子を探ろうとする。
 大量の出血のためか、視界はぼやけ、少しでも出血を抑えようと左二の腕の傷を右手のひらで直接圧迫しようとするも、全く力が入らない。
 手だけではない。全身、もうどこにも力が入らず、1ミリメートルも動ける状態ではない。追っ手の男たちの動きについて、振り返ってゴミ箱の陰から目で確認出来たら、それが一番良いに決まっているのだが、当然無理。聴覚に頼るしかないのだ。
 その聴覚も、どうなのだろう? 男たちの声や男たちのものと思しき足音が、遠くのように聞こえるが、本当に遠くなのだろうか?
 と、その時、
「あ、リボンが……! すみません、停めて下さい! 」
是結が入って来たのとは反対側の路地入口、今、是結がぼやけて歪んだ視線を向けている方向から、よく通る少女の声。
 男たちの声より、かなり近い。だが通るから近くに聞こえるのか、実際に近いのか、やはり自信が無い。
 その少女の声とほぼ同時、路地にブワッと強めの風が吹き込んだ。
 突然、
(! )
是結の目の前を赤い物体が塞いだ。強風に乗って是結目掛けて飛んできたのだ。
 動けない是結にはどうすることも出来ず、これから自分の身を襲うであろう痛みを覚悟する。
(いや、「痛い」で済めばいいけど……)
 しかし、
(っ? )
直後に顔面を直撃したそれは、一旦、完全に是結の視界を奪っただけで、全く痛くなかった。そして、風が通り過ぎた途端、スルッと膝の上に落ちる。
(……リボン? )
 それの正体は、幅5センチメートル、長さ50センチメートルほどの赤いリボンだった。
 是結は、半分安堵、半分は情けない気持ちで溜息を吐く。
(…何をリボンなんか怖がってるんだ……)
 そんなふうに安心しかけたのも束の間、正面の路地入口に人影が見えた。
 ギクリとする是結。
 人影は、ゆっくりゆっくりと近づいてくる。
(…ここまでか……! )
人影を、追ってきた男たちのうちの一人だと思い込んでいる是結は、歯噛みした。
 死ぬのは……まあ、いい。運命だ。だが、せっかく掴んだ情報を、まだ伝えていない。
 しかし、人影が何者か霞む目でもハッキリと見える距離まで来たところで、是結は、もともと入っていない力が、更に、残らずいっきに抜けていくのを感じた。
 矢絣の小袖に行燈袴、黒い革製の編み上げのブーツ……女学生だ。
 茶色がかった黒髪と意志の強そうな大きな目を持つ、肌の色艶の良い健康的な美少女。
 下げ髪には不可欠のリボンをしていないところを見ると、是結の膝の上のリボンの持ち主で間違いないだろう。
 女学生は、恐る恐るといった足取りで前進を続けていたが、是結と目が合うと、ビクッとしたように固まった。
(…オレが怖いか……。まあ、そうだろうな。こんな所に座り込んで、怪しすぎる……)
 が、直後、
「…お怪我を、されているのですか……? 」
女学生は気遣わしげに口を開いた。
 是結は驚く。
(オレを怖がっていたわけじゃないのか……! )
 そう、女学生は是結を怖がったのではなく、その酷い出血を伴った怪我に驚いて竦んだのだ。
 と、遠くの背後から、バタバタという足音と男たちの声。
 女学生の視線が、ハッと是結の頭上を通り過ぎ、ゴミ箱の向こうに移動する。
 それからすぐに自分もゴミ箱の陰に身を隠すようにしゃがんでから、小声で、
「追われているのですか? 」
 是結の耳には男たちが遠くにいるように聞こえたが、女学生の反応から察するに、その距離は非常に近い。
(いけない。危険だ……! )
 自分のことではない。自分も、もちろん一人でいるよりは女学生が傍にいると目立ってしまって見つかりやすくなる危険があるが、それより、全く無関係の女学生を巻き込むわけにはいかない。
 男たちとの距離が近いのであれば、なおさら、早くここから離れてもらわなくては……。
 是結は女学生に向けて口を開こうとするも、声が出ない。
 気ばかりが焦る是結。
 その時、女学生がいきなり是結の腕を掴んだ。
(何をっ? )
是結は驚く。
 女学生は、掴んだ是結の腕を肩の上に担ごうとしつつ、
「すぐそこに人力車を待たせてあります。2人乗れますので、病院へお送りいたします。大丈夫、私の知り合いの病院ですので、私がお願いすれば、あなたがその病院にいることを、あなたを追っている方々には内緒にしてもらえます」
(いや、でも……)
 今は、立ち上がるのは危険性が高い。男たちに見つかってしまう。
 自分と一緒にいるところを見られれば、この女学生だって、ただでは済まない。
 それだけは絶対に駄目だ。関係の無い人を巻き込むことだけは、避けなければならない。
 ……出ない声が、動かない体が、もどかしい。
 しかし、何とかしなければと、是結は全身の力を最後の一滴まで絞りだすようにして、何とか膝の上のリボンを手に取り、女学生の顔の前へ持っていき、
「…君の、だろう……? 」
やっとの思いで言葉を紡ぐ。
「あ、はい」
女学生はリボンを受け取り、
「これを拾うために、ここへ来ました。そうしたら、あなたが血を流して……」
「だったら」
是結は、女学生の言葉をわざと途中で遮り、
「もう行け……」
 女学生は驚いた様子で首を横に振る。
「あなたを置いて、ですか? 駄目です。死んでしまいま……」
「行け……っ! 」
是結は、またわざと遮り、女学生の目を真っ直ぐ睨んだ。
 女学生は、一度、ビクッ。それから小さく息を吐き、
「わかりました」
是結からたった今受け取ったばかりのリボンで、手早く是結の左腕のつけ根を縛って止血し、
「どうかご無事で。幸運をお祈りいたします」
立ち上がり、会釈をしてから是結に背を向け、時々振り返りながら、来た所を戻って行く。
 是結は胸が痛んだ。見ず知らずの自分にせっかく親切に手を差し伸べようとしてくれた女学生を傷つけてしまったであろうことを思って。
 だが、これで良かったのだと心の底から思えていた。あの女学生を、絶対に巻き込みたくなかったから……。
 ただ無関係だからという理由だけではなく、そう思った。
 女学生の姿を見えなくなるまで見届け、是結は一つ、長く息を吐く。
 意識がスウッと遠のき……かけた直後、
「見つけたぞ! 」
背後から男の声。
 是結は、ハッと引き戻された。
「今度こそ逃がすな! 」
「よし! 囲め! 」
複数の声、複数の足音。
 囲まれた直後、是結の目の前は真っ暗になった。

零零七式~ロージアより愛をこめて~ (2)




(……? )
是結は目を覚ました。
 目の前には、見慣れた天井。
(ここは……)
自宅の布団の中だ。
(夢、か……)
心の中で呟きながら、是結は起き上がる。
 夢、と言っても、怪我をしながら追っ手から逃げて路地に入って隠れた、これは、3ヵ月ほど前の実際の出来事。
 ただし、最後のほうが違う。
 現実には、追っ手に見つかることはなく、女学生と別れた後に是結を見つけたのは、是結の職場の上司だった。
 上司の手で運ばれた病院で、止血がもう少し遅かったら生命が危なかったと聞かされた。あの女学生に救われたのだ。
 是結は、洗濯をしてきちんとシワを伸ばし畳んだ女学生のリボンを、枕元から手に取り、見つめた。
 是結はそれを、いつかまた偶然にでも会えたら返そうと思い、睡眠中と入浴中以外は常に肌身離さず持ち歩いている。



                          *


 是結翻人(ぜむすほんど)、21歳。内務省の下部組織である帝都情報部勤務の特権諜報員で、諜報員名を零零七式という。
 是結は、黒の背広を身に纏い、その上に襟に毛皮のついた愛用の外套を羽織って、頭には黒の中折れ帽、手には赤みがかった茶色の革製の手袋、と、寒さに対しての完全武装をし、よく晴れた1月の朝の冷たい空気を自転車で切り裂きながら、職場へ向かう。





 議事堂に隣接している洋風石造3階建ての総合庁舎2階に、情報部はある。
 自転車を、盗難防止のため関係者以外は滅多に立ち入らない庁舎裏手の通りに面していない所に置き、正面入口を入って、階段を上り、是結は情報部へ。

「おっはようございまーす」
部内に入り、是結が帽子と外套を脱いで壁際の定位置に掛けているところへ、
「零零七式」
ちょっと渋めの女性の声が掛かる。
「はいー」
とりあえず先に返事だけをして、帽子と外套をしっかり掛けてから是結が振り返ると、冷たく整った美貌の40代女性、情報部内紅一点にして部長の加賀ハル(かがはる)が、吸いかけの煙草を片手、もう片方の手で色素の薄いサラサラの長髪を邪魔くさそうにかき上げながら、長い脚を高々と組み、入口から見て正面奥の自分の席にドッカと深く腰掛けた状態で呼んでいた。
 是結が振り返ったのを確認したように頷き、加賀は、煙草を灰皿に押し付けつつ立ち上がる。
 そして、
「こっちへ」
右手人指し指を立て、クイクイッと招いて見せてから右手側へ歩き出し、そのすぐ先の打ち合わせ室の扉を入る。





「この男だ」
打ち合わせ室の椅子に腰掛けた是結に歩み寄り、加賀は、写真を差し出した。
 目元の優しい、人の良さそうな40代前半と思われる一人の男性の写真。
 加賀は、是結のすぐ脇の机に寄りかかるように浅く腰掛け、続ける。
「この男は、憲政擁護団体・薔薇の団の団長、舘努(たちつとむ)」
「薔薇の団? 」
「ああ、小さな無名の団体だが、なかなかどうして有能な者が揃っていてね、軽視できないんだよ。その薔薇の団が、非常に威力の強い爆弾を製造しているらしいとの情報が入ったんだ」
「爆弾……」
「そうだ。そこで君の任務なのだが、舘に取り入って薔薇の団の一員となり、組織内部から爆弾製造の事実の有無を探ってほしい。つまり、潜入捜査だ。彼らの潜窟はロージアという喫茶店の地下にあることが掴めているのだが、地下となると、外部からの捜査だけで済ますのは難しい。少なくとも建物内を自由に歩き回れる必要があるとの判断からだ。頼んだぞ」
「はい」
 是結の返事に加賀は頷き返し、上体を机の隅に向かって伸ばして、そこに置かれていた、先程から是結の視界にも入っていた黒い革の箱型の鞄を手元に引き寄せ、
「これを君に。色々と便利な機能のついた鞄だ。……簡単に説明しよう。
 まず、持ち手の下。3つの釦と左右可動式の摘みがあるだろう? 鞄を開ける時には、摘みを中央に合わせ、この摘みは90度捻ることが出来るのだが、捻った状態で中央の釦を押すと、開くようになっている。そして、摘みを左に合わせて捻り左の釦を押すと、持ち手のつけ根から催涙ガスが、同じ要領で右の操作をすると、今度は右のつけ根から催眠ガスが噴出する仕組みになっているんだ。
 次に中身だが」
言いながら、是結にたった今説明した通りの手順で鞄を開けて、
「まあ、中身については、見たままの物がほとんどだな。懐中電灯に地図、変装用の伊達眼鏡・整髪料・櫛、それから用意した者の遊び心でだろうが、舞踏会などの時に用いる黒の仮面、非常食と水、拳銃。拳銃の使用には細心の注意を払ってくれ。
 ……ああ、一点だけ、通信機。鞄の内部に唯一固定されている、中央に大きな釦のある箱型の機械がそうだが、これだけは説明が必要だろう。
 先ず、鞄の外側、持ち手のある面の左上角に小さな突起がある。これを引っぱると細い棒が出てくるから、それを最大に伸ばした状態で通信機は使用する。通信相手は、私が持つこととなった同型の通信機だ。電話のように音声での通信となる。
 君の側への着信は、突起先端の光の点滅によって知らせるから、点滅を確認したら速やかに突起を伸ばし、鞄を開いて機械中央の釦を押してくれ。そうすれば、私の側とつながる。
 君からの発信は、先ず突起を伸ばした上で機械中央の釦を長押しだ」
 鞄についての一通りの説明を終えた加賀は、鞄を閉めて是結に手渡しつつ、
「舘に接触するきっかけは、私のほうで用意しよう」
言って、自分の顎を摘み、そうだな……と、ちょっと考える素振りを見せてから、
「部員の誰かに警察官に扮してもらい、1905年の日比谷焼打事件時の襲撃犯を匿っている疑いででも連行させよう。そこを助けるといい」
「日比谷焼打事件……って、もう7年も前じゃないですか」
「まあ、そこは正直、把握しきれないほど大勢の犯人がいる事件ならば何でもいい。とにかく、そんな感じで頼む」


零零七式~ロージアより愛をこめて~ (4)



「ここが俺の知り合いの喫茶店だ」
 舘が是結の怪我に気づいて以降、立場逆転。舘の案内でやって来たのは、床の高い小洒落た洋風の平屋の建物。
 看板には、「ロージア」とある。
 そう、薔薇の団の潜窟であるロージアだ。
 下見で外からは見た、その建物に、是結は舘から言われるまま、足を踏み入れた。
 言われるまま……だが、是結の思惑どおり。
 舘が先に立って、店入口から仄暗い店内を奥へと進み、カウンター席の椅子を引いて是結を振り返って、
「ここへ」
座るようすすめた。
 しかし是結は特に意味は無いが座らず、舘の声や存在を何だか遠くのように感じながら、ただ、周囲を見回す。
 是結を見、見かけない子だな、と言うカウンター内の40代の男性店員に、舘、
「ああ、俺の恩人だよ。ついさっき、俺を助けるために怪我をしてしまったんだ」
と説明し、だから救急箱を貸してくれないか、と頼む。
 そして、店員から救急箱を受け取りながら、今度は是結向けに、店員を視線で示しつつ、
「彼が、俺の古くからの知り合いで、ここの店主の曽根(そね)だ」
 直接自分が話しかけられているその言葉さえも遠くに聞く是結。
 舘は、再び店主・曽根に相手を移し、
「あと、コーヒーを二つ」
注文も済ませる。それから、まだ座らないでいた是結に、もう一度、座るようすすめた。
「あ、すみません」
ハッとし、是結は急いで腰掛ける。
(…何だ……? 何か、ボーッとしてしまった……)
「こういう所は初めてか? 」
 舘の問いに、是結、
「あ、は、はい。すみません……」
(…そうか、慣れない雰囲気に呑まれてしまっていたのか……)
 舘は、フッと笑み、
「いや、大丈夫だ。年相応なところもあるのだと安心したよ」
(年相応? …まあ、年齢は外見で大体分かるだろうけど……。何か、オレ、この人に会ってからこれまで、年不相応なことしてた? …変わった人だな、会ったばかりで名前すら知らない奴相手に……)
 舘は救急箱の蓋を開け、
「傷を」
是結の右手を取り、
「もう、血はほとんど止まっているな。それほど深い傷ではなかったようだ。これなら消毒くらいでいいな」
「あ、はい。ありがとうございます」
 舘は実に手際良く、ピンセットで掴んだ綿を消毒薬の瓶の中に一度浸してから出し、傷にチョンチョンと軽く押し当てるようにして消毒、その後、丁度良い大きさに切ったガーゼで傷を覆い、その上から包帯を巻いて固定していく。……そんなふうにしながら、口もしっかりと動き、
「ここは大人の社交場だからな。君も成人はしているんだろうが、何と言うか、こう、もっと経験を積んだ者たちの集まる場と言うか……。そう言えば、君は一体、何者だ? 会ったのは大学の前だったが、うちの学生ではないな? 何だか、ただ者ではない雰囲気があるのだが……? 」
 上目遣いに窺われ、是結はドキリとする。
(怪しまれてる? )
 動悸を抑え、
「僕は、是結翻人といいます。新聞記者です」
あらかじめ考えておいた偽りの職業を口にする。
 そこまでで、ふと、是結は、あることに気づいた。
(どうしてオレは、このくらいで動揺などしている……? )
 怪しまれたり疑われたりは、最初から作戦の中で起こりうる事態として想定している。この程度のことで動揺など、過去の作戦中には無かった。
(…どうしたんだ、一体……)
 と、そこでの、
「そうか。新聞記者か」
微笑ましげな舘の相槌。
(! )
是結は分かった気がした。
(そうか。オレはこの人が苦手なんだ……)
何故かは分からないが、どうも調子を狂わされる。
(きっと、この店内に入ったばかりの時にボーッとしてしまったのも、店の雰囲気に呑まれたのではなく……)
 しかし、苦手だからどうと言っていられない。仕事をしなくては……。
 是結は舘に気づかれないよう小さく小さく息を吐き、舘が他の方向へ目を向けるのを見計らって首を横に振るった。
 そして、
「先ほど、大学の前でお会いしたのは偶然ではありません。警察の方々が舘先生を捕まえると話しているのをたまたま聞いて、後をつけたんです。先生をお助けしたくて……。僕は、舘先生と先生の薔薇の団の『本当の民衆のための政治』という考え方に感銘を受けたんです」
「……そうか! 」
舘の声が微かに震えている。そして、その目には、うっすらと涙。
 是結はビクッとする。
(…何だ? この人……。オレの言葉に感動したのか……? )
 直後、舘が是結の両肩をガシッと掴んだ。
 是結は、またビクッ。
 舘は熱い目で是結の目の奥を真正面から覗き、
「君の政治に対する真剣な思い……それが君の年不相応な、ただ者でないとさえ思わせる独特の雰囲気につながっているのだな」
(…全く、怪しまれてない……? どころか、好感触? 突然すぎるけど、言ってみようか……)
「あの……舘先生……」
 是結はわざと遠慮がちな態度で口を開く。
「初めてお目にかかって、このような事を言うのは大変ぶしつけであると承知の上で、お願いが……」
そこまでで、あえて口ごもった感を出して言葉を切り、舘の出方を待った。
 舘、、是結の両肩を放し、
「うん? 何だ、言ってみなさい」
誠実な態度で是結を見つめる。
 是結は一生懸命な感じをつくり、
「僕を、薔薇の団の一員にしてほしいんです。先生と薔薇の団のために働かせて下さい」
 暫し沈黙が流れた。
 舘の真っ直ぐな視線に晒され、いたたまれずに目を逸らしたいのを堪え、是結は見つめ返す。
 ややして、舘はフウッと一つ、息を吐き、それから貫禄のある笑みを浮かべ、
「もちろんだとも、是結君! 歓迎しよう! 」
言って、握手を求めて手を差し出した。
 応じて握る是結。
 舘は更に強く握り返す。
「丁度、次代を担う君のような若者が必要と考えていたところだ」





(…何か、罠か……? )
 あまりにもトントン拍子に事が運ぶので警戒してしまいながら、是結は、コーヒーを頂いた後、ロージア地下にある薔薇の団本部を案内してくれるという舘と共に、ロージア店内の最も奥、納戸内に仕舞われている様々な物の陰に隠れるようにして存在していた階段を下りて行く。
 薔薇の団の潜窟の場所など、もちろん知っていた是結だが、その下り口の分かり辛さには感心し、せっかくなので、その素直な感情を利用して、
「本部って、こんなところにあったんですね。これは気づかない」
 そうだろう、そうだろう、と、気を良くした様子の舘。
 是結は続けて、こちらも本当に感心していた薔薇の団という名称の名付け感覚の良さを口にする。
「ロージアって、フランス語で薔薇の茂みですよね? だから薔薇の団……素晴らしい名前のつけ方ですね」
 すると舘、
「そういう意味だったのか! 」
驚いた。
「いや、薔薇の団の名付け親は、うちの副団長の中川(なかがわ)という男でね。意味までは聞かされてなかったんだが、確かに、そう聞くと実に良い名だな! 中川は科学者で、俺と同じ大学で教鞭をとっている完全な理系君なんだが、そうか、こんな文系的な才能もあったんだな! そうかそうか! 」
 明らかに心の底からの、中川という男性への賞賛。
(…この人……)
 やはり苦手だが、好きかも知れないと、是結は思った。
 舘は上機嫌で笑いながら是結の背をバンバンと叩き、
「君も博識だなあっ! 」
「あ、はあ……」
 是結は、ほんの少し本気で照れた。

「お、噂をすれば……」
 階段を下りきったところで、舘は足を止める。
 そこは、階段を下りた正面に演壇、その上に演台と奥に黒板があり、演壇側を切れ目にコの字型に沢山の椅子や長机が並ぶ、議場のような開けた空間。
 外からは分からなかったが、この階は半地下になっているらしく、下半分が地面の下になることで遮られ上半分からのみの夕方の赤みを帯びた太陽光が、是結と舘の背後、階段の奥にある窓から射しこんでいる。
 舘の視線は、正面の演壇に立っている、20代後半くらいの青年に向けられていた。
 青年は、コの字の両側の切れ目からそれぞれ6つ目の席までを埋めている計12名の男性たち相手に黒板に何やら難しいことを書いては男性たちを振り返って何やら難しいことを語り、また黒板を書いて……を繰り返している。
「今、演壇で話している彼が、副団長の中川。彼と彼を特に慕う彼ら12名は本当に勉強熱心でね。いつも感心しているんだ」
 舘が是結向けに言った、その時、副団長・中川は是結と舘のほうを向き、瞬間、目を見開いて固まる。
 しかし、すぐにハッと我に返った様子で、是結・舘のほうへと駆けて来た。
「中川、紹介するよ」
手のひらを顔の横の位置まで上げ、にこやかに軽く振る舘。
「俺を警察から助けてくれた恩人の、是……」
 だが、是結・舘の目の前まで来た中川は、怖い顔をして乱暴に舘の手を掴むことで、その言葉を遮り、2メートルほど離れたところまで強引に引っぱって行った。
 そして、丸聞こえだがおそらく小声のつもりで、
「またあなたは! どこの誰とも分からない人を連れ込んで! 連れて入る前に僕に相談して下さい! 」
「分からなくないよ。是結翻人君だ。新聞記者で、俺らの考え方に感銘を受けたんだって」
「…それだけ、ですか……。せめて、どこの新聞社か、とか」
溜息混じりの中川の言葉。
 舘は徐に是結を振り返り、
「どこの新聞社? 」
「あ、帝都新聞です」
 是結の答えに、舘は中川に視線を戻し、
「だって」
 中川は深い深い溜息を吐く。
「『だって』じゃないですよ……。帝都新聞は大手ですから、末端の方々まで合わせると大変な人数になるので、何の安心材料にもならないです」
 舘は笑いながら、
「だーいじょうぶだってー」
 そして再び是結を振り返り、
「なあ? 是結君」
 舘の肩越しに中川が是結を睨む。
 完全に疑われている。


零零七式~ロージアより愛をこめて~ (5)




             *


「じゃあ、是結君。また明日な」
別れ際、道が別々になる公園前で、舘が口を開く。
 薔薇の団員となった今日、是結は、初めの30分はロージア内を案内してもらい、残りは薔薇の団の他の団員たちと共に舘を囲んで語って、夜8時までを過ごした後、偶然帰る方向の同じであった舘と帰路についたのだ。
 是結、
「はい、お疲れ様でした。また明日」

 舘の背中を見えなくなるまで見送ってから、是結は、公園を入ってすぐの外灯下の長椅子へ移動。
 黒鞄を椅子の上に置いて開き、左上角の突起を伸ばして通信機の釦を長押しした。
 すると、通信機の上部、無数の小さな穴のあいた辺りから、
「私だ」
加賀の声。
「お疲れ様です。零零七式です」
「ああ、ご苦労」
「薔薇の団への潜入に成功しました」
「そうか、よくやった。では明日から早速、調査を始めてくれ」
「はい」
 そうして、失礼します、と、是結が通信を切ろうとしたのを、
「ああ、零零七式」
加賀は止めた。
「聞きたいことがあるんだ」
「聞きたいことですか? 」
「ああ。夕方、君との作戦を終えて部に戻った山田と鈴木が酷く興奮していてな。仕事にならないから早退させたんだが……。山田のサーベルには血液が付着していた。一体、何があったんだ? 」
「ああ、その血なら、僕のですよ。舘を庇って怪我でもしたほうが舘に取り入りやすいんじゃないかと思って、お二人にご協力頂いて、急遽、作戦変更したんです」
 通信機の向こうから、大きな溜息。
「…まったく、無茶をする……」
 是結は軽めの調子で、すみません、と謝るが、加賀側の空気は、どうも重い。
「君の任務は、もともと危険の伴うものばかりだが、どうも君は自分から危険なほうへ危険なほうへと向かって行っている気がしてならない。…零零七式……いや、是結。…お前はもしかして、今でも、死にたいと考えているのか……? 」
 怒りか悲しみか不安か、加賀の声は震えていた。
 是結は加賀に恩がある。
 その加賀の声を震わせてしまったことで胸が痛み、同時、温かくなった。
 今でも加賀が、自分を大切に考えてくれているのだと感じて……。

「ほら、飯だぞ」
言って、父は、当時の定位置である自宅の居間入口の敷居の上にしゃがみ込んでいる幼い是結に、酒のつまみに食べていた焼魚の骨とぬか漬けのキュウリの端っこを投げて寄越す。それが、物心ついた時には既に母のいなかった是結の食事。父が意地悪だったとは、大人になった今、思い返してみても、別に感じない。実際、幼い是結はそれを喜んで食べていたし、父には、野良犬や野良猫をかまう時のような無責任な優しさが、確かにあった。
 6歳頃になると、家で父から貰うより食品を扱う店の裏のゴミ箱をあさったほうがまともな物を食べれると気づき、街をふらついては腹いっぱい食べるようになった。が、その方法は、同じ目的の敵も多く、量も頻度も不安定で、しかも、父のほうも一旦是結にやる習慣が無くなってしまうと、別の野良犬に残飯を与えるようになってしまっていて、家に帰っても、もう是結の食事は無かった。
 食べ物にありつけずに空腹のあまり庁舎の前に座り込んでしまったある日、目の前におにぎりが差し出される。差し出したのは、色素の薄いサラサラの髪をした、冷たく見えるほどに整った顔立ちの30歳前後の女性・若き日の加賀ハルだ。以降、是結は、毎日、庁舎に出掛けて行っては、加賀からおにぎりをもらうようになっていた。
 しかし、そんな日々が3ヵ月ほど続いたある日、いつものように庁舎の前に行くと、
「ここはお前のような汚い浮浪児の来る場所じゃない」
と男性職員に追い払われた。それから是結は、庁舎へ行かなくなった。
 ……加賀との再会は、庁舎前で男性職員に追い払われた日から10年ほど経った、今から約5年前。日々の食事にありつくことに忙しかったため父の暮らす自宅へは全く寄り付かず、荒みきった生活を送っていた是結が、他の、自分と似たような立場の者たちと、残飯をめぐって喧嘩になり、味方はおらず多勢に無勢、すっかりボロ雑巾のようにやられて地面に転がっていた時のことだった。
「おい、大丈夫か」
声を掛けてきた一人の女性。くわえ煙草に渋めの声での乱暴な言葉遣い、冷たく美しい顔立ちがそれらに迫力を与えている。是結は、
「あんたは……」
すぐに気づいた。その女性が、幼い頃の自分に美味しいおにぎりを食べさせてくれた女性であると。
「喋るな。喋らないほうがいい。今、病院に運んでやる」
女性の言葉を聞きながら、是結はスウッと意識を失った。
 病院のベッドの上で目覚めた是結の顔を、
「目覚めたか? 久し振り、大きくなったな」
おにぎりの女性・加賀が気遣わしげに覗き、
「私は昔、幼い日のお前との関わりをとても気に入っていた。だが、うちの職員がお前を追い払ったと聞いて、以降、お前が姿を見せなくなり、後悔した。中途半端に構うのではなく、きちんと保護してやるべきだったのではないかと……。あれから、もう10年くらい経つか? 私はずっと、気に掛けていた。
 …私は、何故お前が幼い頃、浮浪児だったのかも、その後、どのように過ごしてきたのかも知らない。ただ不幸であったと推察するのみだ。しかし、会わないでいる間に、お前はすっかり大きくなった。まだ大人ではないが、それと近い存在になった。生まれや育ちがどんなであろうと、今のお前ならば自分で変えられる……違うか? 」
そうして、その気があるならばと、加賀から、現在の仕事と、それに必要なだけの教養なども含む様々な技術を与えられたのだった。

 ひととおりの回想を終えた是結は考える。
 自分は加賀からおにぎりをもらった幼い頃からこれまでの長い時のどこかで、死にたいなどと口走ったか……? と。
 思い当たらない。が、口走ったかも知れないとも思う。
 加賀と再会する前の、ただ生き延びるために食物を探す日々は、とても面倒臭かった反面、自由で気楽だった。一方、新しく加賀から示された道は、食物を探す苦労など無かったが、様々のことを修得することは、それまで文字の読み書きも出来なかった是結には、精神的にも時間的にも拘束されて厳しく……。生きていくには、その二択だと思うと……。
 しかし今は、死にたいなどとは思っていない。特別生きていたいとも思っていないが、生きていることは一つの現象であると受け止めている。
 無茶は、本当に純粋に、作戦成功のため最良と思われるためだ。
 是結は重いのは性に合わず照れくさいため、また、そうでないと逆に嘘っぽく聞こえる気がして、意識的に軽く、
「だーいじょうぶですってー。部長さんがせっかく引っぱり上げて与えてくれた人間らしい人生、人間としての命ですからね、粗末になんてしません」
「そうか。なら良いが……」
納得した様子の加賀。
 通信機を通してそれをきちんと感じ取って後、
「では、また連絡します」
是結は通信を切った。


零零七式~ロージアより愛をこめて~ (6)

          * 2 *


 薔薇の団の爆弾製造の事実の有無を調査すべく、朝、是結は情報部へは寄らず、直接ロージアへ、自転車で向かった。
 舘から昨日聞いた話に拠れば、薔薇の団の団員の皆は、昼間は仕事をしているかまたは学生のため、この時間、ロージア地下は無人と思われるが、念のため、昨日と同じく軽い変装をして……。

(位置的に裏だな……。隣家との隙間から裏へ回れるか……? )
考えながら、是結は、ロージアの入口が見えるところまで来、自転車を漕ぐ足を止めた。
 ロージア店主・曽根が入口の掃除をしていたためだ。
 是結は自転車を降りてその場に停め、そこに留まっていても不自然でないよう黒鞄から地図を取り出し、見ているふりをする。
 そうして曽根が店内に入っていなくなるのを待ってから、再び自転車に跨った。





 入口の2メートルほど手前で自転車を降り、押して、ロージアと隣家の間の、自転車を押した状態でギリギリ通れる程度の幅の隙間を、周囲の人目など気にしてキョロキョロすると逆に怪しいため、当然の顔をして入って行く。
 建物の裏へ回ってみると、やはり思ったとおり、地面に半分埋もれた地下1階の、階段奥に位置する窓があった。
 昨日ロージア内では舘とずっと行動を共にしていた是結だが、帰り際、この窓の戸締りをするよう頼まれるという機に恵まれたため、今日侵入する入口として使えるよう、窓だけ閉めて鍵は掛けずにおいたのだ。
(…鍵、誰かが気づいて掛けたりしてなきゃいいけど……)
 自転車を置き、祈るような気持ちで窓に手を掛けて、そっと横に動かしてみる。
 窓は、ごく細く開いた。
 よしよしと頷きつつ、是結は辺りを確認。
 この狭い隙間内には、まあ当然。隙間にたった一つ面している隣家の窓にも、人影は無い。
 それを受け、窓を顔の幅ほど開け、今度は建物内を注意深く覗く。
 誰もいない。
 そこまでしてようやく、是結は音をさせないよう気を遣いながら窓を大きく開き、静かに静かに窓枠をくぐって床に下り立った。

 地下1階、昨日はそこそこの人数がいた議場は、今は冷たく静まりかえっている。
 明らかに大勢の人が出入りする場所だが、爆弾製造が組織ぐるみであれば、この議場でも爆弾についての話し合いはされただろう。そうであれば、大勢の人が出入りとは言っても身内だけなのだから、それに関する資料などが特に不注意というわけでなく置き忘れられていたり、また、普通にいつでも閲覧できるよう、わざわざ置かれていたりするかも知れない。
 そう思い、探す。
 先ずは壁の掲示物等を見て回った。
 大して数は多くないのだが、昨日は舘がそれらの前をほとんど通らなかったため、昨日仲間に加わったばかりの是結が、そうでなくても中川には疑われているのに、一人でウロウロキョロキョロなど出来るはずもなく、全くと言っていいほど読めなかったのだ。
 順に読んでいった結果、特にこれといったものは無かった。
 物騒な内容のものも何枚かはあったが、お目当ての爆弾についてではなかった。 
 続いて、長机の天板の下の棚、演壇に上って演台の上なども見てみるが、特に何も無かった。





 地下1階には議場があるだけで他に部屋が無いため、是結はそこから更に階段を下り、地下2階へ。
 地下1階と同じく静かな、地下2階。地下2階に部屋は3部屋。舘の部屋である団長室と、資料室と納戸。
 確率の高い順に見ていこうと、是結は階段から見て一番奥にあたる団長室へと向かう。

 団長室の前、これだけ静かならば誰もいないだろうとは思われるが、やはり中の様子に注意を払いつつ、静かに静かに扉を開けた是結。
 瞬間、
(っ! )
 扉の丁度真正面にあたる床板が、約80センチメートル四方の正方形の形で扉方向へ、突然パカッと、手前の床に対して垂直に持ち上がった。
 その上部を、誰かの手が支えている。
 この後、十中八九、持ち上がった床板を支えている手の主が、床板の陰から出て来るだろう。
 是結は咄嗟に考えた。
 開けてしまった扉を手の主に気づかれないよう静かに閉めている時間の余裕は無さそうだ。不自然に閉まる瞬間を見られるよりは、開けたままにしておいたほうが、自分の閉め忘れくらいに思ってくれるかも知れない、と。
 是結は急いでその場を離れ、もともと扉の無い資料室の中を入口からザッと目を走らせるだけの確認をし、入口すぐの内側、仮に手の主が階段へ向かって歩くと考えた時に死角となる位置へ、身を隠した。

 是結が資料室入口付近で息を潜めること数分、団長室方向から資料室へ近づいて来る足音。 
 かなりの確率で手の主のものだろう。
 是結は、もしも手の主が資料室に入って来た時のために、次の隠れ場所を、今の位置とは向かいにあたる入口に対してほぼ平行に置かれた書棚の陰等、数ヵ所決めた。
 しかし、足音は入口を素通りした。
 足音が少し遠くへ行ったことを耳で確認してから、そちらを覗くと、
(…中川か……)
副団長・中川の後ろ姿。
 階段を上っていく中川の姿が見えなくなるまで見送り、更に、またすぐ戻って来ないか暫く待ってから、是結は資料室を出、団長室へ。
 床に片膝をつき、つい先程、中川が出て来た辺りの床面を観察する。
 すると、約80センチメートル四方の正方形の形の筋が入っていた。
 間違いない。
 先程はここが開き、中川が出て来たのだ。
(もしかして、この下で爆弾を? )
そう思い始めると、そうとしか思えなくなってくる。
 その存在する位置が、外部の目を極力避けようという感じで怪しすぎるのだ。
 そっと細く開いて覗いてみたい。
 だが、開け方が分からない。
 正方形の、扉側から見て奥にあたる辺を手前に向かって持ち上げればよいことは分かるが、取っ手のようなものは見当たらず、正方形部分と周りの床面との隙間は手の指の爪も入らないほどしか無い。
 これでは、どうやって開けてよいのか分からない。
 是結は諦め、また中川が戻って来たり、正方形の下から新たに誰かが出て来ることも考えられるため充分に注意を払いつつ、棚や机など、団長室内を普通に調べ始めた。



            *


 団長室を調べ、続いて資料室。
 団長室、資料室ともに、地下1階の議場とは比べものにならないほど、爆弾について書かれている可能性のある紙類が多く、地下2階最後の納戸まで一通り調べ終えた時には、既に日が傾き始めていた。
(…そろそろ、来る人もいるかもな……)
そう思い、昨日入団したばかりの自分が当たり前の顔をして一人でさっさと中に入っているのは不自然だと考え、また、喫茶店内を通って来ていないことが万が一知れれば、なおさら怪しまれると思われるため、是結は、地下1階の窓から、一旦外へ出る。

 自転車を後ろ向きに引っ張り、隣家との間を通って、ロージア入口が面している道路に出ようとしたところへ、
「是結君! 」
背後から声が掛かった。
 ギクッとし、振り返ると、舘がニッコリ笑顔で立っていた。
「自転車か。随分高価な物を使っているんだな」
「あ、はい。記者は機動力が命ということで、会社が貸してくれているんです」
「そうか」
是結の嘘に、舘は人を疑うことを知らない笑顔で応える。
「もう少し、奥に停めたほうがいいな。盗まれるぞ」
 停めようとしていたところだと思い込んだようだ。



            *


「じゃあ、是結君。また明日」
「はい、お疲れ様です。また明日」
 夜8時過ぎ、今日も公園前で舘と別れ、その後ろ姿を見送ってから、是結は、昨日と同じく公園内に入り、外灯下の長椅子の上で黒鞄を開き、
「零零七式です」
通信を始めた。
 もともと是結は、任務中にまめに連絡を取るほうではない。
 下手をすると、任務開始以降、完了まで連絡をしないことがある。
 しかし、通信機など寄越すということは、連絡を密にしろと言われていると判断し、ともすれば忘れそうであると思えたため、毎日この時間に連絡することに決めたのだ。
「ご苦労」
 加賀の声を待ってから、是結は続ける。
「昼間の人のいない間に潜窟内を調べました。爆弾製造の有無に繋がるものは何も見つかりませんでした。ただ……」
「ただ? 」
「はい。普通に行き来できる場所以外で、人の出入り可能な大きさの場所を発見しました。入口を開けることも出来ず、詳細は全くの不明ですが」
「そうか、気になるな。引き続き調査を頼む」

零零七式~ロージアより愛をこめて~ (7)

 


          * 3 *


「是結君。この後、時間はあるか? 」
ロージアからの帰り、いつも別れる公園前まで来たところで、舘が口を開いた。
「一人暮らしなんだろう? たまには、うちで一緒に夕食でもどうだ? 」
「あ、はい。是非」
 是結が薔薇の団に入団してから10日が経っていた。
 爆弾についても、あの入れなかった正方形の下の空間についても、何も進展が無い。
 その2つの件について、舘により近づくことこそが情報を得る早道と考え、今は、その方向で努力している最中だ。
 今後役に立つかも知れない小さな収穫はあった。
 薔薇の団の団員として過ごすうち、他の団員同士の会話に密かに耳をそばだて、また、彼らと直接会話する中で、薔薇の団について自然と色々なことを知ることとなったのだ。
 例えば、地下2階まで下りて行くのは、ほんの一握りの団員だけで、他の団員たちは地下1階の議場の集まるのみということ。その一握りというのは、団長の舘と副団長の中川、是結が入団した日に演壇の中川の話を熱心に聞いていた中川を特に慕う12名・通称、中川一派、それから、今は是結もそうだ。
 努力の甲斐あって、是結は現在、その一握りの一員となれているのだが、それは名誉なこと……ではないらしい。
 選ばれてしまった、目を付けられてしまった……人目を憚りながら、そう表現した人がいた。入ったばかりで知らないだろうが、中川一派は過激だから、と。危険だから深入りしないほうがいい。是結がそういう人種には見えないのだが大丈夫か、と、心配までされた。
 それを聞いて是結は、
(…過激派ねえ……)
考えてしまう。
 そもそも薔薇の団自体が、本来の是結の立場側の者たちからは、過激派に分類されている。
(その中でも温度差があるってことか……。それとも、方法論か……? )
 今回の任務を受けるまで、薔薇の団の存在すら知らなかった是結には、あまりピンとこない。
 実際に関わってみて、団員の人たちは皆、自分の考えはしっかり持っているものの、穏やかな普通の人たちばかりだ。
 内部の人たちからも過激と言われる中川一派とその元締めたる中川は、何故かほとんどロージア内で見かけることが無いし、薔薇の団の対外的な活動にも、まだ一度も参加したことが無いため、ピンとこないのは当然かもしれない。
 加賀曰く、「薔薇の団には有能な者が揃っている」……そういう集団ならば、なおさら、対外的でない、味方しかいない場では、無駄にピリピリなどせず、穏やかな空気が流れるのだろうから。





 舘に案内され到着したのは、純和風の、門や塀にまで屋根状の飾りのようなものがついている大邸宅。
「ようこそ我が家へ」
 舘が冗談めかした気取った調子で門を開け、是結を通す。
「あ、どうもすみません」
 そうして門をくぐって見えたのは、やはり純和風の平屋建ての立派な建物。
 玄関の引き戸を開け、舘、
「ただいま」
言いながら中へ入る。
 すると奥のほうから、
「まあまあ、旦那様! 」
60代半ばくらいの歳で和服に割烹着姿のふくよかな女性が甲高い声で言いながら出て来、舘の斜め前の位置で両膝から下を床につけ脹脛と腿の角度が60度くらいの尻を浮かせた状態という中途半端な正座をして、
「お帰りなさいませ」
舘が差し出した鞄をにこやかに受け取る。
 舘、
「静子(しずこ)さん、紹介するよ」
 女性は、静子という名らしい。
 舘は、まだ開け放したままの玄関の戸の向こうに立っていた是結に中に入るよう言う。
「あ、はい。失礼します」
 中に入り、丁寧に戸を閉める是結。
 それを確認したように頷いてから、舘、
「新聞記者の是結翻人君だ」
続いて是結向けに、
「うちの家政婦の三田村(みたむら)静子さん」
 紹介を受けて、是結、
「是結です。初めまして」 
 返して、静子、ニコニコ笑いながら、
「三田村です。是結さんは美男子ねえ」
「はあ、どうも……」

 少し照れての挨拶が済み、是結は、舘から上がるよう言われ、靴を脱いでから上がり、舘の斜め後ろについて廊下を進む。
 舘邸は門・塀・建物の外観・玄関内部は純和風だが、一歩廊下に踏み出した瞬間から、廊下を通過するまでに左手側に5つあった部屋の入口が、引き戸だが障子や襖ではなく洋風的な彫り物が施された木製のものであったり、右手側の窓にはカーテンが掛けられていたりと、存在感の薄い洋風の物で少しずつ違和感無く洋風へと移行し、最終的に是結が通されたのは、天井から吊り下げられた8つの光源とそれを支持する8本の腕木を有する照明器具に照らされた、完全洋風の食堂。部屋中央には腰までの高さのある食卓が置かれ、その周囲には8つの椅子。足下には絨毯が敷かれている。
 舘は、大きな窓を背にした最も奥の椅子の横に立ち、その位置から見て角を挟んですぐ右の席を手のひらで指し示して是結に座るよう勧め、是結が座るのを待ってから、自分も最も奥の椅子に座った。
 静子が、すぐにお食事をお持ちしますね、と言いながら是結の前に茶を置く。
 ありがとうございます、と礼を言う是結に静子は笑顔で返し、何故かすぐに、その笑みを消した。
(? )
不思議に思う是結の視線の先、静子は、続いて少し緊張しているようにも見える面持ちで舘の前にも茶を置き、
「旦那様。実は今日、お嬢様がお怪我をされまして」
 舘が驚いたように、バッと静子を振り仰いだ。
 静子は一度、ビクッとし、それからオドオドと、
「すぐにご連絡を差し上げようとしたのでございますが、お嬢様が、仕事中に連絡しなければならないような怪我ではないとおっしゃられて……」
 その時、
「私のことでしたら、ご心配にはおよびません、お父様。ほんの擦り傷です」
食堂入口のほうから、凛とした少女の声。
 そちらを見れば、暖かそうな上質な感じの白い布地で作られた上下ひと続きの洋服を着た、茶色がかった黒髪と意志の強そうな大きな目を持つ、肌の色つやの良い健康的な美少女が立っていた。
 たった今話題に上っていた怪我だろう、額中央にガーゼが医療用テープで固定されているその少女の姿は、言っては悪いがちょっと間の抜けた印象で、だが不思議と是結には、可愛らしく感じられた。
「学校からの帰宅途中の道で2人の男性が喧嘩をされていて、一方の方が相手に向けて石を投げつけられたのを、相手の方が避けたために私に当たったのです」
 言いながら舘のほうへと歩く美少女を、是結は、可愛らしく感じていたことと、それから、何だか見覚えがあるような気もして、思わず見つめた。
「お父様? 」
 美少女の怪訝な声に、ハッとする是結。
 舘も何か他のことにでも気を取られていたようで、是結より後れて分かりやすく我に返った。そして取り繕うように笑みをつくり、
「是結君、紹介しよう。うちの一人娘の杏奈(あんな)だ」
 舘の言葉を受けて是結を正面に向く美少女・杏奈。
 瞬間、是結は思い出した。
 同時、杏奈も、
「あっ」
と小さく声をあげ、手で口元を押さえる。
 杏奈は、是結が肌身離さず持ち歩いているリボンの持ち主……数ヵ月前にリボンで止血し是結の命を救った女学生だった。
 杏奈、
「ご無事だったのですね! よかった……! 」
祈るような形に両手の指を胸の前で組み合わせ、涙ぐみさえして、是結のほうへと、少し身を乗り出すようになって言う。
 是結は驚いた。驚きすぎて、思わず立ち上がる。
 見ず知らずのはずの自分が無事だったことで、ここまで嬉しそうにされたこと。……と言うか、憶えていたこと自体……。
 もう数ヵ月も前のことな上に、今、是結は軽くだが変装をしている。
 杏奈は声を震わせながら続けた。
「私には、あなたと出会ったあの日以来、あなたのことを考えない日など、1日たりともございませんでした。…ずっと……ずっと心配で……心配で、悔やんでおりました。あなたを、強引に病院へお連れしなかったことを……。 本当に、ご無事でよかった……」
 是結はキュウッと胸を締めつけられた。
 杏奈が自分のことを心配してくれていた気持ちに感動したのもあるが、むしろ申し訳なさで。
 何故なら自分は、自分のことをこんなにも心配してくれていた杏奈の、父・舘努にとって、実は敵なのだ。
 父の敵ならば、娘にとっても敵だろう。間違っても、目の前にいて幸福をもたらす存在ではない。
 今、是結のしていることは、程度はどのくらいか是結にも分からないが、後々、舘を傷つける。
 仮に、爆弾製造の事実が無いのであれば傷つける結果にはならないのであろうが、ほぼ黒に近い灰色であるからこその潜入捜査。
 爆弾製造の事実の有無を探ると言うが、もっとはっきりと言ってしまえば、爆弾製造の事実有りとの証拠を掴んでくるのが自分の任務であると、是結は理解している。
 是結は、初めて自分の仕事を呪った。
 もう杏奈には偶然にでも会わないようにしなければ、と思った。仕事に悪影響がありそうだから、と。
 この家にも、もう来ない。
 潜入捜査において、信用させておきながら実は裏切っているというのは、当たり前の状態。
 それを辛いなどと感じたことは、これまで無く、自分を信じきっている相手に対して、馬鹿な奴だなどと内心笑っていたことさえあった。
 それが、今回はどうも駄目そうだ。いや、既に駄目だ。
 是結は心の中で深い深い溜息を吐き、そこまでで、
(…ああ、そうだ……)
ふと思い出す。
(忘れないうちに、リボンを返さなきゃな……)
もう会わないようにとの願掛けの意味も込めて……。
 是結は背広のポケットから杏奈のリボンを取り出し、その目を真っ直ぐ見つめて差し出す。
「これを……。いつか会えたら返そうと思って、持ち歩いていたんだ。君が去った後、わりとすぐに上司に発見されて病院に連れて行かれたんだけど、そこで医者に、もう少し止血が遅かったら生命が危なかったと聞かされた。君のおかげで助かった。ありがとう」
 最後だと思ったためか、変なふうに心がこもったのが自分で分かった。
 見つめ返す杏奈の頬が赤らんだのを見、ドキッとする是結。
 杏奈、受け取りながら、
「いつも大切に持ち歩いて下さっていたのですね! 」
(…いや、そういう言い方をされると、ちょっと意味が違って聞こえる気がするんだけど……)
 何だか、少し顔が熱い。
 自分ももしかして今、顔が赤いのか? と、是結は途惑う。
 そこを舘、
「何か、君ら二人お似合いだなあ」
茶化す。
 「もう! 嫌だわ、お父様ったら! 」
まんざらでもない様子で返す杏奈。
 是結がどうにもいたたまれなくなってきたところへ、
「さあさ、お待たせ致しました」
静子が料理を運んで来た。 
 献立は、カレーライスに甘藍のおひたし、たくあん。
 カレーの香りが食欲を刺激する。
 いい感じに杏奈との間が紛れ、是結はホッとして席につき、杏奈もごく普通に是結の向かいに座る。

 食事をしながらの、
「君らは知り合いだったんだな? 」
舘の質問に、是結は、自分の正体を明かさなければ杏奈に助けてもらった時の説明を出来ない気がして困りかけるが、すぐに、困ることではないと気づく。
 舘に話してある新聞記者という職業でも、そのまま当てはめて話すことが可能であると。
「以前、取材中に、相手方にしてみれば絶対に掴まれてはいけないような情報を、掴んだことがありまして、僕の口を封じようとする相手の方々に追われている最中に怪我をして動けなくなっているところを、通りかかった杏奈さんが助けて下さったんです」
 それを杏奈が補足。
「助けたと言いましても、私は、止血だけをして行ってしまったのですけど……」
そこで一旦、言葉を切り、微妙に熱を帯びた視線を是結に向ける。
「あの時、あなたが私を怖い顔で睨んだのは、危険だから、私が早く立ち去るよう仕向けたおつもりだったのでしょう? 」
(..…この娘は……)
 あの時の自分の態度をそんなふうに解釈していたのか、と是結は驚く。
 それは真実だが、もしも自分が杏奈の立場だったら、せっかく親切にしてやろうと思ったのにと気分を害し、それよりも後にその相手のために止血するなどの勇気も出ず、ただその場を去ったに違いない。
 是結の胸はキュウキュウキュウキュウ締めつけられて、止まらなくなった。
 舘がおおらかに笑う。
「是結君は男気があるなあ! 博識でもあるし、俺の見込んだ以上の男だ。どうだ、杏奈を嫁に貰ってくれないか? 」
「もうっ! お父様ったらぁ! 」
 照れて両手で顔を覆ってしまう杏奈。
(…この、親子は……)
是結は、胸が苦しくて苦しくて仕方ない。



            *


 満面の笑顔の舘親子に玄関先で見送られ舘邸をあとにした是結は、自宅へ帰り、隣家の明かりが窓から差し込むのみの薄暗い中、通信機の釦を押す。
「零零七式です」
 明かりをつける気分には、とてもなれずにいた。
「ご苦労」
「今日、舘努に夕食を共にと招かれ、自宅へ行ってきました」
「自宅へか。大そうな気に入られ方だな」
「…はい……」
 是結の脳裏を、舘親子の笑顔が過ぎる。
 通信機の向こうで何かを感じ取ったか、加賀、
「どうした? 何かあったのか」
「…舘から、自分の娘を嫁に貰ってくれないかと……」
 いつもであれば、重い事柄ほど意識して軽い口調で言う是結だが、たった今、気づいた。いつも軽く言えるのは、重い事柄でも自分の側には余裕があるためであると。
 今の是結の心には、そんな余裕など無い。
 暫しの沈黙。
 ややして沈黙を破り、加賀の大きな大きな溜息。
「取り入り過ぎだ、零零七式。分かっていると思うが……」
「はい、分かっています」
 是結は静かに加賀の言葉を遮った。
 そう、分かっている。だから苦しいのだ。自分は舘親子にとって敵なのだと、分かっているから……。
「そうか。分かっているのならいい。引き続き頼んだぞ」
「はい」


零零七式~ロージアより愛をこめて~ (8)


          * 4 *


 情報部入口の扉を開けた瞬間、しまった! と思い、
(…変な時に来ちゃったなあ……)
久し振りに情報部へ顔を出した是結は、心の中で大きな大きな溜息をついた。
 加賀の席を、是結を除いた特権諜報員を含む部員全員が取り囲み、その中心で、加賀が副部長から大きな花束を受け取っているところだったのだ。
 是結はすぐに思い出した。今日は加賀の誕生日であると。
 是結が今日、情報部へ来た目的は、通信機の調子がおかしいと感じたため、担当の部員にみてもらうこと。前日の夜の加賀との通信後、通信を切っても繋がっている感じがし、今も、その状態が続いている。通信機の向こう側の音声などは聞こえてこないのだが……。
 通信機の担当の部員が確実にいる時間にと考え、朝一番ではなく、昼休みが終わったばかりのこの時間を選んで来たのだが、失敗だった。
 花束贈呈が済むと、今度は、各々用意した贈り物らしい包みを渡し始める。
(これは、まずい)
たった今、加賀の誕生日を思い出したところである是結は、当然のことながら、贈り物の用意など無い。
 幸い、まだ誰も是結の存在に気づいていないようであるため、見つからないうちに立ち去ろうと、たった今あけたばかりの扉をそっと閉めた。
 しかし、通信機を見てもらわなければならないため、
(仕方ない。買って来るか……)
贈り物を用意して出直すことにした。



            *


 是結が加賀の贈り物を買うためやって来たのは、庁舎から自転車で5分ほどの距離にある百貨店・デパートメントストーアしもだ呉服店。
 木造の、基本は3階、屋上の一部に丸いドーム屋根を付けることで強引に4階建てにした洋風建築のその建物の入口を入り、入口で下足を預けるのと引き換えにスリッパを借りて履いて、まず最初に是結は、すぐのところの壁に貼られた、何階のどの辺りに何の売場があるかを示す、館内案内図を見た。
 是結がここに来るのは初めてではなく、売場の位置も、そう頻繁に変わるものでないのは分かっているのだが、それを見ながら、加賀への贈り物を何にしようかと考えていた。
 その時、
「是結、さん……? 」
背後で、聞き覚えのある少女の声がした。
 振り返ると、リボンで飾られた小さな包みを大事そうに胸に抱えた杏奈がいた。
 是結は今、先日、舘の自宅に招かれた時とは違う格好……変装をしていない状態なのだが、もともとは変装していない姿で知り合った杏奈は、関係無く気づくらしい。しかも今などは後ろ姿だったのに……。
(…最悪だ……)
是結は、内心溜息。もう会わないようにと思っていたのに、と。そんなふうに思った、舘の自宅に招かれた日から、ほんの数日。会えたらリボンを返そうと持ち歩いていた間は全く会えなかったのに、と。
 今日などは特に、会いたくなかった。……と言うか、いつもであれば本音は会いたくないわけではなく、辛くならないよう、会わないようにしようというだけなのだが、今日は、本当に会いたくなかった。こんな、相手が加賀とは言え一応女性への贈り物を買おうという時に……。
「お買物ですか……? 」
「あ、ああ、まあ……」
杏奈のごく普通の問いに、一方的に気まずさを感じて返答を濁す是結。
「私もです。お父様が初めて本を書いて、それが今日、出版されるので、何か記念になるような物を贈ろうと思いまして。丁度、学校が創立記念日でお休みで、お父様に内緒で買うには都合が良かったので」
そこまでで、一旦、言葉を切り、何故か杏奈のほうまで言い辛そうに、上目遣いで是結を窺いながら、
「…あの、是結さんは、お買物は今からですか……? 」
(? )
質問の意図が分からなかったが、聞かれるまま、是結は、そうだけど、と答える。
 杏奈は、やはり言い辛そうに、恐る恐るととれるくらい遠慮がちに、
「…あの、出来れば、私もご一緒させていただけないでしょうか……? 私、たった今、買物を終えてきたところなのですけど、このような場所に私のような歳の少ない者など、何だか場違いな感じがして居辛くて……。買う物だけ買って帰ろうとしていたのですが、出来れば、もっと色々見て歩きたいと……」
(…可愛い……)
上目遣いで是結の答えを待つ姿があまりに可愛らしくて、
(こんなに可愛く頼まれたら、断れないよな……)
是結は、仕方なく? 杏奈の同行を了承した。





 是結という名字は非常に珍しい。そのため、変装をしていない状態の今、もしも、杏奈が自分のことを「是結さん」と呼んだところを薔薇の団の人間に見られたら不味いと考え、杏奈を少し待たせて便所へ行き、先ず変装を済ませた。
 その是結の行動を、便所から戻った是結を最初に目にした時の杏奈の表情から察するに……というか、当然のことながら、杏奈は不思議に思ったようだったが、杏奈は、そのことには特に触れず、
「何をお買い求めになられるのですか? 」
小物類の売場内を左右交互に視線を移してはゆっくりと歩く是結の、半歩斜め後ろをついて来ながら聞く。
 自分がされた質問には答えず、是結、
「君は、舘先生に何を買ったの? 」
逆に質問。
「あ、万年筆です。舶来品の……」
 杏奈の答えに、
(万年筆か……。それもいいな)
などと思いつつ、
「オレのほうも贈り物でね。実は、まだ何にするか決めてないんだ」
「贈り物……。どなたへですか? 」
 ごく普通の質問。だが、一応であっても女性への贈り物と杏奈に知れることに抵抗のある是結。返答に一瞬の間が空く。
 その間を敏感に感じ取ったか、是結が答えるより前に、杏奈は、ハッと口を手で押さえ、
「あ、ご、ごめんなさい……。余計な穿鑿をしてしまいました……。そんなつもりは無かったのです。ただ、贈り物選びのお手伝いを出来たらと……」
上目遣いに是結を窺った。
 杏奈の様子に、是結、自分の態度が良くなかったのだと気づき、急いで、
「あ、いや、余計な穿鑿だなんて思ってないから……」
執り成す。
 杏奈は、
「そうですか。良かった……」
ホッとしたように笑んだ。
 その笑顔に、是結もホッとする。
「贈り物は、母の誕生日用なんだ。一緒に選んでもらえるなら、助かるよ」
言っておいて、是結は心の中で自分に対して苦笑した。「母の」などと、よくもまあ、こんなにスラスラと嘘が出てくるものだ、と。
(…もしかして、職業病ってやつか……? )



            *


「嬉しい! いただきますっ! 」
杏奈は、目の前の磨き込まれた硝子の器が天井からの照明の光を反射する輝きに負けないくらい、目をキラキラさせて、是結の向かいで行儀良く手を合わせた。
(可愛いなあ……)
是結は微笑ましく杏奈を見つめながら、年上ぶって軽く上から目線気味に、
「はい。どうぞ召し上がれ」
冗談めかして言う。
 それを受け、杏奈は、美しい曲線を描いた長めのスプーンを手にとり、硝子の器に上品に盛られた黄味を帯びた白色のアイスクリームをすくって口へと運んだ。
 途端、
「美味しい……! 」
頬を手のひらで押さえる。
 その表情を眺め、愛おしさで胸をいっぱいにしながら、是結も、自分の前のアイスクリームを口にする。
 生まれて初めて食べたそれは、口に入れた瞬間、まずその冷たさに驚き、次に来る甘さに、アイスクリームが口の中で融けると同時、自分までとろけてしまう錯覚を覚えた。
 杏奈の見立てで、加賀に、今年の流行色である鈍色のパラソルを買った是結は、付き合ってくれた礼にとアイスクリームをご馳走するべく、最上階の丸いドーム屋根の下の食堂へ、杏奈を連れて来ていた。
 が、礼など口実。本当の理由は2つある。
 1つ目は、単純に自分がアイスクリームを食べてみたかったから。幼い頃は貧しくて食べられず、この仕事を始めて経済的に豊かになってからでは大人の男が1人で甘い物など何となく恥ずかしくて食べに来れないでいたのだ。
 もう1つは時間稼ぎ。今度こそ杏奈と会うのを最後にしようと考えたため、加賀への贈り物を選んだだけでさっさと別れてしまうのが、惜しく感じられたためだ。
 と、その時、
「…曽根のおじさま……」
杏奈が是結の肩の向こうのほうを見、呟いた。
(? )
つられて、そちらを振り返る是結。すると、
(っ! )
曽根がテーブルの上に両肘をつき顎を支える格好で、ニヤニヤしながら是結と杏奈を見ていた。
 杏奈がゆっくりと静かに立ち上がり、
「ごきげんよう、曽根のおじさま」
挨拶をする。
 曽根は変わらずニヤニヤしたまま、
「逢引かい? いいね、若いって。羨ましいよ」
「そんな、逢引だなんてー」
何だか嬉しそうな感じで、杏奈は照れる。



            *


「これを私にか! 」
 杏奈と別れ、情報部へ戻った是結は、加賀に贈り物のパラソルを渡した。
「このような女性らしい物を贈られたのは初めてだ」
加賀はまんざらでもない様子で、是結は、ちょっと意外だった。 
 加賀への贈り物として、是結は、ネクタイや灰皿など男性的な物を考えていたのだが、杏奈や売場の販売員に加賀の特徴や性格を聞かれて話したところ、揃って、あえて女性らしい物をと薦められ、そうした。
 しかし、薦められるまま買ったものの、是結は、どうにもそれが加賀にしっくりこないように思え、気に入らないどころか怒られるのではと、ビクビクしながら渡したのだった。
 加賀は席から立ち上がり、パラソルを開いて肩を支えに斜めに差し、少女のようにクルッと回ってから是結を見、
「どうだ、似合うか? 」
(…いや……)
是結は、クラッと目まいを感じた。



零零七式~ロージアより愛をこめて~ (9)

                               
          * 5 *


 ロージア地下2階・団長室内。
 舘に頼まれて団長室内に置かれている分の資料の整理を手伝っていた是結は、舘の机の隅に見慣れぬ真新しい本が、しかも同じ物が何冊も積んであるのに目を留め、
「先生、その本は? 」
「お? やっと見つけたか! 」
舘はニヤリと笑って言う。見つけてほしかったようだ。
「本を書いたんだ。是結君にも1冊あげるよ」
 1冊手に取り、是結に差し出す舘。
 そう言えば杏奈が、舘が本を書いたと言っていたと、思い出しながら、是結は受け取る。
 その時、
(っ! )
是結の視界の隅で、入口の扉から見て正面に位置する床板が、80センチメートル四方の正方形の形で、突然パカッと、周囲の床面に対して垂直になるように開いた。
 団長室の床が正方形に開くことを是結は知っていたが、あまりに突然だったため驚いた。
 驚く是結を見、
「そうか。是結君は、ここの床が開くことを知らなかったな」
 舘が苦笑する中、開いた正方形の下から中川一派の一員が白衣姿で出て来、舘に向かって真っ直ぐ進むと、
「完成しました。中川副団長がお呼びです」
「分かった。すぐに行くと伝えてくれ」
「はい」
 そして再び正方形の下へ。
(完成しました? …何が……? )
 確信に近い不安が脳裏を過ぎり、是結は舘の顔を窺い無言の問いをするが、舘からの答えは無い。ただ、舘の表情は酷く曇って見えた。
 正方形は閉まると、また、どこを取っ掛かりにして開けてよいのか分からない状態に戻った。
 これは未だ、是結には謎のままだ。
 舘の部屋のことなのだから、舘に近づくことで分かると思っていたのだが、機会が無かっただけだろうか? おそらくそうだ。
 たった今、是結の目の前で平気で中川一派の者が出入りした。彼に舘を呼びに来させたのは中川であり、中川には、是結がここにいることは想像の範囲内のはず。舘については、開いた正方形に是結が驚いた時の言葉で分かる通り。床が開くことは、彼らにとって、是結に知られても何でもないことなのだ。
「是結君。一緒に来るか? 」
 いつになく暗い声の舘の問い。
「あ、はい」
 これまで恵まれることの無かった機会に、今、恵まれた。





 初め、どこへ行ってしまうのかと思った。
 「是結君。一緒に来るか? 」と聞かれ、はいと答えて、話の流れ上、床の正方形の下の空間にいるであろう中川の所へ行くものと思っていたが、是結の返事に頷き返し、じゃあ行くか、と動き出した舘は、団長室内を入口へと移動、扉の取っ手に手を掛けたのだ。
 だが舘は、扉の取っ手を回して団長室の外へ出て行くのではなく、掛けたほうの手で取っ手を支え、その中央についている内鍵を閉める。
 同時、床の正方形がパカッと跳ね上がった。
(すごいっ! )
 こういう仕組みだったのか、と、感心する是結。
 それから舘は正方形へと歩き、是結について来るよう言って、中へ。
 閉まると床になる正方形部分は、厚みが10センチメートルほどもあり、ポッカリと開いた穴の中には、下へと向かって梯子があった。
 いちいちひとつひとつを観察するようにしながら、是結は、舘の後に従う。
 中に入って梯子を数段下りてから、舘に言われて、閉まれば床となる正方形の裏側の取っ手に手を伸ばし、引っ張って閉めると、遠くのほうで、鍵の開閉のカチャッという音がした。
 おそらく、団長室入口の内鍵が開いた音だ。

 舘に続いて梯子を下りて行き、着いた場所は、床・天井・四方の壁の全てをコンクリートのような冷たく硬い材質のもので作られた、30畳ほどの部屋だった。
 天井は高めで、部屋中央に2畳分ほどの作業台のようなものがある。
 その作業台の上の丁度真ん中に、縦15センチメートル横20センチメートル高さ10センチメートルほどの直方体の金属の箱が置かれていた。
 梯子を下りた地点から見て作業台の向こうには、一様に白衣に身を包んだ中川と中川一派12名が揃って横一列に並び、舘を待っていたのだろう、舘が立ち並ぶ一同と作業台を挟んで向かいに立つと、中川が口を開いた。
「お疲れ様です」
 それに対し、舘は頷き、是結は舘の隣に立って、会釈する。
 目の前の作業台の上の金属の直方体には、上部中央に、是結の位置から見て、くの字が縦に2つ並んでいるようにも、少し潰れ気味のアルファベットのWが横になっているようにも見える形の、5ミリメートル四方に収まる程度の小さな穴があった。
 ついさっき舘のところへ来た一派の彼が、完成した、と言ったのは、この直方体のことだろうか?
 中川は続け、
「完成致しましたので、ご報告申し上げます。こちらが、舘先生の許可の下製造し、つい先程完成致しました、小型爆弾。名付けて、中川式ロージア壱号です」
手のひらで作業台の上の直方体を指す。
(…ああ、やっぱり……)
 何がやっぱり、なのか。それは、完成した物というのが作業台の上の直方体であったことと、それが、爆弾であったこと。
(つい先程の完成で、今ここにあるということは、ここで作っていたのか。…今回の任務は失敗だ……。爆弾を製造している疑いがあるから、その事実の有無を探れって指令で、それは多分、完成前に阻止するためのものだったろうに、任務開始後に完成なんて……)
 失敗という形で突然に任務終了を迎え、是結は心の中でひとり、反省会を開いた。
(のんびりしすぎたか……。潜入に成功した翌日には、団長室の床の正方形の下に人の入れる空間があることを知って、そこで爆弾を作っているかも知れないなんてふうにも確かに思えてたのに……。…もう少し、何とかならなかったか……)
 反省した是結は、任務は失敗に終わってしまったから、せめて手土産として、加賀への報告時に、完成した爆弾・ロージア壱号の詳細を伝えようと、一言一句も聞き漏らさないよう、中川の説明に聞き入った。
「小型ですが、高い殺傷能力を有しています。議事堂くらいならば、軽く吹っ飛ばすでしょう。
 特徴は、これ自体には安全装置も起爆装置も無いことです。ロージア壱号は2つの液体の薬品を使用しており、今の段階では、その2つが混ざり合うことなく分かれています。2つが混ざることで爆発を起こしますが、移動中に安全装置が誤ってはずれたり、起爆装置の誤作動の危険を回避するため、安全装置はありません。起爆装置は」
話しながら、中川は白衣のポケットに手を突っ込み、ロージア壱号本体の穴と同じ形の先端を持つ、10センチメートルほどの長さのピンを取り出して、
「これです。このピンを本体の穴に挿すことで、中の薬品が瞬時に混ざり、即、爆発します」
(…つまり、爆発させた人間も死ぬのか……)
 是結は中川の過激さに驚き、また立場上かなり不謹慎だが、
(けど、確実な方法だな)
内心、舌を巻く。
「このピンは、失くさないよう気を付けなければなりません。製造の工程上、ピンを失くしたからといってピンだけ再度作ることが出来ませんので。1つ作るのに、費用も相当かかりますし」
「そうだな」
 是結を連れてここに下りて来る際に、是結に、閉まれば床となる正方形を閉めるよう言って以降、舘は初めて口を開いた。
 その声は相変わらず暗い。
 ロージア壱号製造は舘の許可の下だったということだが、それが完成したのに嬉しくないのだろうか? と、是結は思った。
 中川だって途惑っているように見える。
 舘らしい熱い労いの言葉がもらえるものと容易に想像つく状況で、この薄い反応は何だ、と。
 舘が中川に向けて、無言で手のひらを上に向けて差し出す。
「あ、はい……」
条件反射の如く、舘の手の上にピンを置く中川。
 舘、ピンを握り、その手を軽く上に持ち上げて見せながら、
「これは俺が預かろう。ご苦労だった」
 そして回れ右。梯子のほうへ歩き出しつつ、
「行こう。是結君」
 その背中を、
「お待ちください! 」
中川が呼び止めた。
「それだけですか? ロージア壱号の具体的な使い方などについて、話し合われないのですか? せめて、それについて後日あらためて話す日時の指定などは? 」
 舘は足を止め、頭だけで少し振り返り、
「使うつもりは無い。使うとすれば、その使用法は、我が団体がそれを所持しているという噂を積極的に流すという方法でのみだ。それだけでも、政府への圧力として効果はあるだろう」
 そして、また前を向いて歩きだす。
 中川は途方に暮れた様子。
「行くぞ、是結君」
 足を止めないまま再度声を掛けられ、
「あ、はい」
急いで後を追おうとして回れ右をする是結の視界の隅、たまたま中川が映り込み、その表情に、是結はゾクッとする。
 悔しげな、憎悪さえこもっているような……。





 舘の後について梯子をのぼり、正方形から団長室へと出た是結の前、後ろ姿のまま、ピンをズボンのポケットに仕舞った舘は、是結を振り返り、自嘲的に笑った。
「是結君は、俺を軽蔑するか? 爆弾……ロージア壱号について、自ら製造の許可を出しておきながら、使うつもりは無いなんて……」
「あ、いえ、軽蔑など……。ただ、どうしてかな、と……」
「中川たちは、是結君以上に、そう思っているな」
 舘は深い溜息を吐き、俯く。
「ここまでさ、結構大変だったんだ……。ロージア壱号の製造は、まず、それを製造するための部屋……今、君と行ってきた、製造中に誤って爆発を起こしても他へ一切影響を出さないための、この下の部屋を造ることから始まっているからね。
 そして部屋完成後、もう半年近く、中川は、さっきも一緒にいた12名の特定の団員と共に、製造にかかりきりだったんだ。中川に崇拝に近い感情を抱いている、その彼ら12名のために、たまに勉強会を開いたりする他は、大学での仕事の時以外、ずっと。
 …本当に、中川たちには申し訳ないことをした……。だが」
顔を上げ、舘は、眩しそうに遠くを見る目つきになり、
「間違っているとは思わない。今までの俺が間違っていたんだ」
そこまでで、視線を是結に向け、
「……先日、娘が、杏奈が怪我をしたことは知っているだろう? 」
「僕が舘先生のお宅にお邪魔した日のことですよね? 何でも、他人の喧嘩に巻き込まれたとかで」
「ああ。…その時の杏奈の怪我は軽いものだったし、杏奈自身も特に問題にしていなかったから表には出さなかったが、俺はあの時、喧嘩をしていた見知らぬ男2人に対して、激しい憤りを覚えていた。他人の娘を巻き込むなと。何の罪も無い他人を巻き込むような場所で喧嘩をするなと……。
恥ずかしながら、そこで初めて、俺は気づいたんだ。自分のしようとしていることの愚かしさに……。
爆弾など使えば、無関係な人を、何人も何十人も犠牲にしてしまう。本当の民衆のための政治、などと大義名分を掲げながら、その民衆を巻き込む方法を、平気で採ろうとしていた。
他人を巻き込むことは、その巻き込まれた当人だけでなく、その家族や友人まで悲しませる、絶対に許されない行為だ。日本は侍の国。大勢を無差別に巻き込む爆弾など使わず、刀を持って、自分の相手にするべき相手だけに狙いを定めて向かって行けばいいんだ」
 話しているうちに、舘の瞳の奥に光が生まれ、それは次第に強さを増していき、最後には、決して揺るがない意志となって、その中央に留まった。
 是結は、
(舘、先生……)
舘を、格好いいと思った。
 もう任務は終了だが、この先も、舘と共にありたいと思った。



            *


 いつものように公園前で舘と別れ、公園内外灯下の長椅子に座り、小一時間。
 是結は、たゆとう心と戦い、やっと、
「零零七式です」
通信を始めた。
 躊躇っていた理由。それは、明治43年法律第53号鉄砲火薬類取締法。
 今から加賀に伝える予定の内容は、爆弾製造の事実有り。既に完成。……これを伝えれば、舘は捕まってしまう。
 そうなれば杏奈も悲しむし、出来ることなら助けたい。
 だが、そんなことは、自分が舘の敵であるなどということは、初めから分かっていたこと。
 それに、事実は曲げられない。
 これが自分の仕事なのだと、小一時間かかって何とか自分に言い聞かせたのだ。
「ご苦労。何か進展はあったか? 」
(! )
加賀の、進展、という言葉に、是結はハッとした。
(…そっか。オレは、今まで散々時間をかけてチンタラやっていた……)
 今日、急に大きく事態が動いたために、きっと、舞い上がってしまっていたのだ。
 チンタラついでに、あと2・3日もらって、舘からピンを盗んで海に捨てるでもしてロージア壱号の無力化をしてから、
「製造の事実無し。以前の通信時に気に掛けていた、人の出入り可能な大きさの場所は、単なる床下収納でした」
くらいに報告すればよいのではと、今、思いついた。
 何故なら、舘にロージア壱号を使う気が全く無く、この先は、もう、爆弾製造の許可などしないと、是結には確信を持って言えるため、現存するロージア壱号さえ始末してしまえば、嘘にならない。
 正方形下の空間だって、爆弾を製造しなくなれば、本当に単なる床下収納に、自然と変わるだろう。
 是結は、
「いえ、まだ何も」                                                 伝える内容を、咄嗟に変更。
 進展の無い日々が続いたための、
「そうか。では引き続き、調査を頼む」
との、すっかりお決まりになってしまった加賀の指示に、はい、と返事をし、通信を切った。



零零七式~ロージアより愛をこめて~ (10)

 
         * 6 *


(…家にもいないのか……)
 舘邸の屋根裏に忍び込み、そこから一通り各部屋を見てまわって、是結は溜息を吐いた。
 舘からピンを盗もうとしている是結。何も盗まなくとも、舘にピンを捨てるよう進言し、そうしてもらえればよいだけのことなのだが、秘密裏に全て済んでしまえば、それが一番楽だと考えた。
 ピンは舘が持ち歩いているのか、どこかに仕舞ってあるのか、あるいは、舘も是結と同じくロージア壱号の無力化を考え既に捨てたか、分からないため、とにかく舘をつけ回して機会を狙う作戦でいくことにしたのだった(捨てたのであれば、確かに捨てたのだと確認が取れさえすればよいのだが)。
 初めは学生になりすまし大学内に紛れ込んだのだが、そこで、今日は舘が欠勤していることを知った。
 それならば自宅だろうと思い、杏奈に会いたくないため躊躇われたが、一方的に見かけるだけならば、むしろ会いたいのが正直なところで、来てみた。
(……って言うか、あれっ? )
是結は、ふと気がつく。
(そうだ。会ってもよくなったんだった)
 職業上の立場的には敵であることに変わりはないが、是結は今、舘親子を救うために動いている。もう、傷つけることは無い。
 これからは、舘とも杏奈とも、何の後ろめたさも無く接することが出来るのだと、是結は嬉しくなった。
 杏奈もおらず、静子がひとり、丁度是結のいる真下の家事室で洗濯物を畳んでいるのを、嬉しさから浮ついた気分で眺めながら、舘の行き先について、
(じゃあ、どこへ? )
考える是結。考えておいて、
(『じゃあ、どこへ』って……。別に、仕事を休んだからって、必ずしも風邪とかじゃないんだから、自宅以外でも行っている可能性の高い場所はいくらでもあるよな……)
自分の思い込みに、ちょっと笑ってしまう。
 だが是結は、他に舘の行く場所と言えば、ロージアくらいしか知らない。
(とりあえず、行ってみるか……)
 ロージアにいてくれれば、それでいいし、いなくても、誰かに舘の行きそうな場所を聞けるかも知れない。
(大学で、だいぶ時間をくったし、早い人は、そろそろ来る頃だ……)
 と、その時、
「あら、お嬢様! お帰りなさいませ」
 是結の真下で、よく通る静子の声。杏奈が帰って来たようだ。
 天井板の隙間から覗いてみると、女学生姿の杏奈がいた。
(…そう言えば、初めて会った時も女学生姿だったな……)
 是結はほんのり甘酸っぱく、杏奈の、静子とのやりとりを見守る。

 突然、杏奈が駆け出し、是結の目の前からいなくなった。
(? )
 が、ほんの10秒かそれくらいで戻って来、直後、
「そこだっ! 」
 ドスッ! 
 威勢のよい声と共に、是結の目の前の天井板の隙間から、薙刀の切っ先が突き出した。
(! )
驚き、反射的に飛び退く是結。
 薙刀はすぐに引かれ、是結は薙刀のおかげで少し大きくなった隙間から、また切っ先が突き出されやしないかと注意しつつ、再度下を覗く。
 すると、
(おっと……! )
杏奈と目が合いそうになり、
(危ない危ない……)
向こうからは見えないであろう位置まで身を引いてから、三たび下を窺う。
 下では、薙刀を構えた杏奈が、真っ直ぐに是結のいる方向を見据えていた。
「何者ですっ? そこにいるのは分かっています! 出て来なさいっ! 」
 初め、是結は杏奈のその様子を、勇ましくて可愛いなどと、微笑ましく眺めていたが、杏奈は、「さあっ! 」「さあっ! 」と怒鳴り続け、薙刀を天井に向けてギラギラと睨み続け、さすがに、
(どうしちゃった……? )
おかしいと感じ、心配になった。その場から離れ難くなった。
 そこを、
「お嬢様! 」
 静子が後ろから抱きしめる。
「お嬢様っ! 」
 杏奈は、ハッとしたように動きを止め、
「…静子さん……」
薙刀を下ろした。
 静子は一度、杏奈を離し、正面に回ってもう一度抱きしめなおす。
 杏奈は俯き
「…ごめんなさい、私……」
 静子は、宥めるように杏奈の背を優しくトントンとやる。
「疲れてらっしゃるんですよ。今、お茶とお菓子をご用意致しますから」
「…ありがとう……」

 とりあえず杏奈が落ち着いたようなので、静子がいるから大丈夫、などと、是結は、努めて自分を安心させ、その場を離れることにした。
 何故、杏奈がこのような状態になってしまっているのか? 何かあったのか? 気になるが、それは、ちょっとやそっとの時間、天井から覗いていたところで分かりそうもないため、仕方ない。
 この後、ロージアででも舘と会えた時に、聞けそうならば聞いてみるのが一番早い、と、自分を納得もさせて……。





 外に出ると、雪がチラついていた。
(寒いと思ったら……)
 是結は舘の関係で動く時には、最も簡単な変装として、愛用の外套と帽子を身につけないことにしており、今日も身につけていないが、ロージアへの道のり程度の間でも雪が更に強くなるかも知れないことを考え、防寒と防雪のため、また、舘邸からはロージアより自宅のほうが近いため、一旦、取りに戻ることにした。
 物陰に隠しておいた自転車を引っ張り出し、自宅へと漕ぎ始めた是結は、外套と帽子の必要性を痛感した。
 雪が首の辺りから入ってきて冷たく、また、伊達眼鏡に雪がはりつき視界を奪われ、かと言って眼鏡を外せば、雪が目を直撃する。



零零七式~ロージアより愛をこめて~ (11)

         

            *


 ロージア前に到着し、今日は雪を防ぐために自転車を庇の下に停めさせてもらい、外套と帽子もそこに置いて、是結は中に入った。
 ロージア店内を通過し、階段を下りて地下1階へ行くと、中川が演壇に立ち、いつも一緒の一派12名以外の人たちも集めて、何やら演説中だった。
「『彼等は常に口を開けば、直ちに忠愛を唱え、恰も忠君愛国は自分の一手専売の如く唱えてありまするが、其為すところを見れば、常に玉座の蔭に隠れて政敵を狙撃するが如き挙動を執って居るのである。彼等は玉座を以って胸壁となし、詔勅を以って弾丸に代えて政敵を倒さんとするものではないか』……立憲政友会の尾崎行雄先生は、そのようにおっしゃり、立憲国民党と共に、桂内閣の不信任案を提案された。それを桂は汚くも、議会を停会することによって避けたのだ。我々は、これを看過すべきではない。
 我々は小さな団体だが大いなる力を持っている。それは他でも無い、私が造り出した兵器、小型爆弾・ロージア壱号だ。兵器は持っているだけでは意味が無い。使って、活かしてこその兵器。活かしてこその力。今こそ活かす時だ。
 昨晩、舘団長が怪我をして入院され、副団長の私が団長代理をしているわけだが、舘団長は爆弾製造を許可しておきながら、その使用には消極的すぎる。これを機に、舘団長には引退していただき、また、今は団長の手元にある起爆装置であるピンもご返却願って、私、中川が代理ではなく正式な団長となり、兵器をきちんと活かし、薔薇の団の皆はもちろん、他の多くの同志の方々とも力を合わせて、民衆のための新しい社会を築いていきたい」
(…怪我して入院……? )
 中川の小難しい演説の中から、その部分だけはしっかりと聞き取った是結は、最前列で中川一派が大喝采する中、自分の近くで途惑い気味に顔を見合わせつつパラパラ拍手をする2名を掴まえて、何があったのかと聞いてみた。
 すると、昨日の夜、舘がロージアからの帰りに何者かに襲われたらしいとの話だった。
(昨日の帰り? …オレと別れた後か……。何者かに襲われた、って、ああ、だからさっき……)
 杏奈の先程のおかしな様子についても納得する。
 父親が前の晩に正体の分からない者に襲われたばかりなため、得体の知れぬ侵入者の気配に敏感に反応したのだ、と。




 舘の入院している病院がどこであるかも、途惑い気味パラパラ拍手の2名は知っており、教えてもらえたため、しかし演説中はさすがに、入って来る分には良いが、途中で出て行くのは抵抗があり、きちんと皆まで聞いてから、是結は早速、行こうとした。
(今度は、別に何かになりすましたり天井裏に潜んだりしなくていいよな。普通に、見舞いに来たってことで……)
 そんなことを考えながら演壇に背を向け、階段へと歩く是結を、
「是結君」
呼び止めた人がいた。
 薔薇の団には、それほど明確な派閥は無いが、それでも舘派か中川派かと問われれば、どちらかと言えば舘派である年配の団員。
 本物の新聞記者である彼は、自分と同じ新聞記者で、しかも自分よりも深い舘派である是結を、今回、舘が怪我をした一件について気にかけ、声を掛けたとのことだった。
 ここ暫くロージア内では常に舘と行動を共にしていた是結は、今や、舘派の中に於いて、ちょっとした有名人だ。
 最初に声を掛けてきた本物の新聞記者の彼の後も、次から次へと舘派の団員が、是結当人と舘のことを心配して話しかけてくる。
 他人が心配して思い遣ってくれる……それは、とても有り難いことのはずなのだが、なかなかロージアを抜け出せずに、正直、是結は困った。





 結局、いつも通り8時頃、皆が解散するまで抜け出せず、ロージアにいてしまった是結。
(まだ、面会させてくれるか……? )
 足早にロージア店内を通過しようとしたところ、
「是結君」
今度は、曽根に呼び止められた。
「どうしたんだい? そんなに急いで」
「あ、僕、舘先生がお怪我をされたのを知らなくて……。お見舞いに行きたいんですけど、まだ面会時間、大丈夫ですかね? 」
 曽根は壁の時計を見、
「ああ、確か夜8時までだったね」
 是結も時計を見れば、丁度8時になったところだった。
(間に合わなかったか……。…それならそれで、忍び込むだけだけど……)
「でも」
曽根は意味ありげにニヤッと笑う。
「身内なら構わないんじゃないかい? 」
(身内って……)
「僕、身内じゃ……」
(それに、病院は、そういうとこ厳しいから、仮に身内でも駄目なんじゃ……? )
「身内みたいなものだろう? 杏奈ちゃんといい仲なんだし、それに、この間、舘が言ってたよ。是結君みたいな息子が欲しいって」
(いい仲……? )
是結は初め、曽根が何を言っているのか分からなかったが、ハッと思い出す。
(そうか、そう言えば、この間、あの娘と百貨店にいる時に、この人ともたまたま会ったっけ……。で、その時にも軽く冷やかされたよな)
「本当に、君たちはお似合いだね。この間、杏奈ちゃんのほうから声を掛けてくれなかったら、僕のほうからは声なんて掛けれなかったと思うよ。何ていうか、こう、他人の入り込めない空気を醸し出していると言うか……」
そこまでで一旦、言葉を切り、曽根は、フッと遠い目になる。
「しかも父親公認なんて、羨ましいよ……」
 全く興味の無いことだが、曽根のその態度に、話を聞いて欲しい空気を感じ取り、礼儀に近い感覚で、是結、一応聞いてみる。
「何か、あったんですか? 」
「聞きたいかい? 」
 自分から聞いてみたものの、長くなりそうな気配を察知し、そうでなくても地下で余分に時間を沢山使ってしまって、その上、それは困るため、
「いえ、結構です」
バッサリと切る是結。
 その是結の態度がどこか面白かったのか、笑い出す曽根。
 静かに、しかし腹の筋肉が痙攣を起こすほどだったらしく、腹を抱えて……。
 一頻り笑ってから、笑い過ぎて目に滲んだ涙を指で拭いつつ、
「つれないなあ……」
 そして一呼吸。
「…まあ、いいや……」
これまでの笑いを消化し、新たに穏やかな笑みを作って、
「是結君。いい匂いがしてきただろう? 」
「え? あ、はい」
 唐突だったため、是結は上手く反応できなかった。
 曽根はオーブンを視線で示しながら、
「舘の好物のケーキを焼いてるんだ。洋酒をたっぷり使った大人の味のやつさ。もうすぐ焼けるから、舘のところへ行くなら持ってってくれるかい? 一晩置くとしっとりして美味しくなるから、明日の昼間に見舞いに行く時に届けようかと思っていたんだけど、焼きたても、それとはまた違った美味しさがあってね。焼きたては舘も食べたことがないから、せっかくだから食べさせたいんだ」
(…もう面会時間は過ぎてんのに……。『身内なら構わない』前提だな……。身内じゃないんだけど……)
 しかし、断るのを面倒に思った是結、
「わかりました」
 一晩置くと美味しいと言っていたし、とりあえず病院に行ってみて、面会させてもらえれば、それでいいし、させてもらえなかったら自分が忍び込むだけ忍び込んで、渡すのは、「昨日は面会時間に間に合わなかった」と説明した上で明日でいいか、と。





 父親公認を曽根が羨ましいと思うに至った理由である昔話を結局聞かされながら、ケーキが焼けるのを待ち、それを曽根が紙で包むのを待って、片手のひらに載るほどの大きさのそれを手に是結がロージアを出たのは、薔薇の団の団員の中では最後だった。
 雪は、ロージア内に入る時より強くなっており、足下に5センチメートルほど積もっていた。
 焼きたてを食べさせたいのだから、少しでも温かい状態で届けられるほうがよいだろうと、是結は、黒鞄の中にケーキを入れられるスペースを何とか作り、仕舞った。
 それから外套を着、帽子を被って、自転車に乗っては滑りそうなため、押して、病院へと向かう。



            *


 角をもうひとつ曲がれば病院に到着というところで、
(っ! )
是結は、角の向こうから、ヒャーという悲鳴を聞き取った。
 聞き覚えのある声。
 是結は急いで角を曲がった。
 すると、病院の門の前、雪の上にペタンと座ってしまっている静子と、転がっている人力車の車夫と思われる服装の40代の男性。
 悲鳴は静子のものだった。
「どうしたんですかっ? 」
 自転車を病院の塀にたて掛け、是結は静子に駆け寄る。
「…お嬢様が……! お嬢様が……っ! 」
 是結に縋りつく静子。
 聞けば、舘を見舞った後、人力車を呼んで舘邸へ帰ろうとしていたところを十数名の男に囲まれ、車夫は暴行されて、自分は人力車から放り出され、人力車ごと、杏奈を連れ去られたのだと言う。
「あれは確か、旦那様の薔薇の団の人たちです……! お嬢様を返して欲しければ、ピンと引き換えとか何とか……! 」
 薔薇の団の人間で、十数名という人数、ピンと引き換えという条件……。
 特に、ピンと引き換えというあたりが、中川のあの演説の後では、是結に、中川一派の仕業以外ありえないと思わせた。
 雪に、人力車のものらしい新しい轍が残っている。おそらく、杏奈を乗せた人力車のものだ。
 これが雪で消されてしまう前に追わなければ、と、焦る是結だが、気絶している様子の車夫はもちろん、腰が抜けて自分で立てないでいる静子も、雪の中、放っておくわけにはいかず、
「静子さん、とりあえず病院の中へ」
言って、静子を肩に担ごうとする。
 それを静子は、首を横に振り、
「私と、この車夫の方のことは、私が何とかしますから、早くお嬢様を……! 早く、お願いします! 早く……! 」
泣きそうになりながら懇願。
 それに押されるようにして、是結は静子と車夫をそのままにし、自転車に跨った。
 相手は過激な中川一派と思われる。
 運動神経の良い自分が自転車で滑って転んだ時の危険よりも、自分の足で走って向かったために助けるのが遅くなることの危険のほうが高いと判断したためだ。
 轍は海の方向へと、ずっと続いている。
 どうしようもなく気持ちが焦り、胸が苦しい。





 轍を辿り、是結は、港に無数に立ち並ぶ倉庫のうち1つの前に到着した。
 入口の戸をそっと細く開けてみると、そこにいたのは案の定、中川一派の面々だった。
 彼らも到着したばかりらしく、自分の頭や体についた雪を払っている最中。
 人力車ごと倉庫内に連れ込まれた杏奈は、まだ人力車の上だ。…位置的に、是結のところからは、ちゃんとは見えないが、長い髪の一部と少女のものらしい白く華奢な手が見えるため、恐らく……。
(…舘先生を襲ったのも多分、いや、間違いなく……)
 昨日、舘を襲ってピンを手に入れようとしたものの上手くいかず、杏奈を誘拐したのだ。
(これじゃあ、ピンを舘先生から盗んで始末したところで……)
是結は頭を抱えた。
 ピンを始末するだけでは、既に存在しないピンを求めて、中川一派が舘親子に何をするか分からない。
 是結は、親子を護りたかった。
 そもそも、ピンを盗もうとしているのだって、親子を護るためだけなのだ。任務的には、加賀に一言、通信機ででも、「爆弾製造の事実有り。既に完成」と伝えるだけで充分なのだから……。
(…どうすればいい……? どうすれば、舘親子を救える……? )
 ロージア壱号を無力化できて、舘親子の身の安全も確保できる方法……。
 是結は考え、そして、思いついた。
(…これしか、無いか……)

 舘親子を救うため、まず、今やるべきは、中川一派に自分が是結であると知られずに杏奈を奪還すること。
 中川一派の態勢が全く整っていない今が好機だ。
 是結は一旦帽子を取り、髪をクシャクシャッとやって七三分けを崩してからまた被り、伊達眼鏡を外して、代わりに、
(…まさか、本当に使うことになるとはな……)
黒鞄の中から舞踏会用の黒い仮面を出して身につける。
(入れた奴もビックリだろうな……)
 それから、拳銃も取り出して手に持ち、催眠ガスがすぐ出るよう黒鞄を操作しておいた。
 と、突入の準備をしつつ覗いていた倉庫内、人力車の陰から杏奈が飛び出す。やはり杏奈は、まだ人力車に乗っていたのだ。
 すぐ次の瞬間、
(! )
 杏奈に最も近い位置にいた中川一派の一人の手が杏奈に追い縋って、ドンッと突き飛ばすように乱暴に人力車の座席に戻した。
 是結の鼻の奥と言おうか眼の奥と言おうか、あるいはこめかみの内側と言おうか、その辺りが、カアッと熱くなった。
 一瞬、何も考えられなくなり、戸に拳銃を持つほうの手を掛けて、中に飛び込むべく大きく開こうとする是結。
 直前でハッとし、踏みとどまった。
(何やってんだ、オレは……。らしくないな……)
 一度、戸から手を放し、深呼吸。
 そしてあらためて戸に手を掛け、バンッと勢いよく開けて、同時、黒鞄を持つ手の人指し指だけを伸ばして右釦を押し、催眠ガスを噴出させる。
 シュワーッと、かなりの勢いで噴き出るガス。
 モクモクと空中に充満し、視界をかすませるほどだ。
 これは、是結も考えていなかったほどの量。
(吸い込まないようにしなきゃな……)
気をつけつつ拳銃を片手で構え、倉庫の中へと一歩、踏み出す。
 倉庫内がザワつき、中川一派の視線が是結に集中する。
 杏奈も人力車の陰から覗き、
「…あなたは……! 」
是結の正体に気づいたらしく、声を上げた。
 是結は杏奈向けに、拳銃を持つ手の人指し指を立てて唇にあて、片目を瞑って見せて黙らせてから、また一歩、歩を進める。
「貴様! 何者だっ! 」
 気色ばんだ一派の面々が集まって来た。
(何者……)
 何と答えようかと、是結は一派を銃で牽制しつつ、ちょっとだけ考え、渋めの声を意識し、軽く気取って、
「オレの名はジゴマ。怪盗ジゴマ。お前たちの盗んだ少女を盗み返しに来た」
 一昨年輸入されて大当たりしたフランスの活動写真、ジゴマ。模倣犯が続出したなどの理由で昨年10月に上映禁止となり、実は是結は観ずに終わったのだが、その主人公の名を借りてみた。
「ふざけやがって! 」
 余計に怒り出す一派の面々。
 ある者はたまたま足下にあった角材を手に持って振りかざし、帯刀していた者は抜刀し、何も無い者は拳を握り、是結に向かって来た。
 是結は、一派の者それぞれの自分に到達する順番と時間の差を見極めるべく、面々を見据え、身構える。
 直後、バタン。
 バタバタバタ……。
 一派の面々は次々と倒れていき、やがて、全員が倒れて眠った。催眠ガスが効いたようだ。
(…やれやれ、やっと効いたか……)
 是結は大きな溜息。
(モクモクと見た目が凄いわりに遅っせーよ……)

 拳銃を黒鞄に仕舞い、是結は人力車のほうへ。
 二人乗りの人力車の広めの座席に、顔だけ少し横に向けてうつ伏せで眠る杏奈。
 こんな騒ぎの中、その寝顔は安らかで美しく、是結の心もフウッと和む。
 是結は暫し、その寝顔を眺めた。
 催眠ガスの効果が如何ほどのものか分からず、中川一派の面々がいつ起き上がってくるか知れないため、出来るだけ早く杏奈を連れて逃げなければならないのだが、今日の昼間に屋根裏から見た杏奈の様子を思い出し、抱き上げたりすることで、この穏やかな眠りを邪魔してしまうことになるかも知れない、寝かせておいてやりたい、と、躊躇ったのだ。
 その時、
「…是結、さん……」
杏奈が姿勢はそのままに口を開いた。
 是結は、特に触ったりなど刺激を与えていないのに、もう起きたのかと、ドキッとし、咄嗟に、転がっている一派のほうを確認する。
 一派の面々も、もう起きるのではないかと。
 しかし、目を覚ました様子の者はおらず、ホッとして、だが急がねばと、是結は杏奈に視線を戻した。
 その視線の先で、杏奈は、先ほどと変わらぬ安らかな寝顔。静かに、だが寝息までたてている。
(…寝言だったのか……)





 雪は、是結が杏奈を背負って倉庫を出た時には既にやみ、空には大きな月が出ていた。
 真新しい雪を踏みしめながら、片腕で背中の杏奈を支え、もう片方の手で自転車を操り押して、舘の入院している病院へと歩く是結。
 胸には、一つの決意。
 月光が、積もった白銀に反射して、街灯など要らない感じだ。
(このまま……)
時が止まればいいのに、と、是結は思った。
 杏奈の香りに包まれ、背中にその温もりを感じて……。



零零七式~ロージアより愛をこめて~ (12)


            *


 もう少しで病院に到着するという頃になって、是結の背の杏奈はムクッと頭を持ち上げた。
 そして、
「えっ? あっ、嘘っ! ごめんなさいっ! 」
背負われていることに気づいたようで、軽く暴れて背から下りる。
 途端、まだ催眠ガスの効き目が残っていたのか、膝がカクンとなって崩れそうになり、
(! )
是結が咄嗟に受け止めた。
「大丈夫か? 」
 是結の問いに、杏奈は、
「あ、は、はいっ、ごめんなさいっ! 」
薄暗い中でも分かるほどにハッキリと顔を赤らめ、慌てた様子で是結の腕から身を起こす。
 が、また、カクン。再度是結が受け止める。
 申し訳なさそうな様子の杏奈。
 是結は、
(可愛いなあ……)
それを愛しく見つめた。
 足下がおぼつかず歩くのは大変そうに見えたため、是結は、また杏奈を背負おうとするが、重いだろうし申し訳ないからと断られ、肩を貸して歩いた。
(重くないし、別に、申し訳なくも無いんだけどなあ……)





 病院に着くと、門の前に、静子と車夫の姿が無かった。
 その無事を心配しつつ、是結は杏奈と共に病院の中へ。
 催眠ガスの効果は、ほぼ切れたようで、杏奈は、ゆっくりだが是結に支えられることなく歩く。
 舘の病室のある2階へ行くべく階段へと歩く途中、煌々と明かりのついた処置室の前を通り過ぎざま、何の気無く中を覗くと、ベッドの上に車夫が横になり、医師の手当てを受けていた。
(…良かった……)
是結はホッとする。
(じゃあ、きっと静子さんも、どこか別の部屋で休ませてもらってるか、それか、静子さんは元気だったから、舘先生の部屋にいるか、だな……)

 階段を上り、廊下を進んで突き当たりが舘の病室。
 杏奈が入口の戸を、ゆっくり3回叩いて先に立って入り、是結が続く。
 と、
「まあまあまあまあまあまあ! お嬢様っ! 」
静子が2メートル近く離れた舘のベッド脇からふっ飛んで来、ギュムッと杏奈を抱きしめた。その目には、うっすらと涙。
 一方、ベッドの上で勢いよく半身起き上がった舘は、直後に顔を歪めて再びベッドに沈んだ。傷に響いたのだろう。
 そんな舘に、
「まあ! 旦那様っ! 」
静子は杏奈を離して駆け寄る。
 その静子に対して、舘は、大丈夫、といったように小さく手のひらを見せてから、つい数秒前のようにならないよう見るからに意識してゆっくりと起き上がり、ベッドの上から、杏奈に向けて両腕を広げた。
「…お父様っ……! 」
杏奈は涙声で呟き、舘に向かって、タッと駆け出す。もうすっかり、催眠ガスは抜けたようだ。
 そうして舘の胸に飛び込み、頬をその厚い胸に寄せる。
 舘のほうも、杏奈が傷に触れてしまったのか、一度、ウッとなってしまってから、杏奈を包み込み、その髪に鼻先を埋めて杏奈を呼吸した。
 是結はそんな、年頃の娘とその父親らしからぬ舘親子を、少しの羨望を持って眺めた。
 羨望……是結が密かに想いを寄せる杏奈を堂々と抱きしめられる舘に? いや、どちらかと言えば、舘のような尊敬出来る父を持つ杏奈に対して……。
 ややして、舘は杏奈を離し、真っ直ぐに是結を見つめて、
「是結君! ありがとう! 何と礼を言ってよいか……! 」
涙ぐみ、実に舘らしい熱い調子で言う。
 その隣で、杏奈もペコリと頭を下げた。
 それを、
「いえ、礼など……」
是結は小さく儀礼的に笑んでかわした。
 心に余裕が無いため、そのような態度になった。
 是結には、舘に伝えなければならないことがある。
 それは、舘親子を救うため、どうしても必要なこと……舘に、自分の正体を明かさなければならない。
 正体など明かせば、その瞬間に舘親子との関係は終わりを迎える。
 是結はずっと、舘親子を欺き続けてきた。舘親子にしてみれば、それは立派な裏切り行為であり、これまで目を掛けてくれていた分、酷く傷つけることは避けられず、到底許されるものではない。
(いや、別に、どうしても必要、ってわけじゃないか……)
 そう、どうしても必要なのは、ピンを手に入れること。その手段は、当初の考えどおり、盗むので構わない。そのために自分の正体を明かすことなど不要だ。
 全ては、是結の気持ちの問題。
 舘親子を欺いたままになるのが嫌だった。嫌われても、この二人には、最期ぐらい本当の自分として向き合いたかった。
 最期ぐらい……。そう、最期。
 先程、是結が思いついた、舘親子を救える「これしか無い」方法。それは、他に被害が及ばないよう団長室の正方形の下の空間で、中川と中川一派を巻き込み、ロージア壱号を爆発させるというもの。そうすれば、爆弾製造の証拠は残らず、爆弾そのものも無くなる。そして、中川と中川一派もいなくなるため、今後、舘親子に危害が及ぶことも無い。唯一の欠点と言えば、自分も死んでしまうことだ。
(まあ、これだけの条件が揃ってるんだ。贅沢は言えないよな……。けど、だからせめて、本当の自分として……)
 だから、伝えようと、正体を明かそうと、杏奈を救出した後、病院に向かって歩き出した時には決意していた。……はずだった。
 だが、いざ舘親子を目の前にしたら、迷いが出て来た。理由は、大まかに分けて二つ。
 一つは、舘親子との関係が終わることへの名残り惜しさ。もう会うことが無くとも、永遠にその温もりを、たとえ偽りでも、大切に胸に抱いているのも悪くないと思い始めた。
 もう一つは、舘親子を傷つけてしまうことへの抵抗感。最期くらい本当の自分として、など、完全に自分の我儘なのに、それで舘親子を傷つけてよいのか、と。知らないなら知らないままで済むのに、傷つけない方法もあるのに、救いたいと望みながら自ら傷つけるのは違うのではないか、と。
 そこへ、
「ところで、静子さんから聞いたんだが、杏奈を連れ去ったのは薔薇の団の者だったと……。そうだったか? 」
舘が難しい表情になって口を開いた。
 迷い、悩んでいた是結は、舘が話し始めたことで自分の責任でなく決断が先延ばしにされ、内心ホッとしてしまいつつ、
「はい。中川一派の方々でした」
「…中川か……」
舘は、片手で両目を覆い俯き、小さく首を横に振りながら深い溜息。
「俺のせいだな……。俺が、中川たちの努力を踏みにじるような真似をしたから……。中川たちに申し訳なかったのももちろんだが、そのために杏奈を危険な目に遭わせ、是結君にも迷惑をかけた……」
 両目を覆っていた手が、力なく重力にまかせて下ろされる。そうして露になった瞳は、自己嫌悪に満ちていた。
(…この人は……)
本当に真っ直ぐで、優しい人だな、と是結は思った。そして、自分には厳しい。
「僕は、先生から迷惑なんてかけられてないですよ? 」
 是結は自らの意思で杏奈を助けに行ったのだ。迷惑などかけられてはいない。むしろ、舘親子の役に立てて嬉しかった。それに、他人との意見の相違も、自分自身の考え方が時間の経過とともに変わっていくことも、仕方のないことで、舘が悪いわけではない。
 是結がそう言うと、舘、明らかに作った笑みで、
「そう言ってもらえると、気持ちが楽になるよ」
 沈黙が流れる。いよいよ決断の時であると、是結は心を引き締める。後悔の無いように、よく考えろ、と。
 だが、心のどこかで、まだ、決断を先延ばし出来る何かを求めていた。
(…この期に及んで、オレは……)
そんな自分を情けなく思う是結。
 しかし、求めるまでもなく、
(あ……)
是結は思い出した。曽根から託されたケーキのことを。
(まずいまずい)
完全に忘れていたそれを、是結は黒鞄から取り出し、
「舘先生、これを」
舘に手渡した。
 もう長い時間が経ってしまったため、すっかり冷めてしまっていたが、包みの上から持った感じでは、鞄の中で揺られ続けたために崩れてしまったなどの様子は無く、忘れていて全く意識していなかっただけに取り出す瞬間には心配したが、ホッとする。
 ケーキの包みを受け取り、舘は、開けてみなくても中身が分かったようで、
「お茶にしよう」
言って、包みを静子に渡し、                        
「4つに切ってきてくれ」
「私も頂けるのですか? 」
今、この場にいるのは4人。それで4つに切ってこいということは、と、驚いたふうを装う静子。
 しかし、本当に驚いている感じではない。おそらく舘家では、家政婦もお茶を共にすることが珍しくないのだろう。
 そんな些細なところからも舘親子らしさを感じ、微笑ましさに笑みが零れるのを禁じ得ない是結。
 静子は、お茶の用意のため給湯室へと、病室を出て行った。
 静子を何の気なく見送る是結。同じく見送っていた杏奈より先に見送るのをやめ、視線は自然と杏奈へ向く。
 その時、杏奈が突然、バッと、特に何も無いはずの杏奈自身の背後の壁を振り返った。
(? )
つられて見る是結。だが、やはり何も無い。
 杏奈は眉間にシワを寄せ、
「何の音? 」
(音? )
音は当然、色々と聞こえるが、眉間にシワを寄せなければならないようなものは聞こえない。
 舘を、父親を襲った者の正体は分かったも同然だが、その分かったきっかけが、自分が誘拐されたため、など、余計に、色々な音や気配に敏感になって当たり前かもしれない。
(…そうか……! )
是結は気づいた。自分の正体を明かすことは、完全に自分のためなどではなく、舘や杏奈のためにもなると。
 それは、正体を明かさなかった場合と比べての、絶対的な安心感の違い。
 どちらにしても救われることに変わりはなくとも、自分の本当の立場であれば、正体を明かした上で安全を約束することで、安心を与えることが出来る、と。
 是結は決断した。
 小さく息を吸って吐き、気持ちを落ち着けてから口を開く。
「舘先生。実は、先生にお話ししなければならないことがあるんです」
「ん? 何だ」
 誠実な態度で是結の次の語を待つ舘に、是結は背広の胸ポケットから情報部の身分証明書を出し、見せる。
「…帝都情報部特権諜報員、是結翻人……」
舘は声に出して読み、驚いた様子で表情を険しくし、是結を見た。
 そんな舘に、是結、
「薔薇の団が爆弾を製造しているという情報を掴み、その事実確認目的の潜入捜査のため、舘先生に近づきました。すみません」
頭を一度、深く下げてから上げ、
「しかし、先生に爆弾を使用する意思が無く、この先は製造を許可されることが無いと思われる以上、僕は、薔薇の団で爆弾の製造が行われていたことを、上に報告するつもりはありません。僕はただ、先生と杏奈さんをお護りしたい。僕を信じて、ロージア壱号のピンを預けていただけませんか? 預けていただけるなら、お二人の安全をお約束いたします」
真っ直ぐに舘を見つめて答えを待つ。
 その視線を静かに受け止める舘。
 病室内に、重い沈黙が流れる。
 ややして、舘は小さく一つ、息を吐き、
「今日の是結君は、いつもと随分、雰囲気が違うが、何だか、このほうが、しっくりくるなあ! 」
おおらかに笑った。それから、枕の下をゴソゴソと探り、何やら掴んだらしく握った手を、是結の前に突き出した。
 条件反射で、その手の下に自分の手のひらを上に向けて出す是結。
 舘が握った手を解くと、そこから、ロージア壱号のピンが落ちてきた。
「先生……」
呟く是結。
 舘は無言で静かに、しかし力強く頷いてから、
「だが、俺たち親子のために君が危険を冒すようなことは、ないようにしてくれよ! 」
「はい、ありがとうございます」
是結は強く強くピンを握りしめた。





 もうすぐ茶の用意ができるのだから茶ぐらい飲んでから行くよう舘は言ったが、是結は、それを遠慮し、ピンを受け取って早々に病室を出た。
 是結には、舘親子の作り出す空気は温か過ぎるのだ。茶など一緒に飲んでいては、気持ちが揺らぐ。
 ずっと、舘や杏奈の傍で生きていたくなる。
 だが、それでは舘親子を護れない。ロージア壱号を爆発させる、あの方法しか、きちんと護りきれる方法は無いのだ。

 夜の病院の冷たい廊下を、玄関へと歩く是結。
 と、背後から、
「是結さん! 」
杏奈の声。
 振り返ると、杏奈が息を弾ませながら駆け寄って来、
「あのっ」
息を整えてから頭のリボンを解き、是結に差し出した。それは、最初に会った時、是結の腕を止血した赤いリボン。
「私、本当は是結さんについて行きたいのですけど、是結さんは駄目とおっしゃるでしょうから、これを、私の代わりに連れてってください」
 杏奈は考えすぎの部分もあるが勘が良い。初めて出会った時に是結が怖い顔で杏奈を追い払おうとした真意や、加賀への贈り物を買いに行った際「贈り物……。どなたへですか? 」との杏奈からの質問の後の一瞬の間の機微に気付いたらしいことなど……これまでのことから、そう、是結は思う。その勘の良さで、是結がこの後、何をしようとしているのか、もちろんちゃんとは分からなくとも、危険なことをしようとしていることぐらいは気づいたのだろう。
 杏奈の一生懸命な様子があまりに愛しくて、気持ちが揺らぐのを感じた。もっと、ずっと一緒にいたいと願ってしまった。
 頭では分かっている。愛しいならば、大切で護りたいならばなおさら……。
「ありがとう」
自分の弱い心と戦いながら言って、是結は受け取る。
 杏奈はまっすぐな瞳で続けた。
「次にお会いした時に、お返しくださいね」
 是結はあいまいに笑って返事の代わりとする。



零零七式~ロージアより愛をこめて~ (13)




          * 7 *


(よかった。あった……)
昨晩に舘から受け取ったピンをズボンのポケットに忍ばせた是結は、夕方、一番乗りになれる程度に早めの時間に、いつもどおりの変装でロージアへ来、団長室の正方形の下の空間で、そこにロージア壱号本体があることを確認した。
 ロージア壱号は、以前、完成したばかりの時に舘と共に見に来た時と変わらず、部屋中央の作業台の上に置かれている。
(これが無けりゃ、話しになんないもんな)

 是結は、今ならばそこにあるロージア壱号が、肝心な時に中川や或いは誰か他の人の手で移動させられて、どこにあるか分からなくなっては困ると考え、持参した風呂敷に包み、もともとの自分の持ち物である黒鞄で片手が塞がりもう片方の手は梯子を掴まなければならないことから、背に負って持ち出した。
 完成時の中川の説明に拠れば大丈夫なはずなのだが、思わず、そーっとになってしまいながら……。



            *


 ロージア壱号本体を、一旦、地下2階の納戸の隅に風呂敷包みのまま他の荷物の陰に隠れるように置き、是結は、階段を地下1階へと上った。
 すると、たった今、地上1階から下りて来たところか、中川が階段付近から演壇方向へ歩いて行くのが見え、
「中川さん」
その後ろ姿に声を掛けた。
 足を止め、振り返る中川。
 是結は小走りで中川のところまで行き、
「ロージア壱号のピンが手に入りました」
耳打ち。
 中川は感情の読み取れない無表情な目で是結を一瞥。
 是結は続ける。
「今日、いつもご一緒の12名の皆さんも揃われますか? 薔薇の団の今後について、お話したいんです」
 すると中川は、それまで何の感情も無かった目に、意地の悪い光を浮かべ、
「舘の犬が、何を企んでいる? 」
 剥き出しの敵意に、是結は驚いた。これまで中川について冷静な人であるとの印象を持っていたためと、ピンを手に入れるべく舘を襲ったり杏奈を誘拐したりしたが上手くいかなかったことでの苛立ちによる八つ当たり気味ではあるかも知れないが、中川の中での是結の位置づけに……。
 舘親子を救うために是結が昨日、思いついた方法・名付けて「ロージア壱号爆発作戦」を実行するためには、中川とその一派全員を例の団長室の正方形の下の空間に呼び出さなくてはならないのだが、それが難しいことであるとは思っていなかった。ピンの存在をチラつかせることで、簡単につれる計算でいたのだ。
(そりゃ、舘の犬、とか思われてるなら、疑わないほうがどうかしてるってもんだけど……)
 是結は、自分がここまでハッキリと中川にとって敵だとは思っていなかった。中川は、舘が是結を初めてロージア内へ連れて入った時から、是結を疑っていたようではあったが、是結はこれまで、薔薇の団や中川に全く危害を加えることなく過ごしてきたのだ。もう信用されていると思っていた。
 自分はロージア内にいる時はほとんど舘と一緒にいるため舘派に分類されているが、薔薇の団の派閥など、一応、程度のもの。中川との関係は、同じく地下2階に出入りする、薔薇の団に深く関わっている者同士、と、是結は位置づけていたのだ。
(…さて、どうしたもんかな……)
先ずは中川を信用させるところから始めなくてはならなくなった。
 急いで頭を働かせる是結。
 その時、突然、中川がクックックと笑い出す。
(っ? )
思わず思考を停止させ、是結は中川を窺った。
 中川、笑いを含んだまま、
「まあ、いい。1人は遅くなるから、全員揃うのは7時半頃だ」
その瞳は挑戦的。
「それで、どこで話す? 議場でいいのか? それとも何処か、ひと気の無いところのほうがいいのか? 」
 仮に是結が本当に何か企んでいたとしても、自分たちは13人、対する是結はたった1人なため、問題は無いと判断したのだろうか。
 中川の意外な返答に是結は、中川のほうにも逆に何らかの企みがあるのではと怖さを感じ、胸が騒いだが、とにかく、正方形の下の空間に中川と中川一派全員を呼び出せさえすればよいのだ。全員集まれば、その瞬間、全てが終わる。何らかの企みなど、行う隙など与えなければいい。
「あ、じゃあ、ロージア壱号を製造していた、例の、団長室の床下の部屋で。まだ他の人たちに聞かせる段階ではないと思うので」
「分かった」



             *


(やれやれ……)
地下2階の納戸内、風呂敷に包んだロージア壱号の隣の床の上に、是結は大きく息を吐きながら腰を下ろした。
 加賀に、爆弾製造の事実の有無について、事実無しと連絡を入れなければならなかったためと、中川と中川一派相手のいよいよの時に備えて、別に今も落ち着いていないわけではないが、より気持ちを落ち着けたかったため、ひと気の無いこの場所を選んで、中川との約束の時間までを過ごすことにしたのだ。

 通信を始めるべく黒鞄を置くのに、是結は、手近に丁度良い木箱を見つけ、その上に置く。
 直後、鞄の突起の先端が点滅しだした。着信だ。突起を伸ばして鞄を開き、通信機の釦を押す。
「私だ」
通信機の向こうから、加賀の声。
 途端、
(っ?)
是結の鼻の奥がツンとなった。
(…何だ……? )
何故かは分からないが、泣きそうになった。
 加賀が続ける。
「昨日は連絡を寄越さなかったな。こちらに、舘努が怪我をして入院したとの情報が入ったのだが、まさか、変なことに巻き込まれているのではないだろうな? 」
 是結は、ともすれば震えてしまいそうになる声を抑え、
「えーっ? 変なことって何っすかー? そんなの起こってませんよー。大丈夫ですってー」
何とか軽く返す。
「そうか、なら良いが」
 自分が泣きそうであることに加賀が気づいていないようであることにホッとしつつ、是結、
「僕のほうも、今、連絡をしようとしてたとこなんですよ」
「そうだったのか。何だ? 」
「爆弾製造の事実は無しと、はっきり確認できました。以前の通信時に気に掛けておられた人の出入り可能な大きさの場所は、単なる床下収納でした」
「そうか、良かった」
通信機の向こうで、加賀がホッと息を吐く。
「これで任務完了だな。ご苦労だった」
 加賀の言葉に、是結は、はいと返し、それから急に、付け足したくなった。「ありがとう」と。色々な意味を込めて。少し不自然な気もするが……。
 だが、言おうとしただけで、込み上げてくるものがあり、是結は困る。
 それでも、言いたい。伝えたい。
 是結は深呼吸を繰り返し、一生懸命気持ちを落ち着けて、口を開いた。
「ありが……」
しかし、声に出した瞬間、これまでの中で最も強い鼻の奥のツンが来て、言葉が詰まる。涙が溢れる。
 是結は慌てて、
「とう、ございま、した……! 」
言うだけ言い、通信を切った。
 言うだけ言って切った勢いで鞄も閉めると、突起の先端が着信を知らせて点滅しているのが見えた。
 この通信機に連絡をしてくるのは、加賀だけ。加賀が、是結の様子がおかしいと感じ、切られてすぐに再度連絡してきたのだろう。
 点滅し続ける突起の先端。無視し続ける是結。
 加賀が通信機の釦を長押ししながら、零零七式応答しろ! 零零七式! 是結! 何をしている馬鹿者がっ! 早く出ろっ! などと通信機相手に怒鳴っている姿が目に浮かぶ。
 心配されている。大切にされている。愛されている。
 是結は涙が止まらなくなった。
(…ゴメン、部長さん……。オレは……)
愛されて生きるより愛して死にたい。
(…考えてみたら、オレ、部長さんには甘えてばっかだったな……。爆弾製造の事実無し、なんて、最後の最後まで嘘ついて……。それでもきっと部長さんは許してくれるって、どっかで思ってて……。今までだって、そんなのを繰り返してきてて……)
舘や杏奈相手には、潔癖なまでに、欺いたままになるのが嫌だと感じたことを思い、
(何でだろうな……)
是結は天井を仰ぐ。
(勝手だけど、オレは、そんな部長さんとの関係が気に入ってて、まあ、それは楽だから当たり前かもしれないけど、でも実は、部長さんのほうだって、まんざらでもないんじゃないか、なんて、変な信頼感があったりして……)
 是結の脳裏を、是結が最後に会った時の姿、誕生日祝いとして贈ったパラソルを肩を支えに斜めに差した姿の加賀が、少女のようにクルッと回って過ぎった。……加賀の姿を思い浮かべようとした結果だ。是結はクラッと目まいを感じる。同時に涙が止まり、乾いた笑いが込み上げてきた。
(あの贈り物は失敗だったな……。本人は喜んでたけど……)
 続いて、加賀への贈り物を買うべく杏奈が付き合ってくれた時のことが思い起こされた。是結に同行したいと上目遣いで是結を窺う杏奈の可愛らしかったこと、冷たくて甘いアイスクリーム……。そう言えば、杏奈には、母への贈り物だと言ってあったこと……。
(…母、か……。あの贈り物を買う時には、咄嗟に、何となくそう言ったけど、オレと部長さんの関係って……)
 是結には母がいた経験が無いが、もしいたら、加賀みたいな感じなのではないかと思った。
 周囲にいた母親のいる者たちの話から是結が勝手に想像した母親像は、優しくて、優しいから心配性で、心配性だから口煩い。……まさに加賀。
(…親離れの時が、来たのかもな……)
愛される生き方から、愛する生き方へ。是結の場合、そのために、巣立ってすぐ命を落とすなどという親不孝をすることになったのだが……。
 愛することを知って、護りたい者が出来て、生きてるって素晴らしいと、今更思う。生きていることは一つの現象……そんな言葉では表現しきれない。愛する人が生きていて、自分も生きているから、その愛しい姿を目の前で見られる。……本当に、素晴らしい。
 加賀に愛され護られて生きてきた今まで。これからは、特に何事も無ければ杏奈を愛し護って生きていったはずだった。
 そう、何事も無ければ……。
 命を賭さなければ護りきれない状況になったため、今日、是結は杏奈を護って死ぬ。 


零零七式~ロージアより愛をこめて~ (14)

            *


(…さて、そろそろ行くか……)
午後7時20分。是結は、風呂敷に包んだままのロージア壱号を、今はまだ片手が空いているが、予め背負って、地下2階の納戸を出た。
 廊下を歩きながら、これから死に向かうというのに、是結は何だか清々しい気分になっていた。
 きっと、殉教者というのは、こういう気持ちなのだろうと思った。死によって、自分の信仰が完成される……是結は、愛の殉教者だ。

 団長室に入り、扉をしっかりと閉め、扉の内鍵をする。
 背後で、床の正方形がパカンと跳ね上がった。
 下の空間へと下りるべく、開いた正方形に近づき、しゃがむ是結。と、下から人の気配を感じた。
(もう誰か来てるのか……)
 いよいよかと緊張しながら、是結は梯子を下り始めた。数段下りたところで腕を伸ばし、正方形の蓋を閉める。自動的に団長室入口が開錠した音が聞こえた。
 是結は、下からの人の気配について、誰か、というように表現したが、それほど大人数の気配には感じられなかったものの、既に全員揃っていることも考えられなくはないため、それに備えて、出来るだけ早くロージア壱号を起爆できるよう、黒鞄を小脇に抱える格好にして、ズボンのポケットの中のピンを空いた手で握った。

 下の様子が見える位置まで梯子を下りたところで、是結は驚く。
 そこに舘がおり、目が合ったのだ。
 まだ他には誰もおらず、舘がひとり、梯子の真正面、梯子を下りて来る者を待ち構えているかのごとく梯子のほうを向いて腕組みをし、作業台の縁に座るように寄りかかって立っている。
(…舘先生……。どうして……)
「是結君」
梯子から完全に下りきった是結を、舘は、台に寄りかかったまま見据える。
「君の背中のそれは、ロージア壱号だな? そんな物を持って、何をする気だ? 」
 俺たち親子のために君が危険を冒すようなことは無いようにしてくれと言われてピンを預かった手前、返答に困る是結。
 答えないでいると、舘は小さく息を吐き、
「さっき、君のお母さんが俺の病室を訪ねて来てな。とても慌てた様子で、電話で会話をしていた君の、電話を切る間際の様子がおかしかったが、何か心当たりは無いか、と」
(……「お母さん」? )
 舘は続け、
「それで、俺は君の行きそうな場所はここぐらいしか知らないから来てみて、そうしたら、君が中川たちをこの部屋へ呼び出したらしいことを小耳に挟んだんでね」
そこまでで一旦、言葉を切り、是結を見据える目に力を込めた。
「ロージア壱号かピン、どちらか片方、こっちに渡してもらえるか? 」
 何をする気だ? と聞いておきながら、どちらか片方、というあたり、是結が何をしようとしていたのかなど、お見通しだと言っているようなもので、是結はバツの悪さを感じた。
 舘は、
「渡してもらえるか? 」
繰り返す。
(今、どっちかを渡したら、きっと……)
渡したほうの物は、もう二度と手にすることは出来ない。それは、せっかくの作戦を諦めることを意味する。……そう思うと、是結は、舘の言うまま素直にどちらかを渡すことが出来ない。
(そりゃあ、先生がいたんじゃ、どのみち爆発はさせれないけど……)
この作戦が駄目になってしまったら、どうして舘親子を護ればよいのか分からない。
 渡すことを躊躇う是結に、
「是結君」
舘は、距離のあるその場から手のひらを上にして差し出し、低い声で、
「渡しなさい」
高圧的に言う。
 一切の抵抗を許さない、絶対的な威圧感を感じる是結。
(…何だ? この感覚……)
そんなものを感じたのは初めてだ。
 怖いわけではない。ただ何となく、逆らえない。
 まだ自分自身の中で納得できないまま、躊躇ったまま、是結はのろのろと舘に歩み寄り、上にして差し出されている手のひらにピンをのせた。
 舘はピンを握りしめ、確認したように頷き、それから、
「いい子だ」
是結に貫禄の笑みを向ける。発する空気が、フッと和らいだ。
「是結君の、俺たち親子を護ってくれようという気持ちは嬉しかった。ありがとう」
そう礼を言った上で、舘、一度鼻の頭を掻き、ただな……と、言い辛そうに続ける。
「君は、まだ若い。俺が君だったら、もう少し上手に俺たち親子を護れる。……少なくても、君が死なずに済む方法でな」
 やはり、お見通しだった。
「どうだろう、この件は俺に預けてくれないだろうか? ……って、まあ、もともと俺の問題なんだが」
 是結は頷く。ピンを舘に渡してしまった今、これからここに来るはずの中川と中川一派に対して自分が出来ることは何も無いし、それに、自分が「これしか無い」と思った方法以外の方法……舘がどうするつもりなのか、見てみたかった。
 ピンも作戦も完全に自分の手を離れたためか、是結は、急にロージア壱号本体をズッシリと重く感じ、舘の斜め背後、作業台の上に置く。
 満足げに頷き返す舘に、それにしても……と、是結は思った。
(よく、ここに下りて来れたな……)
昨日の晩の様子、不用意に起き上がることや杏奈に抱きつかれるだけで傷に響いていたような状態の昨日の今日で、梯子を使って、など……。
 しかし、
(あ……)
是結は偶然見つけた。受け取ったピンをズボンのポケットに仕舞うべく軽く上体を捻り、仕舞って、息を吐きながら再び元の姿勢に戻った舘のこめかみ辺りから、汗が伝うのを……。
(汗……。そうか、無理して……。オレの「お母さん」? に言われて……? オレを、心配して……? )

 その時、頭上で、正方形の開いたらしい音と、話し声。梯子を下りる複数人分の音。
 梯子を振り返った是結の視界に、ややして現れたのは、中川一派のうち一人。梯子の途中まで下りて来、恐らくたまたま是結と舘のいる方を向いて、固まり、直後、中川や同じ中川一派の仲間がいるであろう上を仰いで、小声であったため是結にはきちんと聞こえなかったが、「団長がいるから下りないほうがいい。上に戻れ」というようなことを言った。しかし、中川からでも下りるよう指示があったのか、渋々下り、他の者も続く。
 中川一派の1人、2人、3人、間に中川を挿んで、4人、5人、6人、7人、8人、ほんの少しの間を置いて、9人、10人、11人、12人。是結が何かを仕掛けてくるのに備えてか、全員が帯刀している。
 当初の作戦では、ここ、13名全員が下りてきた時点で、是結がロージア壱号本体にピンを挿し、全てが終わったはずだった。
 12名全員下りてきた中川一派は、誰も梯子から離れようとせず、ゴチャッと固まっている状態。
 中川がひとり、そのゴチャッから抜け出し、一派を庇うように彼らの前に立つ。
 緊張した面持ちで舘を見つめる中川。
 それを静かに受け止める舘。
 重い沈黙が流れる。
 沈黙を破ったのは、舘の大きな溜息だった。
 舘は作業台から身を起こして、ゆっくりと中川の正面50センチメートルほどまで歩き、足を止めた。
 その場を預けはしたものの、舘は怪我人。対する中川たちは普通に元気な状態の13名。さすがに心配で、何かの時にはすぐに動けるよう、舘に合わせ、その場の全員の表情の分かる位置に、是結も移動する。
 舘は、中川の目の奥を真っ直ぐに覗き、
「昨日の夜、俺の娘を攫ったのは君たちであったと聞いたが、本当か? 」
 中川は目を逸らして、人を小馬鹿にしたような嫌な笑み混じりに、
「馬鹿馬鹿しい。誰がそんなことを? 」
「俺の入院している病院前で娘が攫われる時に一緒にいた、うちの家政婦と」
言いながら、是結に視線を流す舘。
「今、ここにいる、是結君だ。是結君が、攫われた娘を奪い返してきてくれたんだ。当然、犯人の顔を見ている」
 すると、一派の中の一人が、はあっ? と声を上げた。
「何、言ってんすか! 昨日の夜、自分らのとこへ娘を奪いに来たのは、自分のことを『ジゴマ』なんて名乗る黒仮面のふざけた野郎で、是結じゃないっすよ! 」
 慌てた様子で一斉にその一人を見る、一派の残りの面々。
 是結は呆れる。
 中川も呆れ返った表情で、ほとんど声には出さず、口の動きだけで、馬鹿、と言った。
「そうか。やはり君たちだったんだな……」
舘は、悲しげな目で深い深い溜息を吐く。
「一昨日、闇夜に紛れて俺を襲撃したのも君たちなのか……? 」
 再び流れる沈黙。
 中川が両の手を拳に握って俯き、震えだしながら、
「…だって……。…だって……」
と、よほど注意深く聞こうとしなければ聞こえないような、小さく掠れた声で繰り返す。
 「だって」……それが舘の質問に対する答えならば、それだけで、襲撃を認めたことになる。
 小さく掠れた「だって」を数回繰り返した後、中川は、感情が昂った様子でバッと顔を上げて舘を見、
「だって……! 」
大きな声を発した。
 瞬間、舘の右手が中川の顔のほうへとスッと伸びた。
 反射的にビクッとする中川。殴られると思ったのだろう。
 だが、舘の右手は中川の顔の横を通過し後頭部へと回って、その頭をグイッと舘の胸へと引き寄せた。
 驚いたように目を見開く中川。
 舘は、空いている左手を中川の背に回し、両腕でしっかりと中川を抱きしめる格好で、
「言わなくていい。大丈夫だから。分かってるから。君は悪くないから」
力強く、しかし優しく、言い聞かせるような口調で言う。
「……悪いのは、俺だ。俺が、君たちの努力を踏みにじるような真似をしたからだ。君たちは、とても努力をしていたし、結果も出した。だが、俺の考え方が変わってしまって、それに報いることが出来なくなってしまった。本当に、申し訳なかったと思っている」
 舘の腕の中で、初め、中川は、傍から見ていても分かるくらいに全身を緊張させていたが、舘が言葉を重ねていくうち、自然な感じで力が抜けていった。
 舘は腕を緩め、中川を見つめて続ける。
「もっと早く、出来ればロージア壱号が完成したと、この部屋に呼ばれた段階で、こんなふうに話が出来ればよかったのだが、俺も、あの時は、まだ自分の考えが、爆弾を使ってもよいという考えから、大勢の無関係な人を巻き込む爆弾などは絶対に使うべきではないとの考えに変わったばかりで、そんな時に爆弾が完成したと報告されて、どうしていいか分からなくなってしまっていたんだ。上に立つ立場でありながら、俺は未熟で、そのために君たちを傷つけてしまった。…すまない……」
 中川は舘を見つめ返し、無言で首を横に振った。
 舘は更に続ける。
「この先もロージア壱号を使うことは無い。何かの間違いで使わないよう、処分しようとも考えている。だが、そこで勘違いしないで欲しいのは、俺にとって不要なのはロージア壱号であって、君たちではないということだ。、まあ、大丈夫だな? 今の君なら。…数秒前の君では分からないが……」
 そうして一度、笑みを見せてから、舘は再び真顔になり、
「中川、こんな俺だが、懲りずにこれからも共にあってくれるか? 」
 その言葉に、中川は涙ぐみながら頷いた。
(円く収まったな……)
完全に傍観者となっていた是結は、自分が命を賭けて解決しようとしていたものを言葉だけで済ませた舘に、半ば感心。残り半分は、
(けど、これって、舘先生にしか出来なかった方法だよな……? )
「俺が君だったら」などと偉そうに言ったわりには、ちょっとズルイと思った。
 しかし、
(オレは、一人で背負い込み過ぎてたんだな……)
勉強になった。
 舘親子を護るために自分のするべきことは、ロージア壱号の製造について加賀相手に「爆弾製造の事実無し」と嘘の報告をするなりして庇うだけで充分だったのだ、と。
 護りたい相手が尊敬する人物であるなら、相手を信じて、相手がどこまで自力で何とか出来るのか判断し、任せればよかったのだ、と。
 優しく中川を見つめる舘と、指で涙を拭いながら信頼しきった目で舘を見つめ返す中川……そんな二人の様子を眺めていて、二人の間に確かな絆を感じ、是結は、ほんの少しだけ妬けた。
 そして、もしかしたら、と思う。
 もしかしたら、舘が心配したのは自分ではなく中川だったのかも知れない、と。
(ま、いーけどね……)
深く大きなものになっていきそうだった嫉妬心を、是結は、咄嗟に小さく息を吐いて消化した。

 そこへ、
「あーあ! くっだらねえっ! 」
梯子の下にゴチャッと固まっていた中川一派の集団のうち一人から声があがった。
(くだらねえ? )
声の方向を確認した是結の前、
(っ! )
声の主は、腰に差してあった刀をスラッと抜き、刀の届く距離ではないその場から、切っ先を舘へと向けた。
 そして、中川の背中を見据え、
「中川さん、オレはたった今をもって、あんたの下を抜ける。こんな腑抜けた団長につくことを決めたあんたの下には、いられねえ。上に立つ二人がこんなになったら、もう、オレの知ってる薔薇の団じゃねえよ。せっかく作ったロージア壱号。そいつはオレが貰い受けて、有効に使ってやるよ」
「オレもだ」
「オレも」
「僕もっ! 」
「同じく」
「さもありなん」
次々に最初の一人への賛同の声を上げては、それぞれ刀を抜き、最終的には一派の全員が抜刀する。
 舘に向けられた12の切っ先。
 舘は中川から手を離し、その肩越しに12名を見た。
 危険を感じた是結は、舘を後方へと軽く押し退け、舘を背に庇う格好で中川との間に割り込む。
 中川が左腰に提げた刀に左手をやり、親指でカチャッと鍔を押し上げた。
 反射的に身構える是結。
 だが直後、中川は、後ろを振り向きざま抜刀し、一派を薙ぎ払った。
 一派のうち、その刃に晒される前列にいた面々は、皆、退れない梯子部分を避けて微妙にズレながら一歩退がり、中川の斬撃をかわしたり自分の刀で防いだり。その動きに、自動的に後列の位置もズレ、結果、梯子の正面が空く。
 と、中川、刀で一派を牽制し、是結に背中を向けたまま、
「是結。舘先生を連れて上へ。背中は大丈夫だ。僕に預けろ」
(…中川……)
驚き、反応が遅れる是結。
「早くしろっ! 」
噛み付くように叫ばれ、ハッとして頷き、
「舘先生」
舘を梯子へと誘導しようとするが、やはり舘は、この怪我で無理をして梯子を下りてきたり長い時間立ったままでいたりしてはいけなかったのだ。もう、立っているのがやっとで、ほとんど体が動かなくなっていた。
 そのため、是結は、舘の大きな体を腋の下で支え、ほとんど引きずるようになりながら梯子まで移動。そこからは、先ず、舘に梯子の左右の縦の棒を、舘の手の甲に自分の手を重ねて押さえるようにして、しっかり握らせ、膝を使って舘の太腿を押し上げて梯子の横棒に足を掛けさせて、腹や腰で舘の尻を押し上げることでやっと1段上り、また手を1段分移動させて握らせ、太腿を押し上げ……を繰り返して少しずつ上って行く。
 一派の面々と時折刀を合わせつつ、中川も梯子を上ってきた。
 一派も上って来、怪我人連れでない身軽な彼らは、中川に群がり、その上を乗り越えて、舘の足に手を伸ばす。
 ヒヤッとする是結だが、中川が、自分を越えて先に行った一派の足を掴んで引きずり下ろすことでそれを阻止。群がっていた面々のことも、梯子上で揉み合って、一旦、自分より下へと押し戻し、今度は、それまでよりも余分に是結や舘との距離を取るよう調節しつつ上って来る。
 途中、
(っ! )
太腿を押し上げる段階で、舘のポケットからロージア壱号のピンが落ちた。
 が、中川が咄嗟に手を伸ばして受け止め、是結に向けて、ちょっと得意げに笑む。

 何とか団長室の床面の裏まで辿りつき、蓋となっている正方形を開けて舘を床面へと押し上げ、自分も上がって、是結は、あと2段上れば頭が床面に達する位置にいる中川に手を貸そうと、蓋が開いた状態の正方形の穴の中に手を伸ばした。
 中川には、一派が群がっている。
 中川は、是結の手を借りることはせず、群がっている一派が先に上るのを阻止しつつ、1段、自力で上って来ながら、
「是結、ありがとう」
口を開く。
「舘先生と話をさせてくれるために、僕をここへ呼び出したんだろう? 」
(いや、別にそういうワケじゃ……)
是結は途惑う。何故、今、こんな時に、その話を? と。
「僕は、君を誤解していた。舘先生に可愛がられている君に、嫉妬もしていた。もっと早くに素直になって、君と接せられていたら、僕たちは、兄弟のように仲良くなれていたかな……」
(だから、何で、そういう話を? )
是結は軽くイラッとしながら、あらためて手を伸ばす。いいから早く上って来い、と。
 その手を、中川はまた無視し、
「どう思う? 」
 是結はイライラを通り越して、大きな溜息。仕方なく、
「そうですね。兄さん」
と答えてやる。
 そこで中川は、ようやく正方形から顔を出した。……かと思えば、不自然に正方形の蓋の内側の取っ手に手を伸ばし、一度、満足げな笑顔を見せるが早いか、取っ手を勢いよく引っ張った。
(! )
 止める間も無かった。
 閉まる蓋の隙間から、一瞬、一派を巻き込んで梯子から落ちていく中川の姿が見えた。
「中川っ! 」
舘が叫ぶ。
 是結は既に閉まってしまった蓋を開けるべく、大急ぎで団長室の入口の扉へ向かおうとした。
 直後、目の端に、正方形のごく細い隙間から閃光が漏れたのが映る。
(…まさか……)
正方形を振り返り、固まる是結。
 瞬間、閃光から僅かに後れて、ドンッという爆音と、下から突き上げるような震動。
(そ、んな……)
正方形の下で何が起こったのか悟る。
 正方形のすぐのところで、舘は放心状態。
 是結は、とにかく蓋を開けようと扉へ向かおうとするも、膝がガクガクと言うことをきかない。
 それでも何とか、もう少しで扉に届くというところで、背後から、パカッと微かな音。
 振り返ると、正方形の蓋が勝手に開き、中からモクモクと濃い灰色の煙が立ちのぼっている。
 ややして、煙の中から、ゲホゲホと激しく咳き込みながら、全身煤まみれの中川が這い出して来た。
 そして、舘と是結に交互に目をやり、極まり悪そうに作り笑いをして、
「ロージア壱号、失敗だったみたいです。自信あったんですけどね……」
 舘が、中川の言葉を遮るように、中川を胸にかき抱く。
 怪我も何もしていなさそうな中川の様子に、是結はホッとして、笑いが込み上げてきた。
 じゃあ、今までの事は一体何だったんだ、と、怒りたい気持ちも少しはあったが……。

 梯子から落ちる時に見事に中川の下敷きになってしまった一派の面々も、一時的に気を失っていただけで、特にこれといった怪我はしていなかったらしく、暫くして自力で梯子を上ってきた。
 ロージア壱号を中川が爆発させた瞬間には既に気絶していたものの、爆発後の今、自分が生きていることから、その失敗を知り、顔を見合わせて苦笑する一派一同。
 だが、どうしても、一度できてしまった中川との心情的な溝は深く、苦笑で済ませられないものだったらしく、揃って薔薇の団を去ることを決めた。



            *


 ロージア店内に是結の母と杏奈を待たせてあると舘から聞き、自力ではまともに歩けない舘に肩を貸しつつ、連れ立って、ロージア店内へ向かう是結。
 向かいながら、
「是結君、あまりお母さんに心配かけちゃ駄目だぞ? 」
舘は、是結に軽く説教。しておいて、
「いやー、しかし綺麗なお母さんだね。次は是非、お母さんも一緒に、うちに遊びに来るといい」
(…だから、「お母さん」って……? )
是結には、母などいない。
(「お母さん」って、誰だ……? )
ちょっと考えただけで、答えは出たが……。
 それは、舘向けに、電話、と説明したようだが、正確には通信機で会話をし、切る間際の是結が、心配させてしまうような、おかしな様子をしてしまった相手で、舘の入院先を情報として知っていそうな人物……そう、あの人だ。

 ロージア店内に出る直前、
「舘に任せておけば大丈夫ですよ、マダム」
格好つけて気取った感じの曽根の声。
 3歩歩くと、カウンター内にいる曽根の向かい側に、女性らしい柔らかな曲線を描いたドレスを身に纏い、長い髪を頭の上で巻いた貴婦人が、カウンター席に上品に浅く腰掛けているのが見えた。
 女装(? )した加賀だ。
 加賀は是結の姿を認めると、
「翻人ちゃん……! 」
涙声で言い、わざとらしく女性らしさを強調した走り方で駆け寄って来た。
(「翻人ちゃん」……? )
是結は、クラッと目まいがする。
 と、その時、
(杏奈……)
加賀が座っていた席の隣の席に、それまで加賀の陰になって見えなかった杏奈を、是結は見つけた。
 杏奈は、是結に、心の底からホッとしたように微笑んだ。
 愛しさで胸がいっぱいになる是結。
(…生きてて、良かった……! )





                                                                   
          * 終 *




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Author:獅兜舞桂
獅兜座(しっとざ)座長・獅兜舞桂(しっとまいけー)です。
よろしくお願いします。

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