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ママパン表紙(タイトルあり)
※画像素材として、
 キャラクターなんとか機様にてキャラクターを作らせていただきました。
 ニコニ・コモンズ様より、
 azyazya様・hiropon様・つのがわ様・キャベツ鉢様・
 シュガ様・漫博堂様(順不同)
 の作品をお借りいたしました。
 ありがとうございます <(_ _)>♡
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ママのパンケーキが食べたいので、私、もとの世界へ帰ります!(1)


 彼の放ったピンク色の閃光弾に、
「ピゲァァァァ! 」
「ピゲァァァァ! 」
「ピゲァァァァ! 」
「ピゲァァァァ! 」
「ピゲァァァァ! 」
ドラゴンと言うよりは大きなトカゲであるプリドラゴン(LV20)5体が、叫び声を上げてパソコン画面上から消える。
 LV298である彼にとっては、かなりレベルの低い魔物(モンスター)。
 通常ならば近づいても来ないが、現在、ゲーム内の時間が夕方で、もう辺りが暗くなり始めているため、魔物は夜になると凶暴になるという設定上、襲ってきたのだ。
「プリドラゴン(LV20)を倒しました」
「プリドラゴン(LV20)を倒しました」
「プリドラゴン(LV20)を倒しました」
「プリドラゴン(LV20)を倒しました」
「プリドラゴン(LV20)を倒しました」
「経験値を200pt獲得しました」
「経験値を200pt獲得しました」
「経験値を200pt獲得しました」
「経験値を200pt獲得しました」
「経験値を200pt獲得しました」
「ドロップアイテム・プリドラゴンの皮を獲得しました」
「ドロップアイテム・プリドラゴンの皮を獲得しました」
「ドロップアイテム・プリドラゴンの皮を獲得しました」
「ドロップアイテム・プリドラゴンの皮を獲得しました」
「ドロップアイテム・プリドラゴンの皮を獲得しました」
「2Sを獲得しました」
「2Sを獲得しました」
「2Sを獲得しました」
「2Sを獲得しました」
「2Sを獲得しました」
と、画面右側を下から上へと流れていく文字列を何となく視界に、彼、洋瀬硫黄(ようせ いおう)は大きく息を吐きつつ椅子の背もたれに上体を預ける。
 瞬間、鼻孔が甘い匂いを捉えた。パンケーキの匂いだ。
 今は、日曜日の午後3時ちょっと過ぎ。
(今日のオヤツはパンケーキか……)
 学校が休みである土・日は、いつも、母がオヤツを手作りしてくれる。ちなみに昨日は焼きイモだった。
 母のパンケーキは絶品で……と言っても、市販のホットケーキミックスを使い、トッピングも、バターとメープルシロップだけなのだが、これが何故か美味い。ふんわり厚みがあり、口に入れると、癒される素朴な甘みがある。硫黄も母の留守中に同じホットケーキミックスを用いて作ってみたことがあるが、ああはいかない。あんなに厚くならないし、味も匂いも母のもののほうが強く感じる。
 このところ反抗期なのか常にムスッとしている2歳下で中学3年生の妹・燐(りん)も、母のパンケーキを口にした時だけは表情が少し緩む。
(コーヒーの匂いもしてきたし、そろそろかな? )
 おそらく、あと5分以内に、母が1階のダイニングから、「オヤツでーす」と呼ぶ。
(…今なら、キリがいいし……)
 2時間半ほど前に昼食で休憩をとったばかりなのだが、昨晩からの徹夜のせいか、疲れやすくなっているようだ。
 徹夜の理由は、本日めでたく正式サービス開始3周年を迎えたMMORPG・スウィーツフェアリーファンタジー。略してSFF。
 そのSFFが、3周年を記念して、昨日の夜9時から今日の夜9時まで、経験値10倍イベントを行っているため。
 硫黄は背もたれに寄り掛かったまま、両腕を上げて伸びをひとつ。
 呼ばれる前に行けば、母は喜ぶ。硫黄と燐を喜ばせたくて作っているので、「匂いにつられて待ちきれなくて来た」という感じは喜ぶ。そういうものだ。よその母親は知らないが、少なくても硫黄の母は、そう。「イオくん大好きっ! 」を全面に表す、実の息子から見ても、時々ウザイがカワイイタイプの母なのだ。
 そんな母を、硫黄だって喜ばせたいし、日常的に機会がある度にそうしている。せっかく方法が簡単なのだから。……簡単? 一般的な思春期男子には難しいかも知れないが、硫黄には簡単。「ママの作ったゴハン、美味しいよ! 」「いつもありがとう! 」それを言葉や態度で表す。それだけ。
 ダイニングへ行くべく、硫黄は立ち上がった。
 途端、視界がグワンと大きく揺れた。
 転倒防止のため、咄嗟に机に掴まり、しゃがむ硫黄。
 揺れていて気持ち悪いので、一旦、両目を閉じ、深呼吸を繰り返す。
(…よっぽど疲れてるんだな……。せっかくの10倍だけど、オヤツ食べたら少し寝ようか……)
 その時、シュルル……シュルルル……。
 そこそこ滑りの良い物を床の上で引きずった時のような微かな音が、右? 違う、左? 前かな? あれ? 後ろ……? どこからかは特定出来ないが、かなり近い距離から聞こえ、
(? )
硫黄は目を開けた。
 すると目の前に、
(っ!? )
薄暗くて、よくは見えないが、チロチロと動く、青色をしていると思われる細長いスプリットタン!
 至近距離から硫黄を覗き込む、硫黄の顔と変わらない大きさの爬虫類顔の口に吸い込まれていっては、出て来、また吸い込まれていっては、また出て来……シュルルという音は、その音だった。
 体が大きくて2足歩行なことを除けば、ものすごくリアルにトカゲ。何だか生臭い臭いもするが、臭い以外の特徴全てが、まさにSFFに出てくる魔物・プリドラゴン。
 1歩、後退る硫黄。トン、と何かにぶつかる。
 振り返ると、そこにもプリドラゴン。見れば右にも左にも。
 囲まれている。
 正面のプリドラゴンが、硫黄の退がった分だけ間合いを詰めてきた。
 はっきりと感じられる敵意。いや、そんな甘いものじゃない。これは殺意か?
(…どうしよう……って言うか、何なんだ? コレ? )
 オレは自宅の自分の部屋にいたはずなのに、ここは、どう見ても外、森の中……。真っ昼間だったはずなのに、なんか周り暗いし……。パンケーキとコーヒーの匂いがしてきたからオヤツだと呼ばれる前に行ってママを喜ばせてやろうと思って立ち上がったら目眩がして……。と、そこまで考えて、硫黄は気づく。
(そうか! 夢か! )
 転倒防止にしゃがんで、疲れていたから、そのまま眠ってしまったのだ、と。
 刹那、正面のプリドラゴンの前足が、硫黄に向けてシャッと動いた。
(危なっ! )
 避けたつもりだったが、
(痛っ……! )
その爪は硫黄の腕を掠った。血が、パタパタと地面に落ちる。
(…痛い……? 夢じゃ、ない……? オレ、死ぬ……? )
 物理的にでなく目の前が真っ暗になる硫黄。
 それを、物理的な灯りが照らした。
 正面のプリドラゴンの向こうに、光の強さの度合いから明らかに人工の物である小さな灯りを見つけたのだ。
(何とか、あそこまで逃げれないかな? そうしたら、もしかしたら人がいて、助けてもらえるかも知れないし……)
 だが、遠い。距離感が掴めないが、多分、遠い。こんなふうに囲まれてしまっている今、あそこまで行ける気が、全くしない。
 再び真っ暗な闇に押し包まれた硫黄の頭の中? 心の奥? いや、もっともっと遠く、優しく暖かな光に包まれて、テーブルの上のパンケーキとコーヒーが浮かぶ。
 ついさっきまで、当たり前だった。簡単に手に取れる場所にあった。
(…どうして……? )
 理不尽さに、無性に腹が立ってきた。
(どうして、こんなことに? )
 視界の端で、左側のプリドラゴンの右前足が自分に向かってくるのが見え、届く寸前、腹立ち紛れに左手の甲でバシッと払いのける硫黄。
 一瞬、胸元がポウッと明るくなった気がした。
 直後、胸の前に、てっぺんにハートを模りリボンと宝石で飾られたピンクと白を基調としたステッキが現れた。
(…これは……)
 SFFで硫黄が使用している魔法のステッキだ。
 硫黄は完全にヤケクソでステッキを右手に取り、高々と掲げて叫ぶ。
「マジカルヘビーQ(キュー)ハートシャワー!!! 」
 叫びに応え、ステッキの先端からモクモクとピンク色の煙のようなものが大量に出て来、硫黄の頭上、硫黄を中心に半径50センチから2メートルの範囲にドーナツ型の雲を作った。
 そしてその雲からの、ピンク色でハート型などと可愛いナリをしながら実は硬くて重い塊の、集中豪雨!
(……本当に出来たっ! )
 降り注ぐハート型はプリドラゴンたちを貫き、切り裂き、それでも威力を落とすことなくドカドカと音を立てて地面にめり込む。画面越しに外側からでなく、中心に立って直に見ると、こんななのか……と、硫黄は、自分の放った術の迫力に呆然とする。
 しかし、呆然となったのは迫力のせいだけではない。
(…出来た、けど……。何だ? コレ? 何なんだっ? コレ!? )
 足元に出来た血溜まり。散らばる肉片。独特の臭いを帯び漂う生ぬるい空気……。
 耳に残る、断末魔の叫び声……。
 何とも後味が悪い。
 プリドラゴンの姿かたちも魔法のステッキも自分の使った魔法も、「仮にSFFを実写化したらこんなふうだろう」といった感じだったが、今のこの有り様だけは、絶対に違う。
 SFFに、こんな表現は無かった。魔物を倒したら、魔物の姿は跡形もなく消えて、代わりにシャボン玉みたいなキラキラが出、地面にはドロップアイテムが転がるだけだった。
(…夢じゃないなら、ホント、何なんだコレ……? …何も、殺すことはなかったのに……。逃げられさえすれば、それでよかった……)
 手に握っていたステッキが消え、再び一瞬だけ胸元がポウッと明るく光る。

 硫黄は、プリドラゴンの死骸を出来るだけ踏まないように越え、小さな人工の灯りを足早に目指す。
 急がなければ、また襲われるかも知れない。そうなったら、また殺してしまうかも知れない。だって、自分も死ぬかも知れないのに、そんな、上手に手加減する余裕なんて無い。もう二度と、こんな思いはしたくない、と思った。
 建物の中なら、外よりは襲われる確率は低いと思った。関わらなければ殺さずに済む、と。
 魔物は怖い。けれども、実際に戦ってみる前とは、少し違った意味になっていた。自分の持てる力を知って、硫黄は、魔物よりもよっぽど、自分自身が恐ろしかった。
(…アイツら……プリドラゴン……。結構カワイイ顔、してたんだよな……)

ママのパンケーキが食べたいので、私、もとの世界へ帰ります!(2)


 硫黄の目指した人工の小さな灯りは、とても近かった。多分、30メートルくらい。
 村の入口の門柱に取り付けられているランプの灯りだった。木の葉越しだった上にランプそのものが小さかったため、遠くにあるように見えたのだ。
(…ここって……)
 その門に、硫黄は見覚えがあった。門扉の無い木製の門。
 1歩、足を踏み入れて、
(……カヌレ村(ビレッジ)? )
 「カヌレ村」とは、SFFに出てくる村の名前。
 まだ森の中のように薄暗くはなっていない門の内側。
 門から見て最も奥に建つ村長宅だけが洋風の木造2階建て、他は、同じく洋風木造だが平屋建ての民家が数軒あるだけの、小さな集落。商店と呼べるような商店は一切無く、唯一、SFFをプレイする上で必須なアイテムである「四次元バッグ」というプリドラゴンの皮を材料とした特殊なカバンを作る職人が、看板を出している。
 大きく西に傾いた太陽に赤く照らされながら、その、四次元バッグ、と書かれた可動式の立て看板を仕舞うべく、1人の男性が外へ出て来た。ココアのような赤茶色い長髪に青い目、鼻の下と顎に髭を蓄え、髪と同じ赤茶色の作業着に身を包んだゴツイ体型の男性。SFFに出てきた四次元バッグ職人のNPCに似ている。
 プリドラゴンだって、カヌレ村付近に出現する魔物だ。
 本当に、カヌレ村そっくり。ただし、仮にSFFを実写化した場合。
(ここは、どこなんだろ……? )
 建物は洋風だが、四次元バッグの立て看板は、「四次元バッグ」以外の細かい文字に至るまで全て日本語だった。
(日本……? うちから、どのくらいの距離なのかな……? )
 なんか、不思議な場所に来ちゃったな……と心の中で呟くが、硫黄は、すぐに自分で否定。
(いや、場所は別に不思議でも何でもないか……。プリドラゴンだって、結局、ただデカいだけで、トカゲだし……)
 不思議なのは、自宅にいたはずが、ちょっと目を瞑った間に場所を移動してしまったことと、魔法を使えた硫黄自身だ。
 人がいるのを見つけて、硫黄はホッとしていた。
(ちょっと、あの人に聞いてみようかな……。欧米人っぽい外見だけど、日本語通じるよな? あの人が今、持ち上げてる看板、日本語だし)
 ここがどこなのか? 帰るための交通手段のことなども含めて聞いてみようと、職人に声を掛けようとする硫黄。
 だが一瞬早く、
「エスリンさん? 」
左方向から、少し距離のある声が掛かった。
 条件反射で声のほうを向いてから、硫黄はハッとする。
(エスリンって……)
 その視線の先に立っていたのは、カヌレ村村長のNPCに似た、濃褐色のキッチリ折り目のついたパンツに白のワイシャツと黒のベストを合わせた服装の、小柄な初老の男性。
 「エスリン」は、SFFで硫黄が使用している名前。硫黄の元素記号「S」から取った。「リン」に特に意味は無い。別に「ピョン」でも「ニャン」でもよかった。たまたま妹の名前と一緒だが、それは全く関係無い。
 その時、
(…へ……? )
男性の背後にある民家の、灯りのついていない窓ガラスに映っている自分の姿が、目に留まる。
 肩までの長さのゆるふわウェーブのピンク色の髪に、黒目がちの大きな目の美少女。全身までは映っていないが、映っている範囲の全体的に華奢な体には、中央にピンクのハート型の宝石のついた赤いリボンが胸元に飾られた、ピンクのフリフリした半袖を纏い、細い腕には肘の上までの長さの白い手袋を着用している。視線を下に移して映っていない部分を自分の目で直接確認してみれば、ピンクの半袖は腿までの長さのミニスカートのワンピースで、10センチほどの絶対領域より下には、白のブーツを履いている。
(…この、姿は……! エスリン……っ! )
 そう、ちゃんとした鏡ではないので色については全て何となくではあるものの、硫黄は、SFF内での自分のアバター・魔法少女エスリンの姿をしていた。
(…そっか……。だから、エスリンって呼ばれたんだ……。いつからオレ、この姿をしてたんだろ? )
 さっき、プリドラゴン相手に魔法を使う前、胸元が光ってステッキが現れた。ステッキは普段、ワンピースの胸の飾りの状態で、必要な時にだけステッキに変形するのだが、その時には既にエスリンの姿をしていたのだろうか? きっとそうだ、と硫黄は思い、
(どうして、今まで気づかなかったんだろう? 髪の先端や手足くらいは視界に入ってたはずなのに……)
 それからハッとして、これまで無意識に開いていた脚を、大急ぎで行儀よく閉じた。
 初老の男性は、にこやかに笑いながら硫黄に歩み寄ってくる。
(あれっ? )
 更なる疑問を持つ硫黄。
(…この人……。今のオレのこの姿と、エスリンって名前が結びついてた……)
 脳裏に、ある可能性が浮かび、それは、すぐさま確信へと変わった。
(ってことは、ここって、SFFの中……っ? )
 硫黄は青ざめる。
(俺、家に帰れるのかな……? )
 夢ではないと気付いた時にはプリドラゴンに囲まれていたりして、もう自分は死ぬのだと絶望したが、プリドラゴンから逃げることが出来て、人と会えて、帰れるかどうかなど考えもしなかった。ここがどこなのか分からず、もしかしたら少し時間がかかるかも知れないとは思ったが、当然帰れるものだと思い込んでいた。
「エスリンさん」
 硫黄のすぐ前まで来て足を止めた初老男性は、
「先日は、孫娘のアプリコットを救っていただき、ありがとうございました」
深々と頭を下げる。
 帰れるのかどうかで頭がいっぱいの硫黄。
 その反応を薄いと感じたのか、
「エスリンさん。当カヌレ村村長のラム。ダークラムでございます。先日は、孫娘の……」
と、自己紹介も付け加えて、初老男性・ラムは繰り返した。
(…カヌレ村の村長、ラムさん……。やっぱり、ここはSFFの中なんだ……)
 ラムの孫娘・アプリコットを先日救った、という話も、実際の硫黄のプレイと一致している。パンケーキの匂いに気付いて休憩にしようと立ち上がる前、硫黄は、新規追加されたばかりのクエスト「眠れる森の少女アプリコットを救え! 」を終え、カヌレ村内にいるラムから報酬を受け取った後、町や村の中では回復魔法以外の魔法は使えないことになっているため空間移動呪文「テレポ」を使うべく村の外に出て、たまたま襲い掛かってきたプリドラゴン5体を倒したところだったのだ。
 先日、ということになっているのは、SFF内の時間はゲームの外の世界……本来、硫黄がいるはずの世界の100倍の速度で進むので、例えば外の世界で15分しか経っていなくても、SFF内では丸1日以上経過していることになるためだ。
 心の中ではラムの言葉に敏感に反応している硫黄だったが、表面的には、やはりどうしても薄かったのだろう、
「エスリンさん? 」
ラムは訝しげに硫黄の顔を覗き込む動作をした。かと思うと、突然ビクッと体を緊張させ、視線をハッキリと硫黄の顔から腕へと移して、出し抜けに、
「エスリンさんっ! 」
大声。
 これには、さすがに硫黄のほうもビクッとし、
「はっはいっ? 」
濃くしっかりと反応。
「お怪我をされているではないですかっ! 」
 続けられた大声で、最初の大声が、それまで角度的に見えにくかったらしい硫黄の怪我に、近づいてみて初めて気付いたためのものであると知った。
 硫黄は、なんだ、と小さく息を吐く。
(ビックリした……。なんか怒らせたのかと思った……)
 その血で白い手袋を汚すほどの怪我だが、窓ガラスに映っているのを見れば、光の加減か分かりづらい。確かにこれは、遠くからでは気付かないかも知れない。



 怪我の手当てをしてくれると言うラムの後について、村の中を、門から見て奥のほうへと歩く硫黄。
 ラムは、明日の天気のことなど当たり障りの無い話をしながら歩き、時折、硫黄を気遣って振り返る。
(…NPCと、普通に人間相手みたいに関われるとか……)
 NPCは通常、決まった台詞を一方的に喋るだけ。今も、硫黄が相槌程度にしか返さないため、ラムがほぼ一方的に喋っているが、その相槌と、キチンと会話が成立している。移動も、基本的にはしない。例えばラムであれば、常に村長の家の書斎にいるし、四次元バッグ職人の男性だって、いつでも作業場で作業中。中には移動をするNPCもいるが、それだって、決まった数カ所を決まった法則で行ったり来たりするだけ。こんな、今のラムのように、プレイヤーの状態を受けた動きをすることなど無い。
(まるで、意思を持ってるみたいだな……。本当に、普通に人間みたい……って言うか、人間なのか。少なくてもSFF内では、外からプレイしていた時には、そう感じ取れなかっただけで、NPCは、SFFの中で普通に生活してる人間なんだ……。いや、SFFの設定上は妖精(フェアリー)か……)
 ラムの自宅に到着し、硫黄は、リビングに通されソファを勧められて腰掛ける。
「もう出血は止まっているので、傷薬を塗るだけにしておきますね」
 言って、ラムは、部屋の隅の棚から持って来た木製の箱を開け、SFFにもアイテムとして登場する物と同じと思われる青い瓶を取り出し、ピンセットでつまんだ脱脂綿を瓶の中の液体に浸してから、硫黄の傷にチョンと当てた。
 瞬間、
「っ! 」
酷く沁みた。
 目をギュッと閉じ、全身に力を入れて身を屈め小さくなって耐えていると、
「おお……」
ラムが感心したような声を上げる。
(? )
 沁みたのは数秒で治まったので、硫黄は大きく息を吐きながら力を抜き、目を開けた。
 ラムは驚いた表情で、硫黄の怪我をしたほうの腕を、至近距離から凝視していた。
 ラム、
「さすがは人間族(ヒューマン)! 薬を塗るだけで、傷が跡形も無く消えてしまうのですね! 」
 言われて、見れば、傷は完全に消えていた。ただ、外見だけらしい。傷ひとつなくツルンとモチッとした少女の白い肌には戻っているが、痛みは、全くそのまま。
(…何だか、色々と違うな……)
 外からプレイしていた時には、アバターのエスリンが魔物の攻撃を受けてステータスバーに「傷」の表示が出ても、エスリンの体に傷らしきものは無かった。ただ、「傷」表示が出た場合は、傷薬か怪我治療呪文「トリートメン」を使うか、あるいは教会で治療してもらって、「傷」表示を消さなければ、傷を負った際に削られたHPに応じて一定の時間の経過毎にHPが減っていくため、放置できなかった。ただそれだけのことだった。だが、今、SFF内にいると、怪我をすれば痛いし血も出るし、傷薬はやたら沁みるし、傷薬を使って傷が消えても、傷のあった場所は痛いまま。
 外から見ている時より、内で見て感じているほうが、怪我以外のことでも、全てにおいてリアルで……。
(…そうじゃない……。「違う」んじゃなくて、きっと、外からじゃ、「見えなかった」「感じられなかった」だけなんだ……)
 たった今、ラムは硫黄を「人間族」と呼んだが、その呼び方は初めて聞いた。しかし、それだって、おそらくNPCの間では普段から使われている言葉。硫黄たちプレイヤーは皆、自分たちのことを「プレイヤー」と呼ぶが、そもそもNPCは通常、プレイヤーと接するのに、ほぼ1対1なため、プレイヤーをひとまとめにする呼び名を使う機会が無いのだ。
 他にも、会話の手段。SFFにおける会話は、NPCとのものもプレイヤー同士のものも、全てテキストによるやりとり。だが、SFF内に入って以降、まだラムとしか会話していないため、他とも同じように耳で聞いて口で返す会話が成立するのか分からないが、音声による会話をしている。
 ところで……と、そこまでで、硫黄の思考は一旦停止。すぐに再開。
(どうでもいいことだけど……。いや、どうでもよくなんてないか……)
 会話について考えていたことから浮かんできた疑問。
(つけっぱなしになってるオレのパソコンに、エスリンとして動いてる今のオレは映ってる? ラムさんとの会話は、テキストで表示されてる? )
 これは、SFFの外とコンタクトを取れる可能性の問題。
 大体、硫黄には、ついさっきまでパソコンの外、SFFの外にあった自分の体が、現在、どうなっているのかが分からない。意識だけがSFFの中に入って、体は転倒防止にしゃがんだまま、あるいは、その場で床に倒れて、意識の無い状態になってしまっているのか、それとも、体ごとSFFの中に入っているのか。
 前者ならば、誰かにその抜け殻の体が見つかる前に急いで帰らなければ大騒ぎになるし、後者でも、遅くとも夕食の時間までに帰らなければ、母が心配して大騒ぎする。
(…とにかく、早く帰らないと……)


                          *


(…月……)
 2階の各部屋ごとに分けられた小さなバルコニーに立ち、硫黄は夜空を見上げた。心地よい風が、髪を洗う。
(SFFの中でも、月って出るんだな……。知らなかった……)
 硫黄は、ラムの家に泊めてもらっていた。
 もう夕方だし、カヌレ村は森に囲まれている。夜の森は危険だから、と、怪我の治療後、ラムから、泊っていくよう勧められたのだ。
 SFFの外の世界に帰るために、この先、自分がどうすべきなのか全く分からず、むやみやたらに動いても意味が無い上に、外に出れば、おそらく、また魔物に襲われて、身を守るために殺してしまうが、SFFの設定上、町や村の中には魔物が現れないため、村から出なければ、そのようなことにはならない。
 安全な場所で、静かにキチンと考えてから行動するために、硫黄は、有難く、その申し出を受けたのだった。
 硫黄が泊まると聞いて、アプリコットは、とても喜んだ。
 硫黄が既に外から済ませていた、新規追加されたばかりのアプリコットの登場するクエスト名は「眠れる森の『少女』アプリコットを救え! 」。確かに画面上で見る分には、幼さは残るものの少女であったアプリコットだが、中に入って目の前で見てみると、完全に幼女。
 幼女にとって、魔法少女は憧れの存在。それが自分の家にお泊りするとあっては、はしゃがないワケが無い。
 夕食を共にし、一緒に入浴した後、ベッドに入った彼女の求めで、枕元でSFFでの自分の冒険譚を語り……癒された。
 アプリコットも喜んでいたが、その明るい笑顔に、優しい温もりに、硫黄のほうも癒された。
 しかし、それは一時的。その瞬間だけの夢。アプリコットが眠りに就いたことを確認後、彼女の寝室を出て、自分の寝室として貸してもらっていた2階の部屋へと移動した時には、すっかり覚めて、夕方の森の中でのプリドラゴンたちの断末魔が、足元に出来た血溜まりが、散らばる肉片が、よみがえってきた。
 忘れられない。頭から離れない。この先、帰るために動くにあたって、どんなに頑張って避けても、きっと何度かは、また、こんな思いをするのだろうと思うと、気が重い。
 いっそこのままカヌレ村から出ずに、SFF内で一生過ごしていいかも知れない。……外の世界は大騒ぎになるだろうけど、そんなのはすぐに治まるだろうし……。……そんな考えが頭を過ぎる。
 その時、
「ピゲァァァァ! 」
森のほうから甲高い声。
(…この声は……)
 プリドラゴンの声。プリドラゴンの断末魔。
 声は1体分だったり数体分同時だったり微妙にズレたりしながら断続的に続き、硫黄は両の手で両耳を塞いだ。
 誰か、おそらくプレイヤーが、プリドラゴンを狩っている。夜は魔物が凶暴になる……裏を返せば、魔物の出現率が上がって、レベル上げをするのに都合がよいのだ。しかも、今は経験値10倍中。皆、いつも以上に張り切っているはずだ。
 耳を塞いでも聞こえ続ける断末魔。独特の臭いまで、風に運ばれてやって来る。森の中の惨状が目に浮かぶ。もう、血溜まりどころか辺り一面血の海で……。
 硫黄はクラクラしてきた。吐き気もする。
(…ダメだ……)
 大きく息を吐きつつ、バルコニーの手摺にもたれ俯く。
(こんな所で暮らせるワケがない……)
 そこへ、
「エスリンさん? 」
 右隣の部屋のバルコニーから、ラムの声が掛かる。
「眠れないのですか? 」
 顔を上げれば、ラムが気遣うようにこちらを窺っていた。
「ラムさん……」
 硫黄は、ラムさんに相談してみようか、と考えた。村長という立場の人だし、ゲームでもプレイヤーに重要なこと……元々は四次元バッグの入手法を伝える役、アプリコットのクエストが追加されてからはクエストマスターの役まで担っているような人物なのだから、聞けば何か分かるかも、と。
「実は私、ラムさんたちの暮らす、このSFFの世界の中に入ってしまったんです。それで、帰りたいんですけど、帰り方が分からなくて……」
 硫黄の言葉に、ラムはキョトン。
 硫黄は、ラムのその反応に、そう言えば、と思う。
(オレは、ここをSFFの中だって決めつけてたけど……)
 まずは、そこから確認しなければ、と、言葉を重ねる。
「ここは、SFFの世界、ですよね? 」
 返してラム、まだワケが分からないといった様子で、
「確かに、ここはSFFの中ですが……。『入ってしまった』とは? 望んでこちらに来られたのではないのですか? 『帰り方』など、ただ、来た道を辿って戻ればよいだけなのでは? 」
 ああ、そうか……! と、硫黄は気づいた。
(ラムさんには、そもそもSFFがゲームじゃないから……って言うか、オレにとっても既にゲームじゃないけど……)
 SFFをゲームとしてとらえていない以上、これ以上何を聞いても分からないかな? と思いつつ、硫黄、出来るだけ分かり易い言葉を選び、
「私たち人間族は、ここ、SFFの世界へ来るのに、普通は自分の分身を作って分身だけを来させて、自分は、普段自分の暮らしている世界にいながら、分身を遠隔操作してるんです。それが、どうしたワケか、自分自身が、突然、分身がSFFの世界へ来るのに通常踏む手順さえ踏まずに、それまで分身のいたはずの場所に来てしまっていて……。体ごと分身と入れ替わりでもしたのか、体だけはちゃんと本来自分のいるはずの世界にあって、意識だけが分身と重なっているのか、状態は分からないんですけど……」
「…そう、ですか……。それは、お困りですね……」
 その口先だけのような返しが、ああ、伝わってないな、と感じた。話を信じる信じない以前に、呑み込めていない、と。
(まあ、当然だよな。仕方ない……)
 だが、硫黄が本当に困っているのだということは感じ取れたようで、
「すみません。私ではお役に立てそうもございません」
申し訳なさげに、
「マカロンタウンのベリー姉妹をご存知ですよね? SFFの案内役である彼女たちなら、もしかしたら……」
 「マカロンタウン」とは、ゲームとしてのSFFのをプレイする時の、最初の町。「ベリー姉妹」とは、そこに住む中学生くらいの双子で、チュートリアルに付き合ってくれるNPC。
(…ベリー姉妹か……! そうだな、相談に乗ってもらえるかも! )
 力を得、硫黄は、申し訳なさそうに控えめに硫黄を見つめるラムに、
「ありがとうございます、ラムさん! 朝になったら、早速、行ってみます! 」
 



 

ママのパンケーキが食べたいので、私、もとの世界へ帰ります!(3)

 森の小鳥のさえずりが聞こえる。早朝の冷たい空気が、寝不足の、微妙に熱を帯びた頬に心地よい。
「お姉ちゃん、また来てね! 」
 ラムと共に村の入口の門まで見送りに出てくれたアプリコットが、その大きな両の目を潤ませて、硫黄を見上げる。
 硫黄は腰を屈めて彼女と目の高さを合わせ、
「うん、また来るよ」
意識して優しく優しく言い、彼女が頷くのを確認してから頷き返して身を起こした。
「お気をつけて」
 アプリコットの隣でラムが右手を差し出す。
「色々と、お世話になりました」
 硫黄はその手を、硫黄の出発に間に合うようにとラムが急いで洗濯し乾かしてくれ真っ白に戻った手袋の手で、握り返した。
 本当に、世話になった。
 泊めてくれて手袋を洗濯してくれただけではない。
 今後のことで悩んでいたら相談に乗ってくれ、彼自身「私ではお役に立てそうもございません」と言うなりに、とりあえず次に行くべき道を示してくれた。金は持っているが四次元バッグの中身がほとんど空であると知ると、商店の無いカヌレ村では貴重であるはずの回復系の薬を中心とする様々なアイテムを持たせてくれ、昼食用にと弁当まで用意してくれた。
 名残りを惜しむ視線から、外からゲームとしてプレイしていた時には感じ取れなかった、ラムの情の深さを感じる。
 硫黄は一度、握った手に力を込め、深々とお辞儀をしてから手を放し、背を向けて、村の外へと歩き出した。


 一晩中続いたプリドラゴンの断末魔の叫び。それから察するに、村の外、森の中は……。
 覚悟をして門を出た硫黄だったが、行けども行けども、プリドラゴンの死骸どころか血の一滴も見当たらず、そのまま森を抜けた。
 森を抜けてから目的地・マカロンタウンへは、ひたすら平坦な一本道。しかし、距離が長い。
 テレポを使えれば一瞬で着く。だが、躊躇われた。
 外側からゲームとしてプレイしていたものを、内側で現実として生きている今、このSFFの世界は、現実ならば当たり前のことで溢れている。例えば、ゲーム内では決められた動きしかせず決まったことしか喋らないNPCが、現実を生きる存在となった時、まだ、カヌレ村の人々としか接していないが、決められた言動など、そもそも存在していないかのように、自らの意思を持って話し、動き、感情が表情や声色に表れる。例えば、出血を伴うほどの傷を跡形もなく消してしまうような強力な傷薬が酷く沁みる。例えば、これは極力思い出したくないが、魔物を倒せば血が流れ、その死骸が転がる。
 いざカヌレ村を出発する時に、ダメもとでテレポを試してみようとした瞬間、テレポの「現実ならば当たり前」が頭を過ぎり、怖くなったのだ。常識的に「そんなことは不可能。使えない」で済めばよいのだが、昨日、実際に攻撃魔法は使えているし、使えるものとして、しかし、以前何かで読んだことのある、某有名猫型ロボットのアニメに登場するひみつ道具・どこでもドアを実現するための、その仕組みは、ドアを入った後、一度、体を分子レベルまでバラバラにして、ドアから出る時に再構築するというものだった。それが、どの程度信用出来る文章なのかは分からないが、それも信用出来るものとして、失敗して死ぬことになったら……? ゲームとしてプレイしていた時であれば、死んでも最寄りの教会で生き返るだけだが、死んだら死んだままなのが、現実ならば当たり前。気軽に試せるものではない。
 ……そのような理由から、テレポは使わず、長い距離を徒歩で進む硫黄。
 もっとも、長い距離、と言っても、初めてSFFをプレイする初心者にとって最初の町となるマカロンタウンと、プレイする上で必須である四次元バッグを手に入れるために2番目に必ず訪れるカヌレ村を結ぶ一本道。まだ当然テレポなど覚えていない彼らが歩きで行くのが普通な道のりなので、それを長いと言ってしまうのは、テレポでの移動に慣れて普段歩かない者の、ただの愚痴だ。朝に出発すれば、夕方には余裕で到着する。



 陽が高く昇り、時計が無いため腹時計だが、そろそろ昼食を、と、路傍の大きめの石に腰掛け、ラムが持たせてくれた弁当を膝の上に広げた。
 母が硫黄の好物を重視して作ってくれている全体的に茶色っぽくボリューミーないつもの弁当に比べ、外見少女である今現在の硫黄を意識してくれてのことであろう、キャラ弁というのか? SFFのマスコットであるイチゴのショートケーキに手足をつけたキャラクターと、同じくシュークリームに手足をつけたキャラクターを模ったおにぎりをメインに、玉子焼き・プチトマト・ブロッコリーで彩られた、カラフルで小さめな弁当。
 箸をつけようとしたところで、マカロンタウン方向から、5人の人がやって来るのが見えた。
 おそらく、今朝、カヌレ村に向けてマカロンタウンを出発した、初心者のプレイヤー。
 出発時間が朝だと思うのは、マカロンタウンから現在地までの距離から。初心者だと思うのは、その装備から。
 ゲームとしてプレイしていた時には、各プレイヤーの頭上、場合によっては足下にステータスバーが表示され、そこに、そのプレイヤーの名前・職業・LV・HP・MP・状態異常といった、簡単な情報が書かれていたため一目瞭然だったが、今、こちらへ向かって歩いて来ている彼らの頭上にも足下にも、それが見当たらないため、「おそらく」。
 そういえば……と、硫黄は思い返す。ゲームではNPCにも更に簡単な、名前と職業くらいしか書かれていない表示があったが、自分がSFFの中に入って以降のラムやアプリコットには無かったな、と。
 これまで全く気に留めていなかったが、硫黄自身の頭上や足下にも、それは無い。
(…まあ、現実ならステータスバーなんて無いのが当たり前か……)
 ステータスバーが無ければ「おそらく」になってしまうのは、例外があるため、装備だけでは情報不足であるためだ。
 例外として、硫黄が真っ先に思い浮かべたのは、修道女の、ぴいたん、というプレイヤー。ゲームの外での数え方での、確か、5日前、内側の日数では、もう1年半近くも前ということになるのだが、暫く行動を共にした。
 彼女との出会いは、霊峰スーパーモンブランの麓の樹海。魔物に襲われ瀕死でいるところを助けた。
 ゲーム外の世界の修道女そっくりな、紺色の清楚な正統派修道服の彼女。ステータスバーのレベルを見て驚いた。LV28。最初の頃はガンガンとレベルが上がっていくものなので、自身では魔物を攻撃する術を持たず回復魔法や補助魔法で経験値を稼ぐしかないためレベルの上がりづらい修道女とはいえ、ほとんどプレイしていない、ほぼ初心者だ。
 驚いた理由は、SFF内で2番目にレベルの高い魔物のいるエリアである樹海に、まだレベルの低い、しかも、攻撃する術を一切持たない修道女が、ひとりでいたことではない。それは単純に迷い込んでしまっただけとも考えられるため、そうではなく、その装備。
 SFFの修道女の本来の服装は、長いスリットの入った露出度高めの修道服であり、彼女の着用している物は、何か彼女のレベルでも装備できる物をカスタマイズした物。カスタマイズは誰でも出来るが、とにかく金……SFF内の通貨であるS(スウィーツ・マネー)が莫大な額、必要だ。彼女の修道服は、おそらく本来の修道女の初期の装備を元にした物で、露出を減らす以外にも細かいところを色々といじっているため、少なく見積もっても30000Sは掛けられている。ついでに言えば、彼女の黒髪ストレートのロングヘアだって、ガチャでのみゲット出来るレアな物であり、余程の強運の持ち主でない限り、かなりの金額が掛かっている。
 Sは魔物がドロップする他、クエストの報酬として、また、自分の所持しているアイテムで不要となった物を売ることで得られるが、初心者が自力で稼げる額では到底なく、それ以外の手段としては、1S=100円の課金でも得られるが、初心者が、そこまで課金するほどSFFにハマっているとも考えにくい。
 もっとも、そうであるからこそ、彼女が誰か高レベルのプレイヤーの求めで修道女という職業を選び、普段はそのプレイヤーと行動を共にしていて、装備も、そのプレイヤーに買ってもらった物であると容易に想像が出来、実際、暫く一緒にいて仲良くなってから聞いたところ、本当にそうだったのだが、ただ単に、レベルに不釣り合いな、わざわざ地味にする方向へのカスタマイズに驚いたのだ。
(…いや、オレは好きだけど……。だって、SFF本来の派手な修道服より、そっちのほうが絶対カワイイし……)
 と、そんなことを考えているうちに、初心者のプレイヤーと思われる5人が、声がハッキリと聞き取れる距離まで来ていた。
 彼らはやはりプレイヤーで、全員が同じパーティらしく、皆でワイワイと会話をしている。
(…声が聞こえる……。プレイヤーの言葉……しかも、自分には無関係な言葉も、音声で聞こえるのか……)
 ところで、と、硫黄は、彼らについて、重要な疑問を抱いた。
(この人たちは、どんなふうに、ここに存在してるんだろ……? )
 通常どおり、SFFを外側からゲームとしてプレイしているのか、それとも、自分と同様、SFF内に入ってしまっているのか、という疑問。
 後者であれば、協力し合えるかも、と期待を込めて……。
 その時、彼らの前を、バレーボールほどの大きさの大きなスズメ3羽と、体長が1・5メートルほどもあるが、その大きさよりも腹を中心に風船のように丸々と膨らんでいることのほうが気になるネコ1匹が塞いだ。
 ビッグスパロー(LV1)とファットキャット(LV3)だ。
 魔物の出現に、これまでの楽しげな様子から一転、一様に足を止め、緊張からか顔を強ばらせる彼ら。見た目どおり初心者らしい。
(…表情……)
 NPCは、もともとこの世界の人なので、ゲームとしてプレイ中には見ることの無い表情の変化を目にしても……と言うか、昨日の夕方から今朝にかけて、実際にゲーム外の人間のようにコロコロと表情の変化し続けるNPCたちと一緒に過ごして、それは当たり前のこととして受け流すし、既にSFF内の存在となっている自分の表情が普通に変化するのを鏡やガラス製品を通してたまたま見つけても何とも思わなかったが、
(プレイヤーの表情も、ちゃんと変わるように見えるのか……って、そっか、そもそもアバターはゲーム内の存在か……。いや、でも、やっぱ、オレと同じような存在でも、そうなワケで……)
 怯んでいる彼らのうちの1人・戦士の少年に、ビッグスパロー1羽が仕掛けたことで、戦闘開始。
 血生臭い展開になることが分かりきっているいるため、本当は、すぐにでも立ち去りたかったのだが、それ以上に、SFF内に入って以降に初めて出会った、音声での会話に表情の変化と、今のところ自分の条件と一致する彼らが、どのような存在であるのか見極めたくて、硫黄は、その場に留まった。もちろん、弁当は、ほとんど食べないままで仕舞ったが……。
 クチバシを突き出して突っ込んで来たスパローの攻撃を、戦士の少年は軽くかわしざま腰の剣を抜き一刀両断。
 スパローは叫びを上げ、真っ二つになって地面に転がる。
 チュートリアル終了時点で通常、プレイヤーはLV5にはなるため、現れた魔物よりもプレイヤーのほうがレベルが高く数も多い。これでは当然……。
 スパローの悲鳴とほぼ同時に響く、他3つの断末魔。
 圧勝を収めた彼らは、足下に出来た血溜まりの中に肉片と共に転がったドロップアイテムを喜々として拾う。
 硫黄は吐き気と目眩を覚えながら目を背け、マカロンタウン方向へと歩き出した。
(…この人たちは、きっと、外側からプレイしてる人たちだ……)

ママのパンケーキが食べたいので、私、もとの世界へ帰ります!(4)


 パステル調の優しいピンク・ブルー・グリーンの門を、外側から内側へと逃げ込むように3歩、大股の早歩き、吸っていないはずはないのだが実感として呼気ばかりの鼻息荒く通過してから、硫黄は足を止め、一度大きく息を吸って、深く深く吐いた。
 そして、辺りを見回す。
 全体的にパステルカラーで統一されているが形はまちまちの、最高でも4階建までの商店の並ぶ町。そのバラバラ感が逆にオモチャ箱の中のようで可愛らしい、ゲームとしてのSFFの最初の町、
(…マカロンタウン……)
 硫黄が、この町を訪れたのは、ベータテスト終了後、アバターのデータはそのまま引き継ぎつつ始まった正式サービス初日にあらためて訪れて以来なため、ゲーム外の時間でも丸3年前、SFF内の時間では途方もなく昔のことになるはずなのだが、記憶の限り、全く変わらない。
(…まあ、そういうものか……。カヌレ村だって、バッグを作ってもらって以来、アプリコットのクエストで久し振りに行っても変わってなかったし、ログインする度にほぼ毎回行ってるシュトレンだって、いつ行っても同じだもんな……。それと……)
硫黄は、カヌレ村村長のラムと四次元バッグ職人をはじめとする、時間を置いて何度か目にする機会のあったNPCたちの姿を思い浮かべる。
(町ばっかじゃなくて、あの人たちも変わらないよな……)
SFF内の時間では何百年も経っているほどの時間を空けて再度目にしても、その外見は全く変わらない。
(妖精だからな。寿命が長くて、年をとるのが極端に遅いのかも……? それか、そもそも年をとらない? ……いや、生きてるんだから、それは無いか。初老の人は生まれた瞬間から初老とか……? )
 と、硫黄は、そこまでで一瞬、思考を止めた。急に気になったのだ。
(オレは……? )
と。自分がどのように年をとっていくのか、と。
 考えても全ては憶測にすぎないが、怖くなった。
 NPCは妖精だから年をとるのがゆっくり? アバターは当然、年はとらない。しかし、今の自分は完全にアバターと同じわけではない。SFFの中で普通に生きている人間だ。もしかしたら、SFFの中の時間で1日過ぎると普通に1日分の年をとって、外の世界へ戻れた時、その重ねた月日があまり多くなると、自分だけ周囲の同い年だった友人に比べ年上みたいになっているのでは? 父や母よりも、下手すると祖父母よりもずっと年上みたいになっているのでは?
(とにかく早く帰るしかない。この考えが合っているなら、逆浦島太郎だ……! )
 硫黄は、もうひとつ深呼吸をしてから、ベリー姉妹のいるはずのマカロンタウンオフィスへと歩き出した。

 SFFをゲームとして初めてプレイするにあたって、SFF公式サイトのトップページからアカウント登録ページへ進むと、そこからは、ベリー姉妹と2体のマスコットキャラが案内をしてくれる。案内に従いアバター等の設定を済ませ、ベリー姉妹には引き続き付き合ってもらってチュートリアルを終えて、いざフィールドへ出た時、そこはマカロンタウンだったため、姉妹のいる場所はマカロンタウンであると見当はついていたし、それは、姉妹に会うことを勧める際にラムの口からも「マカロンタウンの」と出たので間違いないと証明されたのだが、チュートリアル以降ゲームとしてプレイしている時に姉妹に会うには、常に画面上にあるヘルプのアイコンを選んでクリックするだけで済み、その詳しい居場所は知らなかったため、ラムに聞いたところ、姉妹は「タウンオフィス」の「観光課」に勤めているらしく、日の暮れる頃までなら、そこにいるということだった。
 四次元バッグの中に常に入れてあるマップで確認したところによると、タウンオフィスへは、たった今くぐって来たばかりの門から正面に奥へと続く商店街を抜け、右手の坂を登った先にある。
 マップに従い歩く商店街は、ようやく夕方の黄味を帯び始めていた。
 カヌレ村からの道中、半分を過ぎた辺りから頻繁に出くわすようになった見たくない場面から目を背け、走っているのに近い速度で歩いていたため、思っていたよりも早めに到着したのだ。
 大勢のNPCや、初心者と思われるプレイヤーで賑わう商店街。内容の聞き取れない多くの声が、ガヤガヤと耳に流れ込んでくる。その表情も、実に豊か。
(…声……。表情……。やっぱり、そうか。今まで会った人たちが特別だったワケじゃない。これが、当たり前だもんな……)

 商店街を通り過ぎ、右手側のゆるやかな坂を登りきると、目の前に現れたのは、きちんと手入れの行き届いた公園。
 正面奥には大きな噴水。すぐ足下にはパステルカラーの細かなタイルの小道が無駄に蛇行しながら奥へと続き、その両脇には芝生が広がって、芝生の上、ところどころにパステルカラーのベンチ。広い敷地をグルリと囲うパステルカラーの柵の手前の花壇では、優しい色合いの花々が咲き誇っていた。
 マップに従って来たはずが間違えたのかと思ったが、ゲームとしてSFFを始めた時にチュートリアルを終了して最初に見た景色はこんな感じだったと思い出し、小道の先に、チュートリアルに付き合ってくれたベリー姉妹のいるタウンオフィスがあると確信して進む。
 すると、少し行っただけで、坂を登りきった地点からは噴水に邪魔されて見えなかったパステルピンクの2階建の建物が見えた。きっと、あれがタウンオフィスだ。
 近づくと、建物はやはりタウンオフィスで、入口のガラス扉の右側の壁に、「マカロンタウンオフィス」とあり、その下に、窓口受付時間や閉庁日、1階2階各フロアに配置されている課の案内が書かれている。
 入口を入ると、外観と同じくパステルピンクを基調としたフロア。
 すぐ右手には「総合案内」と書かれたカウンターがあり、キチンとした身なりで感じの良い20代後半くらいの女性が立っている。
 直接行けるのであれば行ってもよいのだろうが、入口に書かれている案内では、ベリー姉妹がいるとラムが教えてくれた、目指す観光「課」は無く、観光「庁」が2階にあるということしか分からなかったため、これは聞いたほうが早いだろうと、
「すみません」
硫黄は、総合受付の女性に声を掛けた。
 すると女性は、明らかに硫黄に向けて驚いた表情を見せた。
(? …何だろ……? )
 首を傾げつつ、相談に乗ってほしいことがあるので観光課のベリー姉妹に会いたいと、「課」の部分を小さく聞こえるか聞こえないかくらいの声の大きさで続ける硫黄。
 女性は、
「かしこまりました」
笑みをひとつ作って返し、カウンター上に置かれていた小さな紙にペンを走らせ、ペンを置いてから、手元のベルをチリンと鳴らす。
 直後、背後に気配を感じて、見れば、硫黄と同じ年頃の、オフィスの職員だろう、やはりキチンとした身なりの感じのよい少年が、いつの間にか立っていた。
 女性は、たった今書いたばかりの紙を二つ折りにし、少年に渡す。
 受け取った少年は、すぐ横の階段を上って行った。
 もうひとつ笑みを作り、女性、
「少々お待ち下さい」
 言われて、待つ態勢に入るべく、近くに椅子でもないかと視線を動かす硫黄。しかし、椅子を見つける前に、階段を下りてくる少年を見つけた。
(早……っ! もう戻ってきたっ? )
 その手には、持って行った紙とは大きさから別物だと分かる、二つ折りの紙。
 カウンターの前まで来て、女性に渡す。
 渡された紙を開いて視線を落とし、一拍置いて紙に頷いてから、女性、三たび笑顔を作り、
「お待たせいたしました。ご案内いたします」
そして、その場で待機していた少年に視線を向けた。
 少年は視線を受け止め、頷く。

 少年に案内され、硫黄は2階へ。
 2階の廊下を奥へと進んで行くと、他のドアに比べて少し大きめの立派なドアが2つ並んでおり、うち1つには「市長室」、もう1つには「観光庁」と書かれたプレート。
(…ああ、入口の案内の観光「庁」でよかったんだ……。「課」はラムさんの間違いか……。まあ、どっちでもいいけど……)
 少年は観光庁のほうのドアをコンコンコン。
 すると中から、
「どうぞ」
落ち着いているが明らかに少女のものである声。
 少年、声を受け、
「失礼します」
とドアを開けて、
「こちらへ」
硫黄を通すと、自分は廊下側にいながらドアを閉める。
(っ!? )
 何となく少年も一緒に部屋へ入るような気になっていた硫黄は、閉まっていくドアの隙間に向かって慌てて、
「あっありがとうございましたっ」
 そこへ背後から、
「あなたは一体、何者ですか? 」
廊下から聞いた室内からの「どうぞ」と同じ、冷たく感じるくらいに落ち着きのある少女の声。
 振り返ると、赤色の髪を後ろでひとつにキッチリとまとめたヘアスタイルの、吊り上がり気味の目を持つ14・5歳くらいの少女。赤だが渋めの色合いのベスト、中に白のブラウスを着て、正面のドッシリとした木製の机の向こうから、真っ直ぐに硫黄を見据えている。
 硫黄は、この少女に見覚えがあった。
 硫黄の位置からは見えないが、ひとつにまとめてある髪は後頭部でお団子。ベストと同色で膝丈のタイトスカートをはいていると思われる。
(クラン・ベリー……)
 ベリー姉妹の姉のほう、クランだ。
 そして、机の手前の高級そうな応接セットの革のソファに、もうひとり。
 明るめの赤髪を耳より上の高さで緩く2つのお団子にし、目の形が垂れ下がり気味であるためかクランよりもかなり柔らかな雰囲気をもつ、クランと同色でほぼお揃いだがスカート部分がフレアスカートになっているものを着た、ベリー姉妹の妹のほう、ラズ・ベリー。
 紅茶らしき温かそうな飲み物を飲み、クッキーをつまんで、ゆったりと寛いでいる。
 硫黄の存在など全く気に留めていない様子のラズ・ベリーとは対照的に、クランの目は、見るからに硫黄を警戒していた。
 受付の女性は硫黄に驚いていたが、そちらの理由は、女性が少年に持たせた紙を書いている時に盗み見て分かっていた。
 大したことではない。実際、女性は最初に硫黄が声を掛けた時に驚いた表情を見せて以降、少年のほうは初めから、ごく普通と思われる態度で対応してくれた。
 本当に、大したことではない。ただ、タウンオフィス内は通常、プレイヤーが入らない場所であるというだけ。入らないというか、入れない。しかし立ち入り禁止というワケでもない。おそらく、ゲームとしてプレイしている時に開かない設定になっているドアの類だろう。例えば、カヌレ村村長・ラムの家の玄関と書斎のドア以外の全てのドアがそうだ。SFFをプレイしていて最初に立ち寄ることになる内部にもドアのある大きな建物であるため興味本位で片っ端から開けようとしてみたので確かだが、ゲームとしてプレイしていた時には開かなかったのに、昨日、硫黄は書斎以外の部屋に、普通にドアを開けて入っていた。
 本当に、本当に大したことではないと思っていたのだが、
(「何者」って……。何だか、スゴイ言われ方だな……。ああ、あの受付のお姉さんが驚いたのとは何か別の理由で、こんな目で見られてるのかな……? )
「人間族は、ここへは入れないはずなのですが」
(…同じ理由だ……! …そんなに大きな問題なのか? さっきの2人の態度からは、全然そんな印象は受けなかったんだけど……)
 そう思い、聞くと、
「少なくても私は、そう捉えています」
(…そう、言われてもなあ……)
「それに、今まさに交わしている、この会話。人間族は『はい』と『いいえ』しか言わないでしょう? それも、限られた場所で限られた時だけ。他は一切。
 物事を伝える役割の妖精とのコミュニケーションも、話しかけるのではなく、その前に立ち止まって、伝えてほしそうにしているだけ。決まった場所以外で話しかけても聞こえていないのかスルーするし。
 でも、あなたは違う。本当に、何者なの? 」
「そう…『何者』とか言われても、実は、私にもよく分からなくて、そのことも含めたことで、SFFの案内役であるあなた方に相談に乗っていただきたくて、こちらへ伺ったんです」
「自分のことが分からない? 」
 クランは静かに、だが確かに、その目に驚きの色を浮かべ、それから、ひとつ息を吐きつつ軽く目を伏せ、
「私は、からかわれているのかしら? 最近、多いのです。人間族からお便りで寄せられる、SFFで遊ぶ上で全く関係の無い質問」
(お便り……? もしかして、ヘルプの質問は、SFFの中では手紙の形で届くのかな……? )
 クランの言葉を、
「あー、姉さまとラズは一緒にお風呂に入るのか? とかねー」
ラズがクッキーで口をモゴモゴさせながら補足する。
(…何だ!? その低俗の質問! いや、妄想するのは勝手だし、それを絵に描くのも自由だし、オレは、その絵を見て喜んでる人間のひとりだけど! 本人にそんなふうに聞くなんて、例えばイタズラ電話をして「パンティ何色? 」とか聞いて相手の反応を楽しんでるのと一緒だろ!? 同じプレイヤーとして恥ずかしいっ! )
 と、そこまでで、硫黄はハタと気付いた。
(……って、オレ、そういうのと同類だと思われてるっ? )
 慌てる硫黄を他所に、伏し目のまま溜息まじりに続けるクラン。
「ま、そのような質問をしてくる輩の考えていることは、『ギャラリー』に展示されている絵を見れば分かりますけどね」
「うん。姉さまとラズが一緒にお風呂入って、体を洗いっこしてる絵とかあるよねー」
(…「ギャラリー」……? もしかして公式サイトのTOPページにある投稿スペース? 確かに、そういうイラストもあるよな。もっと過激なのとかも……。オレも楽しませてもらってるけど、こっちの世界でも見れるのか……? )
「100歩譲って、私とラズが共に入浴している絵は良いのです。実際にしていることですから。せっかく近くにいるので互いに自分では届きにくいところは手を貸し合いもしますからね。
 でも、ある意味としてのそれ以上……キスをしていたりとか、獣の毛繕いのように互いの体を舐めあっていたりとか、通常のスキンシップでは触れないような部分に触れ合って頬を赤らめ息遣いを荒くしてだらしなく乱れている様子とかを描かれるのは不快でしかないのですよ。
 人間族の文化は私には分かりませんから、もしかしたら人間族は、そうして女性同士、しかも姉妹でそのようなことをするのは当たり前で悪気は無く、仕方のないことなのかもしれませんが……」
 そこまでで、クランは顔を上げ、カッと硫黄に強い視線を向けた。
「けれど、質問の人のものは悪気でしょう? 全く必要の無い質問ですし、あなたに至っては、何を仰っているのか自体分かりません。
 困るのです。おかしな質問が増えて、そのようなものに煩わされている現状に加えて、更に、これまで入れなかったはずの場所にまで入って来られて、これまでの人間族らしくなく普通に話しかけてこられては、私どもの生活が立ち行かなくなってしまうと容易に想像できるので。
 SFFへ遊びに来て下さる人間族の方々の夢を壊してしまうようですが、特にその部分を売りにしているわけではないので言わせてもらいますと、私どもにも生活があるのです。SFFで人間族の方々と関わっているのは、あくまで仕事なのです。
 人間族がどのように年齢を重ねていくのかも、やはり私には分かりませんが、私ども妖精と同じであると仮定した時に、外見を見る限りでは、皆さん、そこそこの年齢を重ねているように見えますし、遊びとは言え危険を伴わないわけではないSFFを楽しまれている以上、大人か大人に近い年齢のはずでしょう? もちろん、そのくらいのことは理解してくださっていると思っていたのですが、買い被りでした。これは文化や習慣の違いなどでは……」
(……)
 硫黄はイラッとした。
「……オレ、まだ、『何者』かとか聞かれても自分でもよく分からない、としか言ってないんだけど」
 声に出したつもりは無かった。急にクランが喋るのをやめたことで、彼女の言葉を遮る形で声を発していたことに気付いたのだ。
 ハッとし、口を押さえた硫黄だが、好き勝手言われて頭にきていたし、そもそも話をするために来たのだし、やっとマシンガンのような言葉の弾丸が偶然だが止み、今ならば聞いてもらえると考え、続ける。
「とりあえず、聞いてくれない? たった今、人間族のことについて『分からない』って言葉を、短い間に2回も言ったよね? 分からないなら、憶測で悪く言わないでよ。それに、その悪印象のもとに人間族って一括りで目の前にいる人を断じるのも」
「あなたは違うと? 」
「オレもそうだけど、ひとりひとりが、だよ。あんた……クランさんには同じように見えても、ひとりひとりが、ちゃんと個性を持った存在だし、SFFをプレイしてる人は比較的年齢層が高くて女の人も多いから、クランさんに迷惑をかけるようなヤツは、本当にごく一部。そいつらだって、状況がそうさせてるだけで、実はクランさんの期待するような大人かも知れないし、オレだって……いや、オレはもともと他人の迷惑になるようなことはしないけど、今の状況だからこそ余計に、一人称を『私』にしたりなんかして、大人な喋り方と態度を意識してたし。ついさっきまで。
 ……あんまり行儀よくしてても、そこにつけ込んで好き勝手言われるだけだから、もうやめたけど……」
 と、そこへ、ハアッ、と、クランの大きく息を吐く音。硫黄の話は遮られた。
「分かりました。伺いましょう。……と言うか、そもそも伺わないとは言っていません。受付からあなたがいらしたことを伝えられ、聴取する目的で、この部屋へお呼びたてしたのですから。
 ただし、あなたの話は、ほぼ話などしていない現時点で既に、理解不能な部分が多すぎますので、整理するために一問一答形式をとってよろしいですね? 」
 頷く硫黄。
 頷き返したクランからの最初の質問は、
「あなたは、人間族で間違いないですか? 」
 初っ端から難しい質問が来たな、と思った。
(…どう答えればいいんだ……? )
 少し考えてからの硫黄の答えは、
「SFFの中では」
「……何だか微妙な答えですね。SFFの中でない場所では何なのですか? 」
「人間(にんげん)」
「SFFの中にいる人間族は、全員、その人間ですか? 」
「オレの知るかぎりでは」
 納得したように頷くクラン。続いての質問は、
「あなたの名前は? 」
「SFFの中ではエスリン。本名は洋瀬硫黄」
「SFFの中では本名でない名前を名乗っているのですね。人間族は皆さんそうですか? 」
「ほとんどの人がそうだけど、本名のままの人もいるよ」
「分かりました。では次に、あなたの性別は? 女性、でよろしいですね? 」
 硫黄は、ちょっと答えに詰まった。
 クランについて、性的マイノリティに対して良くない意味で敏感であると感じていたため。本当は男なのに女性の格好をしていることで、この会話が自分にとって不利な方向へ行ってしまうのでは、と。最悪、ここまでで話を聞いてもらえなくなるのでは、と。
 しかし、自分がもとの世界へ帰るために、クランにとって何が重要な情報となるか分からないため、たとえどんな小さなことでも嘘は吐くべきではないと考え、おずおずと、彼女の顔色を窺うように、
「いや、男です」
自然と敬語になってしまいながら答える。
「そうですか。では、次は……」
(は? )
 あまりにもあっさりと受け取られ、驚く硫黄。
 硫黄が驚いたことに気付いたようで、クラン、
「何か? 」
「オレが男だって聞いて、驚かないのかな、って」
「驚くべきことなのですか? 人間族とはそういうものと理解したのですが」
「『そういう』? 」
「私ども妖精の場合の性別による外見の特徴と人間族のそれとは違う、と」
(あ、それ、どうなんだろう? オレは勝手に、同じだって思い込んでたけど……。
 クランさんとラズさんは「姉妹」ってくらいだから2人とも女性……っていうか、それ以前に、さっき、自分たちのことを指して「女性同士」って言ってたか……)
「…えっと……。ちなみにオレをこの部屋へ案内してくれた人は? 男性? 女性? 」
「彼は男性です」
「受付にいた人は? 」
「女性です」
(それって、同じなんじゃ……? )
「今聞いた人たちの性別と外見だけで判断すると、妖精も人間も性別による外見の特徴って一致してる感じだよ」
 硫黄は、そこで一旦、言葉を切り、クランの顔色を窺いつつ付け加える。
「オレは男だけど、女性の格好をするつもりで、この格好をしてるし」
 クランは驚いた表情。
「不快に、させた?」
 ひたすら顔色を窺いながらの硫黄の問い。
「分かりません。あなたが女性の格好をしていることに関しては私や他の妖精に特に害があるように思えないので、現時点で不快になってはいませんが、何らかの悪意を持って、その格好をされているのですか? 」
「好きだからしてるだけで悪意は無いけど、結果的に、オレを女性だと思ってる人間の男が色々とプレゼントしてくれたり、女性だと思っているからこそ仲良くしてくれてる人間の女性がいて、男のほうはオレ的には別に構わないんだけど、女性のほうは、その子との関係が壊れちゃうかもしれないと思うと本当は男だって言い出せなくて、騙し続けてる感じになってて……」
「まあ、その程度であれば、相手の方のほうにあなたへの好意があってのことですし、当人たちから騙されたと被害の訴えが特に無ければ、こちらとしては問題とするものではありません」
(…よかった……)
「ところで、その女装の技術は、魔法ですか? 声は男性の声に聞こえますが、外見は、どう見ても女性にしか見えないのですが……。
 本来のあなたが、ごく一般的な男性の姿をしているとして、そこまで見事に異性になりきるなど大変なことなのでは、と」
「魔法じゃないよ。選んだだけ」
「選ぶ……? 確かに、当SFFで遊んでいただく上で、普段の御自身とは違った存在になりきっていただいたほうが楽しめるのではと、受付の段階でSFF内での職業を決めていただいて、その選択に応じて、こちらで衣装を用意していますし、それなりの対価を払うことで後からカスタマイズも可能。そして、今、あなたの身に着けられている物が、こちらでご用意した魔法少女の衣装をカスタマイズされた物であることは見てすぐに分かりますし、ヘアスタイルも、有料のガチャの景品にあったものと分かりますが、その選んだ物や当てた物を身に着けただけ……? 」
 クランは、納得のいっていない様子で、独り言のように続ける。
「もともと、かなり女性っぽい外見だったのでしょうか……? 」
「いや、もともとのオレは、どっちかって言うと男っぽい外見だよ。そのままじゃ、とてもじゃないけど女装なんて似合わない。
 それが、こんなふうに完全に女性だと思われるくらいの仕上がりになってる理由はさ……」
 硫黄が本当は男でありながら女性の格好をしていること自体はクランは不快に思わないと知り、一度は緊張が解けていた硫黄だったが、この理由に関しては、顔色を窺わずには無理だ。
「…気を、悪くしないで聞いてほしいんだけど……」
「何でしょうか? 」
「オレたち人間にとって、SFFはゲームなんだ」
「はい。私どもとしても、人間族にはSFFを魔物退治というゲーム性の高い場として提供しています」
「…そうじゃなくて……」
 どう説明したらいいんだろ……? 難しいな……と、悩む硫黄。
「…何て言うか……。人間にとってのSFFは架空の世界っていうか……。人間の世界に存在する企業が創り出した世界なんだ」
「架空の世界、ですか……。そうなると、当然、そこに暮らす私どもも架空の存在ということになりますね? 」
 呟くようなクランの小さな質問に頷く硫黄。
 それきり、クランは黙り込んでしまい、硫黄は、
(…ああ、やっぱ傷つけたかな……? )
 硫黄がもとの世界へ帰るための相談にのってもらう上で、SFFがゲームであると伝えることは必要なことなのだが、クランが傷ついたのではと気にして、その気持ちを探ろうと、それまでよりも更に注意深くクランの顔を窺う。
 しかし、クランの表情は、これまで会話していた間と全く変化が無い。
 ややして、クランは小さく息を吐き、口を開いた。
「それを聞いて、合点がいきました。私は、私ども妖精とあなたがた人間族の関係について、勘違いしていました。勘違いをして勝手に怒っていました。けれども、仮に、あなたの仰っていることが真実ならば、と」
(「仮に」って……。信用無いな……。…まあ、実際に生きて普通に生活してる自分が実は架空の存在だなんて話、すんなり信じるほうが、どうかしてるけど……)
「私は、私ども妖精スタッフに対する人間族の態度が酷いと、常識・良識の無さに腹を立てていたのですが、そもそも、種族こそ違えど同じ生きている者同士、ではなかったのですね。
 私が人間族にとってSFFが何であるかを知らなかったように、あなたのほうも、妖精にとってSFFが何であるかご存知ないと思われますので付け加えますと、私ども妖精にとってSFFはテーマパークです。職場であり、生活の場でもあります。
 SFF……スウィーツフェアリーファンタジーは、国土の大半を占めるテーマパークの名称。国の名前は『スウィーツランド』といい、テーマパークSFFを柱とした観光立国です」
(…へえ、テーマパーク……。だから、『当SFFで遊んでいただく上で』とか『ゲーム性の高い場として提供』とかいう言葉が出てきたんだな……。
 自分にとってがゲームだから、そっちとゴッチャになってたのか、違和感無く聞き流しちゃってたけど……)
「話が少し逸れてしまいましたが、それで、SFFが人間族にとって架空の世界であることと、あなたに女装が似合うことと、どのような関係が? 」
「あ、うん。それは、人間がSFFで遊ぶ時の方法のせいなんだけど、人間はSFFで遊ぶのに、自分の生身の体でSFFの中へ来るわけじゃないんだ。
 人間の世界には、パソコンって機械があって、その機械を通じて、体はもちろん意識も完全に人間の世界にいながら、パソコンの中に作った自分の分身的なキャラクター……アバターっていうんだけど、そのアバターを操作して遊んでるんだよ。
 で、最初にSFFで遊ぼうとした時、そのための登録をするでしょ? そこで名前と性別を聞かれて、『女性』って答えると、もう、その時点でアバターは女性の姿になる。聞かれて答えるのは本当の名前や性別である必要は無いから、オレは、名前はエスリン、性別は女性って答えて、この、女装の似合う外見になってるってワケ」
「なるほど、分かりました」
「ただ……」
「ただ? 」
 硫黄は、話の流れ的に丁度良いため、一問一答形式に戻ることで別の方向に話が行く前にと、本題を切り出すことにした。
「SFFの中の時間での昨日の夕方頃までは、オレも、今の話の中の人間たちと同じで、人間の世界にいながらにしてSFFを楽しんでたんだけど、今は、それとは確実に違う状態にあって、実は、そのことで相談に……って言うか、もっと素直に言うと、助けてもらえないかと思って、あんたたちベリー姉妹なら、SFFの中にいる人の中では他の誰よりもSFFのことを知ってそうだし、カヌレ村のラムさんにも、そう勧められたから、訪ねて来たんだ」
「他の人間と確実に違う状態というと、つまり、今、私の目の前にいるあなたは、本来は直接SFFに来ることの無い、人間の世界からアバターという傀儡を操っている生身の存在。そして、直接SFFに来たことは望んだことではないので、私とラズならばSFFに詳しいと思い助けを求めるべくここへ来たということですね? 」
「うん。正確には分からないんだけどね。意識は確実に今、ここにあるけど、体のほうはどうなのか、とか。
 何にしても、ゲームの中に入っちゃったとか、信じられないかもしれないけどさ」
「いえ、むしろそれが通常ではないことが驚きなのですが……。
 それで、私どもに求める助けというのは、人間の世界へ帰りたい、ということでしょうか? 」
 頷く硫黄。
 クランは頷き返し、暫し考える様子を見せてから、
「まだ、あなたの話を完全に信用したワケではありませんが、とりあえずは、あなたが何者であるかということは分かりましたし、残念ながらあなたを助けることは私やラズでは無理ですので、質問はここまでにし、あとは全て長官にお任せしようと思います。
 長官の許へご案内しましょう」
 立ち上がって、硫黄のほうへと歩いて来つつ、応接セットの脇を通り過ぎざま、ソファのラズに、
「少しの間よろしくね、ラズ。まあ、どのみち、あと数分で終業時刻だけれど」
「はーい」
 ラズの、ちょっと面倒くさそうな返事を聞きながら、硫黄は、あれ? と思った。
 最初のチュートリアルもそうだが、その後ヘルプ機能を使って質問する時も、24時間いつでもOKなはずなのだが、勤務時間など決まっているのだな、と。
 もっとも、SFFの外……人間の世界とSFFの中では時間の流れ方が違うため、人間の世界の目線でいくと、ベリー姉妹は、例えば朝に仕事が始まって、あと数分で終業時刻を迎えるならば、数分毎に仕事と休みを繰り返していることになるワケで、休んでいる時間にたまたまアクセスしようとしてつながらなくても、「あれ? 不具合かな? もう少し待ってから、もう一度やってみよう」と思うだけだろうし、実際、自分もそんなことがあったような気がするな、と、ちょっと考えただけで自己完結出来てしまったが……。
 硫黄のすぐ隣までやって来たクランは、ドアのノブに手を伸ばして開けつつ、
「こちらへ」


 クランに連れられてやって来たのは、タウンオフィスの庭の噴水。
 表側に回り、噴水を囲う低い柵にあった小さな突起にクランが触れると、それがスイッチになっていたようで、水が止まり、止まった水の向こう側からドアが現れ、クランの立っている正面部分の柵だけが下がって地面に収まった。
 その柵の下がったところを通り、ドアを開けるクラン。
 ドアの向こうは、様々な色が交ざり合い揺らめく、天井も床も無い空間。あまり長く見ていると気持ちが悪くなりそうだ。
「これは? 」
「これは『空間移動装置(ゲート)』です。同じくこの装置のある場所へなら、どこへでも一瞬で行ける便利な物です。
 これを使用し、スーパーモンブランにおります長官の許へ行きます」
(…でも、これって……。もしかして、テレポと同じようなものなんじゃ……? )
 そう思い、聞くと、
「はい。誰もがテレポを使えるワケではございませんので。私も使えないですし。
 それに、テレポでは一度行ったことのある場所でないと行けないですからね。
 ……何か、問題でも? 」
 硫黄は、自分は普段、人間の世界からアバターを操っている時にはテレポを使うが、例えば傷薬が酷く沁みたことなど、SFFの中に直接入ってしまってから感じた多くの違いを踏まえ、テレポを使うことを避けて、カヌレ村からマカロンタウンへも徒歩で来たのだと説明した。
 クラン、小さく頷き、
「そうですか。仕方ないですね。10日ほどかかることになりますが、歩いて向かいましょう。
 今夜は宿直室にご宿泊ください。先程の彼が今日の宿直なので、何かあれば彼に。私は明日の朝、迎えに参ります」
 言いながら、先に立って戻ろうとするクランの背中を、硫黄、
「…あっ、あのっ……」
呼び止める。
 足を止めるクラン。
「オレは、クランさんのことも、他の妖精の人たちのことも、架空の存在だなんて思ってないから」
 SFF内の時間で言うところの昨日の夕方からこれまで、まだほんの数人だが、ゲームとしてでなく直接向き合って会話をしたりして、そう思った。
 それだけは、どうしても伝えておきたかった。
「そうですか」
 背中のままで答えたクランの声からは何の感情も感じ取れなかったが、伝えられさえすればよかったので、硫黄は満足だった。

ママのパンケーキが食べたいので、私、もとの世界へ帰ります!(5)


 早朝にマカロンタウンを発ち、カヌレ村へと続く一本道。
 硫黄の半歩斜め前を歩くクランの深紅の肩当が、朝の光を跳ね返す。
 肩当と同色同素材の胸当とブーツに、赤のマントとミニスカート。露出度高めの、SFFの女戦士の初期装備だ。
 クランのそのような格好を見るのは、ゲームとしてプレイしていた頃も通して初めて。いつもは、チュートリアルに付き合ってくれた時でさえ、昨日と同じ事務職の人っぽい服装だった。
 しかし、今回の旅のために急遽用意したわけでもなさそうだ。分かりづらいが、胸当の中央にクランベリーの絵を彫るカスタマイズがされている。
 スレンダーな体型だが、ちゃんと似合っているし、腰に差した赤い鞘に納めた長剣も様になっており、その姿に対する慣れを感じさせた。
(オレの知ってる以外にも、何か、この格好でするような仕事をしてるのかな? いや、でも、チュートリアルに付き合うのと質問への回答だけで充分忙しいだろうし……)
 と、そこまでで、硫黄はハッと気付く。
(オレ、クランさんに、すごく迷惑かけてるんじゃ……? )
 硫黄とクランのこの旅は、クランが、スーパーモンブランにいるという観光庁長官の許へ、硫黄を連れて行くことが目的だが、硫黄が空間移動装置を使えさえすれば、ごく短時間で済んだであろうことなのだ。
 申し訳なく感じ、そう言うと、クランは歩みを調整して硫黄の隣に並び、
「何か勘違いなさっていませんか? あなたの望みは存じ上げておりますし、私やラズよりは長官のほうがSFFのことを更によくご存知である上に、お顔も広いですから、あなたの望みを叶えられる確率は上がりますが、あくまでもあなたの扱いは大切な資料であり、それを無事に長官へ届けることが、今の私の最も重要な仕事なのです。あなたの現在の状況は、こちらに原因がある可能性もありますので、再発防止のために。
 無事であることが必須ですから、そのために時間がかかるのは仕方のないことです」
(それなら、いいけど……)
 一応納得しながらも、硫黄は、こんな時間のかかる方法ではなく、他に何か方法は無いのかと考える。
(オレがひとりで行くとか。今の歩いてるペースを考えると、絶対、オレひとりで行ったほうが早いけど……。…ああ、でも、これはダメだな。話の内容についてはハッキリとそう言われたけど、オレ自身だって、きっと信用されてないから、逃げる心配とかされそう……。だから昨日の夜だって、あの彼と一緒に宿直室だったんだろうし……)
 他には、
(オレとクランさんが行くんじゃなくて、長官に来てもらうことって出来ないのかな? ……っていうか、そもそも、どうして2つに、マカロンタウンとスーパーモンブランに分かれてるんだ? )
 それ以外にも、
(忙しいクランさんじゃなくて、誰か他の人がオレを連れてくのは? もしかして観光庁の職員はクランさんとラズさんと長官しかいない? いや、別に観光庁の人じゃなくても、マカロンタウンオフィスの人か誰か、クランさんの信用できる人に頼めないのかな? )
 それらをまとめて聞いてみると、
「長官はスーパーモンブランを離れることは出来ません。当観光庁は、他の省庁と同じく首都・シュトレンに庁舎がありますが、他にも、SFFのスタート地点であるマカロンタウンの分室に、チュートリアルを担当しています次長の私とラズ、ゴール地点であるスーパーモンブランの分室に、ゴールした皆さんを祝福し、記念のアルバム作りをお手伝いするために長官が、と、キチンとした理由があって、2つではなく3つに分かれています」
(…アルバム作りを手伝う……。それって……)
「長官って、もしかして、マロン様? 」
「長官を、ご存知なのですか? 入口で配布するパンフレットには、名前までは記載されていないはずですが」
 マロン様、とは、ゲームとしてのSFFの中でスーパーモンブランの山頂にいる女神様の名前。
 ゲームSFFは、スーパーモンブラン登頂をし、マロン様と会うことでクリアとなる。
 エンディングでマロン様と共にSFFでの旅の思い出を振り返りつつ、旅の最中に自慢のカスタマイズ装備でインスタ映えを意識して撮ったSSでアルバムを作成して、公式サイトトップページのギャラリーで公開、ユーザーの投票でのランキング上位を目指すのが、ごく一般的なSFFの楽しみ方だろう。
 ただ、一度クリアしてしまうと、もう二度と同じキャラクターではプレイ出来ないため、カスタマイズは、しようと思えばいくらでも出来るし、LVも上限が無く(あくまでも現時点で最も高LVのプレイヤーから聞いた話、彼の現在のLVであるLV303までは)LVに応じて様々なステータスの値もきちんと上昇していくので、硫黄に限らずスーパーモンブランに行きはしても登頂は避け、やり込んでいる人も少数派ではない。
 つまり当然、
「会ったことがあるワケじゃないけど……。顔と名前くらいは知ってるよ。有名人だし」
(公式には載ってないけど、ちょっと調べれば普通にそこらじゅうに載ってるからな……。まあ、でも、そうか。SFFの都合上で分かれてるのか……)
 硫黄が観光庁の分かれている理由を納得した横で、クランのほうも硫黄が長官の名前と顔を知っていたことに「そうですか」と頷いてから、話を続ける。
「それに、私だけが特別忙しいのではなく、皆それぞれ自分の業務で忙しいのは同じですし、テレポや空間移動装置を使わずに徒歩で向かうのであれば魔物との戦闘は避けられませんから、私が最も適任です。SFFがオープンして人間族をはじめとする来場された方々に魔物を退治していただけるようになるまでは、妖精としては珍しく戦闘の能力を持つ私は、同じく戦闘可能な力を持つ仲間と共に魔物退治をしていましたから」
(ああ、じゃあきっと、今、身に着けてる装備も、その頃に使ってた物なんだ……)
 その時、行く先の方向が俄に騒がしくなった。硫黄たちの前を行くプレイヤーが魔物と遭遇し、戦闘が始まったとかだろう。
 それは当たりだった。
 暫く行って、硫黄たちがその騒ぎの現場が見える所まで追いついた時には、戦闘は既に終わり、初心者と思われる4人のパーティが肉片散らばる血溜まりの中、嬉しそうにドロップアイテムのみを全て拾い、先へ進むところだった。
 血溜まりを出来るだけ視界に入れないよう歩く硫黄。
 血溜まりに差し掛かろうという瞬間、
(! )
 突然目の前に現れたカーキ色の大きな背中にぶつかり、後ろへヨロける。
 すると、
「おっと! 」
 大きな背中の主は咄嗟に振り返り、硫黄の右腕を掴んで引き寄せ、元の位置まで戻した。
「これは失礼! 」
 その人物は、カーキ色の作業服に身を包んだ大柄な中年男性。腰のベルトに大きなドライヤーのような物を提げている。
 他2名、同じくカーキ色の作業着姿の少年少女が一緒だった。これまではこの場に無かったと思われる、大型の掃除機のような物と金属製のようだがそれほど重くなさそうな蓋とキャスター付きの大きな箱が、傍らに置かれている。
「きちんと確認してから出たつもりだったのですが……」
 申し訳なさげに頭を掻く中年男性に、クラン、
「お疲れ様です。人間族であっても彼は少し特殊な存在ですので、きちんと普段どおりに行っていたのであれば、あなたの確認作業に問題は無かったと思われます。どうぞ業務を続けてください」
 クランの発言に、
「ベリー次長っ? 」
 中年男性は非常に驚いた様子。
「何故こちらにっ? しかも、そのお姿はっ? 」
「この彼を、長官の許へ案内する旅の最中です。事情があり空間移動装置を使用出来ないので」
「そうでしたか……って、……彼っ? 」
 驚きに驚きを重ねて中年男性は、眼球が飛び出さんばかりに目を見開き、硫黄を見た。
「はい。彼は男性です。人間族は、そういうものらしいです」
(…そういうもの……? 『そういう』って何? ……いや、オレは分かるけど……。昨日のクランさんとの会話の中で、オレの性別が男だって件から女装が似合う理由までの、あの長い説明のことだよな……)
 こんな返答で納得出来るワケがない。なんていい加減な……と、硫黄が思ったところへ、
「そうですか! 分かりました! 」
(分かったっ? 何がっ? ……ああ、オレが男であることは確かだってことと、その詳細は自分には関係ないってことが、か)
 硫黄は溜息。
(まあ、クランさんも、そういうつもりで言ったんだろうし……。人間の世界にも、先生とかでたまにいるよな。『そういうものだから』とか『常識だから』とか『規則だから』とか、問答無用で、それだけで済ませようとする人)
 中年男性は、では自分はこれで、と挨拶。それから旅の安全を祈る言葉を添え、クランが頷くのを待ってから、もう一度、ごく軽く、硫黄にぶつかったことを詫びて、硫黄とクランに背を向けた。
 他2名と、3人で血溜まりを囲う中年男性。
(? )
 何をしているのか気になり、行きましょう、と歩き出すクランの言葉を悪気無く無視してしまって、硫黄はその様子を眺める。
 先ず動いたのは少年。大きな箱の側面に掛けられていた炭バサミのような物を手に、血溜まりの中の肉片を素早く拾っては、箱の中へとほかし、炭バサミでは無理な大きさの塊は手を使って放り込む。全ての肉片を回収したところで次に動いたのは少女。大型の掃除機のような物で、血を一滴残らず吸い込んだ。そこで登場したのが中年男性の腰のドライヤーのような物。地面に強風を送り、いっきに乾かす。
 少年が動き始めた時から、ものの15秒。中年男性がドライヤーを停止させた時には、もう、地面に血溜まりのあった形跡は無かった。
(…すごいっ……! )
 中年男性は一度しゃがみ、地面に触れて頷いてから再び立ち上がって、他2名と頷き合ったかと思うと、3人揃って道具も一緒に、フッと姿を消した。
「彼らは、我が観光庁のスタッフで、魔物退治の後片付けを担当しています」
 硫黄がついて来ていないことに数歩歩いてから気づいたのだろう、何歩分か先の位置からクランが説明する。
「シュトレンの庁舎に彼らを含め30のチームが待機していて、SFF内全域に張り巡らせてある各所の様子を常に観察している魔法の網が対魔物の戦闘を発見したら、テレポで速やかに向かうようになっています」
(…へえ……。だから昨日の朝、カヌレ村の外の森も、血の一滴も無い感じになってたのか……)



           *



(オレが行ったら、アプリコット、喜ぶかな? )
 昨日泣きながら見送っての今日だから、きっと驚くな、と、カヌレ村が近づくにつれ、楽しみになってきた硫黄。
 カヌレ村に着く頃には夕方になるため、今晩はカヌレ村で休むことになっている。
 まだ少し距離があるが、カヌレ村を囲う森が見えてきた。
 と、
(……? )
 微かだが、硫黄は異臭を感じ、足を止め、キョロキョロ。
 しかし、臭いの原因と思われるものは見当たらない
 クランも同じく、
「何だか、焦げ臭いですね……」
 立ち止まり、眉間に軽くシワを寄せて、辺りを見回した。
 だがやはり何も見つからなかったらしく、首をひとつ傾げてから歩き出す。
 けれども、そう何歩も歩かないうちに再び止まり、右耳を右手のひらで押さえ、
「はい。私よ」
(? )
「えっ? カヌレ村がっ? 」
 おそらく悪い意味で、とても驚いた様子を見せ、
「ええ。……ええ、分かったわ」
 まるで誰かと会話しているような独り言を続けるクランを、不思議に思って眺める硫黄。
 クランが森の方向へ視線を向けたのにつられて、硫黄もそちらを見た。
(っ? )
 森の中央付近、丁度カヌレ村の辺りから、細く幾筋かの煙がのぼっていた。
 その煙が何なのか、答えを求めて再びクランに目をやる。
「連絡ありがとう。じゃあ」
 右手を下ろしつつ、クラン、硫黄の無言の問いに、
「ラズがテレパシーで知らせてくれたのです。カヌレ村が魔物に襲われて、火事になっているって」
(っ! )
 硫黄の脳裏を、アプリコットの明るく屈託の無い笑顔と、穏やかなラムの微笑みが過った。
 何を思ったワケでもない。ただ突き動かされるように、硫黄はカヌレ村へと走り出す。
「えっ? ちょ、ちょっと! 待ってっ! 」
 呼び止めるクランの声が、とても遠くに聞こえた。





 煙の充満している森の中を、硫黄は、ひとり、煙を吸い込まないよう姿勢を低くして進む。
 カヌレ村が魔物に襲われたと聞いてから森の入口まで全力疾走してきたため、クランと完全にはぐれたのだ。
 腹と胸の境辺りが何となく苦しいのは、煙を意識して呼吸を加減しているせいだけではないだろう。
(アプリコット……! ラムさん……っ! )
 この低い姿勢では、普通に立って走るよりは、どうしても遅くなる。気ばかりが急く。

 カヌレ村の門の前に到着。瞬間、門扉の無い、その門柱と門柱の間に硫黄が見たのは、
(! ! ! )
 男戦士の初期装備をしたプレイヤーが血飛沫を上げて倒れる姿だった。
 その向こうから姿を現したのは、プリドラゴン。
 地面に転がった男戦士に、プリドラゴンは爪を振り下ろそうとする。
(まずい! )
 硫黄は反射的に胸の飾りをステッキに変形させ、その先端で宙に大きめのハート型を描きつつ、
「マジカルピュアハート」
唱えた。
 描いた大きさに出来上がったハートはピンク色。
 ステッキ先端をプリドラゴンへ向けると、ハートが目標プリドラゴンへと高速で飛んでいく。その体に当たるタイミングで叫ぶ硫黄。
「エクスプロージョン! 」
 眩い光を放ちつつ、ハートは炸裂。目標をバラバラにした。
 硫黄は門を入り、真っ直ぐに、たった今自分の倒したプリドラゴンのものと地面に横たわったままの男戦士のものが入り混じっているはずの血溜まりにピチャピチャと足を踏み入れる。
 抵抗があったはずの血溜まりに肉片転がる対魔物の戦闘後の光景。しかも、作り出したのは自分。
 しかし、全く気にならなかった。気に出来る余裕など無かった。
 何故なら、アプリコットとラムのことが、あまりに心配で。
(どうして? )
 何故なら、プレイヤーが血を流して倒れていて。
(どうして? )
 何故なら、村の中に魔物がいる。設定上、町や村の中には魔物は現れず安全なはずだ。
(どうして、こんなことに? )
 硫黄は、片膝をついて男戦士を抱き起こす。
「おい、大丈夫か? しっかりしろ! 」
 男戦士はピクリとも動かない。
(…死んで、る……? 死んでるなら、どうして……)
 どうして、教会に移動して生き返らない?
(この人、もしかしてオレと同じ存在……? …だとしたら……)
 そうだとしたら、前に考えた、SFFの中で起こる「現実ならば当たり前」なことの中のひとつ「死んだら死ぬ」のが当たり前。これは正解で、この男戦士は、もう生き返らない? そして自分も、もし死んだら、この人と同じように、教会に移動することなどなく地面に転がったままに……と、そこまで考えが及んだところで、硫黄は、頭上に影が差したのを感じて顔を上げる。
 すると、目の前にプリドラゴン。
 マカロンタウンからカヌレ村への道中は低レベルの魔物しかいないため戦闘にはならないはずだが、念のため、出発時に、魔物除けのスプレーを全身にかけておいた。しかし、こちらから仕掛ければ、さすがに向かってくる。
 硫黄は咄嗟にステッキの先端で、プリドラゴンの腹部をチョンと触り、呪文を唱えようとしてハッとした。
(…ここ、村の中だ……! )
 町や村の中では、回復系の魔法以外使えない設定になっている。
(ピュアハートは成功したけど、狙いは村の中でも自分は門の外にいたから出来ただけかもしれないし……) 
 プリドラゴンが、前脚を大きく振りかぶり、その鋭い爪を勢いよく振り下ろしてきた。
 避けるのは、もう間に合わない。
 硫黄は祈るような気持ちで、
「マジカルミニハート」
 唱えると、プリドラゴンの腹部、ステッキで触れた部分に、ピンクの小さなハートが浮かび上がった。
 力を得、硫黄は叫ぶ。
「エクスプロージョン! 」
 プリドラゴンは、体内部で爆発を起こし、破裂。他の術の時に比べ細かくなった肉片が、血液とともに飛び散った。
 硫黄は一瞬だけ、その様を確認後、目を背けて、男戦士をそっと地面に横たえてから、立ち上がる。
(…アプリコット……。ラムさん……。無事で……! )
 アプリコットとラムがどこにいるか分からないため、とりあえずラムの家を目指して村の奥へ向かって踏み出し、視線を通常に戻すと、これまでろくに見えていなかった周囲の状況が目に飛び込んできた。
 炎に包まれる家々。男戦士の仲間だろうか? やはり初期装備の僧侶とくノ一が地面に転がっている。他に人影は見当たらない。
(もしかして……! プリドラゴンに傷つけられたり、煙を吸い込んで倒れてたりして、燃えてる家の中で動けなくなってるのかもっ? )
 ラムの家へと駆けだす硫黄。
 だが、数メートルと行かないうちに、
(! )
 近くの民家から飛び出してきたプリドラゴン6体に、行く手を阻まれた。
 警戒し、一旦足を止めて、硫黄は相手の出方を窺う。
 硫黄にとってはレベルの低い魔物であるプリドラゴン相手に警戒する理由は、数が多いことももちろんだが、ゲームとして外側からプレイしていた時に比べ、直接戦ってみると……いや、まだ戦ったと言えるほどに戦っていないかもしれないが、少ない経験ながら、同じプリドラゴンで比べた時、直接のほうが、手応えのようなものを感じたのだ。
 当然、直接では迫力が違うため、それによる錯覚かも知れないが……。
 硫黄の目が、一瞬、ファイヤドラゴンの姿を映す。
 ファイヤドラゴンとは、姿こそプリドラゴンの体の色を鮮やかな赤色にしただけだが、レベルは4倍以上のLV88で、一番の特徴としては、口から火を噴くこと。SFFに登場する魔物で最強はスーパーモンブランに生息するキンググリズリーのLV99なので、LV88であるファイヤドラゴンは強いほう。
 そう、手応え的に丁度、直接戦うプリドラゴンは、ゲームとしてプレイしている時のファイヤドラゴンと同等くらいに感じられる。
(…ファイヤドラゴン……? )
 しかし、硫黄はすぐにファイヤドラゴンを見失った。
(……って、ここにいるワケないか……)
 ファイヤドラゴンの生息地は、LV80以上からでないと受けられないクエストで行くことになる火山地帯。こんな、やっと初心者を脱したようなプレイヤーの来るような所に、いるはずがない。
 気のせい、と結論を出したところで、
(いた……! )
 その目は再び、今度は確実に、ファイヤドラゴンの姿を捉えた。
 硫黄を阻んでいる6体のプリドラゴンのうち中央2体の隙間、明らかにこちらへ向かって来ている鮮やかな赤色。
 同時に、
(! )
 とんでもない光景を目にした。
 ファイヤドラゴンの後に付き従うように、数えきれないほどのプリドラゴンが、わらわらと、やはりこちらへと向かって来ている。
(…どうしよう……! )
 こんなにたくさん。しかも厄介なことに、そのうち1体だけだが、遠距離攻撃の出来るファイヤドラゴンが交ざっている。
(何とか、出来るのか……っ? )
 自分は基本的に近接戦闘には向いていない。唯一、相手に直接触れて仕掛けるミニハートがあるが、それだって本当は、仕掛けるだけ仕掛けておいて距離をとってからの起爆が理想だ。ピュアハートは完全に遠距離の攻撃。ヘビーQハートシャワーは範囲攻撃であるため一度に何体にも攻撃出来るので相手の数が多い今のような場合には便利な上に、その範囲も最大でカヌレ村全体を覆えるほどまで拡げられ、最小では今まさに行く手を阻んでいる個体のみを狙える程度まで絞れる。つまり、近接にも使えるワケだが、とにかく使用待機時間(クールタイム)が長く、1回使ってしまったら暫くは使えない。
(とりあえず、目の前のこの6体を早めに何とかして、残りは遠距離に持ち込めたら……)
 合流されてしまう前にと、硫黄は大急ぎで頭を巡らせる。
(プリドラゴンたちを倒すことだけを考えたら、今ここで、ハートシャワーを使えばいいだけなんだけど……)
 だがそれでは、後方で倒れたままのプレイヤーたちや、村の建物、逃げ遅れてその中にいるかも知れない村の人々を巻き込んでしまう。
 それを避けるためには……。
(よし! これだ! )
 考えがまとまり、実行に移す。
 先ずはステッキを水平にフワッと動かしつつ、トトトトトト、っと、目の前の6体の胸辺りに触れ、
「マジカルミニハート・エクスプロージョン! 」
 飛び散る肉片と血液の中をくぐり抜け、硫黄は、真っ直ぐにファイヤドラゴンへと向かって走りつつ、ステッキで宙にハートを描きながら、
「マジカルピュアハート」
唱えて、ステッキ先端をファイヤドラゴンへ向けた。
 ピンクのハートが高速で移動。ファイヤドラゴンにぶつかる瞬間を狙い、
「エクスプロージョン! 」
 閃いた光がファイヤドラゴンを砕くのを見ながら、硫黄は右方向へと進路を変え、プリドラゴンたちが自分の後をついてくるのを確認しつつ走る。
 右方向へ進んだ先には、広場がある。そこへプリドラゴンたちを誘導するつもりだ。
 木製の簡単な柵に囲われた広場。広場入口の戸をわざと開けたままにして入り、硫黄は、広場中央に立って、ハートシャワーを使うべくステッキを高々と揚げて待機。
 広場の面積に合わせた範囲のハートシャワーで、出来る限りプリドラゴンの数を減らす作戦だ。
 続々と広場へ入って来るプリドラゴン。硫黄を窺いつつ、囲む隊形をとり、少しずつ間合いを詰めてくる。
(もう少し。もう少しだ……)
 タイミングを見計らう硫黄。
 想定していたよりも、プリドラゴンたちの集まり方がバラけている。まだ広場への道に、プリドラゴンの姿が、少なくない数、見受けられた。
 だが、そろそろ限界だ。最も内側で硫黄を囲っているプリドラゴンたちが、あと1歩前進すれば、硫黄はプリドラゴンたちの射程内。
 直後、左側にいたプリドラゴンが小さく1歩踏み出し、その足で地面を蹴って、硫黄に飛びかかってきた。
 一瞬後れて残りの最前列のプリドラゴンたちも地面を蹴る。 
(仕方ない! )
「マジカルヘビーQハートシャワー! 」
 硫黄の叫びに応え、急速に頭上に広がるピンク色の雲。そして、そこからの、ピンクのハートの塊の凶暴な雨。
 雨はプリドラゴンたちの肉を切り裂き骨を砕き、ドカドカと地面にめり込む。
 雨が止み、静かになった広場。
 広場入口に、後続のプリドラゴンたちが怯んだ様子で溜まっている。
 硫黄はラムの家へ行きたい。そのためには、プリドラゴンの溜まっている、あの入口を通らなければならないのだが……。
 目の前でたくさんの仲間が殺されたのだから怖がって逃げてくれないかと期待するが、甘かった。
 広場を出るべく硫黄が一歩、入口方向へ足を踏み出したのが刺激になったか、プリドラゴンたちは、入口付近の柵を壊しながら、一斉に広場へと雪崩れ込んで来たのだ。
 その数は、たった今ハートシャワーで倒した数の半分より多い。
 しかしハートシャワーは、まだ使用待機時間に入ってもいない。実は、術の発動が完了していない。返す刀があるのだ。
 硫黄は一歩踏み出していた足を元の位置へ戻してから叫ぶ。
「エクスプロージョン! 」
 すると、硫黄の立っている場所を中心とした半径50センチメートルの範囲を残し、広場の地面が激しい爆発を起こした。
 地面にめり込んでいたハートシャワーの塊が、全ていっきに爆発したのだ。
 舞い上がった土が落ち着いた時、広場の中には、硫黄以外、動くものは無かった。
(アプリコット! ラムさんっ! )
 駆け出し、広場を後にする硫黄。
 入口近くに1体だけ残っていたプリドラゴンを大きく避けて通り過ぎようとすると、
(! )
 前脚を振り上げ、こちらへ向かって一歩踏み出しつつ爪を振り下ろしてきたため、爪をかわし、腹部にステッキ先端でチョンと触れ、
「マジカルミニハート」
その場を離脱しつつ、
「エクスプロージョン! 」

(アプリコット! ラムさんっ! )
 硫黄はラムの家の前へ到着。
 ラムの家は燃えていた。
 家の中へ飛び込もうとする硫黄。
 そこを、
(! )
 後ろから、誰かに肩を掴まれ止められた。
「大丈夫。村の人は皆、無事です。私がラズから連絡を受けた時点で既に、空間移動装置を使用してマカロンタウンへ避難が完了していたのです。待って、と止めたのに、あなた、聞かずに行ってしまうから……」
(…無事……。良かった……! )
 ホッとし、硫黄はいっきに力が抜けた。
「あなたは大切な資料なのですよ? 自重してください」
 怒られ、そうだよな、と、素直に反省し、硫黄、
「……ごめん」
「でも、ありがとう。助かりました。私ども観光庁のスタッフは、安全第一の規則があり、魔物が1体でも近くにいては、消火活動も始められませんので」
 …消火も観光庁? …なんか、何でもかんでも観光庁の仕事なんだな……そう思い、言うと、
「ええ。魔物に関わる全てのことが、私どもの役目となっています」
 そこまでで、クランは小さくひとつ息を吐き、さて、と切り替えて、
「お疲れでしょう。この村の入口付近に、私の祖母の家があるのですが、他の被害に遭われた方々には申し訳ないながらも幸い無傷でしたので、そこで休みましょう。先ずは入浴をされたらよいかと存じます」
 言われて、
(…いや、別に疲れては……)
 あらためて自分の体を見下ろし、吐き気と目眩を感じた。
 血みどろだったのだ。自分は一切傷を負っていないので、全て、遠距離で倒したファイヤドラゴンも一応含めて、プリドラゴンの血。
 自分は一体どれだけの命を奪ったのだろう、と、震えが止まらない。
 あまりにアプリコットやラムが心配で、必死で、命を奪うことを、全く何も感じられなくなっていた。

 ショックを引きずりながらクランの後に従い、村入口付近の彼女の祖母の家へと着いて、彼女が玄関の鍵を開けている最中、硫黄は、白衣姿の男性たちの運ぶ担架に乗せられ村の外へと運び出される、先程の男戦士・僧侶・くノ一を見つけた。
「あの人たちは、この後、どうなるの? 」
 硫黄の視線を追い、クラン、
「テレポで、救護所である最寄の教会へと運び、回復術を施します」
 なるほど、そういうワケで死んだら教会で復活するのか……ってことは、彼らはオレと同じ存在ではなく、一般的なプレイヤー? いや、もしかしてオレも、死んだらそうしてもらえて、普通に生き返れる? ……試してみるワケにはいかないが……。……とにかく、あのプレイヤーたちが死なずに済むということで、少し、ほんの少しだが、気持ちが楽になった。
「どうぞ」
 玄関を開け、硫黄を通すクラン。
「お邪魔します」
 玄関をくぐりながら、
(あれっ? )
 硫黄はふと、疑問を持った。
(どうして、わざわざ村の外に? オレは普通に魔法を使えてたけど……。だからこそ、まともに戦えたんだけど……)
 そう思い、聞けば、
「今は、あなたも使えないはずです。今回、魔物が村の中へ入ってこれたのは、村を囲う塀の一部が壊れた影響で結界が破れたためでしたので、作業の安全のため真っ先に塀を補修し、結界を張り直しました。あなたが村の中で攻撃魔法を使用できたのも同じ理由ですので」
 硫黄は納得し、安心した。
「じゃあ、もう村が魔物に襲われることは無いんだ」
 すると、クランが急に表情を曇らせ、
「ええ、まあ。とりあえずは……」
「とりあえず? 」
「まだ調査中ですが、塀が、魔物によって壊された可能性があって……。もし本当にそうであれば、新しく何らかの対策を講じねばなりません。こちらの村に限らず」
 クランは溜息。
「これまで、このようなことは無かったのですけどね……。ここ最近、以前に比べて魔物たちが強く凶暴になってきているので、もしかしたら知恵までついてきていて、結界を破る方法として塀を傷つけることを覚えたのかも知れない、と……。
 知恵がついてしまった可能性を示す事例は、既に確認されているのです。本来の生息地ではない、自分の優位に立てる地に移動をして、そこに生息している自分より弱い魔物を支配していたりとか……」
(ああ、さっきも、ここにいないはずのファイヤドラゴンがいたよな……)
 クランは、もうひとつ溜息。それから、玄関のドアを閉め、
「どうぞ、奥へ。今、風呂の用意をします」  
                                                                                                                                                                                                                                                                                                   

ママのパンケーキが食べたいので、私、もとの世界へ帰ります!(6)


(……? )
 何やら焦げたような臭いが、カヌレ村内クランの祖母宅のベッドの中で眠る硫黄の鼻腔を刺激し、覚醒を促した。
 その臭いの意味するところを寝ぼけた頭で理解するのには少々時間を要し、理解して、
(火事っ? また魔物かっ? )
飛び起きる。
 臭いはするが、煙が充満しているほどではなく、火の手も見当たらない。
 ベッドを出、部屋を出て、小さな家なので、そこはもう、玄関から直接つながるリビングダイニングキッチン。
 正面のキッチンスペースに、パジャマ姿で髪も下ろしたクランの背中があった。
 煙はクランの向こうから上がっている。
(ああ、そういうことか……)
 クランが何か料理を作っていて焦がしたのだ。
 火事ではないと分かってホッとする硫黄。
 ホッとしたことで周囲が見える。
 窓の外が明るい。
(もう朝か……。そんな長い時間、寝てた気がしないんだけど……)
「おはよう」
 硫黄が声を掛けると、クランは頭だけで振り返る。
 その動作に髪が揺れる。腰までの長さの艶やかなストレートの髪。
(結んでないとこ初めて見た……。キレイな髪だな……)
「おはようございます。今、朝食が出来上がりますので」
(……)
 硫黄は数歩前進しつつクランの手元の見える位置へと回り込む。
 クランの正面には、煙が立ち上っているフライパン。中身はパンケーキ。パッと見、美味しそうに焼けているので、裏側、今焼いている面が大変なことになっているのだろう。
 フライパンのパンケーキ以外には、卵の殻などのゴミや、まだ中身の入っている「パンケーキの素」と書かれた紙袋と「牛乳」と書かれた瓶、割れていない卵、あとは道具類が散らかっているだけで、他に「今出来上がる朝食」らしき物は見当たらない。
(ってことは、このパンケーキがオレの朝食か……)
 もう充分に火が通っていると思われるにもかかわらず、何故かフライパンを火から下ろす気配の無いクラン。
 もったいないので、可食部を少しでも多く確保するべく、硫黄、
「クランさん。それ、もう焼けてると思うよ」
 するとクラン、硫黄の指摘に気分を害したのか、、ちょっと面白くなさそうに眉を寄せ、
「あなたは、料理が出来るのですか? 」
「SFFの中では、やったこと無いけど」
(いや、もとの世界でも、箱や袋の裏に作り方が載ってるようなナントカの素みたいなのを使った物しか作ったこと無いけど……。あとは、学校の調理実習くらいだけど、そっちは、ほぼ皿洗い係だったし……)
 それでも、
「そうですか」
 人間の世界ではやったことがあり、一応出来ると知ってか、イオいうの言葉を受け入れ、ようやくフライパンを火から下ろし、皿に移す。
 皿に移して初めて、裏が焦げていたことを知ったらしく、気を落とした様子で俯いた。
「ちゃんと火が通っているか心配で、ちょっと長めに加熱していたのですけど……」
(うん、火を通さなきゃ食べれない物が、ちゃんと火が通ったか心配で、長めに焼きたくなるのは、気持ち分かるなあ……。さすがに焦がしはしないけど……)
「昨日の夕食は、家の中にいるにもかかわらず携帯用保存食で済ませてしまいましたので、何か、ちゃんとした食事をと……。祖母が居りましたら、きちんとした物をお出し出来たのですが……」
(…オレのため……っ? オレのために、慣れない料理を……っ? )
 硫黄は驚いた。
「オレのために、作ってくれようとしてたの? 」
「え……! 」
 今度はクランが驚いたように硫黄の顔を見、みるみる顔を赤らめて、その上で、急いだ感じで視線だけを逸らす。
「か、勘違いなさらないで下さい。あくまでも、この家の主人代行として、客人を持て成さねばというだけのことです」
 本当は照れているのに一生懸命に素っ気無い態度をとって誤魔化そうとしているのが、ありありと分かってしまって、何だか可愛く感じられた。
(…何か、クランさんって、ゲームSFFのNPCとして画面の外から見てた時とか、SFFの中に入ってから最初に会った時の印象より……)
 直後、グウッキュルルルルル……。ものすごく大きな腹の虫。硫黄ではないので……。
 目の前のクランがますます赤く、もう真っ赤になり、腹を押さえて下を向いた。
(ホント、クランさんって思ってたより……)
 何となく愛しさを感じていたことと、たまたまパンケーキの素の袋が目に留まったことで、ある考えが浮かんだ。
 パンケーキの袋の裏には作り方らしき文字があるのが見える。牛乳と卵もともに、仮に人間の世界で1人分のパンケーキを作る時に必要な分量は確実に残っている。
 硫黄はパンケーキの袋を手に取り、その重さで残量が充分であることを確認しつつ、やはり作り方であった裏面をザッと斜め読み。人間の世界のものとほぼ変わらない、その作り方に、
(うん、これなら出来そうだ)
心の中で頷いてから、
「クランさん、オレも作ってみていい? クランさんがオレのを作ってくれたお礼に、オレがクランさんの分を作るよ」
「え? ですが私は主人代行として持て成しているのであって……」
 そう言うクランを、いいから、と、そっと押し退け、火のついたままのコンロに使用後の状態のまま戻されたフライパンに視線を落とし、
(多分、鉄だよな……。このフライパン……)
 フライパンが鉄製であることを確認後、焦げついてはいないので、油を引いた。
 材料を混ぜ合わせてタネを作り、濡れ布巾を用意してコンロのすぐ横に広げ、もう油が充分に温まっているはずなので、一旦、フライパンを布巾の上に下ろし、ジュッとやる。フライパンが鉄製の場合はそうするよう、調理実習でパンケーキを作った時に、家庭科の先生が言っていた。そうすることで表面がキレイに仕上がるのだと。
 そうしてからフライパンをコンロに戻し、タネを流し込んだ。
 火が少し強い気がしたので、調節……しようとして困る。
 コンロを上から見ている分には人間の世界の物とそう変わらないが、正面に通常あるべき着火や火力の調節に使う、押すタイプだったり回すタイプだったりするアレが無いのだ。
 困っている硫黄に気付き、クラン、
「どうかされましたか? 」
 火力を弱くしたいんだけど、と話すと、
「それなら」
 すぐ横の棚から小さな円筒型の缶を取り、コンロの火に近づけて蓋を開ける。
 すると、コンロから、表面に薄く炎を纏ったビー玉大の球形の生物(? )が転がり出て来、空き缶だったその中へと納まった。
 クランは缶の中へと向かって、
「ありがとう、お疲れ様」
と言ってから、蓋をし、もとの棚へ戻した。
 コンロの火を確認してみれば、これまで中火くらいだったのが弱火になっている。
「今のは? 」
 硫黄の質問に、クランは首を傾げる。
「今の? 」
「今、仕舞った、丸いの」
「火の子(ひのこ)のことですか? 」
「火の子? 」
「火の子を知らない? 人間の世界では、火を使わないのですか? 」
「いや、使うけど」
「火の子を使わずに、どうやって? 」
(どうやって、って言われても……。そう言えば、ちゃんとは知らないな……)
「仕組みはよく知らないけど、多分、物と物の摩擦熱で出来た火種を燃料に引火させて大きくしてる…とかかな……」
「多分? 」
「うん、だってオレは世代的に、昔の人が作った便利な物を使って生活してるだけだから」
 そこまで言って、硫黄は、ちょっと反省の念を抱いた。
「こんな話でも出なけりゃ考えることも無くて恥ずかしいけど、仕組みを知らないどころか、オレは普段、その便利な物を生み出してくれた昔の人への感謝の気持ちすら持ってないよ。なんか、当たり前になっちゃっててさ……」
「私も同じです。私も自分で新しい何かを作り出すことはしませんし、すっかり当たり前になってしまって、普段使っている物を作り出してくれた方に感謝の気持ちも持ちません。
 どうして、慣れると当たり前と感じてしまうのでしょうね。物に限らず……。
 これまでいつも、私がこの家に客人を連れて来ると、祖母が上手に持て成しておりました。昨日の夕方から今現在、私はあなたを持て成そうと努めておりますが、上手くいきません。祖母のしてくれたこと……して『くれた』なんて表現をするのも実は初めてなのですけど、当たり前ではなかったと痛感いたしました。
 誰かが自分にしてくれる何かに、身近に存在してくれている何かに、当たり前のものなど何ひとつ無いのかもしれませんね」
(クランさん……)
 硫黄はクランに共感した。母の顔と、母の作ったパンケーキが思い出される。
(オレも、当たり前になってたかも……)
 日常的に感謝を言葉や態度で表してはいたが、表面的ではなかったか?
 自分の感謝の言葉や態度もセットで当たり前になって、今になって思い返すと、本当に感謝出来ていたか怪しい。「オヤツでーす」と呼ばれて、「えー? 今? 」とか「タイミングがなー……」とか、オヤツ自体は食べたいくせに、贅沢な不満を、もちろん口には出さないが、確かに抱いていた。
 そんな話をしている間に、フライパンの中のタネがブツブツ。更にそこがそのままクレーターとなり乾いてきたので、フライ返しで裏返す。
(うん、キレイに出来た)
 それほど厚く焼いているワケではないので、裏返してから焼き上がりまでは、少しだけ待って、フライパンを揺すると中で滑るのを確認後、皿に移した。
「よし、食べるか」
 言って、硫黄は自分の焼いたパンケーキの皿とクランの焼いたパンケーキの皿を持って
回れ右。部屋中央の食卓へ移動。昨日の夕食時に勧められた席の前にクランの焼いたほう、その向かいの、昨日クランが座っていた席の前に自分の焼いたほうを置いた。
 クランはコンロ脇のスペースでお茶を淹れている。
 その背中に、
「クランさん、何か手伝えることある? 」
「もう済みますので、お掛けになってて下さい」
 頷き、昨日の夕食時と同じ席に着く硫黄。
 言葉のとおりクランも、すぐに、カップ2つが載っているのが見えるトレーを手に食卓へ。カップをトレーから食卓に移しながら、硫黄の前に置かれたパンケーキに目を留め、
「本当に、焦げたほうでよろしいのですか? 」
「こっちがいいんだよ。だって、せっかくクランさんがオレのために焼いてくれたんだから」
 クランはまた赤くなり、
「そうですか。それなら、よいです」
 硫黄から視線を逸らして、カップのように背が高くないため運んでいる最中には見えなかったが実はトレーに載っていたバターとバターナイフを食卓中央に置き、目は合わせないまま押し付けるように硫黄にフォークを手渡した。それから、自分も席に着く。
 硫黄と目が合わないようにするためか、クランは、ずっと下を向いて、しかし、行儀よく手を合わせ、きちんと「いただきます」を言って食べ始めた。
 硫黄も、いただきますを言ってから食べ始める。
 少し焦げているくらなら、香ばしくて、むしろ好きだ。
 クランお手製のこのパンケーキに関しては、少し焦げている、というレベルではないが、せっかく作ってくれたのだし、完全に炭になっている裏側2ミリほどの部分も、避けることはせず味のアクセントだと思って残さず食べる。
 だって、作ってくれた人の目の前で残すって、何かカンジ悪いし、したくない。
 食品の焦げた部分は発がん性がナントカ聞いたことがある気がするが、それは極端に焦げばかり大量に食べた時の話だろうし、発がん性を気にするなら、喫煙者である父や学校の担任やバイト先の店長と積極的に距離を置いて副流煙を避けるようにすることが先だと思う。
 クランは俯き加減で静かに静かに食べている。
 硫黄がこれまで何度か作ったことのある中で、多分、最高の出来の1枚。
 美味しいとも何とも言わないが、そんな言葉より、頬を緩めて少し笑みさえ浮かべ、ひと口ひと口大切そうに、ゆっくりと味わってくれている、その様子が嬉しかった。


                  *


「クランさん危ないっ! 」
 朝食後、身支度を済ませて、クランの祖母宅を、港町・ボーロタウンへ向けて出発。カヌレ村を囲う森を、クランが斜め半歩先に立って抜けたところで、突然、イヌの形をした1体の魔物が飛びかかって来たのだ。
 黒く短い体毛をした、細身だが筋肉質のイヌ。ストレイドッグ(LV22)だ。
 その向こうに、同じくストレイドッグが、まだ数体、グル……と唸りながら、こちらを見据えている。
 硫黄は咄嗟にクランの手首を掴んで強く引っ張り、自分の後ろに隠すと同時、胸の飾りをステッキに変形させて、ストレイドッグの腹にチョンと触れざま叫んだ。
「マジカルミニハート・エクスプロージョン! 」
 体内部で爆発を起こし、飛び散るストレイドッグ。
 すぐ次の瞬間、空中に散った同胞のその血と肉片を目眩ましとして利用する知恵があったか、たまたまか、赤いカーテンを突き破って、目の前に、残り数体のうち2体が現れた。
 再びミニハートで対処しようとしたところを、いきなり、
(! )
後ろから手首を掴まれ強い力で引っ張られる硫黄。
 今度は硫黄がクランの後ろに隠された。
 クランは抜刀ざま、2体を一度に薙ぎ払う。
 その隙に、
「マジカルヘビーQハートシャワー! 」
硫黄は頭上にピンクの雲を発生させた。
 降り注ぐピンクのハートの凶暴な雨が、クランが腹から真っ二つにした2体もろとも、残りの全てのストレイドッグを一掃。
 硫黄は、ホッと安堵の息を吐く。
(クランさんと一緒に戦うのは初めてだったけど、なかなか良い連係が取れてたな……)
 それから周囲を見回し、そこに出来た血溜まりに嘆息した。
(…まだ、こんなことが暫く続くんだよな……。…って、始まったばかりか……)
 そう、スーパーモンブランまでの道のりは、まだまだなのだ。
 隣でクランが呟く。
「魔物も馬鹿ではないので、これまでは自分たちよりも確実に強いような相手はきちんと嗅ぎ分けて、むやみに襲ってくるようなことは無かったのですが、しかも、まだ朝の、こんな時間帯に……。本当に、凶暴化しているのですね……。それに、強さ的にも……」
 それから、一度、息を吸って吐き、気持ちを切り替えた様子を見せてから、
「さあ、行きましょう」
歩き出すクラン。
 硫黄も深呼吸で心の中を換気し、続いた。
 直後、前を行くクランの体が、フラフラッと不安定になる。
(? )
 膝がカクンとなり崩れそうになったところを、
「クランさんっ? 」
硫黄は反射的に受け止めた。
 青ざめた顔。しかし頬は不自然に紅潮し、額には汗がビッシリ。呼吸も荒い。ただ事ではない。
 慎重に支えながら、ゆっくりと地面に座らせ、自分の胸に寄り掛からせる。
 よく見れば、二の腕の僅かな露出部分に、真新しい小さな傷。
(まさか……! )
 硫黄はハッとする。
(今のはストレイドッグじゃなくて、マッドドッグ……っ? )
 マッドドッグとは、以前、イベント時限定で、とある理由から町の中に現れた魔物。ストレイドッグと同じLV22で、外見的にも、目が血走っていて唾液を垂らしているくらいしか違いが無い。ただ、その牙や爪に少しでも触れると毒状態となり、時間の経過とともにHPが削られていくので、ストレイドッグに比べ危険度は高い。
 と、クランが喘ぐように何かを言おうとする。
 途切れ途切れ掠れ気味の小さな声。
 懸命に聞き取ろうとする硫黄。
「…私、の……カバ…ン、に、万能…薬、が……」
 聞き取って、
「じゃあ、開けさせてもらうよ」
 クランの四次元バッグの中をあさり、万能薬の瓶を見つけてクランに飲ませる。
 飲み干した瞬間に呼吸は静かになり、顔色も、何となく良くなった。
(うん、少し休めば大丈夫そうだな)
 ひとり頷いて、万能薬の空き瓶をバッグに戻そうとし、間違って万能薬と一緒に取り出してしまった魔物除けスプレーも仕舞うべく手に取って、ふと、その缶の裏側の効果・効能の欄が目に留まる。
 そこには、「LV20までの魔物の忌避」。
(そうか。そういうことだったのか……)
 昨日、カヌレ村内でプリドラゴンに襲われたことは、こちらから仕掛けたのだから当然として、マカロンタウンを出発後カヌレ村到着までは一度も襲われなかったのに、何故、今日は襲われたのか、と疑問に思っていたが解決した。
 魔物除けのスプレーの効果は、プリドラゴンまででギリギリ。もともとボーロタウンへの道中に出没する魔物には効かなかったのだ。
 要因はそれだけとは限らないが、マカロンタウンからカヌレ村の道中とカヌレ村からこれまでの道中の明確な違いはそこだ。
(スプレーが効くなら……)
 キチンと、その場所に出没する魔物のレベルに合ったスプレーを用意出来れば、無駄な戦闘を回避出来るかも、と希望を持てた。




                             

ママのパンケーキが食べたいので、私、もとの世界へ帰ります!(7)


 生まれたばかりの太陽の光を、波が静かに返す。
 ボーロタウンと隣接する南の大都市・ポルボローネの宿を出発し、本当は、山越えになるが最短であるルートを行く予定であった硫黄とクランだが、途中の川を渡す橋が落ちてしまっているとの情報があり、アマンディーヌ湾沿いを、西の都・チュイールを経由するルートで行くことにしたのだった。
 その行く手を、ゼラチン質で白色・半透明、半球形の体に多数の長い触手をもつジェリーフィッシュ(LV25)2体と、球形の全身を紫色の鋭い棘で覆われたシーウチン(LV23)が阻んだ。
 硫黄は胸の飾りをステッキに変え、その隣で、ミニスカートが深いスリットの入ったロングスカートになっただけで外見はほぼ変わらないが真新しい装備に身を包んだクランが、剣を抜いて、共に落ち着いて身構える。
 残念ながら、LV20より上の魔物対応のスプレーは手に入らなかった。
 店員に聞いたところ、そのような物は存在しないという。
 一般的に妖精たちの移動手段は空間移動装置を使用するかテレポなため魔物除けなど必要なく、LV20までの魔物除けスプレーは、完全に、SFF初心者の人間族をサポートするためだけの物であると説明された。
 港町であるボーロタウンと隣接しているため海外の珍しい品まで手に入る、首都・シュトレンを差し置いて国内で最も物資が豊富であると言われるポルボローネの、しかも大きな店の店員が言うのだから間違いないだろう。
 LV20より上の魔物に対応できるスプレーを探す以外にも、硫黄もクランも回復系の魔法が使えないため回復系の薬を大量に買い込んだり、遠慮するクランに硫黄が、必要な物だからと、彼女の装備可能な物の中で最も良い物を、キチンと胸当のクランベリーの絵のカスタマイズも再現して買ってあげたり、それならお礼にと、今度はクランが硫黄に、諸々の値にはほぼ影響しなさそうだがゲームSFFの中では見たことの無いリボンの飾りのついた輸入品のヘアピンをガラス製のハート型のビーズでカスタマイズした上で買ってくれたりと、昨日ボーロタウンに到着したのは、まだ昼頃だったが、出来るだけ野宿は避けたいため、買物をして、ポルボローネで宿をとって、朝になるのを待ち、出発。急遽ルート変更をしたので、その時間調整は完全に無駄に終わったが……。
 そんなこんなで今に至る。
 道中、魔物に襲われることは、織り込み済みだ。
 LV20より上の魔物対応のスプレーがあれば魔物を殺さずに進めるのではと淡い期待を一度は抱いたが、存在しないものは仕方ない。
 だが、やはり出来るだけ回避出来れば、それに越したことはないので、とりあえずステッキを向け、威嚇してみる。
(…ダメか……)
 ジェリーフィッシュもシーウチンも、逃げて行ってくれる様子が無いどころか、にじり寄って来た。
「クランさん」
 硫黄はクランの胸の前を横切るように、そっと腕を伸ばし、退がらせつつ、自分も、威嚇は続けながら、ゆっくり後退。
 ジェリーフィッシュの触手に触れるとマヒ状態になり、シーウチンのほうは、棘に刺されると毒状態となる。そのため、この魔物たちとの戦闘では、距離をとって遠くから叩くのが定石だ。
 ただ……、
(さすがに、このくらいで大丈夫、かな? )
 その距離が分からない。当然、ゲームSFFでなら分かるのだが……。
 約5メートル。想定の倍近くの距離をとって硫黄は足を止め、ステッキを掲げて叫ぶ。
「マジカルヘビーQハートシャワー!!! 」
 頭上に急速に広がっていくピンク色の雲。
 その時、
(! )
 手を離せない硫黄に向けて、2体のジェリーフィッシュから高速で計4本の触手が伸びてきた。
(こんな遠くまでっ? それに速いっ! )
 クランが一歩踏み出しつつ、4本まとめて斬って捨てる。
 直後、雲が完成。ジェリーフィッシュ・シーウチンらの本体の上に、ドカドカと凶暴な雨を降らせた。
 硫黄は血と肉片の飛び散る光景を覚悟するが、ジェリーフィッシュは、まるで水のような無色透明の液体となって崩れて地面に水溜りを作り、シーウチンのほうは、真っ二つになった体から、思わず、美味しそう、と言ってしまいそうになる山吹色のふっくらとした塊を覗かせているだけだった。
(…そりゃそうか。クラゲとウニだもんな……)
 命を奪ったことに変わりはないはずなのに、その実感が湧かず、ホッとした。
 戦わないわけにはいかないのなら、結果、殺してしまうことになるのなら、せめて、こういった死に方であってくれたら気が楽なのに、と思った。
 それは完全に気のせいであると知っているが……。


                  *


 クラフティ川河口近くにあるトフィー村へ到着したのは、正午を少し回った頃。
 予定では昼前に確実に着くはずだったのだが、魔物に阻まれる回数が多く、遅れた。
 だが、急ぐ必要は無い。今日の宿をとる予定のスフレ村へは、クラフティ川に沿って、そのまま上流方向へ普通のペースで歩けば3時間ほどで着く。それでも先へ進まない理由は、昨日ポルボローネに留まった理由と同じく、野宿を避けるための時間調整。スフレ村から次に目指す西の都・チュイールまでが遠く、夜明けと同時に出発したとしても到着は夜になるためだ。
 と、いうわけで、
「いただきます」
「いただきます」
硫黄とクランは、トフィー村内の定食屋に立ち寄り、ゆっくりと昼食を食べて行くことにした。
 テーブルの上の干物とアラ汁の定食に手を合わせ、箸をつける2人。
 美味しくいただきながら、硫黄は、そう言えば、と考える。
 昨日の昼食はボーロタウンで釜揚げシラス丼とアサリの味噌汁を食べた。夕食はポルボローネで魚介を使ったパエリアやマリネなど。カヌレ村やマカロンタウンでは、そのような魚介の料理は食べなかったな、と。
 ゲームとしてSFFをプレイしている時には、回復アイテムとしての食べ物や飲み物は存在するものの、食事という行為はしないため、また、回復アイテムとしても、同じ金額の物なら食品より薬の類のほうが高い効果を得られるので、全く気に留めていなかったが、海の近くの町では、やはり、海の幸を食べる習慣があるのだな、と。
「あの」
 不意にクランから声が掛かり、硫黄、ハッとして彼女を見る。
「あ、ゴメン。考え事してた」
「いえ」
「何? 」
「食事が終わったら、出発前に、2軒向こうのお煎餅屋さんへ寄って行きませんか? 」
「煎餅屋? 」
「はい。トフィー名物で、エビ煎餅という物があるのですが、お湯の中に入れると、美味しいスープになるので。明日の昼食は、どうしたって外でしょう? ですから、どうかな? と」



 昼食後、煎餅屋に寄ってエビ煎餅を買い四次元バッグの中へと仕舞いながら店を出て来たところで、
「エスリンさん? 」
どこからか名を呼ばれた。
 キョロキョロする硫黄。
 すると、向かいの商店の前から、声の主らしい少女が駆けて来た。
 人間の世界の修道女そっくりな紺色の清楚な正統派修道服で走りづらそうに、黒髪ストレートのロングヘアを揺らして……。
(ぴいたん……)
 ゲームSFFの外、人間の世界での数え方で5日ほど前に知り合い、暫く行動を共にした修道女。
 硫黄の目の前まで来た、硫黄より少しだけ身長の低い彼女は、人懐っこい上目遣いで硫黄を見、
「この間はありがとうございました! エスリンさんと別れた後も、エスリンさんに教えていただいた方法でレベリングを続けて、おかげさまで、もうすぐLV150になります! 」
(出会った時点でLV28、別れた時にLV40だったから、4日間で110……! ああ、そうか。今は経験値10倍中か。…それにしても……)
「すごい! 頑張ったね! 」
 感心した硫黄が、そのまま口に出して褒めると、ぴいたんは、ちょっと照れたように、でも嬉しそうに、
「はい! 」
 硫黄の教えた方法とは、回復役の同行していない、かつHPが少なくなっていたりステータス異常を来していたりするプレイヤーに、一時的にパーティーを組んでもらって、回復術を施す、というもの。自らは攻撃する術を一切持たない修道女であり、他人とのコミュニケーションを苦としないぴいたんが、ひとりでレベリングするには、これ以上ない方法だ。
 ぴいたんと、ごく普通に会話をしていて、硫黄は、あれっ? と思った。
(…どうして、普通に会話が成立するんだろう……? )
 SFFの外からプレイしているプレイヤーの言葉が音声として聞こえることや、その表情も変化して見えることは知っているが、ただ聞こえてくる分には関係なくとも、会話となれば、外と中では時間の流れる速度が違うため、こちらの言葉は向こうにとっては異常に速く、そしてこちらには、向こうの言葉が恐ろしくゆっくり聞こえるはずでは? と思ったのだ。
(まあ、その辺は、なんか上手いこと調整されてるんだろうな……。大体、こっちの発言は向こうにはテキストとして表示されているんだろうし、逆に向こうのは、本当は音声じゃなくて文章だろうし……)
それから、そう言えば、と思う。
(これって、外にいる人とコミュニケーションが取れるって証明だよなっ? )
 すごい進展だと、硫黄は嬉しくなった。
 だって、ぴいたんが自分と同じようにSFFの中に入ってしまっているとは考えにくい。
 もし、そうなら、ぴいたんのレベルでは、きっと、自分以上に困って、自分の姿を見掛けるなり助けを求めてくるに違いないから、と。
 そこへ、
「クラン・ベリーさんっ? 」
ぴいたんが頓狂な声を上げる。
 あまりに突然だったので、硫黄はビクッ。
 クランも、ちょっと引き気味に、
「あ、はい……」
返事をしてから、硫黄の耳元に口を寄せ、小声で、
「こちらの方は、一体……? 」
 ぴいたんのほうも無言で硫黄に説明を求めていたが、小声でもどうやら、ぴいたんにも聞こえてしまっていたようなので、先に、クランにぴいたんを紹介することにした。
「彼女は、ぴいたん。人間族の修道女で、オレ……私とは一度、暫くの間、行動を共にしてたことがあるの」
 続いて、ぴいたんに向けて、
「クランさんとは、ちょっとワケあって、スーパーモンブランまで徒歩で旅をしてる最中なんだ」
「クエストか何かですか? 」
「うん、まあ、そんなとこ」
ギリギリ嘘にはならない程度の説明をした。
 本当のことを隠すつもりは無いのだが、話したところで信じてもらえるとは思えず、変なことを言っていると思われて嫌われてしまうのが怖いので、積極的に話すのは、やめておこうと考えたのだ。
 外の人にも相談したいとは思っているのだが、ぴいたんはリアルの自分を知らないので意味が無い。外の相談相手に先ずお願いしたいことが、現在の自分の体がどうなっているのか状況を確認しに行ってほしい、ということだから。
 それじゃあレベリング頑張ってね! と別れの挨拶をし、クランと連れ立って歩き出した硫黄を、
「あのっ! 」
ぴいたんは呼び止める。
「暫くの間、ご一緒させていただいてもいいですか? この後、他の人と約束してるんですけど、まだ少し時間があるので」


                  *


 ぴいたんも一緒にスフレ村へと出発。
「この後に約束してる他の人って、彼氏? 」
 そう、ぴいたんは他の人の求めで修道女という職業を選び、その人に色々と装備などを買ってもらってプレイしているワケだが、その、他の人、というのが、付き合い始めてまだ半月ほどのリアルでのぴいたんの彼氏であること、2人のデートはSFFの中ばかりで、少なくとも以前に硫黄と行動を共にした時点まででは、まだ一度も外でデートしたことが無いということ、この先も、その気は無さそうだということは、ぴいたんから聞いて知っていた。
 硫黄の質問に、
「はい」
頷くぴいたん。
「そうなんだ」
 頷き返す硫黄。
 だからどうということの無い質問。ぴいたんのことは、外見がとにかく硫黄好みだし、内面も、以前に行動を共にしている間にかわした会話などから知った頑張り屋さんなところや自信の無さ、それを隠そうとしない素直なところ、けれども暗く落ち込むワケではなく相手に心配かけまいと明るく振る舞う優しさに、惹かれた。だから本当は、興味もあるし、聞きたいことや言いたいことなら、たくさんあるけれど……。
 例えば、ぴいたんはオンランゲームに慣れていないらしく硫黄が注意するまで出会って間もない硫黄相手にリアルのことを平気で話してしまっていて、その時までに知ったこととして、「ぴいたんは中学3年生、彼氏は高校2年生」との情報があり、この先も彼氏がぴいたんと外でデートする気が無さそうだというのは、別に彼氏がそう言ったワケではなく、ぴいたんが勝手に、「彼女が中学生だなんて、きっと恥ずかしくて、だから外でデートしないんだ」と思い込んでいる。その件について、「彼女が中学生だからって恥ずかしいなんてこと、無いと思うけど。だって、オレなら全然恥ずかしくないよ」とか、「彼氏だって、ぴいたんが良くて、ぴいたんと付き合ってるんでしょ? 」とか、「外でデートしたいなら、そう言ってみれば? 」とか、本当は言いたい。
 けれども、知り合って間もない相手にリアルのことでアドバイスなんて出過ぎた真似だろうし、大体、ぴいたんには自分が女性であるということになっているのだから……いや、本当はただ女性の姿をしたアバターを使っているというだけで、ネカマをしているつもりはなく、隠す気も無いのだが、ぴいたんは自分を女性であると思い込んでいて、彼氏持ちだし、女性だと思っているからこそ仲良くしてくれているのかも知れないと思うと、今更、男だとバレたくないので男目線でのアドバイスは出来ない。
 と、一行の目の前が、突然、硫黄の身長の3倍はある高い壁で塞がれた。光沢のある黒に近い濃紺に淡いピンクの斑紋のある硬そうな魚類の鱗のようなもので、ビッシリと覆われている壁。
(? どうして急に壁が? たった今まで、こんなの無かったはず……)
 何の気なく壁に触れる硫黄。
 壁が、僅かだが揺れた感じがした。
 直後、ドカッ。頭上から硫黄の脇を掠めて何かが通過し、地面にめり込んだ。
(っ? )
 反射的に飛び退きながら、見れば、地面にめり込んだそれは、魚類の胸鰭が逞しく発達したような形をした、3メートルくらいの物で、壁、硫黄の頭上1メートルほどの所からつながっていた。
「ラティ、メリア……? 」
 斜め後ろでクランが、壁に張り付いたように視線を動かさず息を呑んで呟く。
「ラティメリア? 」
 聞き返した硫黄に答えて、クラン、
「伝説上の魚型の魔物です。……あくまでも伝説ですが、深海に生息し、10基もの鰭をもつといわれています」
(伝説……)
 瞬間、地面にめり込んでいた鰭の位置はそのままに、壁が大きくしなやかに硫黄たちから遠ざかる方向へ動いた。それによって、クランの話の通りに多数の鰭をもつ魚類である、その全体の姿が見えた。
 続いて魚類特有の細い正面顔が至近距離に見え、刹那、それはガバッと大きな口を開く。
(喰われるっ? )
 硫黄は胸の飾りをステッキに変形させ、ミニハートを仕掛けようとするが、ラティメリアの口の中へ向かって強風が吹き、邪魔された。
 風は威力を強めながら吹き続け、ついに、
(吸い込まれるっ! )
硫黄の足が地面から離れた。
 クランが咄嗟に腕を伸ばして硫黄の手をとるが、一緒に吸い込まれそうになる。
「エスリンさんっ! クランベリーさんっ! 」
 ぴいたんば地面を蹴り、吸い込まれそうになっている2人に飛びつきながら叫んだ。
「テレポ! 」

ママのパンケーキが食べたいので、私、もとの世界へ帰ります!(8)


 様々な色が交ざり合い揺らめく空間。
 これは見覚えがある。……そう、マカロンタウンの空間移動装置のドアの中に見たものと同じだ。
 その中に、硫黄はいた。
 周囲を見回してみる。
 天井も床も壁も無く果てしなく広がっているように見える場所だが、安定して立っていられるのだから、とりあえず足場だけは確実にしっかりとしている。
(…ここは……? 空間移動装置の中……? …いや、入ってないし……。ぴいたんがテレポを使ったから……? )
 目にしているものが不規則に揺らめいているためか乗り物酔いをした時のように、クラクラして吐き気がする。
 たった今まで一緒にいたはずのクランとぴいたんの姿は無い。
(…どうなってるんだろ……? これ、この状況って、オレ、無事なのかな……? )
 不安を紛らすべく、ブツブツと声に出して忙しく考えを巡らせ続ける硫黄。
(……? )
 不意に背後に何か感じるものがあり、振り向くと、3メートルほど向こうに、ポッカリと闇があった。
 様々な色が交ざり合い揺らめく模様のついた、形も大きさもバラバラな、ごく薄い板が、闇の中に散らばり浮かんでいる。
 硫黄の立っている様々な色の空間と闇の境目部分が四角い形をしていることから、様々な色の空間が、ハッキリと上下左右のある四角い形をした、少なくても断面を構成する辺と平行な方向には、それほど大きくない空間であると知った。奥行き……垂直方向へは、どのくらい続いているか分からないが……。
 と、硫黄の見ている前で、境目部分が上下左右ともに1メートルほど、音もなく大きく砕け、その破片が闇の中に散らばり浮かぶ。
 闇の中に浮いていた様々な色の交ざり合った模様の板は、硫黄の立っている空間の破片だったのだ。
 そうして見ているうちに、再び1メートルほど砕け、続けて、もう1メートル。闇が、本当の目の前まで迫った。足場は、爪先5センチ先までしか無い。
 次に砕けたら、おそらく足場が無くなる。
(…そうなったら、オレは……? )
 闇が現れるまで、様々な色の空間が果ての無いものに見えていたが、この闇こそが、今は、本当に果ての無いものに思え、硫黄は恐怖を感じた。
 このまま足場が崩れたら、自分は破片と一緒に浮かんで宙を彷徨ってしまうのか、それとも落ちるのか、色の空間が安全とも分からないまま、硫黄は踵を返し、色の空間を奥へと走る。



 振り返らずに走って、走って……いつの間にか、目の前に見慣れた天井があった。
(…天井……? )
 そう、硫黄は知らず知らずのうちに足を止め、仰向けに転がっていた。転がっていた場所は、フローリングの床の上。
 起き上がり、辺りを見回すと、見慣れたベッドに見慣れた机、その上に鎮座する愛用のパソコン画面に映し出されているのはSFF。
(…オレの、部屋……? )
 そう、人間の世界の。
(帰って来た……? …って言うか、もともと夢…だったのかな……? …って、そりゃそうか……)
「オヤツでーす」
 遠く、おそらく階下のダイニングからの、母の声。
 自室を出、パンケーキとコーヒーの匂いのする階段を、
(夢でよかった……)
これまで一度だって意識したことの無かった幸せを噛みしめながら、硫黄は下りていく。

 ダイニングテーブルが視界に入るところまで下りてきたところで、
(っ? )
硫黄は足を止めた。
(ぴいたんっ? )
 パンケーキとコーヒーが用意されているダイニングテーブルの硫黄の席の向かいの、妹・燐の席に、何故か、ぴいたんが座り、同じく用意されていたパンケーキを食べコーヒーを飲んでいたのだった。
(どうしてっ? )
 しかし、そのぴいたんは、すぐに燐に姿を変えた。
(…なんだ、見間違いか……。…そっか、ぴいたんって、誰かに似てるって、ずっと思ってたけど、燐に似てるんだ……)
 そんなことを考えながら、何となく燐を見つめてしまっていた硫黄。不意に硫黄のいる階段方向に視線を向けた燐と目が合う。
 すると燐は、突き刺すように一言。
「何、見てんの? キモい」
 硫黄は、たった今の、ぴいたんが燐に似ているとの自分の考えに、心の中で、
(まだ今みたいに生意気になってない、可愛い頃の)
と付け加えた。
 思い出されるのは、硫黄の学校やバイトなどからの帰宅を待ち構えていたかのように、お兄ちゃん、お兄ちゃん、と言いながら家の中をついて回り、頻繁に部屋を覗きに来る燐。むしろ、その頃は、硫黄のほうが燐をうっとおしく感じていた。
(ホント、ちょっと前までは可愛かったのにな……。いつの間に、こんなふうになっちゃったんだろ……? いや、今となっては、今の燐のほうが自然で当たり前だけど……)
 可愛い燐を思い出し……と言っても、本当にちょっと前のことなので姿は現在と全く変わらないが、 溜息を吐きつつ階段を下りきり、席につく硫黄。
 視界の隅を、それまでカウンターの向こうのキッチンにいた母が、母自身の分のパンケーキとコーヒーを手に歩いて来、それらを燐の隣の席に置き、座る。
 そこで、ダイニングに下りて来て以降、初めて、硫黄は、母であるはずのその人物をまともに見、
(誰? )
 母であると思い込んでいた、その人物は、母ではなかった。
 年の頃は30歳前後。。椅子の座面に届く長さの金色のソバージュヘアに、薄茶色の瞳の、柔らかな雰囲気を持つ超美人。
(…いや、「誰? 」じゃないよな。だって、オレ、この人を知ってる……。マロン様だ……)
 そう、ついさっきまでの夢の中で人間の世界へ帰るためにクランと共に目指していたスーパーモンブラン山頂にいる、実は観光庁長官である女神様の。
「……マ」
 マロン様、と言いかけて、硫黄、
(いやいや、そんなワケ無い。たった今だって、燐がぴいたんに見えたばっかだし、オレ、きっと、ちょっと寝ぼけてるんだ……)
と判断し、
「…ママ……? 」
と、誤魔化す。
 途端、目の前のマロン様の外見をした人物は俯き、
「ママでは、ない」
低く低く、注意深く聞かなければ聞き取れないほどに低く掠れた声で呟いた。
 硫黄は、違和感というよりは少し強めに、嫌な感じを覚えた。
 硫黄の視線の先、顔は下を向いたまま、金色の髪が根元から毛先へ向かって黒く変化していく。
(どうして、髪が……? )
 マロン様の外見の人物の隣で、燐は、ごく普通にパンケーキを食べている。
(…どうして……? おかしいのは、オレ……? あ、でも、確かにママの髪の色は黒っぽいし、燐がぴいたんに見えたのが、今、ちゃんと戻ってるみたいに、マロン様に見えたママが戻ってるだけ……? )
 髪の色が黒に変化しきった。
 直後、
(っ! )
 下げたままの頭のてっぺんから、真っ直ぐに、30センチメートルほどの角のような鋭利なものが、2本、突き出る。
 長さ的にも角度的にも全然届かないのだが、驚き、反射的に、座っていた椅子を倒してしまいながら飛び退く硫黄。
 燐が大きな大きな溜息まじり、
「…うっさ……」
 完全に黒髪になり角を生やしたマロン様の外見だった人物は、ゆっくりと静かに顔を上げる。その顔には、無表情な赤い仮面。そしてやはりゆっくりと立ち上がると、首元からワサッと藁が現れ、マントのように体を覆った。
(…ナマハゲ……? )
 あの、秋田県の民俗行事の。詳しくないのでザックリとしたイメージでしかないが、それに似た姿だ。体の大きさは、マロン様の外見だった時から変化なく、母と同じくらいの身長で、硫黄より頭1つ分ほど小さい。
 ゆらりと燐のほうへと体の向きを変えるナマハゲ。体を覆う藁の中へと右手を潜らせると、中から出刃包丁を逆手に持って取り出し、徐に頭の高さまで持ち上げて、切っ先を燐へと向掛けた。
(……! )
 燐は、ひとりで騒いでいる硫黄に不快感を示しつつも、手は止めずにパンケーキを口に運ぶ。
 出刃包丁が燐へと下ろされた。
 何を考えるよりも先に、硫黄の体は勝手に動いていた。
 ダイニングテーブルの上を越えて燐に飛びつき、その頭を掌で庇いながら、一緒に床に転がる。
 ナマハゲの前を通過する瞬間、出刃包丁の切っ先が硫黄の肩を掠り、服に血が滲んだ。
 身を起こしつつ、燐のことも支えて起こし、一瞬どこかへ行っていた「自分がおかしいのかも」「寝ぼけているのかも」といった考えが戻ってきたが、それは間違いであると、自分がおかしいワケではないと、確信した。
 起き上がった燐が、ナマハゲを見上げて固まっているためだ。
 それに、出刃包丁に引っ掛けた肩も痛む。
 ほぼ空振りとなった出刃包丁を、ナマハゲは再び頭の高さまで持っていきながら、硫黄と燐のほうへと、ゆっくり歩いて来る。
 硫黄は急いで立ち上がり、すっかり固まってしまっている燐を半分引きずるような格好で抱えて、最も近い出口である、庭に面した大窓へ。
 鍵が掛かっていないことをチラッと目だけで確認しつつ、手を伸ばして開けようとするが、
(何でっ? )
 窓はガタンと揺れただけで、開かない。
 もう一度、力を込めてみるが、同じだった。建付けが悪いとかは、あれば母が騒ぐはずなので、ないと思うのだが……。
 ゆっくりと迫って来るナマハゲ。
 大窓は諦め、そもそも室内なので限界はあるが少しでも多くナマハゲと距離を取るべく隅に寄って、大窓とはダイニングテーブルを挟んで反対側、キッチンの向こうに位置する、玄関へ通じるドアへ向かう。
 硫黄たちの移動に鈍く反応して、ナマハゲも方向転換。何故か、やはり不気味にゆっくりと迫って来た。
 ナマハゲもゆっくりだが、燐を抱えている硫黄も、どんなに頑張っても、結果的には当然ゆっくり。ドアまで辿り着き、ノブに手を掛けた時には、ナマハゲの手の届く範囲内。
 しかし、このドアは外側へ開くので、ギリギリ通れるだけ開けて向こう側へ出、すぐに閉めれば間に合う……はずだったのだが、
(開かないっ? )
 ノブは動くのだが、ドアが開かない。ノブを回した状態で寄り掛かるようにして体重を乗せてもビクともしない。
 完全に追い詰められた。
 ナマハゲは足を止め、逆手に持ち頭の高さを保ったままでいた出刃包丁を、特に狙いを定めていない感じで硫黄たちへ振り下ろす。
 硫黄は燐を自分の体で覆い隠すように、低い姿勢でナマハゲの刃を掻い潜り、キッチン方向へ逃げた。
 そこは、人など到底通れない小さな窓が奥にあるだけの袋小路。しかも、システムキッチン部分と、向かいの食器棚や冷蔵庫に挟まれて、幅は1メートルも無い。分かっていたことだが、とりあえずではあっても他に逃げ場は無かったのだ。
 またしても空振りしたナマハゲは、ゆーっくりと硫黄たちのほうへ体の向きを変える。
 ゆっくりゆっくり、1歩、また1歩とナマハゲが進んでくるのに合わせて、硫黄のほうは燐を庇いつつジリジリと後退。
 夢が妙にリアルだったので癖のようになってしまっていたのか、胸の飾りをステッキに変形させようとして、
(何やってんだっ? オレっ! 出来るワケないのに……っ! )
 ここは人間の世界。硫黄だって、本来の硫黄。当然、胸にステッキに変形する飾りなどついていない。
 また1歩、ナマハゲが前進。硫黄も、燐と共に1歩後退。このままの歩幅で退がれるのは、あと5歩までだ。硫黄の腋を、嫌な汗がシットリと濡らす。
(…どうしよう……っ! )
 と、シンク横の水切りカゴの中に、包丁があるのが目に留まった。
 硫黄は右手を伸ばして掴み、切っ先をナマハゲに向ける。
 構わず前進するナマハゲ。
 物理的より先に精神的に追い詰められた硫黄。ワーと叫びながら、デタラメに、手にしている包丁を振り回した。
 何処をまともに狙えてもいない、当たるはずもない、攻撃とはとても言えないような攻撃。
 しかし、
「うぁ……っ! 」
 その外見からは想像し難い高めの叫び声を上げ、ナマハゲは、肉片となって散らばった。
 肉片となる一瞬前に、母の姿になり、悲しそうに硫黄を見つめ、小さく、
「…どうして……」
と呟いてから……。
(…ママ……)
 ショックを受ける硫黄。
(…ママ……)
 返り血に濡れたまま立ち尽くす。
 その目の前、散らばっている肉片がモゾモゾ動き集まっては、合体していき、次第にムクムクと大きくなっていった。
 硫黄は、その様を、ただ、目に映す。
 やがて肉片はナマハゲの姿に戻り、出刃包丁を頭の上の高さに、再び硫黄たちに迫ってきた。既に射程内。
 それでもなお、それを目に映すだけの硫黄。
 ナマハゲが、硫黄たちへと出刃包丁を振り下ろす。
 突然、燐が硫黄のウエストに抱きついた。ぼんやりとした硫黄の目に、また、燐がぴいたんに見えた。
 ぴいたんの姿の燐が叫ぶ。
「テレポ! 」



 周囲は真っ暗だった。
 しかし、すぐに、
(……)
 自分が目を閉じているために暗いのだと気付き、目を開けると、見慣れた天井。
(…オレの、部屋……)
 硫黄は、自分のベッドの上で、しっかり掛布団まで掛けて横になっていた。
(…夢……? )
 燐がぴいたんに見えたり、母であると思い込んでいた人物がマロン様で、そこから更にナマハゲの姿に変化して襲いかかってきたりといった、ほんのちょっと前と思われる出来事を軽く振り返り、
(そりゃ、そうか……)
起き上がってベッドから出、そう言えばオヤツだと呼ばれた気がする、と、部屋を出る。
 ダイニングへと階段を下りながら、
(…呼ばれたような気がしたんだけど……)
特に甘い匂いもコーヒーの香りもしていないことに首を傾げつつ、
(なんか、やけに静かだな……)
ダイニングの様子が見えるところまで下りると、普段は昼間でも点いている明かりが点いていないため何となく暗ぼったい空間に、生臭いような鉄臭いような独特の臭いを纏った生ぬるい空気が漂っている。
 そこには母も燐もおらず、あるべき、その姿を求めて、視線を少しキッチン寄りに動かした。
 瞬間、
(っ! )
硫黄は固まった。
 いつものキチンと整えられたキッチンと比べたら少しだけ乱れているキッチンの、その床に、血溜まりが出来、肉片が散らばっている。
 母と燐は見当たらない。
(…夢、って……。どこから、どこまでが……? )
 何だか、クラクラする。
 何だか、とても疲れた。
 硫黄は踵を返して、下りてきたばかりの階段を上り、自室へ戻ると、ベッドに潜った。
(とりあえず、寝るか……)
 もう何も考えられないし、考えたくなかった。
(もう一度寝て、目が覚めたら、また何か変わってるかもしれないし……。…とりあえず、人間の世界へ帰っては来れたワケだし……)

                                       

ママのパンケーキが食べたいので、私、もとの世界へ帰ります!(9)


(いや、ダメだろ! オレっ! 寝たって何の解決にもならないし! )
 自分自身にツッコんで目を開けた硫黄の目の前には、見慣れぬ木の天井。
(…夢……? ここは……? )
 状況を掴もうと視線だけ少し動かすと、枕元に座り眉を寄せて心配そうな表情でいたぴいたんが、その無言の問いに答える。
「ここは、シュトレンの教会内の救護所です」
 と、
「…エスリンさん……」
ぴいたんは急に声を詰まらせ、目から大粒の涙を零した。
 自分が何かしたのかと狼狽える硫黄。
 ぴいたんは人指し指で涙を拭いながら、
「ごめんなさい。私、エスリンさんの事情を何も知らなくて……。もう30分……2日も目を覚まさなかったから……」
(…ああ、そっか。ラティメリアとかいう伝説上の魔物に吸い込まれそうになった時に、ぴいたんがテレポを唱えて……。
 それ以降の「現実的な」……というのは、そもそもこのSFFの世界の存在自体、魔物に吸い込まれそうになってたり、それに魔法で対抗しようとしていることが現実的と言えるのか分からないから、「何かと辻褄の合う」記憶が無いから、オレは寝てたか気絶してたか……。
 …オレがテレポを避けてきたことを知ったみたいだけど、クランさんが話したのかな? そうだよな、他にいないし……。ぴいたんは「事情」って言い方をしてたけど……)
 硫黄は、
(どこまでの事情を話したんだろ……? 実は男だってことは……? )
ぴいたんを窺う。
(…今は、分かるワケないか……。だって、人の生き死にに比べたら……。それに……)
 そんなことより、先ず言わなければならないことがある、と、ゆっくり上半身起き上がり、しっかりと、ぴいたんの目を見て、
「ぴいたん、心配かけてごめんね。ラティメリアに襲われた、あの時、ぴいたんがテレポを使ってくれなかったら、それこそ大変なことになってたはずだから……。助けてくれて、ありがとう」
言ってから、頭を下げた。
 テレポを使った影響か、2日間も眠ったままだったため、その影響か、動作ごとに鈍く頭が痛む。
(…やっぱり、今回みたいな非常時以外は、テレポは使わないほうが良さそうだな……。直接の影響って言えるのは2日間眠っちゃうことだけで、頭痛と、あと、嫌な夢を見てたけど、その2つとテレポの関係は分からないし、トフィー村からシュトレンまでは徒歩だと2日でなんて行けないから時短にはなってるけど、でも、次に使った時には、もっと大きな影響が出ないとも限らないし……。
 …2日間……。人間の世界で30分……)
 そこで、硫黄はハッと気づいた。
「ぴいたん、彼氏との約束の時間は? 」
「もうすぐです」
(そっか。過ぎてなくてよかった……)
 ホッとしつつ、
「私は、もう大丈夫だから、彼氏のとこに行っ……」
 行って、と言おうとしたのを、
「エスリンさんはっ! 」
ぴいたんが、怒ったような強い調子で遮る。
「エスリンさんは、私がそんな冷たい人間だと思ってるんですかっ? 
 こんな大変な状況になってるエスリンさんを、放っておけるワケないじゃないですか!
 スーパーモンブランの山頂を目指してるんですよねっ? エスリンさんが、もし命を落とした場合に、他のプレイヤーみたいに生き返れないかも知れないから、気をつけなきゃいけないって聞きました。魔物が最近、強く凶暴になってきてるってことも。
 彼氏に話して、彼氏にも手を貸してもらえるようお願いしてみます。
 私じゃ大して役に立てないかも知れないですけど、彼氏なら、SFF歴も長いので、きっと、力になってくれますから! 」
「でも、せっかくのデートなのに……」
「エスリンさんが大変な思いをしてるって知ってるのに、デートしてても楽しくないですよ」
 言って、ニコッと笑って見せた。
「ね? お手伝いさせて下さい! 」
(……ああ、ホント、ぴいたんは良い娘だな……)
「ありがとう。助かるよ」
 申し訳なく思いながらも頷いた硫黄に、ぴいたんは頷き返し、立ち上がって、
「じゃあ、時間なので、私、一度彼氏のとこへ行って、お願いしてきますね」
部屋の入口方向へ、硫黄に背を向ける。
「あ、待って! 」
 その背中を硫黄は呼び止め、
「一緒に行くよ。私からも、ちゃんとお願いしたいし」

 ベッドから下り、ごく簡単に仕度をして、救護所として使われている部屋から廊下へ、ぴいたんと共に出た硫黄は、
「あ」
教会の仕事を手伝っているらしい、畳んだタオルを数枚重ねて両手で持っているクランと目が合った。
「よかった! 目が覚めたのですね! 」
 言いながら、駆け寄って来たクラン。
 タオルがバランスを崩して落ちそうになったのを咄嗟に押さえつつ、硫黄が、今からぴいたんの彼氏に会って、旅の協力を頼もうと思っていると話すと、
「私も参ります」
 ほんの少しだけ待ってていただけますか? と言ってタオルを手にしたまま、すぐの部屋に入り、本当に少しだけの後、
「さあ、参りましょう」
身支度を整えて出て来た。



 そうして連れ立って教会を出た3人。
 少し先を行くぴいたんに聞こえないよう小声で、硫黄はクランに、先程から気にしていたことを聞いてみる。
「クランさん。ぴいたんに、オレが実は男だって、話した? 」
「いいえ。特に必要が無いと思われるので」
 同じく小声でのクランの答えに、硫黄は、ホッ。


                *


 首都に相応しく超近代的な高層ビルの立ち並ぶ大都市シュトレンを、夕焼けが赤く染めていた。
 硫黄の運び込まれた救護所のある教会も、昔ながらの木造建築で豊かな自然に囲まれてもいるが、実は、一般に開放して都会のオアシスとする狙いで、そのように造られている。
 ぴいたんの彼氏との待ち合わせ場所であるという中央広場(コンコース)の時計台前へと到着した硫黄・クラン・ぴいたん。
 まだ少し早かったようで、彼氏は来ていなかった。
 時計台の時計で時間を確認する硫黄。
 と、背後から、
「あれ? 一緒だったんだ」
 硫黄たち一行に向けたと思われる男の声がし、振り返ると、白い翼をもつ白馬を連れた、銀色の鎧に槍を装備しサラサラの金髪碧眼で長身のイケメン騎士(ナイト)。
(…ソルト……)
 北村空人(きたむらそらと)。SFFの中ではソルトという名前の、アレクサンドラ号と名付けた白馬をカスタマイズして白い翼をつけ本来SFFには存在しない天馬騎士(ペガサスナイト)を自称している、ベータテストから硫黄とよく一緒に狩っている仲間で、レベルは、硫黄がSFFの中に入る前から上がっていなければLV303。そう、何を隠そう彼こそが、前にも少し触れた最も高レベルのプレイヤー(やはりあくまでも硫黄がSFFの中に入る前と変化が無ければ)。
 リアルでは硫黄の高校の同級生。アバターのイケメンっぷりそのままに、スポーツ万能、頭脳明晰。しかしそれを鼻にかけない性格の良さで、先生方からの信頼・他の生徒たちからの人望ともに厚い生徒会長。もちろん女子にもモテる。
 そんな、リアルでも充分無双しているにもかかわらずゲームでもなど、本当に純粋にゲームが好きなのだろう。……一般的にゲームの強い人(硫黄自身もだが)は、リアルが思うようにならないためゲームの中でくらい、という気持ちがどこかにあるように思えるから。
 その上、どうやら最近、彼女まで出来たらしいのだが、その話になると、いつも上手にはぐらかされて、詳しい話は聞けていない。別に無理に聞き出そうとは思わないのだが、ちょっと寂しいな、と。
(…って、「一緒だったんだ」……? )
 ソルトの発言に硫黄が首を傾げていると、ぴいたんがソルトに駆け寄った。
(…え……? )
 一方のソルトは、驚いたようにクランを見、
「噂の大型アップデートへの伏線か何か? 」
 ソルトが口にした「噂の大型アップデート」という言葉も気になったが、それよりも硫黄は、ソルトの言葉を「違うよ」と否定し硫黄の事情を説明した上で協力を求め取りつけた、ぴいたんが気になった。
(…これって、もしかして……? …いや、間違いなく……)
「ぴいたんの彼氏って、ソルトだったんだね? 」
 硫黄の問いに、ぴいたんは頷いてから、何か探るように上目づかいで、
「エスリンさん、ソルトとお知り合いなんですね? 」
 その様子に、硫黄は答えに詰まる。
(…ぴいたん、オレとソルトの関係を疑ってる……? )
「…こんなこと、聞いちゃいけないって分かってますけど……。あの……。どういったお知り合いですか? 」
(ああ、やっぱり疑ってる……! )
 ぴいたんを無駄に不安がらせたくなくて、硫黄、気になって当然だからいいよ、と、
「高校の同級生だよ。でも、本当に、ただの同級生だから」
「…同級生……ですか……」
(…なんか、余計に気にした……? 「ただの同級生」って言えば、安心してくれると思ったんだけど……)
 どうしたらよいか分からず、硫黄は、ぴいたんを窺う。
(オレが実は男だってこと、もう、言っちゃったほうがいいのかな? でも、ぴいたん、どう思うんだろ? オレが男だって知ったら……)
 そこを、
「はい、そこまで」
ソルトが割って入った。
 長身を屈めて、ぴいたんと視線の高さを合わせ、
「いけないって分かってるなら、聞いちゃダメだよ」
め! と優しく叱る。
 それから、スーパーモンブラン登頂を目指すなら、物資の豊富な、ここ、シュトレンで、必要な物を揃えてしまったほうがいい、と、その場を仕切り、遅ればせながら、と、クランに自己紹介。クランも自己紹介を返したのに頷いてから、
「クランさん、1軒丸ごとアウトドア関連のお店になってるビルがあるはずですけど、何処でしたっけ? 」
「それなら、1つ向こうの通りです。ご案内致します」
 答え、先に立って歩き出すクラン。
 硫黄とソルトの関係を気にしてかソルトに叱られたことでか俯いて黙り込んでしまっているぴいたんを、そっと促しつつ、ソルトが、その後に続く。
 硫黄は、
(…クランさんとソルトが、普通に会話した……っ? )
 クランとソルトが、ごく普通にコミュニケーションをとったことに驚いて、暫し自分以外の3名の背中を見送ってしまってから、ハッとし、慌てて追った。
(…クランさん、前に、プレイヤーに話しかけてもスルーされる、みたいなことを言ってたはず……。
 あ、でも、ぴいたんにオレの事情を説明したのはクランさんだし、それに、ぴいたんとは、トフィー村で会ったばっかの時に、会話って言っていいか微妙な程度だったけど、確かにコミュニケーションとってたっけ……)
 クランとぴいたんやソルトが会話することについて、
(…ゲームでは、プレイヤーが決まった場所とタイミング以外で積極的にNPCに話しかけることは、まずしないから、会話出来るって知らなかっただけ? NPCからプレイヤーには無理でも、プレイヤーからなら……?
 …なんか、もう、よく分かんないな……)
どうのこうのと考えながら、ぴいたんとソルトの1歩分後ろを歩く硫黄。
 と、ソルトが、ぴいたんを窺いつつ、一瞬だけ足を止める形で硫黄と並び、
「大変なことになってたんだね」
声を掛けてきた。
 硫黄、頷き
「ゲームの中に入っちゃうとか、ありえないよね」
「うん。僕も、ぴいたんから聞いたんじゃなかったら、こんなあっさり信じなかったと思うよ」
 硫黄は、酷いなあ、と、全く本気でなく言ってから、
「協力ありがとう。ホント助かるよ。ソルトが一緒に行ってくれるなんて、すごく心強い」
 いやいやそれほどでも、と、笑って返すソルト。以降、小声で、
「ぴいたんは、君の正体を知らないんだね。しかも、女の子だと思ってる? 
もしかして、ワザと隠してるの? 」
 硫黄、「正体」なんて、何だか化け物を指すような言い方だな、と思いながら、
「初めは隠すつもりは無かったんだけど、今更言えなくて……」
「そうだったんだ。君の体が、今、どんな状態か分からない、って聞いて、とりあえず部屋に体があるかどうかだけでも、ぴいたんが見てくればいいのにって思ったんだけど、これで納得したよ。隠してるんじゃ仕方ないよね」
(…ぴいたんが見てくればいいって思ったってことは、ぴいたんの家って、うちの近く……? だよな。中学生相手にそう思うってことは……)
「…あ、のさ……」
 ソルトが急に、声のボリュームだけでなくトーンまで下げる。
(? )
 何だろう、と、ソルトの次の言葉を待つ硫黄。
 ソルトは言い辛そうに切り出す。
「僕がぴいたんと付き合ってるって知って、どう思った? 」
(…どうしてオレに、そんなことを……? )
 そう思いかけて、硫黄はハッとした。
(当然だ! 自分の彼女がオレ……他の男と一緒にいたんだから、気にして当たり前! 
 ぴいたんがオレとソルトの仲を疑ってるのは本当に誤解としか言いようが無いけど、ソルトがオレとぴいたんについて、ぴいたんの気持ちは疑う部分が無くても、オレが変な下心を持ってるとは疑えるワケで……。
 実際、ぴいたんはオレ好みだし、ソルトなら、オレの好みを知ってるはずだし、ぴいたんが、それに当てはまってることだって……)
 しかし、もともと、ぴいたんとどうにかなりたい気持ちなんて無かった上に、ソルトが彼氏であると知って、そんな気持ちは、この先も持つワケの無いものになった。
(…だって、ソルトとの関係を壊したくないし、それ以前に、オレがソルトに敵うワケがないし……)
 どうか信じて欲しいと気持ちを込めて、硫黄は真っ直ぐにソルトの目を見つめ、
「すごく、お似合いだって思ったよ」
 紛れもなく本心。
 ぴいたんのリアルでの姿は知らないが、少なくともSFFの中での2人を見る限り、清純な美修道女ぴいたんと爽やかイケメン騎士ソルトは、実に絵になる。
「本当に、そう思う? 」
 暗い目で硫黄を窺うソルト。
 その視線を受け止め、硫黄が意識して真面目に重たく頷いて見せると、ソルトは目に明るさを呼び戻し、
「よかった! 君の気持ちだけが気掛かりだったんだ」
晴れ晴れとした笑顔。
(疑いが晴れたみたいでよかったけど……。でも、どうしてそこまで?
 …もしかしてオレ、ソルトから見て、彼女を取られる危険を感じるほどのイイオトコだったりする……っ? もしかして、ちょっとだけ自信持っちゃってもいい……っ?
 …なんて、そんなワケないか……。ソルトだって、きっと、オレと同じで、オレとの関係を壊したくないだけだ……。
 いや、「だけ」じゃないな。大切に思ってもらえて、とっても嬉しい)
 ソルトの、自分へと向けられた友情を噛みしめ、それに友情をもって応えるべく、硫黄は、ひとつだけ彼にアドバイスをすることにした。
「ぴいたん、外でデートしたがってたよ。彼女が中学生だなんて恥ずかしいから外でデートしないんだって思い込んでて、だから言い出せないみたいなんだけど……。
 あ、でも、これ、5日くらい前の情報だから、もしかして、その後、した? 
 してないなら、一度、近いうちに、どこか行って来るといいと思うよ」
 ソルトは驚いたような表情。その表情のまま、
「君が、そう言ってくれるなら……」
 硫黄は、
(……? )
 いくら何でも気に掛けすぎだと思った。
(オレが、ぴいたんと別にどうにかなりたいなんて思ってないって、ここまでの会話じゃ、ちゃんと伝わらなかったのかな……? )
「オレのことは、ホント、気にしなくていいからさ。ぴいたんを幸せにしてやってよ」
 突然、
(っ? )
 ソルトが足を止め、硫黄を抱きしめる。
 そして耳元で、
「ありがとう。必ず、必ず幸せにする! 他の誰でもなく、君に誓うよ! 」
(…ああ、うん……。もう、それでいいや……)

 硫黄を腕から解放してから、硫黄の体が部屋にあるかどうか確認するため、ソルトは一旦、ログアウトした。
 硫黄は、そうでなくてもデートの邪魔をしてしまっているのに申し訳ないからと遠慮したが、「それだけでも分かってたほうが絶対にいいはず」と押し切られたのだった。



 目的の店に到着後、忘れないうちに先ず、ログアウト前にソルトが言い置いて行ったのに従って、使い捨ての安い松明を大量に、硫黄とクランとで手分けしてカートに入れていて、
「あれ? 」
硫黄は、ふと気がついて手を止める。
「火の子? 」
 そう、火の子が松明1本につき1体、「耐熱・耐火袋」と書かれた銀色半透明の小さな袋に入れられて、貼りついていたのだ。
 そうか、ゲームとしてプレイしてた時にはバッグから取り出すと自動的に点火されてたけど本当はこういう物だったんだな、と、硫黄はひとりで納得し、手を動かそうとして、
(…って、あれ……? )
ちょっと、いや、かなり気になった。
(使い捨てってことは、使った後、火の子はどうなるんだろ? )
 そこでクランに聞いてみると、
「野生に帰ります」
 そっか、それならよかった、と、頷く硫黄。
 他にも色々と揃えて支払いを済ませ、硫黄・クラン・ぴいたんは、今夜の宿へ。


                *


 夜も更け、宿の部屋の大窓と平行に並んだベッドのうち最も窓から遠いベッドでは、明日も早いからと早々に横になったクランが寝息をたてている。
 ぴいたんは、窓側のベッドに窓のほうを向いて腰掛け、繰り返し溜息。
 買物中も、その後、宿で、夕食を食べ、風呂に入り、明日以降の旅程を確認し……と、過ごしている間も、ぴいたんは、ずっと沈んだ様子で、硫黄は気になっていた。
 これまで、何か悩んでいるような時でも、こんなふうに暗く落ち込むようなことは無かったのに、と。
(やっぱ、オレとソルトの関係を気にして……?
 そう言えば、ソルトとはオレとぴいたんの関係について解決したけど、ぴいたんとは、ソルトが遮って、結局そのままだっけ……)
 硫黄、窓辺に移動して、ぴいたんの斜め前に立ち、
「…ぴいたん……」
そっと声を掛けた。
 ぴいたんの視線は俯き加減で窓の向こう。暫しの沈黙の後、ぽつりぽつりと話し始めた。
「…さっき、2人でコソコソと何を話してたんですか……?
 エスリンさんの体が部屋にあるかどうか見てくるって話だけをしてたにしては長かったし、それに、その話ならコソコソする必要も無いのに……」
 疑問形だが質問している感じではなく、それ以前に正直に答えられる疑問ではないので、ただ聞く姿勢でいる硫黄。
 ぴいたんは続ける。
「…ただの同級生を、抱きしめたりしますか……? 少なくてもソルトは生身の体じゃないけど……。
 でも、私はSFFの中でだって、手をつないでもらったことも無いです」
…いや、それは、大切にしてるってことなんじゃないかな……? と思いながら、やはり硫黄は、ただ聞く。
(だって、仲を疑ってる相手であるオンナの口から、そんなこと言われたって……)
「…エスリンさんがソルトのこと何とも思ってなくても、ソルトは……? エスリンさんは私より大人だし、ゲームだって上手だし……
 …なんか、こんなふうに不安にさせられるの、イヤ……」
(オレ、男だってバラしたほうがいいのかも……)
 本気でそんなふうに思い始めた硫黄。
 そこへ、
「でもっ! 」
 ぴいたんのいきなりの大声でビクッ。
 ぴいたんは、胸の前で上に向けて広げた自分の手のひらに顔を伏せ、
「一番イヤなのは、エスリンさんをお手伝いすることにしたことを後悔してる自分で……! 
 そんなのって、醜くってイヤだ……! …消えちゃいたい……っ! 」
 それきり、
(…ぴいたん……? )
 ぴいたんは声も発しないし動かなくなった。
 離席しただけと分かっているが、その前に言っていたことが言っていたことなだけに、心配になる硫黄。
 しかし、自分ではどうにも出来ないので、
(…ソルトが帰って来た時に、まだ、ぴいたんが戻ってなかったら、相談するしかないか……)
と、自分に割り当てられた真ん中のベッドに入る。


                *


 窓から見える空が白み始めた。小鳥たちの歌が朝を告げる。
 ぴいたんは動かないまま。
 硫黄は一睡も出来なかった。
 少しでも早くソルトに相談したくて待っていたワケではない。
 リアルの硫黄の家とソルトの家の距離は徒歩5分。ソルトが行って戻るのにかかる時間だけを考えてみても10分。人間の世界とSFFの中とでは時間の経過する速度が違うため、SFFの中では16時間以上が経過する。寝て起きたとしても、まだ帰ってくる時間ではない。
 気になって、眠ろうとしても眠れなかったのだ。
 ベッドに横になったまま、ぴいたんの後ろ姿を見つめる硫黄。
 と、ぴいたんの頭が持ち上がった。
 硫黄は弾かれたように起き、ベッドから飛び出して、ぴいたんに駆け寄る。
 前面にまわり、顔を覗くと、その目には涙。
 硫黄が窺っていると、ぴいたん、人指し指で涙を拭いながら、
「ソルトが、私の家へ来てくれたんです。私が元気無かったから心配になった、って言って……。
 私のことも、抱きしめてくれました」
 嬉し涙だった。
 ぴいたんとソルトのことに関して全てが円く収まったのを感じ、硫黄は心の底から、
「よかったね」
「はい! 」
 ぴいたんも、満面で笑んだ。
 そこへ、ドアを開け、ソルトが入って来た。
 人間の世界の時間にして、ログアウトから、まだ7~8分といったところだ。
(そっか、ぴいたんを優先したんだ……。うん、それでよかったよ)
 ひとり頷く硫黄。
 ソルト、硫黄とぴいたんの許へ歩み寄り、
「パソコンを持って移動したんだ。今、ぴいたんの部屋で、ぴいたんと一緒にいる」
硫黄に向けて、今の状況を説明。
(そうなんだ。SFFの中でのデートには変わりなくても、同じ部屋の中にいてプレイ出来てたら、それは、きっと、すごく違うよな)
 硫黄は、よかったよかった、と、何度も頷きながら、
(ソルトの家から7~8分かからないで移動出来てるってことは、やっぱ、ぴいたんの家って、例えばソルトの家を中心に反対方向だったとしても、うちとも徒歩圏内なんだ……。
 燐のこと知ってるかも? 同じ中3だし……。…もしかして友達で、うちに遊びに来たことなんかもあったりして、オレとも、知らないうちに会ってたりするかも……?
 …いや、ぴいたんのリアルを詮索する気は、無い……って言ったら嘘になるけど、しちゃいけないと思うからしないし……。大体、ソルトの彼女だし……。
 ああ、でも、ソルトの彼女だからこそ、いつか、ちゃんとリアルでソルトが紹介してくれたら嬉しいな、とか……)
 そんな硫黄に、ソルト、
「ぴいたんの部屋へ行く前に、君の部屋を覘いたらさ」
(えっ? オレのとこも寄ったのっ? 10分も経ってないのにっ?
 デキるヤツって、何をやってもスゴいな……)
 舌を巻く硫黄。
「君の体、部屋に無かった。パソコンの画面には、今いる、この宿屋が映ってて、普通に、エスリンの姿の君もいたよ」
 そうなんだ、ありがとう。と礼を言ってから、硫黄は、
(…部屋に体が無い……ってことは……。いや、人間の世界のどこか他の場所にあるのかも知れないし、別にイコールじゃないけど……。でも、その可能性が高くなったのは事実で……)
確かめるように、自分で自分を抱きしめる格好で両手で全身あちこちペタペタ触る。
(…この体は、生身の体……? )

ママのパンケーキが食べたいので、私、もとの世界へ帰ります!(10)


 ぽむっ!
 斬りつけたとは思えないような音と共に長剣が弾かれ、バランスを崩して後方へ倒れそうになったクランを、
(危ないっ! )
硫黄は咄嗟に受け止めた。
 ありがとうございます、と礼をいいながら、硫黄の腕から身を起こすクラン。溜息まじりに、
「埒が明かないですね」
 朝、シュトレンを王都・フィナンシェへ向けて出発。途中、昼食の弁当を食べ、間もなく到着というところで道を塞いだ2体の魔物。
 タフスパロー(LV51)とストロングキャット(LV53)各1体。マカロンタウンとカヌレ村を結ぶ道によく現れるビッグスパローとファットキャットの色違いだが、色が違うだけでレベルが随分と変わってくる。タフスパローはビッグスパローとのレベル差以上にHPが高く、しかも時間の経過によって自動的に回復するので、なかなか倒せないし、ストロングキャットのゴムマリのような体は、とにかく頑丈で、攻撃がほぼ効かない。
 再び剣を構え直してストロングキャットに斬りかかり、また弾かれて体勢を崩したクランを、空中から、タフスパローのクチバシが襲う。
 ガキンッ!
 素早く体を捻り無理な体勢ながら剣でクチバシを受けるクラン。
 一旦距離をとって勢いをつけ、まだ体勢を立て直せていないクランに再度向かって来たタフスパロー。
 硫黄はクランとタフスパローの間に割り込み、ステッキでチョンとタフスパローに触れて、
「マジカルミニハート・エクスプロージョン! 」
 触れた部分にきちんとピンクのハートが浮かび上がっていたのは確認していた。しかし、
「ヒーィ…ック……」
エクスプロージョンと唱えても、タフスパローの見せた反応は、大きめのしゃっくりをしたように体を縦に一度だけ揺らしただけで、後は何事も無かったかのような涼しい顔。
 ゲームでもタフスパローを一撃で倒せたことなど無かったため、強くなっていると言われている今、別に驚きはしないが……。
 分かっていても、それでもやはり、
「ホント、キリが無いな……」
 相手は違えどクランと同じようなことを呟き、溜息をひとつ。
 すぐ隣では、ストロングキャットに乱れ突きを全て、ぽぽぽぽぽむぽぽぽぽっぽぽぽむっと跳ね返されたソルトが溜息をついていた。
 と、ソルトが硫黄を見る。
 目が合い、
(……そうだよな。それしかないか……)
 硫黄は頷いてステッキを掲げ、
「マジカルヘビーQハートシャワー! 」
 仲間の立つ直径3メートルを空けてピンクの雲を発生させ、そこからハートの集中豪雨。
 ハートが地面に到達する寸前で、今度はソルトが、
「パーフェクトトルネード! 」
槍を空へと突き上げる。それによって前方に竜巻が発生。
 竜巻に吸い込まれていくように勢いよく巻き上げられたハートと、鋭利な刃物のような風そのものによる攻撃。
 無数のハートがタフスパローの浮かんでいる高さに特に集中したところを見計らい、硫黄、
「エクスプロージョン! 」
 通常ならばハートが地面に埋まった状態での爆発であるため、土や砂が舞い上がる爆発になるが、今回は空中であることと、ソルトの風も手伝って、炎を伴う非常に派手な爆発となった。
 タフスパローとストロングキャットの姿が爆炎に隠れる。
 ソルトは突き上げていた槍を下ろして、後ろにいるぴいたんを振り返り、
「ぴいたん、エスリンと僕にバフを! 」
 頷き、ぴいたんは、硫黄とソルトそれぞれに片方ずつ手のひらを向ける。
「オフェナプ・ダブル! 」
 攻撃力アップの呪文で、1人に向ける基本形は「オフェナプ」。一時的にステータスを左右する他のほとんどの呪文と全ての回復魔法に共通で、頭に「オール」とつけるとパーティ全体、尾に「ダブル」とつけるとパーティ内の特定の2名への効果となる。
(! )
 硫黄の眉間に、一瞬、何か熱い物が触れた感覚。それは静かに体内に入っていき、全身に伝わっていった。
(体中が、熱い……! )
 爆炎が治まり、そこに現れたのは、元タフスパローと思われる数個の炭の塊と、ドロップした5S。そして、毛が少し焦げて縮れただけで、ほぼ無傷と思われる、ストロングキャット。
 予想出来ていたこと。故の、ソルトからぴいたんへのバフの指示。
 硫黄は、姿勢を低くいっきにストロングキャットとの間合いを詰め、ステッキでチョンと胸の辺りに触れて、
「マジカルミニハート」
唱えざま、その場を離脱。
 ソルトが、
「ツイストドリル! 」
 周囲の空気を巻き込みながら、槍をストロングキャットへ向けて突き出す。
 巻き込まれ工具のドリルビッドのように螺旋を描いた風となった空気が、槍を離れた。
 高速でストロングキャットの胸へと向かったその先端が胸に到達する直前を狙い、
「エクスプロージョン! 」
ミニハートを起爆させる硫黄。
 ストロングキャットの大きな体が、体内部の爆発によって更に大きく膨らんだ、そこを、ツイストドリルが貫く。
 風船のような破裂の仕方をして一旦宙を舞ってからボトボトと地面に落ちてくる肉片を直視しないよう、硫黄は目を背けた。

「さあ、行きましょう」
 言って、歩き出すクラン。
 辺りは、もう薄暗い。
 ソルトは頷いて続き、通り過ぎざまに地面に転がっている5Sとストロングキャットのドロップアイテム「ストロングキャットの爪」を拾いながら、
「今の2体にこれだけ手こずらされるなんて、ちゃんと意識して考えてみると、本当に強くなってるんだね」
「うん」
 今の2体よりも前に現れた魔物たちにも、そこそこ手を焼いてきたこともあり、同調して、硫黄は、この先に不安を覚えた。
(普通に外からゲームとしてプレイしてる時だったら、魔物が強くなってる、この状況は、むしろ歓迎だったんだろうけど……。オレだけじゃなくて、他のプレイヤーの皆も。SFFは魔物が全体的にザコなところだけが残念って言われてるくらいだし……)
 小さく息を吐いてから、先を行く2人について歩き出し、
(……? )
ふと気づいて足を止め、振り向く。
(…ぴいたん……? )
 ぴいたんが、何やら沈んだ様子で立ち尽くしていた。
(…どうしたんだろ……? )
 暫く、少し距離のあるまま窺っていると、視線でも感じたのか、ぴいたんは、ハッとした様子を見せ、歩き出した。



                *


(あらためて見てみると、良い町だな……)
 予定外にとった宿の部屋の窓から、硫黄はひとり、ランタンの灯りにボンヤリと照らされているレンガで統一された風情ある夜の古都の街並みを眺めていた。
 王都・フィナンシェ。SFFをゲームとしてプレイする上で、特に硫黄のような楽しみ方をする者にとっては何があるわけでもない町なので、硫黄はこれまで、ちょっと立ち寄ったことがあるだけだったのだ。
 町の北側の塀の向こうにはスーパーモンブランの麓の樹海・ババが漆黒の翼を広げているのが見える。おそらく昼間に見れば、緑豊かなババの向こうにスーパーモンブランまで望める、夜とはまた違った自然の調和のとれた風景が見られるのだろう。
 シュトレンからフィナンシェまで、予定よりもだいぶ時間がかかった。
 弁当の用意などあったが、それは、シュトレンでの宿が宿泊客限定で提供している弁当が絶品と聞いたクランが食べたがったので、夜のうちに注文しておき、朝の出発時に宿の人から渡されたのを持って出ただけで、予定では昼にはフィナンシェに到着する予定であったため本来は必要の無い物のはずだったのだ。 
 昨晩に地図を見ながらクランの説明を聞き確認した今後の旅程では、今日の昼前にフィナンシェに到着。昼食をとった後、ババに入り、そこから最終目的地スーパーモンブラン山頂まで、出来るだけ安全な場所(ポイント)で休息をとりつつ5日で行ける予定でいた。
 しかし、シュトレンからフィナンシェまでに予定していた倍近くの時間を要し、その原因が完全に、もともと魔物が強く凶暴になっていることを知っている上でスーパーモンブランまで10日かかると言っていたクランの想像をも超えて強く凶暴になっている魔物のせいであるため、そんな旅程など、もう何の役にも立たないし、新たに旅程を組むことも出来ない。
 硫黄は景色に合わせていた視線のピントを目の前の窓に移し、そこに映る自分を見つめ、
(思ってたより時間がかかっちゃうのは仕方ない……まあ、早く着けるなら、そのほういがいいに決まってるんだけど……。もう、問題はそこじゃなくなってるって言うか……。
 …無事に着けるのかな……? …正直、ソルトとぴいたんがいてくれなかったら、ここまで来るのも難しかった気がする……)
溜息。
 そこへ、部屋の入口のドアが開く音がし、振り返ると、頭にタオルを巻いてバスローブを着、緩い襟元からホコホコと湯気を立ち上らせ全体的に血色の良くなったクランが入って来たところだった。
 手には瓶入りの未開封のコーヒー牛乳。
(…見かけないと思ったら、風呂に入ってたのか……。
 ソルトとぴいたんは、ここに到着してすぐ、ちょっと町の中を歩いて来るって言って出てったからいないんだけど……)
 クランは入口のドアを閉めると、早速、手にしていたコーヒー牛乳の紙蓋をポンッと開け、空いているほうの手を腰に当ててグビグビグビグビッと飲み干し、プハーッとやる。
 その姿を見て、硫黄は、満喫してるなあ……と思った。
 目が合い、クランは硫黄のほうへ歩いて来、隣に立って窓の外を見る。
「良い眺めですね。風情があって」
(満喫してる……旅を楽しんでるように見えるけど、クランさんにとって、この旅は任務なワケで……。不安じゃないのかな、この先のこと……。任務を遂行出来るのか……。無事にスーパーモンブラン山頂まで……って、あれ……? )
 そこまでで、硫黄の思考が一度止まった。
(無事に、って……。そう言えば、クランさんって……妖精ってどういうふうなんだろ……? 攻撃を受けて普通に傷を負ったり毒でダメージを受けたりすることは、マッドドッグとの戦闘の時のことで分かったけど、もっと踏み込んで、死、については……? )
 そう思い、聞いてみると、クラン、外を眺めたまま、
「不安はありますし、怖いです。死んだら、もちろん死にますし……。ごく稀に、死んでも復活する者もおりますが、それは人間族のような完全に生前のままの姿での復活ではなく、ゾンビとしてですので、とても不幸なことです。人間族にとっては分かりませんが、私ども妖精にとっては、死を迎えたならば安らかに永遠の眠りにつくことこそが最も自然で幸せなことなのです。
 いつか必ず死ぬと分かっているからこそ、また、その時がいつ訪れるか分からないからこそ、一瞬一瞬を大切に、楽しめる時には思いきり楽しんでおかないと損であると、私は考えています。それに、ゾンビとして復活してしまう原因は未練であるとも言われていますしね」
 それから硫黄のほうを見、
「あなたも、入浴されてはいかがですか? 今なら、女湯は誰もいませんでしたし、この部屋にはシャワーもありますが、せっかくの源泉掛け流しの露天風呂ですから。
 ここは出湯の町フィナンシェ。この町に宿泊するのに温泉に入らないのは、もったいないですよ」
「出湯の町? 」
「はい」
「その呼び方は初めて聞いたけど。普通『王都』って……」
「それは通称ですね。我が国スウィーツランドは王制ではありませんから」
「え? でも、この町の真ん中あたりに王宮があるよね? プレイヤーは入れないけど」
「あれは妖精王(ようせいおう)記念館です」
「妖精王? 」
 クランは頷き、自分のバスローブの腰紐に吊るしてあったマスコットを少し持ち上げて見せる。
「このお方です」
 それは、フェルトのような布で作られた、赤い髪に、もみ上げから繋がった同じく赤い顎鬚をたくわえた、戦士の装備をした恰幅のよい中年男性と思われるマスコット。
「入浴後に売店でコーヒー牛乳を買った時に、会計所の手前に売られているのを見つけて、可愛かったので購入しました」
(…可愛い……? )
 へ、へえ……と、硫黄が微妙な反応を示したため共感を得るための努力か、クランは付け加える。
「私の父に似ているのです」
(うん、確かに髪の色はクランさんと同じだし、お父さんに似てるのは、きっとそうなんだろうなって思うけど……。お父さんに似てるから可愛いっていうのは……。…まあ、感じ方は人それぞれだから……)
「王都と呼ばれているのは、このお方……妖精王が、この地を拠点に、出でる湯で体を癒しながら戦いを続け、勝利を収めたという伝承からです」
(「戦い」とか「勝利を収めた」とかの語が出てくるってことは、英雄か何かを讃えて、制度上の王じゃないけど「王」って呼んでるとかか……。
 で、その伝承の王の拠点にしていた町だから「王都」……)
 それは正解で、クランの説明によれば、その伝承とは、スウィーツランドの国民ならば誰でも知っている伝承「妖精王物語」。
 その昔、妖精をはじめとするスウィーツランドに暮らす生物たちが、突如として現れた凶悪にして強大な力を持つ生物によって蹂躙されていた時代があった。そんな時に立ち上がった、ひとりの勇敢な妖精の男。凶悪なる生物との戦いに傷ついた彼は、フィナンシェに湧き出でる湯で体を癒し、以降、この地を拠点として凶悪なる生物との戦いを続け、勝利し、平和をもたらした。彼の功績を讃え、皆が彼を「妖精王」と呼んだ。……という伝承。
(けど、「ようせいおう」なんだな。「フェアリーキング」とかじゃなくて……。ゲームSFFでは漢字で「妖精」って書いて「フェアリー」ってルビふってるのに……。あと、中に入ってから音声として聞いても、画面に「妖精」って表示されてそうな場面で聞こえてくるのは「フェアリー」だし……)
 どうでもよいことだが、興味があるので聞いてみると、
「『妖精(フェアリー)』を『フェアリー』と呼ぶようになったのは、SFFがオープンした時からです。プレオープンまでは、他にも職業名など、例えば『戦士(ソルジャー)』は『ソルジャー』ではなく『せんし』でしたし、あなたの『魔法少女(マジカルクイーン)』も『まほうしょうじょ』でした。
 カタカナ名のほうが格好良いのではないかとの意見がございまして」
(そうか、言われてみれば確かに、ベータテストの時には「ようせい」だったよな……)
 …「ようせい」……。
 …「ようせいおう」……。
(…なんか、平仮名表記で思い浮かべてみると、「ようせいおう」って字面、変に親しみが持てるって言うか、何だかすごく懐かしい感じが……)
 懐かしさの正体を求めて記憶を辿る硫黄。
 ややして思い浮かんだのは、幼稚園の園舎に、幼稚園児だった硫黄が当時使用していた私物と、そのひとつひとつにマジックで大きめに書かれた親の文字「ようせいおう」。
(…あ、オレの名前だ……)


                 *


 湯気が明かりを優しくぼかす。岩を組み合わせて造られた浴槽を囲う薄い色調の木の塀が、その明かりをふんわりと反射していた。
 少しとろみのある湯に胸まで浸かりながら、見上げれば、満天の星。
 硫黄は深く長く息を吐く。
 クランが風呂から上がってから少し時間が経っているが、彼女の言葉と違わず、女湯には誰もいなかった。
 SFFの世界へ来て以降、硫黄は、宿の大浴場等で入浴する場合、自分以外に誰もいないことを確認してから入るようにしている。
 硫黄は外見は女性なので女湯に入るのだが、中身は男。周囲で共に入浴している人々の姿がゲームの時と違いリアルに見えてしまうため抵抗を感じてしまうことが理由だ。
(…静かだな……)
 窓から外を眺めている時、宿の表側の通りには、夜の散歩をしている人々の姿が、そこそこの数、見受けられたが、露天風呂は裏にあり、通りの人々の声などが全く聞こえてこない。…もっとも、人々の姿はそれなりにあっても、皆、特に騒いだりせず、風情を楽しんでいる感じなので、もともと、うるさくはないのだが……。
 聞こえるのは、掛け流しの湯が注ぎ口から落ちて浴槽の湯面に当たる音と、浴槽から溢れ続ける湯の微かな音だけ。
 硫黄はもうひとつ、深く長く息を吐いた。
 そこへ、カララ、と、入口の引き戸の開閉の音。
(あ、誰か入って来た)
 戸の方向には、かなりの高確率で裸の女性がいるので、そちらを見ないよう意識しながら立ち上がり、
(結構、ゆっくり出来たな……)
自分の心に満足を押しつけつつ浴槽から出て、ほぼ真下を向き、そそくさと戸のほうへ向かう硫黄。
 引き戸を開けるべく手を伸ばしたところへ、
「あ、あのっ! エスリンさんっ! 」
声が掛かった。ぴいたんの声。
 SFFの世界へ来て以降、硫黄が宿等に泊まる度に入浴するのは、魔物の返り血や泥汚れ、それらが無くとも普通に汗などで体が汚れていると感じるため、生活習慣としての部分が大きいのだが、外からプレイしている一般的なプレイヤーにも入浴は効果がある。
 それは、HPとMPが一瞬で全回復し、マヒや毒などの状態異常も治ること。
 HP・MPについては町や村の中にいるだけでも時間の経過とともに少しずつ回復するが、とにかく少しずつなため、レベルがある程度高くなりHP・MPともに最大値が上がってきてからは、アイテムを使うか、宿泊料・入湯料等と名称は施設によって異なる料金を支払って入浴するのが、手っ取り早いのだ。どちらも、「そのほうが手っ取り早い」と思えるようになる頃になれば、大した出費に感じないような金額であるし。
 しかし、ぴいたんの目的は、少なくとも今に限っては違ったようで、
「もう、上がりますか? 」
 ソルトのいない所でエスリンさんと話がしたいと思っていたところへ、エスリンさんが風呂に入って行くのを見掛け、ここならば丁度よい、と。
 深刻そうな、その様子に、硫黄は、
(何だろ……? )
 話を聞くことにし、体が冷えてしまうので、一旦、浴槽へ戻った。
 ぴいたんも掛け湯をしてから続く。
 浴槽の壁に寄り掛かる形で並んで湯に浸かる2人を、静寂が押し包んだ。
 ぴいたんの言葉を待つ硫黄。
 暫しの沈黙を破り、
「エスリンさん」
 ぴいたんは、意識的に彼女のほうを見ないよう湯面を見ていた硫黄の正面へ回った。
(っ! )
 硫黄は慌てて視線を湯面からぴいたんの顔辺りに移す。
 そんな硫黄の目を、上目づかいで覗き込み、ぴいたん、
「お願いです。ソルトを取らないで下さい」
(…へ……? )
 ぴいたんが何を言っているのか、硫黄は分からなかった。
 ぴいたんは続ける。
「ソルトは私にとって、とても大切な人なんです」
(ああ、うん。それは、彼氏なんだから、そうなんだろうけど。オレが取るって、どういうこと? )
「ソルトとエスリンさんって、何も言わなくても通じ合えてる感じじゃないですか。私なんて、はっきり言葉で指示してもらわないと分からなくて動けないのに……」
(戦闘中のこと? でも、そんなの……)
 劣等感を持ってしまっているのだと受け取り、慰めるべく口を開く硫黄。
「ソルトと私は、ベータテストの時から、よく一緒に狩ってたから、こういう時はこうする、みたいなパターンがある程度出来てるし、仕方ないよ。ぴいたんだって、そのうち……」
 と、ぴいたんは首を強く横に振って遮った。
「通じ合ってるって、やっぱり、男女の間では特別です」
 そして、目に暗い影を宿し、それを隠すように俯く。
「…不安に、なっちゃいますよ……」
(オレとソルトの関係については、昨日、ソルトがリアルでぴいたんを抱きしめたので解決したと思ってたんだけどな……。
 通じ合ってることが、男女の間だと特別……か……)
 不安になる、と、消え入るように言ったきり口を噤み俯いたままでいるぴいたんに、硫黄は決意した。
(言おう! 本当は男だって!
 ぴいたんに、どう思われるのか怖いけど、どっちみち女性と思われてる今だってギクシャクしてきちゃってて、この先も、オレとソルトとの、基準が分からないから避けようも無い何かちょっとのことがある度に、こんなふうにぴいたんを不安がらせるのも可哀想だし……。
 それで、ぴいたんの心配が無くなるなら……)
 そうして言葉を発しかけた硫黄だったが、ハッと気づき、呑み込んだ。
(今はダメだろ、さすがに! )
 全裸のぴいたんを前にして、など……。
(…でも……)
 今を逃しておいて次など無い気がした。
 ぴいたんは、この話をしているところをソルトに見られたくなくて、ここへ来たワケだし、誠意を持って伝えるにはキチンと向き合って話すべきだから、自分も、彼氏であるソルトの前で、ぴいたんとそんな時間を持つことは抵抗がある。
 そして、なかなか伝えられないでいるうちに、もしもまた、ぴいたんを不安がらせてしまうようなことが起こったら、その時には、もう、ぴいたんは自分の前からいなくなってしまう気がして……。下手すると、ソルトとぴいたんの関係が壊れてしまう気がして……。
(…やっぱり、今だな……)
 ぴいたんにとってはゲーム画面上のことなのだから、実は男の前で全裸でいることなど気にしないかも知れないし……。
 硫黄は一度大きく息を吸って吐いてから、グッと腹に力を入れ、ぴいたんは俯いたままなので目は合わないが、その目を見つめて、
「ぴいたん。ぴいたんに伝えなきゃならないことがあるんだけど……」
そう切り出した。
 ぴいたんは変わらず俯いたまま。
 硫黄は続ける。
「私……いや、オレ……、実は、男なんだ……」
 ぴいたんは、え? と顔を上げ、2度目の、え? を言いながら、もともと湯で隠れているが両腕で自分を抱きしめるようにして胸を隠す格好をした。
(あ、気になるんだ……! )
 硫黄、急いで、
「あ、えっと……! 全然、見てないから……! 見ないようにしてたから……! 」
 言って、本当のことなのに言い訳みたいだと気にし、ぴいたんを窺う。
 返してぴいたん、
「あ、はい……。そうだと思います。それに、これ、私の体じゃないですし……。ただ、何となく……」
 その様子からは、怒りは全く感じられない。
「ごめん。男だってこと、隠すつもりは無かったんだけど……。彼氏持ちのぴいたんだから、オレを女の子だと思ってるから仲良くしてくれてるんじゃないかって思えて、時間が経てば経つほど言い出しづらくなっちゃって……」
「大丈夫。怒ってはないです。驚いたのと……あと……」
 そこまでで、ぴいたんは再び俯き加減。
「…あの……、私のほうこそ、ごめんなさい……。ソルトとのこと、エスリンさんは初めから否定してたのに勘ぐって……。…態度、悪かったですよね……」
(…ぴいたん、ホントに良い娘だな……)
「ぴいたんは何も悪くないよ。オレが、もっと早く言ってればよかったんだ」
 ぴいたんは首を小さく横に振って顔を上げ、ニコッと笑んだ。
「言ってくれて、よかったです。これからも、仲良くしてくださいね! 」
(…怒らないし、気持ち悪いとかも思わないんだな……。ホント、もっと早く言えばよかった……)
 ホッとし、硫黄も笑顔を返す。
「こちらこそ。これからも、よろしくね」
 場の空気がすっかり和んだ。
 だが直後、
「あ……! 」
 ぴいたんが何かに気付いたようにスッと青ざめて声を上げる。
「どうしたの? 」
 心配してぴいたんの目を覗く硫黄。
 ぴいたん、硫黄に縋るように、
「ソルトは、エスリンさんが男の人だって知ってるんですよね? 昨日、シュトレンの中央広場での待ち合わせの時に、私がエスリンさん……他の男の人と一緒にいたこと、どう思ったのかな……? 」
(ソルトが、オレとぴいたんが一緒にいたことをどう思ったか? )
 硫黄は、ぴいたんの必死さを可愛いなあ、と思いながら、
「それなら心配いらないよ。ソルトも、ぴいたんがオレを女性だと思い込んでたの知ってるし、オレがぴいたんに対して変な下心を持ってないことも、昨日、ちゃんと話して納得してもらえたから」
余裕であっさり返した。
 ホッとした表情を見せるぴいたん。
「ぴいたんは、ソルトが大好きなんだね」
「もちろんです。自覚したのは、つい最近ですけど。
 たった今って言ってもいいくらいの、SFFの中では昨日の夕方、外では、まだ20分も経っていない、エスリンさんがソルトの同級生だって知った時……不安になったことで、気づきました」
(付き合い始めて半月で、大好きだって自覚したのは20分前ってことは、付き合おうって言ったのはソルトからか……)
「でも、付き合い始めた時から、とても大切な人でした。辛くて苦しくて身動き出来なくなってた私に、手を差しのべてくれた恩人なんです」
(…恩人……)
 ぴいたんは、元いた硫黄の隣に戻り、静かに長い息をひとつ吐きながら、視線をふうっと遠くのほうへ向ける。
「……私には2つ年上の兄がいて、ソルトは兄の同級生で、よく、うちに遊びに来ていました」
(……ってことは、ぴいたんの兄はオレとも同級生……。誰だろ……? 世の中狭いな……)
「…私は、兄のことが好きで……。恋愛対象として好きで……。
 でも、兄に対して、そんな気持ちを持っちゃいけないって分かってるから、兄が何か嬉しいことをしてくれたりしても『ウザい』とか、ただ一緒にいるだけの空間を本当に幸せに感じていても目が合うと『キモい』とか、気持ちを知られちゃいけないって思えば思うほど過剰に反応して言ってしまって……。
 兄を、傷つけたいワケじゃないのに……」
(どこの妹でも……ぴいたんみたいな良い娘でも、言うんだ。兄に向かって「ウザい」「キモい」。
 ぴいたんみたいな理由だと可愛く感じられるけど、燐は、心の底から言ってそうだよな……)
 硫黄は内心溜息。
「この間も……その時には、たまたまソルトが兄のところに遊びに来ていて、私の兄に対する言葉を聞いて、ソルト、すごく怒りました」
(…ああ、ソルト、小さい頃にお姉さんを事故で亡くしてるから……。お姉さんに言った最後の言葉が「大嫌い」だったことを、今でも後悔してるって、前に話してくれて……。だから、兄弟に向けて傷つけるようなことを言ってるのを聞くのが耐えられないんだ、きっと……。
 ほんの2週間くらい前にうちに来た時にも、オレに「キモい」って言った燐を、かなり強めに叱って、燐が逆ギレして立ち去るのを、「まだ話は終わってないよ! 」なんて言って追いかけてまで行こうとしたから、オレを庇ってくれたことに礼を言って止めたけど……。
 …よく思い出してみたら、そうやってソルトが一度ビシッと言ってくれて以来、燐に「ウザい」「キモい」言われてないな……。オレの中で、もう、すっかり、燐はオレのことを「ウザい」「キモい」言うもんだ、ってなってるせいか、テレポの影響で眠ってた間にみた夢の中では、普通に言われてたけど……)
「いつもは穏やかなソルトが、激しく怒ったことに驚いたのと、あと、『何も知らないくせに』って頭にきたのとで、私、ソルトの前から逃げて、そのまま気分転換に散歩に出て1時間くらいして戻ったら、丁度、うちから出てきたソルトと鉢合わせて……。
 その時には、ソルトは落ち着いて、いつものソルトになっていて、でも、また、今度は静かに、『お兄さんに、あんな言い方したらダメだよ』って同じことを言ってくるから、私も、せっかく散歩で紛れたのに、また頭にきて、『何も知らないくせに! 』って、今度は口に出して言って、兄に『ウザい』とか『キモい』とか言ってしまう理由も話したら、『僕と付き合ってみない? 』って……。『君のお兄さんは確かにとても魅力的な人だけど、君は、とても狭い世界の中にいる。僕と付き合えば、お兄さん以外にもイイ男がいるんだってことを教えてあげられるかも知れないよ』って……」
(…ソルトみたいなのと比べられたんじゃ、兄は、たまったもんじゃないな……)
 ぴいたんの兄に対して、軽く同情する硫黄。
「私は救いを求めて、ソルトと付き合うことにしました。何も知らないのに色々言われた時には頭にきたけど、ソルトのことは、もともと嫌いじゃないので……。
 …付き合って、良かった……。
 私も、恋に恋するお年頃ですから、彼氏がいるというだけで何となく気持ちに張りが出て、隠す必要の無い相手なので友達と恋バナが出来て楽しくて、彼氏のいる友達が2人でどこかへ出掛けたとか聞く度に外でデートする気の無さそうなソルトに不満を持つことさえ『ああ、私、今、恋愛してるんだ! 』なんて思えて嬉しくて……。
 そんな幸せを教えてくれたソルトが、大切で、大好きです。もう、ソルトが私から離れて行くとか、きっと、耐えられないくらいに……」
 ぴいたんの語るフレッシュな香りのする恋バナを、硫黄は微笑ましく聞き、
(…何か、ホントに恋に恋してるって言うか……。ソルト不在の話だな……)
などと思いつつも、ぴいたんが幸せそうなので、良かった良かった、と、何度も頷いて、
「ソルトのこと、お兄さんよりも好きになれたんだね」
 硫黄の言葉に、んー……と、ちょっと考える様子のぴいたん。
 硫黄は、
(……? 違うの……? )
 ぴいたんは、まだ考えながら、といった感じで返す。
「そもそも別格なので比べたことも無いですけど、多分それは、よっぽどの何かが無い限り、一生無理だと思います」
(そうなのっ? 別格って……! あのソルトが一生勝てないって……! 兄、何者っ? うちのクラスに、そんなのいるかっ? )
 驚く硫黄。落ち着くべく、深呼吸。落ち着いたことで辿り着いた結論は、
(…ぴいたんには悪いけど、それって、好きになったらアバタもエクボ、とか、身内の欲目、とか、そういった類のものなんじゃ……? )
「だって、私にとって兄は、本当に特別なヒーローですから」
(ヒーロー? )
「私はエスリンさんの家族構成とか知らないですけど、仮に、エスリンさんに妹さんがいたとして、エスリンさんは、妹さんのためにライオンに立ち向かえますか? 」
(ライオンに? 何だ? その命知らず……)
「立ち向かう、は大袈裟かも知れませんが、私の兄は、ライオンから私を守ってくれました。
 私が中1のゴールデンウィーク、家族で動物園に出掛けた時、ライオンが檻から脱走したってアナウンスが流れて、家族皆で、周りにいた他のお客さんたちも、一緒に逃げていて、その時に、私、転んで足を挫いて動けなくなってしまって……。父も母も兄も、気付かずにそのまま行ってしまって、他の周りの人たちも、どんどん私を追い越して逃げて行く中、もう見えなくなるくらい遠くまで行ってしまっていた兄が、私がいないことに気付いて戻って来てくれたんです。いつライオンが来てしまうか分からないのに、ですよ? 戻って来て、私を負ぶって逃げてくれたんです」
(…それって……)
 硫黄は信じられない思いで、ぴいたんの横顔を見つめた。
(…ライオンが檻から脱走って、そうそうある話じゃないよな……?
 …オレ、中3のゴールデンウィークに家族で動物園へ行って、ライオンが檻から脱走したってアナウンスを聞いて逃げてる途中、それまで一緒に逃げてたはずの燐がいないことに気付いて、捜しに戻って、足を傷めて動けなくなってるのを見つけて背負って逃げたけど……)
「…それ以降も……。私、気付いたんです。兄がいつも、さり気なく私を守ってくれていることに……。兄自身も無意識のことなんじゃないかって思えるくらい自然に、当たり前の顔をして……。
 この間、ソルトに怒られた時も、そうでした。私がソルトの前から逃げたのをソルトが追って来ようとして、その時のソルトの激情ぶりに、ソルトが私に手を上げかねないと思ったのでしょう、兄がソルトを止めてくれたことを、私、背中で聞いて知っています」
(…ぴいたん……。…ぴいたんって……。…燐……? ) 


                                                                                                                                                                                                                                                           

ママのパンケーキが食べたいので、私、もとの世界へ帰ります!(11)


(…ぴいたんが、燐……。燐が、オレのことを好き……。恋愛対象として、好き……)
 明かりを優しくぼかしている湯気が、ふんわりと頭の中までぼかす。
(…オレを、本当に特別なヒーローって……)
 硫黄の中の、記憶、と言うにはあまりに最近な、硫黄を「キモい」と言った時の燐の表情が、まるでアニメかマンガで目にするツンデレヒロインのような表情に変化した。
 そこまでで、硫黄はハッとし、
(…ダメだ! ふんわり照れてる場合じゃないっ……! )
頭の中に入り込んできていた湯気を、意識的に払う。
 マズイことになった、と。
(あんな告白をされて今更、オレが、その兄本人だって知ったら、燐は、気不味いんじゃないか……? 恥ずかしい思いをするんじゃないか……? 傷つくんじゃないか……?
 …もっと、早く知りたかったな……。ぴいたんが燐だって……。
 ソルトは、オレがそれを知ってるもんだと思ってたよな……。だから昨日、ソルトとぴいたんが付き合ってることをオレが知った時、ああいう態度だったんだ……。
 あの時、確かにソルトの態度に違和感を感じたんだから、もっとツッコんで話してたら、もう、そこで、ぴいたんが燐だって知ることが出来たんだよな……。結果論だけど……)
 その時、
(……? )
 視界が微かに揺れた気がした。
 長時間、湯に浸かっていたため、のぼせたのかと思ったが、直後、
(……っ! )
湯面が波立つ程度にハッキリと揺れた。
「地震……っ? 」
 ハッキリと感じたとは言え、それほど大きな揺れではなかったのだが、この後、大きな揺れが来ないとも限らないため、その時に裸では、と、ぴいたんと連れ立って、硫黄は風呂から上がった。

 感じたよりも実際には大きな地震だったらしく、脱衣所の壁に作り付けられた棚に置かれていた脱衣カゴが飛び出して床へと落ち、棚の上に飾られていた花瓶も倒れ、転がっていた。
 2人は大急ぎで、着替えとして用意しておいたバスローブではなく、入浴前に脱いだほうの服を着る。
 そこへ、ドンッ!
(っ! )
 縦方向への強い揺れ。
 天井からパラパラと細かい砂のようなものが落ちて来た。
(崩れるっ? )
 ぴいたんが、
「とりあえず、お風呂のほうへ出たほうがいいですよね? 」
言って、風呂場へ戻ろうとする。
 それを硫黄は、
(…気休めだけど……)
脱衣カゴをぴいたんの頭に被せ、自分も被ってから、
「いや、確かに風呂には天井が無いけど、塀があるから、もし大規模な崩れ方をした時に、逃げ場が無くなって危険だよ。少し遠いけど玄関へ回ろう」



 玄関へと向かう途中、同じく外を目指していたソルトと合流。
 無事、外へ出ると、そこには大勢の人々がおり、宿のほうを向いて空を見上げていた。
(……? )
 つられて見る硫黄。
 そこには、赤髪に赤い顎鬚、戦士の装備を身につけていると思われる中年男性の、宿と同じくらいの大きさのある巨大なバストアップ。
 本当に、胸から上だけ。輪郭は夜の闇に溶け込み気味に、浮かんでいる。
(あれは……)
 クランがバスローブの腰紐にぶら下げていたマスコットに似て……は、もちろんいないが、その髪型や髪色、顎鬚、胸から上しかないが、そこから想像出来る服装や体格から、おそらく、マスコットのモデルとなった人物。
(妖精、王……? )
 周囲の人々のうち、NPCらしい人たちが、一様に驚いた様子で、口々に、「妖精王」の語を発している。
 と、宿の屋根から真っ直ぐに空へと向かって光が伸びた。その中に、人影。
 屋根と平行に仰向けの体勢で浮かんでいる、その人物を、よく見れば、クラン。
(…クランさんっ……? )
 クランの体の下に、妖精王のものだろう掌を上に向けた大きな両手が現れた。
 瞬間、光はスウッと消え、クランの体は妖精王の手の中に落ちる。
(クランさんっ……! )
 この状況は一体何なのか、クランが無事なのかどうか、硫黄の今いる位置からでは分からない。その姿さえ、妖精王の手に隠れて見えない。
 とにかく近づこうと、視線は妖精王から逸らさずに、屋根の上に登るべく宿に駆け寄ろうとする硫黄。
 その時、不意に妖精王と目が合った。
 気のせいだと思った硫黄だったが、
「嬢ちゃん」
 妖精王が、明らかに硫黄に向けて口を開いた。
 太い、重みのある声。辺りに地鳴りのように響く。
 足を止め妖精王を仰いだ硫黄に向けられている目は、優しい。
「儂の名は、グース・ベリー。世の中には広く妖精王の名で知られておるようだな。
 儂の末裔……クラン・ベリーをこの地へと導いてくれたこと、感謝する」
(…クランさんが妖精王の末裔……っ?
 さっき、妖精王についての話をしてたけど、そんなこと一言も……。本人も知らなかったのかな……? )
「驚いたか? 無理もない。
 これまで共に旅をしてきた、とびきりの可愛コちゃんが、まさか、かの有名な英雄・妖精王の末裔だったとはなあ! 」
 ガハハと豪快に笑う妖精王・グース。
 驚きから特にこれといった反応を出来ないでいる硫黄に、ゴホンと咳払いをひとつ。話を続ける。
「まあ、冗談はさておき……」
 普段の硫黄であれば、
(は? 今の冗談なの? どこが、どんなふうに? ホント、オッサンのジョークって、つまらない以前に分からないよな……)
などと、心の中でツッコんでいるところだろうが、今の硫黄は、本当に驚いてしまっていて、心の中まで無口になっていた。
 グースは続ける。
「儂が勝利を収めて以降すっかり大人しくなっておった凶悪にして強大な力を持つ生物どもが力を取り戻しつつあることは、皆、既に気づいておるだろう。
 このままでは、彼奴奴等に蹂躙される昔に逆戻りだ。
 ……かつての儂は甘かった。彼奴奴等の親玉を仕留めきれなかった。長き時を経て、今更、後悔しておる。
 しかし、既に死を迎え肉体を持たぬ儂が直接手を下すことは出来ぬ。
 そこでだ。末裔であるクラン・ベリーに、全てを託す」
 そこまででグースは、硫黄の位置からは見えないがクランがいるはずの手の中に視線を落とした。
 手の中から、うっすらと赤い光が漏れる。
 ややして、グースの手から、光に包まれたクランが浮かびあがり、宙をゆっくりと硫黄のもとへ。
 ほぼ条件反射で抱き止める硫黄。
 すると光は消え、クランの体の上に置かれた見慣れぬ長剣だけが、鞘の隙間から微かな赤い光を零していた。
(…クランさん……)
 クランは目を閉じ、静かに長い呼吸を繰り返している。
(…寝てるだけ……? )
「心配せずとも明朝には目を覚ますであろう」
 頭上からのグースの声を、クランを見つめたままで聞く硫黄。
「その剣は、儂の使っておった物。クランに授けよう。
 クランは未だ覚醒しておらぬが、儂に匹敵……いや、それ以上の力を秘めておる。精神に働きかけ、覚醒を促しておいた」
 そこで一旦、言葉を切り、グース、
「嬢ちゃん」
語、そのものの持つ雰囲気に反して改まった調子。
 呼ばれて硫黄が仰ぐと、グースは真っ直ぐに目の奥を覗いてき、
「この先も、クランを頼む。そして、共にスウィーツランドを守ってくれ」
 一方的に言うだけ言い、
「では、さらばだ! 」
 グースは夜空に溶けていった。
 硫黄は、
(……)
 ごくごく普通の状態に戻った空を、暫しそのまま眺めてしまってから、ハッとする。
(オレ、何か今、大変なことを頼まれなかったっ? )
                           

ママのパンケーキが食べたいので、私、もとの世界へ帰ります!(12)


(……? )
 硫黄は、椅子に腰掛け、頭だけベッドに横向きに乗せているという、不思議な体勢で目を覚ました。
(…ああ、そうか……)
 すぐに、そこがクランの枕元であると思い出す。
 視界真正面にある窓の外は、明るい。
(いつの間にか、寝ちゃったんだ……)
 昨晩の妖精王・グースの一件の後、宿の人によって建物の安全が確認されたため、眠ったままのクランを連れて部屋へ戻った。
 「明朝には目を覚ます」とグースは言っていたが、やはり心配で、硫黄は、クランの枕元から離れられないでいた。
 ソルトとぴいたんが、自分たちは眠る必要が無いからクランを見ていようかと申し出てくれたが、正直、外からでは、どれだけキチンと様子が分かるか不安があったため、自分がこうしていたいだけだから、と、やんわり断り、ずっと自分に付き合わせてしまっていて申し訳ないから、この間に少しでも二人きりでデートしてきたらどうかと勧めた。
(断っておいて……。昨日の晩も寝てなかったせいだな……)
 と、硫黄は、ほぼ真上から、何となく視線のようなものを感じ、見れば、クランが上半身起き上がった状態で硫黄を見下ろしているのと目が合う。
「何故、そのような寝方をしているのですか? 」
 クランの問いに、硫黄は身を起こしながら、
「クランさんのことが心配で、ここで座って見てたんだけど、いつの間にか眠っちゃって……」
「…心配……? 私を、ですか? 何故……? 」
(…何故って……。あ、そうか。クランさん、眠ってたんだもんな……。いつから眠ってたのかは分からないけど、オレが地震を感じて外に出てすぐ、屋根の上に浮かんだ時には多分……)
 硫黄は、クランのベッドのすぐの所の壁に立て掛けておいた、グースがクランに授けた剣を手に取り、クランに渡して、
「昨日、風呂に入ってたら、地震みたいな揺れを感じて、外に出たらさ……」
グースの一件について話した。
 クランは驚いた表情。
「……夢で見ました。現実の出来事だったのですね……。…私が、妖精王の末裔であると……。私に、全てを託すと……」
 それから、手元の剣に視線を移して、鞘から抜き、先端を天井に向ける形で縦に持って眺める。
「見事な剣ですね。随分と昔の剣なのに、状態も良いです。妖精王が、霊体でありながら手入れをされていたのでしょうか? これならば、このままでも普通に使……」
 突然、クランの言葉が止まった。動きも止まっている。
(……? …クランさん……? )
 どうしたのか、と硫黄が顔を覗こうとすると、ブンッ!
 いきなり、クランは硫黄目掛けて、それまで眺めていた剣を振り下ろしてきた。
(っ! )
 間一髪かわした硫黄は体勢を崩し、床に尻もちをつく。
 空振りした剣はクラン自身のベッドに当たり、そのまま30センチほどを斬って止まったが、殺されきらなかった力が伝わったか、そこからベッドを横断する形の延長線で、ベッドは、真っ二つに割れた。
 ベッド上に敷かれた薄いマットレスと一緒に、割れたところからゆっくりと沈み、クランは床に落ちる。
 ややして、剣を右手にぶら下げ、平然と立ち上がるクラン。
(……)
 違和感を感じる硫黄。
 このような場面で何事も無かったように立ち上がるのは、むしろクランらしいように思うのだが、そこではなく、目。
 硫黄のほうを向いているが、硫黄を見ている感じがしない。目が合わない。どこか遠くを見て? いや、何も見えていないようにさえ思える。
 表情も、クランはもともと表情豊かなほうではないが、全くの無表情。仮面でも被っているかのように頬の筋肉ひとつ動かない。
 そして、その全くの無表情のまま硫黄のほうへと1歩、踏み込みざま、ぶら下げていた剣を下から斜め上へと振り上げた。
 剣が硫黄の左側頭部を掠める。血が滴った。
 違和感に気を取られていた硫黄には避けようもなかった素早い攻撃。まともに当たらなかったのは幸運だ。 
 硫黄は我に返り、脇に転がっていた椅子を掴み寄せて、椅子の脚をクラン側に向け、座面で自分の胸と腹を守りつつ立ち上がって、すぐ背後には昨晩に硫黄が寝るはずだったベッドがあるため左手側の広めのスペースへと、クランと距離をとった。
 座面で守り……と言っても、ほぼ腕の力のみで振り下ろしただけでベッドを真っ二つにしてしまうような剣が相手では、気休めにしかならないが……
 硫黄のほうへ向き直りながら、再度勢いよく剣を振り下ろすクラン。
 全く狙えていない。剣は見当違いに空を斬る。
 狙えていない、と言うか、狙っていない? クランの意思を感じられない。まるでクランが剣に操られているような……。
 振り抜いてから、クラン、硫黄へと突進。間合いに入ったところで、今度は水平にフルスイング。
 しゃがんでかわす硫黄。とにかく一旦、部屋の外へ出ようと、クランの動きを気にしつつ低い姿勢のままドアの前まで移動。
 瞬間、ブォン! 
 かなり低めの位置から斜め上方へと掬うように振られる剣。
 床に尻をつき仰け反って避けた硫黄。
 同時、ドアが開き、そこに立っていたソルトとぴいたんと目が合う。
 ソルトとぴいたんは、2人揃って固まってしまっていた。
 先にソルトがハッとなり、硫黄の襟の後ろを掴んで部屋から自分たちのいる廊下へと引きずり出し、その、すぐ隣での大きな動きで戻って来たぴいたんが、急いでドアを閉める。
「何が起こってるの? 」
 ソルトの問いに、引きずり出されたまま座ったままの姿勢で、硫黄は大きくひとつ息を吐いてから、
「…うん、何だかよく分からないんだけど……」
いつの間にか眠ってしまっていた自分が目を覚ましてから、これまでのことを、ありのままに話す。
 ぴいたんが硫黄の脇にしゃがんで、流血している側頭部に手をかざし、
「トリートメン」
傷を治した。
 ソルトが考え深げに呟く。
「…町の中では一切、戦闘行為は出来ないはずだよね……? でも、まあ、それはクランさんがNPCだから当てはまらないのかな……?
 …鞘から抜いた剣を眺めてて、か……。一晩、エスリンが眠っちゃってた間は分からないけど、多分、クランさんは、ずっと部屋の中にいて、剣も、ずっと部屋の中にあったのに、何ともなくて、それで、そのタイミングで、ってことは、クランさんが操られているように暴れる原因は、クランさんが剣を握ったことか、剣を鞘から抜いたことか……。
 剣を取り上げて鞘に収めれば、クランさん、普通の状態に戻るのかな……? 」
 その時、ガッ!
 音と共に、ドアの上部中央に、剣の先端から刀身の半分くらいまでが突き出る形で現れた。
(っ! )
 反射的にドアの近くから飛び退く3人。
 直後、ズザッ!
 ドアは一刀両断。
 その切れ目から、メリメリと音を立てながら強引に、しかし、やはり全くの無表情で、クランが出て来た。
 クランを正面に、ぴいたんを背に庇うよう腕を広げた格好で、更に後退る硫黄。
 クランが無理矢理通ったことで、ドアの、蝶番で繋がっていないドアレバー側半分が、廊下側へと倒れる。
 ソルトが硫黄の横に並び、
「鞘は、今、どこにあるの? 」
 返して硫黄、
「部屋の中。オレが行くよ。大体の場所の見当はついてるし」
(…多分、クランさんのベッドの上だ……)
 気をつけて、とのソルトの言葉に見送られ、クランが3人に向かって踏み出したところを、彼女のほうへ駆けだす硫黄。
 向かって来た硫黄に、機械的な感じで剣を振るうクラン。また大振り。
 来ることが予想出来ていれば非常に避けやすい、その攻撃をすり抜けて、硫黄は部屋の中へ。
 思ったとおり、鞘は2つに割れたクランのベッドの、マットレスの最も沈んだところに落ちていた。
 それを掴み、すぐさま廊下へ戻ると、ぴいたんを背に庇ったソルトの前で、クランが剣を大きく振り被ったところだった。
「ソルト! 」
 硫黄は床を滑らせてソルトに鞘をパスしてから、たまたま近くに転がっていた、先程まで自分が抱えていた椅子を、再び手にし、クランへ全力疾走。
 今まさにソルトとぴいたんに剣を振り下ろそうとしていたところを、斜め後ろから、椅子の4本の足の間にはめ込む形で壁に押しつけ、とりあえず大きな動きを封じた。
 もがき暴れるクラン。
 必死で椅子を押さえる硫黄。
 ソルトが、デタラメに振られ続ける剣に苦戦しながらも何とか、その剣を持つ手の手首を掴み、剣を鞘に収めることに成功した。
 途端、ピタッとクランの動きが止まる。
「…私……? 」
 真っ直ぐに硫黄を見、ほぼ無言で問うクラン。
(…目が、合った……! …戻った……っ? )
 硫黄はいっきに力が抜けて椅子を下ろし、大きく息を吐きつつ、しゃがみ込んだ。
 ソルトもホッとした様子で手を放す。
 クランは廊下に転がっているドアの半分を見、残り半分の向こうの荒れ放題の室内を見て、
「…これは、一体……? 」
 それから、自分の右手にしっかりと握られている剣に目をやり、
「…もしかして、私のしたこと、ですか……? 」
(操られてるみたいだとは思ったけど……)
 暴れていた間の記憶が無いらしいクランに、硫黄は、ソルトとぴいたんにしたのと同じ説明に、暴れるクランを2人と共に押さえ剣を鞘に収めて今に至るくだりを加えて話した。
 クランは空いている左手で軽く顎をつまみ俯き加減。考えながら、
「妖精王は狂戦士であったと伝えられておりますが、その妖精王自身の性質が武器に影響を及ぼしているということでしょうか?
 ……せっかく頂いた剣ですが、これは使用しないほうが良さそうですね」
そこまでで硫黄を見、
「あなたを無事に長官のもとへ届けなければならないのに、守るべき立場の私が傷つけたのでは本末転倒ですから」
 当然のようにサラリと言った、その言葉に、硫黄は驚く。
(…今の任務、まだ続けるの……? )
 クランは昨日、妖精王グースから、スウィーツランドを守るよう託された。重要度から考えて、そちらを優先するだろうと思っていたのだ。
 硫黄がそう言うと、クラン、
「重要度は、どちらも代わりません。魔物からの侵略か、人間族からの侵略かの違いですから」
 ちょっと引っ掛かる言い方
 硫黄は、
(…ああ、そうか……)
思い出す。
 共に旅をしているうちに打ちとけてきたことで、クランが人間族に対してどのような感情を持っているのか、そもそも、この旅だって、硫黄への不信から始まっているのだということを、忘れていた。
(……SFFの中に入ってからマカロンタウンで初めて会った時と比べたら、ホント、考えられないくらい仲良くなれたな……。クランさんのほうは、どう思ってるか分からないけど……)
 硫黄、クランの言葉に頷きつつ、
「確かに、重要度は、そうかも知れないけど、オレもグースさんから頼まれてるし。『この先もクランを頼む。そして、共にスウィーツランドを守ってくれ』って。
 だから順番は、魔物のほうを先にしてもらわないと、マロン様に会ってLV1に戻ったら、すぐには役に立てないし……」
 クランは驚いた様子。
「手伝って、下さるのですか……? 」
 驚かれて、逆に驚く硫黄。
「当然、そのつもりだったけど。だって、友達が困ってたら、助けるのは当たり前でしょ? 」
 横からソルトも同調する。
「そう。だから僕とぴいたんは、今、エスリンを助けようとしてる。
 魔物のほうを先にするんでも、もちろん付き合うよ。エスリンを守る必要があるし、それに、クランさんだって、もう、僕らにとっても友達だから」
 ぴいたんも、ソルトの隣で何度も頷いている。
 クラン、
「友達……? 」
と呟き、ますます驚いたように硫黄を見、ソルトとぴいたんを見、それから顔を赤らめて背け、ぶっきらぼうに、
「…ありがとう、ございます……」
(…照れてる……)
 硫黄は、クランのこんなところを、本当に可愛いと思う。
 ややして照れから立ち直ったクラン、
「長官にお会いになっても、LV1に戻らないようにすることは出来ます。LV1に戻るのは、当SFFを繰り返しお楽しみいただけるようにとの、当方の配慮ですので」
(あ、そうなんだ……)
「私としましては、あなたが無事に人間族の暮らす本来の世界へ戻られて、そこから、今現在のソルトさんやぴいたんさんのような存在として手伝ってくださったほうが気持ちが楽ですし、やはり先に、長官のもとへ向かいましょう」

ママのパンケーキが食べたいので、私、もとの世界へ帰ります!(13)



 快晴の空の下、ババの入口で硫黄は足を止め、ほぼ真上からの陽射しに目を細めながら振り返った。
 硫黄の少し後ろを歩いていたソルトとぴいたんも足を止める。
 一行の先頭、硫黄の半歩前を歩いていたクランが、急に立ち止まったためだ。
 1歩分後ろとなったクランは、道の端の茂みの前で、しゃがんでいた。その視線は、限りなく地面に近く、視線の方向に右手を伸ばしている。
「クランさん? 」
 声を掛けると、クランは、しゃがんだまま硫黄を仰ぎ、鮮やかな青色をした何かを掴んだ右手を突き出して見せた。
「見て下さい! 森のラピスラズリと呼ばれる食用キノコです! スープにすると、良いダシが出て美味なのですよ! 」
少し鼻息荒めの興奮した様子。
 と、その時、強い風が吹いた……と錯覚した。クランのいるすぐのところの茂みが、ガサッと大きく揺れたためだ。
 直後、一行の頭上に影が差す。
 見れば、
(っ! )
 近すぎて何だか分からないが、おそらく爬虫類系の魔物のものである大きな腹が、重力に任せて真上から落ちてくるところだった。
(潰される! )
 固まる硫黄。
 突然、しかし静かに、クランが立ち上がった。そして、グースから授けられた剣は封印しているためポルボローネ以降ずっと使用している腰に差した長剣を、抜きざま頭より後ろへと大きく振り被ると、ジャンプしながら、いっきに振り下ろす。
 同時、サア……と光が降り注いだ。
 一拍置いて、2つに割れて次第に光の幅を拡げつつ互いに離れていく腹の断面から、血の雨。
 ややして、ドゴ……ン! 地響きを伴って一行を挟むように転がったのは、体長5メートルほどのトカゲ型の大きな魔物・プレデトリドラゴン(LⅤ55)だった。
(…スゴい……! )
 硫黄は驚く。
(今までと同じ剣なのに……! 体が大きくて皮膚も厚くて硬いプレデトリドラゴンを一撃で、なんて……! これが、グースさんの言ってた、クランさんの秘められた力……っ? )
 共感を求めて、ソルトとぴいたんを見る硫黄。2人も同じ気持ちだったようで、視線を合わせてき、驚きを分かち合った。
 クランは呆然と立ち尽くしている。彼女自身も自分の力に驚いたようだ。



 プレデトリドラゴンを斬るために足下に転がしてしまった森のラピスラズリを拾い、一旦茂みへと歩いて手を伸ばし新たに数本を採って、一緒に四次元バッグへ仕舞うと、クランは満足気にひとり頷きながら、バッグを軽くポンッと叩き、
「行きましょう」
ババの中へ。
 続く硫黄・ソルト・ぴいたん。
 ババの中は、生い茂る木の葉に頭上を覆われ薄暗く、不快なほどではないが高い湿度のせいか、足下は全体的に苔生し、所々に木の根も出ているので歩きづらい。
 そのため、どうしても視線が下に行きがちな状態で、ほんの数歩。
(…あれは……)
 少し先を、黒い何かがカサカサと地面を蠢き、道を塞いでいた。
 頭部が縦に細長く、全身も細長いヒョウタンのような特徴的な形をしている体長3メートルほどの甲虫型の魔物・グラウンドビートル(LⅤ80)3体。
 もともとのゲームとしてのSFFでもそうだが、ババに入った途端、魔物のレベルがはね上がる。
 そこに何故か、本来はカヌレ村近くの森などに生息するスネイル(LV18)も同じく3体。
 スネイルはカタツムリを体長30センチほどに大きくしたような魔物で、町や村の外の畑で栽培している農作物を食べてしまうとの理由から、初心者向けのクエストに、スネイル退治、というものがあるが、大人しい性格で、プレイヤーを襲うことなど無いため、それ以外には戦う機会の無い魔物。
(どうして、こんな所に? )
 先日にカヌレ村が炎上した際のファイヤドラゴンのように、本来の生息地から自分が優位に立てる地へ移動する魔物は確認されていると聞いたが、ここ、ババは、スネイルにとって、そういった場所ではないはず、と、首を傾げる硫黄。
 その時、ソルトがハッとしたように、
「いけない! 早くスネイルを倒さないと……! 」
声を上げ、1歩踏み出しざま乱れ突きを放つ。
 しかし、槍の先端が届く直前、3体のグラウンドビートルが、各々スネイル1体に覆い被さった。
 ソルトの攻撃は、ごく浅くグラウンドビートルたちに当たる。
 スネイルを庇ったかのように見えたグラウンドビートルたちの行動だったが、直後、揃って、各々の懐の中にいる個体の軟体部に噛みついた。
 噛みつかれたスネイルは一瞬でドロドロに溶け、グラウンドビートルの口に吸い込まれていく。
(っ? 魔物同士でっ? )
 驚く硫黄。
 ソルトは舌打ち。
「…遅かったか……」
「……? どうしたの? 」
 硫黄の問いに、ソルト、
「あくまでも可能性なんだけど……」
説明しようとして途中でやめ、
「うん、後で説明するよ。今は、とりあえず強行突破しよう」
 言うが早いか槍を構え直し、
「ツイストドリル! 」
 右側にいるグラウンドビートルと中央のグラウンドビートルの小さな隙間へ向けて槍を突き出した。
 螺旋を描いた風が隙間を勢いよく通過し、やはり虫なので体の大きさのわりに体重が軽いのか、グラウンドビートルを風圧で吹き飛ばして道を作った。
「行こう! 急いで! 」
 ソルトに促され、先に通る硫黄・クラン・ぴいたん。
 無事に通過し、殿を買って出てくれたソルトを心配した硫黄が振り返ると、ソルトも既に通り過ぎ、硫黄たち3人を背に庇う形でグラウンドビートルに向き直り立ち止まっていた。
 グラウンドビートルのほうは、何故か3体から9体に増え、硫黄が間を通っている時までは確実に無かった、グラウンドビートルたちの足元に無数に転がっている長さ50センチほどの白いジェリービーンズのようなものから、今まさに、新しい個体が出現しているところだった。
(…何だ、これ……? ソルトが先にスネイルを倒そうとしたのは、こうなることを予見して……? )
 斜め前方でソルトが叫ぶ。
「パーフェクトトルネード! 」
 渦巻く強風に空中へと巻き上げられるグラウンドビートル。
 しかし体重が軽過ぎて切り裂かれることなく煽られているだけ。
 硫黄は暫し、ただ見守ってしまってから、ハッと我に返り、
「マジカルヘビーQハートシャワー! 」
 ソルトの竜巻の位置に合わせてピンクの雲を発生させ、ハートが降り注ぎ始めたところで、
「エクスプロージョン! 」
 炎の柱に変化した竜巻に、一瞬で灰にされるグラウンドビートル。
 だが、そうしている間にも、新たに出現した個体が6体、手の放せない硫黄とソルトに一斉に襲いかかる。
(まずい! )
 身を固くする硫黄。
 瞬間、クランがソルトより前に飛び出し、6体いっきに薙ぎ払った。
 それでも、また新たに出現し、向かって来るグラウンドビートル。
「プロテクティブウォール! 」
 後方でぴいたんが叫んだ。
 無色透明の壁が、クランの前に現れた。
 グラウンドビートルたちは、突如目前に現れた壁に勢いよくぶち当たり、潰れる。
 ぴいたんは壁を解かない。潰れた個体の向こうで、次々と新しい個体が出現し続けているためだ。
 ソルトも槍を構え直した。そして硫黄を振り返り、
「クランさんと先に行って! ここは僕らが引き受けるよ」
「…でも……! 」
 途惑う硫黄。
 ソルトの言う僕ら、は、ソルト自身とぴいたんであり、2人は生身ではないので死んでも復活できると分かっているが、それでも、目の前にある姿は本当にリアルなので、危険と知っていながら置いて行くことに抵抗があった。
「エスリンさん」
 背後からぴいたんの声が掛かり、振り向くと、彼女は笑顔をつくって力強く頷いて見せた。
 ソルトが続ける。
「大丈夫。君らが充分に離れるのを待ってから、奴らの隙をついて、ぴいたんのテレポで追いかけるから」
 なお躊躇う硫黄。と、腕が、ババの奥方向へグイッと引っ張られた。
「行きましょう」
 クランだった。
 クランは、
「頼みます」
 ソルトとぴいたんに向けて短く言うと、硫黄の腕を掴んだまま走り出す。
 クランに引っ張られて2・3歩よろけるように進んだ後、
(…ソルト……。ぴいたん、いや、燐……! )
 気持ちは半分以上その場に残したまま、硫黄も走り出した。


                 *


(…また、グラウンドビートル……! )
 行く手を、今度は2体のグラウンドビートルに阻まれ、足を止めて身構える硫黄とクラン。
(急いで倒さないと! また増えられても……! )
 そう考え、硫黄は、すぐに攻撃に移ろうとする。
 だが一瞬早く、クランが前に出、1歩踏み込みざま薙ぎ払った。
 かわそうとしたところへ当たり、浅かったが大きく体勢を崩すグラウンドビートル。
 そこを硫黄、2体の間を駆け抜けつつ、ステッキでチョンチョン、と両側に触れていき、
「マジカルミニハート」
抜けきったところで、
「エクスプロージョン! 」
 2体のグラウンドビートルは、増えることなく粉々に。
(やっぱ、増えるのにはスネイルの存在が関係してる……? )
 とりあえずホッとしながら、硫黄は、増え続けるグラウンドビートルと今もまだ戦っているかもしれないソルトとぴいたんを思う。
 と、その時、、数メートル先に、白く光る大きな鳥のようなものが、空から舞い降りてきた。
 その背の上から、
「エスリン! 」
「エスリンさん! 」
 聞き慣れた声が掛かる。
 ソルトとぴいたんだった。
 大きな鳥に見えたのは、ソルトのアレクサンドラ号だったのだ。
「り……ぴいたん! ソルト! 」
 2人の無事が嬉しくて、思わず駆け寄る硫黄。
 着地し、先ずはソルトがヒラリと馬上から降り、ぴいたんを気遣って声を掛けながら腕を伸ばし支え、そっと降ろした。
 木漏れ日の中、イケメン騎士と美修道女による、その場面に、
(…この2人は、ホント絵になるな……)
 一頻り見惚れてから、硫黄はハッと気づく。
(…今、空を飛んで来た……? )
 アレクサンドラ号はカスタマイズで翼がついてはいるが、見た目だけであって普通の馬なので、空など飛べるはずがないのに、と。
 それをそのまま口に出して言うと、答えてソルト、
「飛んでたのは、アレクサンドラ号じゃなくて僕なんだ。ウインドライドっていうスキルで、ついさっき得たばっかなんだけど」
「ウインドライド? 聞いたこと無いな」
 職業や武器の属性によって身につけられるスキルは違うため、硫黄には縁の無いスキルは、もちろん沢山あるが、SFF歴が長いので、聞いたことさえ無いスキルというのは珍しい。
(きっと、ソルトのレベルにならないと得られないスキルなんだ……)
 空を飛べるとか、いいな……と、ちょっと羨ましく思う硫黄。
「僕も初めて聞いたよ。それで、君らを追いかけるのに、そう遠くまで行ってないはずだから、テレポより、こっちのほうが見つけ易いと思って、早速使ってみたんだ」

ママのパンケーキが食べたいので、私、もとの世界へ帰ります!(14)


「グラウンドビートルって、完全にマイマイカブリの形をしてるでしょ? SFFの魔物は外見のモデルになった生物の生態も参考に作られてるから、カタツムリがモデルのスネイルが一緒に出て来た時点で、『ああ、これは増える』って思ったんだ。
 マイマイカブリは、カタツムリを食べることで卵巣を発達させるからね」
 ババの中を進みながら、ババに入ってすぐに出くわしたグラウンドビートルとスネイルの一団のうち先ずスネイルを攻撃した理由を、硫黄・クラン・ぴいたんに説明するソルト。
「増えられたら厄介だからね。とりあえずスネイルさえ倒せば増えないし」
(…そうか。グラウンドビートルが増えたのは、やっぱりスネイルが関係してたんだ……)
 ソルトは物知りだな、と、感心する硫黄。自分は、そもそもマイマイカブリなんて虫は知らないし、もちろん、それがカタツムリを食べることで増えるなんてことも知らなかったし、と
 そうソルトに言うと、彼は、「いやあ、それほどでも……」と、決まり事のような謙遜をし、
「幼稚園の頃に、甲虫にハマってた時期があってね。その時、本か何かで調べて得た知識だよ」
(幼稚園っ? )
 ますます感心する硫黄。


                  *


 岩肌に、硫黄たち4人全員が余裕で横に並んで入れる大きさの穴が、ポッカリと開いている。
 ババ入口からスーパーモンブランまでの道のりの丁度中間地点くらいに位置する洞窟だ。
 もう夕方近く、もともと薄暗いババの中は、更に暗くなってきている。
 そのため、その洞窟も、入口が大きいわりに、もう2メートル先が闇に閉ざされていた。
 クランが四次元バッグの中からランタンを取り出し、火を灯した。
「この洞窟を抜けてすぐの安全地帯で、今日は休みましょう」
 と、ここまでは、きちんと全員に向けて言い、以降、
「結局まだトフィーのエビ煎餅をいただいていませんが、エビ煎餅は日持ちするので、先ずは先程のキノコですね。……ああ、でも、両方合わせてみるのも、いいかも知れません」
 考え深げに独り言のように呟きながら、洞窟へ入って行く。
 硫黄・ソルト・ぴいたんも、各々のランタンを出し、続いた。



 暗過ぎて、ランタンの灯りだけでは、よく分からないが、洞窟内は、高さ、横幅ともに入口と同じくらいのようだった。
 壁と地面は、しっとりと湿気を帯びた岩。天井も岩なのだろうが、コウモリ型の、翼を最大に広げても全長20センチほどの小さな魔物・フライングマウス(LV60)が、数えきれないほど多数ビッシリとぶら下がっているため、見えない。
 姿かたちだけでなく能力などの特徴もコウモリを思わせるものであるのに「マウス」と名の付くその魔物は、刺激しなければ襲ってこないため、戦闘を避けるべく、一同は、そーっと通り過ぎようとする。
 しかし、もともと岩場でゴツゴツと足場が悪く、しかも暗いので、
「あっ! 」
 躓いたのか、小さく声を上げ、クランが派手に転んだ。
 同時、ランタンが彼女の手を離れ、そこそこの勢いで天井へ。
 その近くのフライングマウスたちがランタンを避け天井を飛び立って、一同へ向かって来る。
 飛び立ったフライングマウスたちの動きは波紋のように周辺のフライングマウスたちへと伝わっていき、次々と一同のほうへ。
 一度に現れる数が最低でも100以上と、とにかく多く、発している超音波により、戦闘中は自動的かつ継続的にHPが削られていく。噛まれれば、それ自体でのダメージは大したこと無いが、毒状態となり超音波による分にプラスされてHPが削られ、また、マヒ状態となり戦闘不能に陥ることもある。体が小さく動きも素早いため倒しにくいにもかかわらずババの中にいる魔物としてはレベルが低く経験値的に割に合わないので、ゲームでも戦闘を避けることが多い。
(ごめんなさい! 悪気は無かったんです! )
 襲い来るフライングマウスに、転んだクランへ手を差しのべつつ、心の中で本気で赦しを乞う硫黄。
「プロテクティブドーム! 」
 ぴいたんの声とともに、無色透明の半球体が現れ、一同を覆った。
 突然現れた半球体だったが、さすがは素早いフライングマウス。先頭の個体も、ぶつかる直前で身を翻し、ブレーキ。以降、キーキーと可聴域の鳴き声を発しながらドームの周りをパサパサと舞い、群がって中を覗く。
 息を詰める一同。
 ややして、厭きたのか元の位置へと戻り始めるフライングマウス。
 そう時間を置くことなく、全ての個体が戻った。
(…よかった……)
 ホッとする硫黄。
 ソルトが、
「クランさん、よかったら、これ、使って下さい」
 ランタンを壊してしまったクランに、2日前に大量に購入したうちの1本であろう松明を、四次元バッグから出して手渡す。
 念のためドームに入ったまま、クランが一歩前を、他3名が横に並んで続く形で、静かに先へ。



 ドームを解除した直後、硫黄の斜め前で、
「ひゃっ! 」
クランが叫んだ。
 その声に一度ビクッとしてしまってから、
「クランさん? 」
 どうしたのかと声を掛ける硫黄。
「水滴が首筋に落ちてきて……」
(…なんだ……)
 と、その時、ランタンに照らし出されているだけの狭い視界の隅で、何かが動いた気がした。
 背後にも気配を感じ、振り返る。
 瞬間、何かが顔に向かって飛んで来た。
 条件反射で避け、見れば、そこには、暗いせいかも知れないが酷く血色の悪く見える、爪の長い人間のものらしい手。
 手の伸びて来ている方向に目を向けると、丁度、暗がりの中から手の主が姿を現した。
 その姿に、
(っ! )
硫黄は固まる。
 あまりに異様で……。
 基本的な形は人間と変わらないのだが、皮膚が広範囲にわたって剥けて肉が露となり、ところどころ肉さえ無く骨が見えていたのだ。
 そう、所謂ゾンビのような……と思っているところへ、
「これはゾンビです」
 隣でクランが口を開く。
「昨晩ちょっとお話ししました、妖精が死後に復活した姿です。人間族と違い、このような姿での復活となってしまうのです」
(…そう言えば、そんな話してたな……。未練が原因でそうなるとか……)
「画面上では、『フェアリーゾンビ(LV82)』って表示されてるよ」
 突然現れたわけではないのだろうが視界が狭いため硫黄の感覚からすると突然現れた別の個体の攻撃をかわしつつ、ソルト。
(…ってことは、魔物扱い? )
 クランが頷き、続ける。
「引っ掻かれたり噛みつかれたりしますと、こちらがゾンビ化してしまい、そうなれば、意識が混乱し仲間を襲ってしまったりして危険ですので、早めに、倒すのは不死の存在のため無理ですが、攻撃によって一時的に戦闘不能には出来ますので、隙をついて逃げましょう」
 そんな会話の最中にも、闇の中から突然現れては次々と襲いかかってくるフェアリーゾンビ。
 姿を現した時点でかなり距離が近く、しかも、目が、どこか遠くを見ているような、もっと言えば、何も見えていないようでさえあり、狙いが掴めず、防御するのもギリギリ。なかなか攻撃に転じられない。
「ライト! 」
 ぴいたんが右手のひらを天井へ向ける。
 すると、手のひらの上にピンポン玉大の白く光る球体が現れ、天井近くまで浮かんだ。
 小さな太陽のような球体に照らされ、一同を中心に洞窟の壁から壁までの幅、通路の長さで5メートルほどの範囲が、パッと明るくなる。
 それにより姿を現したフェアリーゾンビは30体ほど。クランの近くに集中していた。
(この数の隙をつく、って……! )
 そんなの無理だ、と思った硫黄だったが、フェアリーゾンビたちは、突然明るくなったことで目が眩んだか、動きを止める。
 この隙にと、逃げだそうとする硫黄たち一同。
 しかし、フェアリーゾンビたちは、すぐに動き出した。
 ライトを使っているために無防備になっているぴいたんを守れる位置へと、ソルトは移動し、身構える。
 クランは、剣を水平に構え、目の前の5体へ、そのまま水平に振るった。
 と、パキ……ンッ!
 1体目に当たった瞬間、鍔より1センチくらいのところで、剣が折れた。硬いプレデトリドラゴンを斬ったため脆くなってしまっていたのだろう。
 途端に、フェアリーゾンビたちがユラユラと上体を揺すりながら、しかし、その動きのイメージに反して非常に素早く移動し、クランに群がる。
 クランの姿が埋もれ見えなくなった。
「クランさんっ! 」
 慌ててクランに駆け寄ろうとする硫黄。
 それを、クランに群がっているのとは別のフェアリーゾンビ3体が阻む。
 硫黄は、ステッキ先端でチョンチョンチョンと3体に触れ、
「マジカルミニハート」
唱えて、
「エクスプロージョン! 」
 叫びざま、飛び散る肉片をくぐりクランのほうへと駆けだした。
 クランが埋もれているフェアリーゾンビの群れにギリギリステッキが届く地点まで近づいたところで、足は止めないまま、トトットトトトッと、触れる限りのゾンビに触れ、
「マジカルミニハート」
 そして起爆しようとした瞬間、ゾンビの群れの中央辺りから、カッと赤い光が閃き、直後、ゾンビたちは大雑把に縦横に斬り刻まれ、地面に崩れた。
 円を描くように崩れたゾンビたちの中心に、片膝立ちの姿勢のクラン。
 その手には、封印していた、グースから授けられた剣。光は、剣から発せられたものだったのだろう。
 俯き加減に、クランはユラッと立ち上がり、崩れたままでいるゾンビたちの上を、足下が不安定なためかユラユラと上体を揺らしながら、硫黄のほうへと歩いて来る。
 ユラユラユラユラ歩きながら、顔を上げるクラン。
(……! )
 硫黄はギクリとした。どこか遠くを見ているような、いや、何も見えていないようにさえ思える目。
 フェアリーゾンビたちのそれと、同じだ。
(…クラン、さん……? )
 ユラユラとした歩き方と言い、
(…まさか……? )
 クランがゾンビ化してしまったのではと思う硫黄。
(…それって……)
 外からゲームとしてプレイしている人にとっては、もしかしたら、状態異常でステータスバーに「混乱」と表示される程度のものかも知れないが、クランさん……妖精にとっては? と。
 ゾンビは妖精が死後に復活した姿であると、クランは言っていた。
 では逆に、生きている状態でゾンビに襲われてゾンビ化した場合は? と。
 経緯がどうあれゾンビになってしまった以上、それは死なのか? と。
(…クランさん……)
 昨晩の会話の中で、いつか必ず死ぬと分かっているからこそ、また、その時がいつ訪れるか分からないからこそ、一瞬一瞬を大切に、楽しめる時には思いきり楽しんでおかないと損であると、語っていたクラン。
 言葉のとおり、任務であるはずの、この旅を、特に食の方面で楽しんでいて……。
(…洞窟を抜けたらキノコのスープを飲むことも、本当に楽しみにしてたみたいだったのに……)
 妖精にとってもゾンビ化は死ではなく状態異常であってほしいと、祈るような気持ちで、硫黄はクランを見つめる。
(エビ煎餅とキノコ、両方合わせてみるのもいいかも、なんて言ってたの、多分、まだ1時間も前じゃなくて……。
 当たり前に、飲めるもんだと思ってて……)
 目の前まで来、足を止めたクランが、一度、剣を頭上まで上げ、硫黄へと、いっきに振り下ろしてきた。
 後ろへ退がることで避ける硫黄。
 攻撃がはずれ、勢い余って体勢を崩すクラン。
 立て直し、今度は横方向へ、フルスイング。
 硫黄は、また後ろへと、かわす。
 町の中ではないため、当然、攻撃は出来るのだが、相手がクランなので、どうしてよいか分からず、硫黄は防戦一方。
 硬い分だけゾンビの上よりは安定している洞窟の地面に、足場が変わり、今度は剣に振り回されているように、更に激しく体を揺らしながら、クランは硫黄に迫って来る。
 その様子に、
(…この感じって……)
 硫黄は、ふと気がついた。
 この感じは、以前にも体験したことがある、と。
 目つきも歩き方もフェアリーゾンビに似ていたため、ゾンビ化してしまったのだと思い込んでしまっていたが、と。
(また、剣に操られてる……? )
 きっと、いや間違いなくそうだ、と思った。
 こうなってしまうことを恐れて封印していた剣を、緊急事態のため使用しようとして、案の定こうなったのだ、と。
 同時に、心の底からホッとしてしまって、
(…いやいや、これはこれで大変なんだけど……)
自分にツッコむ。
(…でも、クランさんが死んじゃったのかも知れないと思ったら、本当に怖かったから……)
 ブンブン振り回される剣を、ひたすら後退でかわす硫黄。
 剣を掻い潜って脇に避けようにも、クランに斬り刻まれ崩れていたフェアリーゾンビたちが、各々元どおりの形に組み上がり、寄って来て、かなり近い距離で硫黄とクランを囲んでいた。
 振り回され続けているクランの剣に勝手に当たり勝手に再び崩れてくれる個体もあったが……。
 ゾンビ化ではなく剣に操られている状態なのであれば、剣を鞘に納めることで解決すると分かっているため、攻撃をかわしながら、目だけで鞘を探す。
 しかし、見当たらない。
(…四次元バッグの中かな……? )
 ブンッ! ブンッ! ブンッ!
 後退。後退。後退。
 ついに硫黄は、壁ギリギリのところまで追い込まれた。
 次の攻撃のため、剣を振りかざすクラン。
「エスリン! 」
「エスリンさん! 」
 硫黄の危機に気付き、ソルトとぴいたんが来ようとしたのが見えたが、その姿は、すぐにフェアリーゾンビたちに阻まれ見えなくなった。
(…自分が助かるだけなら、方法が無いワケじゃないけど……。
 でも、そんなのダメだ……。無理だよ……! 考えられないっ……! )
 クランが死んでしまったかも知れないと思った時、本当に怖かった。それを、自身の手でなど……。
(…もう、ダメだ……! )
 硫黄は諦め……かけて、
(…あれ……? )
首を傾げる。
 クランの攻撃が来ない。
 剣を頭上に上げたきり、クランの動きが止まっていた。
 動かないクランに、クランの右斜め後方のフェアリーゾンビが襲いかかる。
 咄嗟に、
「マジカルピュアハート」
 硫黄はステッキでハートを描き、そのゾンビへと向けた。
 ハートがゾンビへと飛んでいく。
 当たるタイミングで、
「エクスプロージョン! 」
 光を放ち炸裂するハート。
 目標のゾンビはバラバラになった。
 クランは、まだ動かない。
 よく見れば、剣を持つ手が小刻みに震えている。
 と、クランはギュッと目を瞑り、
「剣よ! 」
 叫んだ。
「お前は、ただの道具! 操るのは私だ! 」
 そして、カッと目を見開くと、回れ右。真後ろにいたフェアリーゾンビへと、上げたままだった剣を振り下ろし、続けて水平方向、周囲を囲うゾンビたちを、いっきに薙ぎ払う。
 連続して、ソルトやぴいたんとの間を阻むフェアリーゾンビたちにも斬りかかり、あっと言う間に辺りを一掃。
 それから、ふう……と小さく息を吐き、真っ直ぐに視線を、硫黄に、ソルトに、ぴいたんに向け、
「すみませんでした。今のうちに、行きましょう」 

ママのパンケーキが食べたいので、私、もとの世界へ帰ります!(15)


(…こんな場所があったんだな……)
 その場所は洞窟を抜けてすぐ。木製の高い塀に囲われた、クランが「安全地帯」と呼んだ場所。
 塀の一部途切れた部分に取り付けられている、ごく普通の大きさで同じく木製のドアを、クランに続いて入ると、そこは、5メートル四方ほどの土地に、ごく小さな木造の小屋が建っているだけの場所だった。
 塀がツタに覆われているとは言え、そして、ゲームとしてのプレイ中にだが、何度も、すぐ前を通っていたはずなのに、気づかなかった。
 クランの説明するところに拠ると、この安全地帯は、昔、まだ妖精たちが自力で魔物退治をしていた頃に、テレポの使えない者たちが休憩や一時避難に使用していた場所で、狭い所だが、町や村と同様に魔物の侵入を防ぐための結界が張ってあり、飲用可能な水を近くの沢から管を通して引いているため、火と食材の備えがあれば小屋の外で炊事も出来る。このような場所は、今いるここ以外にも、近くに町や村の無い場所には必ずあるとのことだった。
 これを聞き、ソルトも初めて安全地帯の存在を知ったようで、もの珍しそういに辺りを見回しながら、
「僕の用意した松明は無駄だったね」
 聞けば、あの大量の松明の使い途は、フィナンシェ以降、目的地であるスーパーモンブランの頂まで町や村が無いため硫黄とクランを安全に休ませるためのものであったらしい。しかし、この安全地帯なる場所が、テレポを使えない者たちの助けになる間隔で存在するならば、と。
「僕とぴいたんは眠る必要が無いから、エスリンとクランさんが眠っている間、僕らで警戒して護るけど、火を操るような一部の魔物を除いて、魔物は皆、火が苦手だろうから、松明で周囲を囲んでおけば、より安全かなって思って。
 偶然、さっき1本だけ役に立ったけどね」
 と、硫黄・ソルト・ぴいたんに背を向けてしゃがみ、四次元バッグをゴソゴソやっていたクランが振り返る。
「よろしければ、譲って下さいませんか? 松明。私ももちろん火の用意はありますが、松明のほうが点火し易く消えにくいため、使い勝手が良いので」
 クランの前の地面には、両手鍋と20センチメートルほどの脚のついた五徳、それから、ババ入口で採った森のラピスラズリが並べられていた。早速、スープを作ろうとしているらしい。
 その姿に、硫黄は、ふと思った。
(クランさんって、スープ作れるの? )
 エビ煎餅のスープは、煎餅を湯の中に入れるだけということで、つまりはインスタント食品だが、キノコのスープは、おそらく、そうはいかない。良いダシが出るとは言え、生の食材を使っての料理なのだから、少なくても、ちょっとした味付けくらいは必要なのでは、と。
 硫黄の脳裏に浮かんでいたのは、カヌレ村でクランが作ってくれた朝食のパンケーキ。
(あの時は、煙が出てても焼き続けて、見事に焦がしてたけど……)
 そこへ、ソルトが小さく、あれ……? と、
「そのキノコ、画面上に『ルリハツタケモドキ』って名前が出てるけど……。説明も、『ルリハツタケに似た謎のキノコ』って……」
 地面に置かれた森のラピスラズリを見、独り言のように言ってから、クランに視線を向ける。
「クランさんの知る森のラピスラズリの正式名称は、ルリハツタケモドキで間違いないですか? 」
 クランはキョトン。
「あ、いえ、正式な名前は存じませんが……」
(え? 何? どうしたの? )
 ソルトに対し、無言の問いする硫黄。
 それに答えるように、実際にはクランへ、ソルト、
「人間の世界では、森のラピスラズリはルリハツタケを指す語で、ルリハツタケは食用です。でも、クランさんの採ったキノコの名前には、モドキ、とついていて、説明文にも、謎の、と書かれています。
 スープを楽しみにしていたクランさんには言い難いですが、そのキノコは、食べないで下さい」
「…え……? 」
 クランは途惑い気味に、
「少しも、ですか……? 」
「少しもです」
 言い難いと言っていたわりには、キッパリと返すソルト。
「キノコには、一口食べただけで死に至るようなものもありますから、知らないものを口にするのは危険です」
 途方に暮れた様子のクラン。
 残念ですが、と言って、ソルトは、地面のラピスラズリを全て拾い、
「これは処分しましょう」
塀の向こうへと投げ捨てた。
 弧を描いて塀の向こうへ消えて行く森のラピスラズリモドキを、完全に消えてなお見送るクラン。
(…クランさん……)
 その表情が本当に悲しそうで、可哀想になり、硫黄は慰めるべく口を開く。
「クランさん、エビ煎餅のスープを飲もうか。オレ、鍋に水を汲んでくるよ。どこで汲めばいいの? 」
 クランはゆっくりと硫黄を振り返り、悲しげな表情のまま、全く力の入っていない人指し指で、小屋の、向かって右側を指す。
 そこには、蛇口。
 確認して頷き、鍋を持って蛇口へ歩いて水を入れ、戻って五徳の上に鍋を置き、松明をソルトから譲り受けて五徳の下に差し入れて湯を沸かすと、続きはクランが作ってくれた。適当な大きさに割った煎餅を、あらかじめカップに入れておき、そこへ湯を注ぐだけだが……。
 トフィーのエビ煎餅は、人の顔ほどもある大きさの薄橙色をした円形で、厚さは1ミリメートルほどと薄く、醤油とみりんがベースとなっていると思われる味付けの、エビの香ばしい風味を感じられる煎餅で、人間の世界の、えびみりん焼に似ている。
 似ていると言うより、全く同じ物に見えるため、硫黄は、湯に入れてスープにすると聞いて、正直、え? と思った。
 しかし、実際にそうしてみると、上品な薄味で香り高く、見た目にも、ほぼ無色透明のスープに、ふやけて形を失くした煎餅が満開の桜をカップに閉じ込めたようにフワリと広がり、美しい。
(……えびみりんも、こんなふうになるのかな……? )
 人間の世界に帰ったら、やってみようかな……と思った。


                  *


 エビ煎餅のスープと、道中の食糧として用意しておいた携帯用保存食のうちスープを殺さない白飯を選んで夕食を済ませ、小屋の中で眠りに就いた硫黄は、物音で目を覚ました。
 安全のために点けたままにしておいたランタンの灯りで室内はボンヤリと明るいが、窓の外は暗い。まだ夜だ。
 周囲を見回すと、ソルトとぴいたんは離席しているのか、立った状態で完全に動きを停止していた。
 そして、
(……? )
隣で寝ていたはずのクランがいない。
 再び物音がし、外から聞こえてきたため、硫黄は部屋を照らしているのとは別に、自分のランタンを手にして、恐る恐るドアを細く開け、覗く。
 すると、先程スープを作るのに火を焚いていた辺りに、しゃがんでいるクランの背中。
 寝ていたところをワザワザ抜け出して何をしてるんだろう? と、近づいてみると、スープを作った時と同じように火が焚かれ鍋がかけられており、その中身を椀によそって口をつけたところだった。
 ふと、硫黄の目に、鍋の中のある物が留まった。
(青い、キノコっ? )
 そう、捨てたはずのルリハツタケモドキが入っていたのだ。
「クランさんっ! 」
 硫黄は慌ててクランの手に飛びつき、椀を奪い取る。
 だが、遅かった。
 ルリハツタケモドキ入りの鍋の中身は既に口に含まれていたようで、驚いたように硫黄を振り仰いだクランの喉が、ゴックンと動いた。
 直後、
「…あっ! …ああ……っ! 」
 クランは両手で頭を押さえ、地面に蹲る。
「クランさんっ! 」
「…っうっ! …あ……っ! 」
「クランさんっ? どうしたのっ? 頭が痛いのっ? 」
 声になりきらない声を上げ喘ぐクランの傍らに膝をつき、姿勢を低く低くして、その顔を至近から覗き込む硫黄。
 瞬間、ポムンッ!
 弾力のある何かに顔を弾かれた。
(……? )
 見れば、
(っ? )
 クランの頭に帽子のように、超巨大なルリハツタケモドキのカサらしき物。
 クランは苦しげな声を発しなくなり、動きもピタッと止まり、静かになった。
「クランさん……? 」
 強い不安にかられながら、クランを窺う硫黄。
 と、クランは何事も無かったかのように、ムクッと上体を起こす。
「頭痛、治まりました。もう大丈夫です」
(いや、全然大丈夫じゃないからっ! )
 硫黄の視線は、クランの頭の巨大ルリハツタケモドキ。
 自分のほうを向いているのに明らかに自分を見ていない視線を不思議そうに追い、クランは、自分の頭のルリハツタケモドキに触れて首を傾げ、何度も何度も確かめるように触り直して、もうひとつ首を傾げてから、カサの左右の端を掴み、真上に向かって持ち上げた。
 カサはスポンと簡単に外れる。
 それを目の前まで下ろし、
「何ですかっ? こ、れ……っ? 」
 言い終わってすぐに、
「…痛……っ! 痛い……っ! 」
 再び頭を押さえて蹲るクラン。
 ややして、音も無く、また現れるカサ。
 クランは身を起こし、
「頭痛、治まりました。もう大丈夫です」
(いや、だから全然大丈夫じゃないからっ! )
 今度も硫黄の視線を追い、クランはカサの左右の端を掴んでスポン。外す。
 そして、
「痛……っ! 」
頭を押さえて蹲る。
 そこへ、またまた音も無く現れるカサ。
 頭痛が治まったようで、起き上がるクラン。
(…カサを取ると、また頭痛がするのかな……? )
 そう考え、
「暫く、このままにして様子を見てみようか」
提案する硫黄。
 クランも頷いたため、そのまま注意深く観察すること5分ほど。
(……! )
 クランの顔が、キノコの柄の部分を思わせる毛羽立った感じになってき、カサの裏のヒダが顔のほうへと侵蝕してきたように見えたため、
(…クランさんがキノコになる……っ? )
硫黄は急いでカサを外そうとするが、
(外れないっ? )
 力まかせに引っ張ってみる硫黄。
「…痛い……っ! 痛い痛い……っ! 」
 クランは叫びながら、硫黄が引っ張るのとは逆方向、下へと、カサを押さえた。強く引っ張ると痛いらしい。
 もう引っ張らないから、と言ってクランにカサから手を放させ、カサを、そっと持ち上げ、その付け根、顔との境を近くから見ると、カサを上方向へ動かすと顔の皮膚まで上へと引っ張られていることが分かった。
(…どうしよう……っ! )
 そこへ、
「ノーマリゼ! 」
 距離のある、ぴいたんの声。
 声のほうに目をやると、ソルトとぴいたんが、小屋から、こちらへと走って来るところだった。
 硫黄とクランの前で足を止め、ソルト、
「クランさん、毒状態になってるけど、どうしたの? 」
 硫黄は、ルリハツタケモドキを拾って食べてしまったのだと説明しながら、クランに視線を戻す。
(…あ……)
 カサが3分の2ほどの大きさになり、顔の毛羽も消えていた。
(…ノーマリゼが効いてる……? )
 そう思い、ぴいたんに、もう1度ノーマリゼをかけてくれるよう頼む。
 ぴいたんは頷き、クランに手をかざして、
「ノーマリゼ! 」
 ぴいたんの手が、ポウ……と優しく光る。
 クランの頭から、カサが消えた。
「毒状態、治ったね」
 画面上の情報を伝えるソルトの言葉に、硫黄は、
(…よかった……)
 心の底からホッとし、同時に、クランに対して怒りが込み上げてきた。
「クランさん」
 ひと言、言ってやろうと、クランの真正面へと回る。
 よっぽど怖い顔になってしまっていたのか、クランは、ビクッ。硫黄が口を開くより先に、
「…すみませんでした……」
 反省しているようなので、硫黄は、ひと言を言うのはやめ、代わりに、
「無事に済んでよかった。もう、何ともない? 」
優しい言葉をかけ、クランが小さく首を縦に動かすのを確認してから、ソルトとぴいたんに向き直り、
「ソルト、ぴいたん。ありがとう。オレひとりじゃ、どうすることも……毒状態なんだ、って判断すら出来なかったから、ホント、助かったよ」
 
  

ママのパンケーキが食べたいので、私、もとの世界へ帰ります!(16)


 SFFにおける最強の魔物・体高は1・5メートルほど、後ろ足だけで立ち上がると実に3メートルを超える大型のクマであるキンググリズリー(LV99)5体に囲まれている硫黄・クラン・ソルト・ぴいたん。
 肩で息をしながら、ぴいたんを中心に置いて守りつつ、硫黄・クラン・ソルトは互いの背中も守る形で各々目の前のキンググリズリーと睨み合う。
 出くわしたのは、多少のアップダウンはあるものの標高的にはほぼ一定な獣道に、緩やかだが確かに上る方向への傾斜がつき始めた、ババに入って3日目の朝、出発後すぐのことだった。
 ここまでは、夜間は休んでいたことを考えれば順調と言えたのだが、もう、かれこれ3時間ほど膠着状態が続き、皆、明らかに疲れている。
 この戦闘の序盤で使ったハートシャワーも、使用待機時間が非常に長いにもかかわらず既に使用可能となっていた。
 ハートシャワーは硫黄の攻撃魔法の中で最も強い。そして、キンググリズリーもSFF内で最強の魔物。しかも魔物が全体的に強く凶暴になっていると言われている今、5体ものそれに囲まれてしまっていたら普通に考えれば使いどころなのだろうが、硫黄は躊躇していた。
 理由は、違和感。
 何がどう? と聞かれても、感覚的なものなので説明が難しいが、キンググリズリーが、とにかく何かおかしいのだ。
 こちらの攻撃が、当たっているように見えても、効いていない以前にまともに当たっている感じがしない。硫黄の攻撃はもともと手応えを感じにくいタイプではあるけれども、隣でクランも「何だか空気を斬っているようです」と言っていた。
 向こうの攻撃も、頭に当たると思った攻撃が腹に当たったり、腹に当たると思った攻撃が向こう脛に当たったり。威力的にも、それなりに強くはあるものの、キンググリズリーのものとしては軽めに思え、調子を狂わされる。そして、動きはやたらと速い。
(…せっかく使っても、まともに当たらないんじゃ……)
 そこへ、
「…見えた……! …ああ、でも……」
ソルトが独り言のように言った。
 無言の問いをする硫黄。
 応えてソルト、
「この戦闘が始まってからずっと、この魔物の名前とレベルが、バグでも起きてたのか酷く掠れて見えなかったんだけど、今、一瞬だけ見えたんだ」
「キンググリズリーじゃないの? 」
 違和感はあったものの、キンググリズリーであること自体には疑いを持っていなかったため、硫黄はソルトの答えに驚く。
「画面上でも完全にキンググリズリーだよ。ただ、一瞬だけ見えた名前もレベルも『?(はてな)』って書いてあって、まあ、わざわざそう書くってことは、やっぱりキンググリズリーじゃないんだろうけど」
(…キンググリズリーじゃ、ない……。じゃあ、何なんだろう……? …何だったとしても、もう、とにかく早く倒すか逃げるかしないとマズイよな……)
 ステータスバーが無いため、ちゃんとは分からないが、皆、かなり削られている。
 向こうの攻撃は高速な上、予測と違う場所へ来るので避け辛く、手数も多いのでよく当たる。キンググリズリーほどの威力は無いとは言え、明らかに回復が間に合っていない。
 と、ソルトがぴいたんに聞く。
「プロテクティブドームは使える? 」
 頷くぴいたん。
 そのやりとりに硫黄は、ソルトが、プロテクティブドームの中に皆で入ったまま移動して逃げることを考えていると理解した。この戦闘の最初にも試み、キンググリズリー(仮)たちが執拗に追って来たため時間切れで失敗に終わったが、再試行かと。
 しかし、
「エスリン、ハートシャワーは使える? 」
自分に向けて続けられた言葉に、??? となった。
 ? なまま頷くと、ソルトは頷き返し、
「先ず、ぴいたんに、この魔物たちも内に入れてギリギリの大きさのプロテクティブドームを張ってもらって、動きの範囲を制限するんだ。それから、エスリンのハートシャワーで、ハートの塊が地面に到達する前に爆発させてもらう。
 これは、魔物の動ける範囲を炎で埋め尽くす作戦。
 魔物の正体は分からないけど、生物なんだから、かなりの高い確率で火に弱いはずだからね」
説明してから、
「どうかな? 」
同意を求める。
(うん、いいと思う)
 頷いて見せる硫黄。
 クラン・ぴいたんも頷く。
 ぴいたん、じゃあ行きます! と言ってから、
「プロテクティブドーム! 」
 無色透明の半球体が、硫黄たち4名と一緒にキンググリズリー(仮)たちも押し込めた。
 ぴいたんだけでなく、これから無防備になる予定の硫黄も守り戦うクランとソルト。
(…こんな低い位置にシャワーの雲を発生させるのなんて初めてなんだけど……)
 硫黄は少し不安を感じつつステッキを掲げ、
「マジカルヘビーQハートシャワー! 」
 雲の発生位置は、掲げたステッキの先端と同じ高さ。
(…で、地面へ到達前に爆発、ってことは……)
 ハートの塊が降り注ぎ始めたのを確認後すぐに、
「エクスプロージョン! 」
 キンググリズリー(仮)たちを爆炎が包んだ。
 ほぼ同時、衝撃に耐えられずドームが壊れる。
 刹那、キンググリズリー(仮)の残像はその場に、何かが炎から脱出。咄嗟に目で追うと、毛先の軽く焦げた体長80センチほどで赤錆色をした、太くフサフサした長めの尻尾が特徴的な魔物5体が、近くの木立の中へ逃げ込むところだった。キツネ型の魔物・フォックス(LV91)だ。
(…フォックス……)
 その時、ドンッ!
 硫黄の背に、何かが激しく衝突した。
 撥ね飛ばされて宙を舞う硫黄の体。視界の隅に、体長2メートルほどのイノシシの形をした魔物・ワイルドピッグ(LV89)が映った。
 硫黄は、
(…これ、マズいんじゃ……? )
直感的に、そう思った。
(だって、たった今のフォックスとの戦闘で、オレ、相当削られてた……。そこに、この衝撃じゃ、きっとオレのHP……)
 これまでの色々な記憶が浮かんでは消える。…プリドラゴンとの戦闘で肉片と血の海にショックを受けたこと。ラムの優しさ、アプリコットの無邪気な笑顔……。…クランとの出会いと、その後に共に旅をする中で彼女を可愛いと思い始めたこと……。…ぴいたんとの再会。ソルトが仲間に加わってくれて心強かったこと……。…ぴいたんが実は妹の燐であったことと同時に知ることとなった、彼女の自分に対する想い……。…クランが妖精王の末裔であると知り、この旅の目的を達成後にするべき新たな目的が出来たこと……。…クランが死んでしまったと思って、本当に怖かったこと……。
 そこまで浮かんだところで、硫黄の体は硬い地面に叩きつけられた。
 視界が暗転する。
 …最後に、優しく暖かな光に包まれた、テーブルの上のパンケーキとコーヒー……。



 暫しの後、硫黄の目の前は再び明るくなった。
(……? )
 しかし、そこで見えた光景は、非常に不自然なものだった。
 硫黄は真上から、地面に横たわる動かないエスリンと、その周りで動揺している様子のクラン・ソルト・ぴいたんを見下ろしていたのだった。
(宙に、浮いてる……? …オレ、死んだ……? )
 ぴいたんが泣きそうになりながら、HP回復呪文「リカバリ」を何度も何度も唱えるのを、ソルトは止め、
「僕、ちょっとエスリンの部屋を見に行って来るよ」
言って、離席したのだろう、動かなくなった。
 そこへ、真上からの硫黄の視界に、何やら黒いものが弾丸のように真っ直ぐに飛び込んで来、地面の上を勢いよくクランとぴいたんのほうへ突進していく。硫黄を撥ね飛ばしたのと同じ個体かどうかは分からないが、ワイルドピッグ。
 クランとぴいたんからは死角となるところからの襲来に、硫黄、
(危ない! )
大急ぎで宙から舞い降りるが、間に合わない。
(燐っ! クランさんっ! )
 しようとしてもならないかも知れないが、声にならない叫びを上げる硫黄。
 だが聞こえたのか、
「プロテクティブウォール! 」
 ワイルドピッグにぶつかられようという本当に寸前、ぴいたんが無色透明の壁を作り出した。
 それに鼻先を掬われる形でぶち当たり、もんどりを打って転がったワイルドピッグを、クランが斬り刻む。必要以上に。その表情は、まるで鬼。うるんだ目は真っ赤に充血し、口をキュッと真一文字に結んで。
 ぴいたんも、ワイルドピッグのその様を、冷然と見下ろす。
(二人とも、すごく怒ってる……。ワイルドピッグに対して……)
 心の中で呟いておいて、硫黄は違和感。
(…怒ってる……? いや、悲しいんだ……。…どうして……? )
 どうして? 答えはとうに出ている。
(…オレが、死んだからだ……。…オレ、本当に死んだんだな……)

 ワイルドピッグを倒して以降、各々俯き黙り込む、クランとぴいたん。
 暫し沈黙が続いた後、
「あっ」
ぴいたんが突然、声を上げ、
「クランさん! 」
名を呼ばれ条件反射で自分のほうを向いたクランに、
「私、すごい魔法を使えるようになったみたいです! 」
言って、地面に横たわっているエスリンの傍らへと歩き、膝をついた。
「早速、試してみますね」
 緊張の面持ちで、ぴいたんは両掌をエスリンの胸の前に翳す。
 クランも歩み寄って来、エスリンを挟んでぴいたんの向かいに陣取ってしゃがみ、見守った。
 ぴいたん、祈るように一度、目を伏せ、
「リバイバ! 」
 瞬間、ぴいたんの掌とエスリンの体の隙間で、目を開けていられないほどの光。
 硫黄は、
(……っ! )
エスリンの体のほうへと強い力で引っ張られ、吸い込まれるように、その中へと収まった。
 目の前が暗い。
 自分が目を閉じているために暗いのだと気付いた、エスリンの体の中に戻った硫黄は目を開ける。
 一瞬、ぴいたんと目が合った。
 ホッとしたような笑みを見せるぴいたん。
 直後、ぴいたんの体はフワッと不安定になり、硫黄の胸の上へ倒れ込んだ。
(ぴいたんっ……? )
 硫黄は急ぎながらも、そっと、ぴいたんを胸の上から膝の上へ移動させつつ、上半身起き上がる。
「ぴいたん……」
 声を掛けるが、ぴいたんの反応は無い。
「ぴいたん……! 」
 もう一度、今度は軽く体を揺すってもみるが、やはり反応無し。
(…ぴいたんの唱えた呪文、聞いたことの無い呪文だった……。蘇生呪文か……。いや、オレの置かれてる状況を丸ごと引き受けるような呪文なのか?
 …だって、オレが死んでから1時間くらいは経つのに、カヌレ村がプリドラゴンに襲われた時に見た白衣の人たちは一向に来てくれなくて……カヌレ村の時には、入口近くでプレイヤーが倒れてから、白衣の人たちが来るまで、せいぜい30分くらいだったのに……。やっぱ生き返れないんだ、って思ったところへ、ぴいたんが呪文を唱えた途端に、白衣の人も来ないまま、一旦教会へ行くとかもなく、いきなり生き返って……。
 本当に、そうだとしたら……。そうだとしたら、ぴいたんは……? ぴいたんは…燐は、オレのせいで……)
 と、不安に苛まれる硫黄の、ぴいたんを見つめているために極端に狭くなっている視界に、薄手の白い布がヒラリと揺れて入り込んで来た。
 視線を上げると、白衣姿の男性2人。
 硫黄に、
「失礼します」
と声を掛けると、実に手際良くぴいたんを担架に乗せ、クランに会釈してから、
「テレポ! 」
 現れてから去るまで、ものの数秒。
(…白衣の人が、来てくれた……。ぴいたんは、生き返れるんだ……! )
 硫黄は心の底からホッとし、もうとっくに移動している白衣姿の男性たちを見送りつつ立ち上がった。
 ふとクランに目をやると、いつからこちらを見ていたのか、視線がぶつかる。その目から、ポロポロと涙を零して……。
(クランさん……)
 クランは涙を隠そうとしたのか、フッと顔を背け立ち上がり、
「テレポをご使用になられるぴいたんさんですから、すぐに戻られるでしょう」
 その時、再び……硫黄が撥ねられた時を含めると三たび、硫黄の視界の隅に、例の黒い弾丸。今度は、完全に無防備なソルトへと向かって行く。
 ワイルドピッグは本当に真っ直ぐにしか進まないため、軌道上、走る速度から予測してタイミングを合わせ、
「マジカルピュアハート」
ステッキで宙にハートを描き、今はまだ何も無い場所へと向けた。
 タイミングピッタリ。
 高速で移動したハートがワイルドピッグの脇腹を捉えたところで、
「エクスプロージョン! 」
 爆発により、吹っ飛んだワイルドピッグ。軌道が変わり、ソルトにぶつかることなく木立の中へ。
(何か、ワイルドピッグ多いな……。…もともと、そういう場所か……)
「エスリン! 」
 考え事をしているところに大きな声で呼ばれ、軽くビクッなる硫黄。
 呼んだのはソルトだった。
 ソルトは硫黄へと走って来るなり、
「ゴメン! 」
頭を下げる。
「僕、油断してた! 君の部屋にいるところを、ぴいたんに見られて……!
 それで、『エスリンさんの部屋を見て来る、って言ってたよね? どうして、お兄ちゃんの部屋にいるの? 』『エスリンさんはお兄ちゃんなの? 』って。
 何とか誤魔化そうとしたんだけど、ぴいたん、俯いて黙り込んじゃって……。
 …そうしたら、白い…雪、みたいなものに包まれて……。…消えちゃったんだ……! 」
(…消えた……っ? )
  

 

ママのパンケーキが食べたいので、私、もとの世界へ帰ります!(17)


(…燐……。何処へ……? )
 胸が苦しいのは、空気が薄いためだろうか?
(…それも、あるかも知れないけど……)
 頭の中に靄でもかかっているように、視覚・聴覚・触覚、全てにおいて、現実味が無い。
 数メートル先を行くクランが足下のゴロゴロしている大きめの石に足を取られて転びそうになり、すぐ隣からソルトに支えられたのが、まるで遠くの出来事のように見えていた。
 人間の世界のソルトの目の前で燐が姿を消してから、SFF内の時間で丸2日。
 旅は意外と順調で、このまま行けば今日中には山頂へ着く。
 ソルトに拠ると、人間の世界で消えた直後には既に、燐はぴいたんの姿で燐自身のパソコンの中におり、画面中央でずっと体育座りをしていて動きは少ないものの確かに動いている。しかし、周囲はひたすら白色に閉ざされ、そこが何処なのか分からない、とのこと。
 燐が消えた現場であり硫黄の体もかなりの確率でそこで消えていることから、ソルトは、硫黄の部屋へ、自分のパソコンと、燐のパソコンもノートなため持って移動し、硫黄と燐のパソコンをモニタリングしながらプレイしているのだという。
 硫黄は、それを聞き、正直、え? と思った。
 分かってくれていると思ってたんだけど、と。
 今、燐の置かれている状況は、硫黄の状況に似ているように思える。……と言っても、人間の世界のそれまでいたはずの場所に体が無いことと、パソコン画面にSFFにおける自身のアバターの姿で存在しているという2点のみであり、燐に関しては、存在している場所がSFFの中かどうかも分からないのだが……。
 そして、はっきりとした事実として分かっていることも、その2点のみ。
 分からないことばかりだからこそ実感が大事で、実感として、この状況は慎重に扱わなければいけない事柄であると、硫黄は考えている。
 だから、燐のパソコンを移動させてほしくなかった。それによって、何か良くないことが起こらないとも限らないから。
 現時点では、とりあえず、動かしたことによる影響は無さそうだが……。
(燐……。本当に、何処へ行っちゃったんだろ……? )
 もちろん最も気掛かりなのは、生命に関する無事なのだが、気持ちのほうも気になっていた。
(消える直前に、エスリンがオレだって知ったんだよな……。そうと知らずに、フィナンシェの風呂でオレへの気持ちを語ってて……。
 …ショック、だったろうな……。恥ずかしいとか、思っちゃったんだろうな……)
 シュトレンの宿屋で、ぴいたんが自分自身を醜くてイヤだと、消えちゃいたい、と言ったことがあったと思い出す。
 その時の胸の内にあったのも、恥ずかしさだ。
(ずっと体育座りで、ほとんど動かないのは、落ち込んでるから……?
 人間の世界から消えて、真っ白で何も無い、誰もいない所にいるのは、オレのせい、なのかな……。
 オレは、どうしたらいいんだろうな……。
 燐に、伝えられたらいいのに……。恥ずかしくない、って。オレは燐がオレを好きだって知って嬉しかった、って。オレだって、妹と知らずに、ぴいたんに対して恋に近い感情を持ってたりしたし、って。兄妹だから付き合うとかは無理だけど、これからも燐を守っていく、って。……ああ、あと、フィナンシェの風呂で話した時まで、本当にぴいたんが燐だと知らなかったんだっていうことも……。言い訳にしか聞こえないかも知れないけど……)

 クランとソルトが立ち止まった。キンググリズリー1体が立ち塞がったためだ。
 だが、硫黄については、ただ、頭がそう認識しただけ。
 戦闘態勢をとるクランとソルト。
 ソルトが振り返り、何かを叫んだが、内容が全く入ってこない。
 遠い。全てが。燐が消えたと聞いて以降、ずっと。日を追うごとに更に。
 クランの水平方向の大振り。キンググリズリーが飛び退いてかわしたことで距離が出来たところへ、
「ツイストドリル! 」
 しかし、空気のドリルビッドはキンググリズリーを貫けず、その巨体をもう少しだけ向こうへと押しやっただけだった。
 2人が攻撃後の体勢を立て直し終えるか終えないかのタイミングで、今度は自分のターンとばかり、突進して来るキンググリズリー。
 咄嗟に左右に分かれて避けるクランとソルト。
 キンググリズリーは2人の間を通過し硫黄を正面に後ろ足だけで立ち上がり、前足を振りかざす。そのまま振り下ろしてきたら余裕で届く距離だ。
 それでもまだ、硫黄には遠い。
「エスリン! 」
 斜め前方からキンググリズリーの脇腹を掠めてソルトが硫黄に飛びつき、そのまま斜め後方へと、相共に転がる。
 地面に転がった2人を背に庇う形でキンググリズリーの懐に潜り込み、クラン、
「グラウンドアタック! 」
叫ぶと同時、剣を両手で自身の爪先から20センチほどの地面へと突き立てた。
 瞬間、剣を中心に赤い稲妻が閃き、続いてゴゴゴ……と地鳴り。剣の根元から、ごく低く細い土の柱が生成され、柱は次から次へと次第に高く太くなりながら生成され続けて津波のようにキンググリズリーに襲いかかる。
 柱によって持ち上げられ、硬い先端に弄ばれるキンググリズリー。
 クランが剣を引き抜くと、柱はフッと跡形無く消え、キンググリズリーは、いっきに落下。地面に叩きつけられ動かなくなった。
 力を使い果たしたように、へたり込むクラン。
 どこからともなくカーキ色の作業着姿の大柄な男性が2人、貨物列車に積まれているものと同じくらい大きなコンテナーと共に現れ、動かなくなったキンググリズリーをその中へと詰め込んで、
「テレポ! 」
速やかに去る。
 ソルトは大きく息を吐きつつ身を起こし、硫黄のことも支えて起き上がらせると、バシッ! 頬を張った。
(っ! )
 痛みに、頭の中の靄が急速に晴れる。
 硫黄の目の奥の奥のほうを覗き、ソルト、
「気持ちは分かるけど、いい加減にしなよ」
(…気持ちが、分かる……? )
 硫黄は至近からのその言葉を受け容れられず、目を逸らした。
(分かる、って、何が分かるんだろ……?
 燐のパソコンを平気で移動させるし……。
 燐のオレへの気持ちは知っていても、エスリンの正体がオレとは知らずにオレへの気持ちを話してしまっていたことは知らないし……)
 珍しく、いや、長い付き合いの中で初めてか、ソルトに対して苛立ちを覚えた。
「…ソルトには、分からないよ……」
 口を衝いて出た言葉。
 ソルトが凍りついたように自分を見ているのを感じたが、止まらなかった。
「ソルトは燐の彼氏だけど、結局、他人なんだよ。
 SFFの中に入っちゃってるワケでもないから、今、起こってることも、ソルトにはゲーム感覚なんだろうし」
 言っている途中から既に、言い過ぎている自覚はあった。早くも反省までしていた。だが、止められなかった。
 言葉が尽きたことで止まり、流れる沈黙。
 ややして、
「……分かった」
 背を向け言い残して、ログアウトしたのだろう、ソルトは姿を消した。
「…ソルト……! 」
 消えたソルトの姿を追う硫黄。
(分かった、って、多分、それも分かってないよ……。あんなこと、言うつもりじゃなかったのに……)
「言い過ぎです」
 へたり込んだ姿勢のまま、クランが静かに口を開く。
「あなたは、もっと大人な方であると思っていたのですが」
「……うん」
 本当にその通りなので、何も言えない。
「自分でないのなら誰もが他人で、他人のことなど分からないのが普通。それでも理解しようと努め寄り添おうとしたソルトさんの態度は尊いものです。
 分かる、と言い切ってしまったことが、あなたの気に障ったのでしょうけど、そこは汲んであげてもよかったのでは? 」
「…うん……。オレも、そう思うよ」
 まだ痛みの残る頬に触れながら、硫黄は自分の心を見つめた。
「オレ、今、心に余裕が無くて……。ソルトに苛ついてたような気になってたけど、本当は、自分の無力さに苛ついてたのかも……。…完全に、八つ当たりだった……」
 そうして黙り込んだ硫黄に、クランは小さく息を吐きつつ立ち上がり歩み寄って顔を覗き、
「厳しいことを言いました。 妹が行方知れずになって心に余裕が無くなるのも、ごく普通のことです」
優しく優しく微笑みかけた。
「さあ、行きましょう。山頂まで、あと少しです。人間の世界へ戻って、ソルトさんに謝りましょう。ぴいたんさんのことも、長官に相談すれば、きっと、何とかなります」

  

ママのパンケーキが食べたいので、私、もとの世界へ帰ります!(18)


 ほぼ土と岩ばかりの山頂付近。
 急傾斜の上から硫黄とクランを見下ろすように、キンググリズリー3体が行く手を阻んだ。
 硫黄の隣で、
「グラウンドアタック! 」
 叫びながら、クランが地面に自身の剣を突き立てた。
 剣を中心に赤い稲妻が閃き、ゴゴゴ……と地鳴り。
 土柱がキンググリズリーに襲い掛かり高く持ち上げて弄ぶ。
(…スゴイ……! クランさんの新技……っ? )
 ややして剣を引き抜くクラン。酷く消耗した様子で、その場に崩れる。
(クランさんっ? )
 硫黄はクランを覗き込む。
 土柱がフッと消え、高い位置から地面へと叩きつけられるキンググリズリー。
 多数の裂傷による出血と打撲による腫れのため惨たらしい姿となったキンググリズリーたちから意識的に目を背けつつも、注意はきちんとそちらへ向いていたので、うち1体が、なお立ち上がってこようとしていることに気付き、硫黄、
「マジカルピュアハート・エクスプロージョン! 」
 とどめを刺してから、実に久し振りに吐き気と目眩に襲われ、しゃがみ込んだ。
「大丈夫ですか? 」
 今度はクランが心配げに硫黄を覗き込む。
 大丈夫、と返し、たった今見たクランの技について、初めてみた、と言うと、クランは、えっ? となり、
「初めてではないですよ? 前回の戦闘でも使用しましたし。使用待機時間が長い上に体力もかなり必要なので乱発は出来ませんが」
(…ああ、そうか……)
 硫黄は納得した。
 今の戦闘は、ソルトが去ってから初めての戦闘。頭の中に靄がかかっている間に、遠くのことのように見ていただけなため、初めて見た気になっていたのだ。
 吐き気と目眩についても、これまで戦闘の度に程度は違えど、ほぼ必ず感じていたそれが、久し振りだったのも、そのためだと。
 ソルトが、目を覚まさせてくれた。
 ソルトの顔が脳裏に浮かび、続いて、最後に見た後ろ姿。
 硫黄の胸が、キュッとなった。


                  *


 傾斜を登りきると、そこは、それまでの傾斜地と同じく土と岩ばかりの、開けた場所だった。
 50メートルほど先、正面に、白っぽい石で造られた、イメージ的に古代ギリシャの神殿を思わせる建物。
 ゲーム内で、この景色は見たことがあるが、硫黄は、これより先へは1歩も進んだことが無い。
 1歩進むと画面が切り替わり、女神・マロン様が現れて、クリアとなってしまうためだ。
 クランが先に立ち、1歩。マロンは現れない。
 神殿へと向かって歩くクランの斜め後ろに従って歩く硫黄。
 マロンは現れないまま、建物に到着。
 中央部に膨らみのある特徴的な円柱の間を通り、アーチ型の入口の内側に吊るされた白の光沢のある厚手のカーテンの前で、一旦、クランは足を止め、
「クラン・ベリーです。件の人間族をお連れ致しました」
言って、カーテンを手で寄せ、通れるように開けて硫黄を振り返る。
「どうぞ」
 言われるまま入り、続いてクランも入って来た、そこは、広い部屋で、大きめの机が適度に間隔を空けて12台置かれ、数人のプレイヤーが1人につき1台の机を使用して上に写真を広げている。
(ああ、アルバム作りか……)
 机と机の間を歩きながらプレイヤーに声を掛けて回っていた、ギリシャ神話の神的な衣装を着た色白の美しい女性が、足を止めて、金色ソバージュヘアを揺らして振り返り、薄茶色の瞳でこちらを見た。
 無言だが、柔らかく温かな雰囲気。
(マロン様……)
 マロンは、硫黄たちの入って来た入口とは机の列を挟んで真向かいの、同じくアーチ型をした出入口を指す。
 クランも無言で頷いて、小さく硫黄に、
「行きましょう」



 マロンの示した出入口は、白のレースカーテンで仕切られていた。
 そこを、
「お疲れ様です」
言いながらくぐるクラン。
 続いて入ると、マカロンタウンオフィスの観光庁の部屋とインテリアの種類や配置などがほぼ同じ部屋。
「お待ちしておりました」
 茶色のストレートヘアを顎の位置で切り揃え、焦げ茶色のパンツスーツをピシッと着こなした、眼鏡の似合う理知的な20歳くらいの女性が出迎えてくれ、
「秘書官のクルミと申します」
自己紹介をしつつ、手振りで部屋中央のソファを勧めた。
 硫黄も、エスリンです、と自己紹介を返しながら、ありがとうございます、と、クランと並んでソファに腰掛ける。



 クルミの淹れてくれた紅茶をいただきながら、待つこと数分。
「お待たせいたしました。長官のマロンです」
 マロンが部屋に入って来、ソファを通り過ぎて入口正面のドッシリとした机の向こうの、しっかりとした椅子に落ち着いて、では早速ですが、と話し始める。
「クラン・ベリーから、こちらへ向かって出発する前夜に、大凡の話は伺っております。
 本来は当SFFの在るスウィーツランドとは別の世界からアバターと呼ばれる傀儡を操ることでSFFをお楽しみいただくところを、傀儡ではなくご自身が意に反してSFFの中へ入ってしまい、帰り方が分からないため助けてほしい、とのご用件で間違いございませんか? 」
 頷く硫黄。
「SFFでのお名前はエスリンさん。別の世界……人間族の皆様の住まわれている人間の世界でのお名前は、洋瀬硫黄さん」
 と、マロンがそこまで口にしたところで、
「えっ? 」
クルミが非常に驚いたように声を上げ、同時、カシャンッ! マロンのために淹れた飲み物と思われる、運んでいる最中だったカップが手を離れ床へ。割れて中身が飛び散った。
 しかし、カップが割れたことや床が汚れたことなど気にする余裕も無いといった勢いで、クルミは硫黄に駆け寄り、ガシッと両肩を掴んできた。
「エスリンさんは、『ようせいおう』さんと仰られるのですかっ? 」
 硫黄は面食らいながら、
「…そう、ですけど……」
 すると、クルミはパッと硫黄から離れ、ガバッと深く深く頭を下げた。
「ごめんなさいっ! 」
(……? )
「私のせいですっ! 多分っ! 」
(へ……? )
「エスリンさんがスウィーツランドへ来てしまったの、私のせいですっ! 」
 全く話が掴めない硫黄。
 どうしましょう、どうしましょう、と、狼狽えるクルミ。
(…クルミさんの、せい? …オレが、SFFの中に入っちゃったのが……? )
 心の中で繰り返してみて、硫黄は、やっと話を掴み、これはかなり重要な手掛かりであると気付いて、とにかくちゃんと聞きたいと、
「…あの、落ち着いてください。とりあえず……」
立ち上がり、クルミを自分の向かいのソファへと誘導して座らせた。
 自分のもともと座っていた位置へ戻ってから、硫黄、
「オレがスウィーツランドへ来てしまったのがクルミさんのせい、というのは、どういうことですか? 」
改めて聞く。
 クルミは俯いたまま暫しの沈黙の後、ポツリポツリと話始めた。
「私の、召喚魔法の失敗です」
「召喚魔法? 」
「はい。近頃、魔物が凶暴化していることはご存知かと思いますが、長官の命により独自に調査しましたところ」
 そこまでで一旦、言葉を切り、クルミは、マロンに視線を送った。
 マロン、頷く。
 クルミ、頷き返し、
「全ての魔物の父とも母とも呼ばれる魔物・アモーバ。かつて妖精王により封印されたその者の封印が解かれていることが判明したのです。
 そこで、妖精王の霊を召喚し再び封印していただこうと考えたのですが」
そこからは、とても言い辛そうに、
「…召喚魔法に使用する古代文字は、1つの音を意味を持たない記号的な1つの文字で表現するもので……。その、私の召喚しようとしていた『妖精王』も、あなたのお名前『洋瀬硫黄』も、音としては同じ『ようせいおう』となりますので……。
 …あの……。…大変申し上げ難いのですが……。
 …その……つまり……。…人違い……」
(人違いっ? オレ、人違いで、こんな目に遭ってんのっ? )
「ごめんなさいっ! 」
 クルミは再度、ガバッと頭を下げる。
「本当に、申し訳ございませんっ! 魔法陣の中にどなたも現れなかったので、単純に不発という形での失敗であると思っていたのですけど……! 」
 小刻みに震えながら頭を下げ続けるその姿が、あまりに痛々しく、
(……)
硫黄は、怒る気になれなかった。
(原因が分かったことだし……)
「帰る方法は、あるの? 」
「あ、はい」
 クルミは申し訳なさそうにしながら即答。
「アモーバを封印するか倒すか、いずれかが出来れば帰れるはずです」
 そこへ、
「ねえ」
 これまで黙って話を聞いていたクランが口を開く。
「先日、フィナンシェに妖精王の霊が現れたのだけど、それは秘書官の魔法とは関係無いのかしら? 」
「はい。フィナンシェの妖精王の霊に関しての情報は、こちらへ入って来ていましたが、妖精王自身がハッキリとした目的を持ち、また、既にそれを達成し消えたことから、無関係であると判断致しました」
 答えてから、クルミは遠慮がちに、
「…クラン次長が妖精王の末裔であり、妖精王から全てを託されたと聞いておりますが、それは……。…あの、本当でしょうか……? 」
「ええ。事実です」
 その時、ククッククク……ッと、急にマロンが笑い出した。
(? )
 マロンに目をやる硫黄。
 マロンは立ち上がり、バッとクランに右掌を向ける。
 瞬間、
(っ! )
 クランが、ゴツゴツした岩のような形をした無色透明のガラスのようなものに閉じ込められた。
 タイミング的に、明らかにマロンの仕業。
「クランさんっ! 」
 触れると、
(っ? )
クランを閉じ込めた無色透明の物体は冷たかった。
(氷っ? )
「クランさん! クランさんっ! 」
 名を呼び、氷の中を覗き込む硫黄。
 クランは氷柱花のように動かない。
(…どうして、こんなことを……っ? )
 マロンに視線を戻すと、いつの間にか、その姿が変化していた。
 顔立ちは、目つきが若干鋭くなった程度で、ほとんど変わらないのだが、もともと色白な肌は青みがかって見えるほどに更に白く。瞳の色は青に。金髪ソバージュは銀髪ストレートに。服装はグレーの軍服に。
 雰囲気は見た目以上に変わった。冷たく、厳めしい。
 マロンは愉快そうに高笑いしながら、動かないクランに、
「そうだ! それを確認したかったのだ! 」
「…あなたは……」
 クルミが、ほんの少し前とは似ていても違った意味を持つと思われる震える声を発した。
「あなたは、長官じゃない……! 誰なの……っ? 一体いつから……っ? 本物の長官を、どこへやったの……っ? 」
 クルミ曰く本物ではないマロンは、
「無能な豚め」
鼻であしらってから、少し考える素振りを見せ、
「だが、貴様等をこのまま放置しては、面倒なことになるやも知れぬ。共に来てもらうぞ」
言って、腰に差したサーベルを抜き、グリップの部分を中心にグルリと円を描くように回した。
 と、白い……雪のようなものが現れ、硫黄とクルミに向かって吹雪の如く吹きつけてきた。
 反射的に顔をガードした腕の、衣類の無い部分に当たったそれは冷たく、確かに雪であると認識した直後、硫黄の視界は真っ白になった。


ママのパンケーキが食べたいので、私、もとの世界へ帰ります!(19)


 視界が真っ白になったのは、一瞬だけだった。
 体がフワッと宙に浮く感覚があり、すぐ次の瞬間、ドサッ!
 硫黄はホコリっぽい木の床の上に乱暴に放り出され、尻もちをついた。
 自分の着地によって舞い上がったホコリに咳込みながら辺りを見回す硫黄。
 そこは、床だけでなく天井も三方の壁も木で造られた部屋。特徴的なところで、四角い部屋の残る1つの壁のあるべきところに、木の格子がはめ込まれている。
 右隣でゴッと低く鈍い音。氷づけのクランが底面でゴロンゴロンと円を描いていた。
 今にも倒れそうで、硫黄は急いで飛びついて直立の形で落ち着かせ、そのまま抱きしめる。
(…クランさん……)
 冷たい。痛いくらいに。
(クラン、さん……)
 心の中でさえ、名前を呼ぶ以外に言葉が出てこない。
 これまでも何度か、クランの身の危険を感じる出来事はあった。
 しかし、今の目の前のこの姿は、危険というのではなく、もう……。
「大丈夫です」
 硫黄の左隣で、服についたホコリを払いながら立ち上がり、クルミ、
「生命活動は維持されています」
(えっ? そうなのっ? )
 硫黄の無言の問いにクルミは頷き、
「微弱ではありますが、確かに感じます」
クランに手の届く位置まで移動してくると、そっと右掌で触れ、
「ノーマリゼ! 」
 そこへ、
「無駄だ」
 格子の向こうから声。
「その程度では、私の氷は溶けぬ」
 偽物のマロンだった。
 格子の向こうは硫黄たちのいる部屋と同様に木造の空間で、硫黄側から見ての奥行きは狭く、幅は見通せる限り続く長いものとなっているので、おそらく廊下なのだろう。
 身構える硫黄。
 しかし偽マロンは無表情で静かに淡々と、
「案ぜずとも、貴様等がおかしな行動さえとらなければ、特に危害を加えるつもりは無い。そこで氷づけになっているクランとかいう妖精王の末裔にも、これ以上は何もしない。用事が済み次第、解放すると約束しよう。そう長くはかからぬ。大人しくしていろ」
(…用事……? クランさんを氷づけにして、ついでにオレとクルミさんも閉じ込めてする用事って……)
 偽マロンの発した「用事」が引っかかり、硫黄は考え込みかけた。
 その時、偽マロンの右手側の死角から、紺地に白や薄桃、薄紫の花を配った華やかな和服を纏ったロングストレートの黒髪の少女が、フワッと現れ、
「アイス」
小さく言いながら、偽マロンの正面にピトッとくっついた。
「アイス」
 もう一度呟いた少女に偽マロンは視線を落とし、そっと、指で髪を梳く。
「このような場所へ来てはいけない。君が汚れてしまうだろう? 」
 その表情はこの上なく優しく、叱る声は甘やか。
 たった今まで自分たちに対していたのとは別人のようだと、硫黄、
(きっと、大切な人なんだろうな。こういうヤツにも、いるんだ。そういうの……)
 軽く身を屈めて少女の頭に頬を寄せるまでしてしまいつつ、偽マロンは続ける。
「そんなに、このアイスに会いたかったのだな? 」
 アイス、というのは偽マロンの名前だったらしい。
「本当に君は甘えん坊さんだな。私の可愛いお姫様」
 フッと笑みを溢しながら顔を上げ、ここは空気が悪いから部屋に戻ろう、と、少女の肩に手を添えて静かに自分から剥がし、少女の来た方向を向かせる偽マロン・アイス。
 瞬間、
(っ! )
 硫黄は心臓が止まるかと思った。
 登場時には少女であるということが認識出来る程度に見えただけで、あとはずっと後ろ姿だった彼女の、初めてまともに見る横顔に。
(…燐……っ? )
 そう。少女は硫黄の妹・燐……厳密に言えば、SFFのアバターである、ぴいたんだったのだ。
 ぴいたんの腰に左手を移し、そっと押して共に歩き出すアイス。
 アイスにエスコートされて去って行くぴいたんを、硫黄、
「り……! 」
呼び止めようとして、クルミに口を塞がれた。
「お知り合いですか? 」
 小声での問いに、
「妹なんです。2日前から行方不明になってて」
硫黄も小声で返す。
「そうだったんですね」
 頷いてから、クルミ、やはり小声で、
「けれど、今、この状況下で、彼女がエスリンさんの妹さんであると知られることは得策ではないと思います。
 幸い、彼女は今のところ悪くない待遇を受けているようですので、機を窺うのがよいでしょう」
 確かに、その通りだと思い、大人しくぴいたんを見送る硫黄。
 突然、
(っ? )
 ぴいたんとアイスの歩く廊下の真横の壁から、巨大な刃物の切っ先のようなものが突き出た。
 咄嗟にぴいたんを背に庇うアイス。
 壁が正方形に切り取られ、空いた大きな穴から、強く吹き込む雪と共に、いつかの夢で見たナマハゲのような姿をした人物……と言ってよいのだろうか? 人型の存在。
「また貴様か」
 アイスはサーベルを抜き、構える。
 ナマハゲは背中に差した出刃包丁のような形をした変わった大剣を右手のみで勢いよく抜き、その動作の流れで弧を描くようにアイスに斬りかかった。
 しかし、大剣での攻撃はフェイクだったようで、ナマハゲは更に回転をしながら空いている左腕でアイスの後ろのぴいたんを素早く攫うと、穴から外へ。
 アイスはワンテンポ後れて、ぴいたんを攫われたことに気づき、ギリッと歯噛み。
「…ぶっ殺す……! 」
 追って飛び出して行った。
「燐っ! 」
 硫黄も急いで後を追おうと格子の扉部分に駆け寄り、押してみたり引いてみたりするが、当然、開かない。
 胸の飾りをステッキに変形させ、祈るような気持ちで、
「マジカルミニハート」
唱え、格子にチョンと触れる。
 格子に浮かび上がる小さなピンクのハート。
(出来た! )
「エクスプロージョン! 」
 ボンッ! 粉々になって飛び散る格子。
 そうして格子を破壊し、出て行こうとする硫黄を、
「エスリンさんっ! 」
クルミが慌てた様子で止めた。
「ここに戻って来るかどうか分からないですよね? クラン次長を連れて行かないと」
(…そっか。そうだよな……)
 ぴいたんを連れ去られたことでいっぱいになってしまっていて、完全に頭から抜けていた。
 気付いて、同時に困る。
 通常の状態のクランであれば、クランが自分で動けなかったとしても、背負うなり抱えるなりして移動出来るが、氷づけになっている今のクランは、大きすぎる。
「四次元バッグを貸して下さい。私は持っていませんので」
(……? 四次元バッグ? )
 言われるまま渡すと、クルミは四次元バッグを開き、逆さにして、クランの氷のてっぺんに被せると、下方向へと無理矢理な感じでギュウギュウ引っ張った。
 四次元バッグが破けるのではと思ったが、ややして、スポンッ。中に収まった。バッグの形や大きさも、元のまま。
(本当に何でも入るんだな。四次元バッグって! )
 感心する硫黄に、クランの入ったバッグを返し、クルミ、
「お待たせしました。行きましょう」


                   *


 腰の高さほどまで積もった雪を掻き分けながら進む硫黄とクルミ。
 振り返ると、まだ大して離れていないにもかかわらず、壁に大きな真新しい穴の空いた、立派な天守を持つ城が、猛吹雪のため霞んで見えた。
 少し先で派手にドンパチやっているのが、やはり霞んで見える。
 シルエットからして、アイスとナマハゲ、戦闘には参加していないが、ぴいたん。
(…あの3人は、どうやって、あそこまで行ったんだろ……? )
 同じ穴から出たので同じような場所に着地して、あそこまでの通り道が出来ててもいいはずなのに、と。
 自分の歩く遅さ加減に苛立ちながら、何かコツでもあるのか? と。
 答えは、すぐに出た。
 ナマハゲからぴいたんを奪い返したアイスが、足元に無色透明の薄く小さな足場を作っては、それを踏み、空中をこちらへ向かって移動して来る。
 それを、ナマハゲが大剣を雪に突き立てて柄頭を足場に片足で高くジャンプしざま引き抜いて宙返りしつつ前進、再び雪に突き立て……を繰り返して追って来たのだ。
 ああ、自分には無理な方法だったか、と、硫黄が納得したところで、アイスが城の壁の穴の内側へ着地。右掌を突き出した。
 右掌の前に、氷と思われる、クランを閉じ込めている物によく似た物体が形成され、ジャンプが頂点に達したところだったナマハゲに高速で向かって行く。
 ナマハゲは身を捩ってかわした。
 物体は、その向こう、そう遠くない、硫黄たちの立っている場所と同じく雪の積もった斜面に衝突。
 ゴゴ……と地鳴りのような音がした。
(…地震……? )
 直後、
(っ! )
 大量の雪が硫黄たちのほうへ押し寄せて来るのが見えた。
 逃げようにも、そんなに速くは動けない。
(マズイ! )
 緊急時なので仕方ない、と、テレポを使おうとする硫黄。
 一瞬早く、クルミが、
「プロテクティブド……」
呪文を唱えようとしたが、間に合わなかった。
 硫黄とクルミは、雪に飲まれた。
(…重い……。…動けない……。息が……)
 意識が少しずつ遠のいていくのが分かった。

ママのパンケーキが食べたいので、私、もとの世界へ帰ります!(20)

 パチパチと微かで不規則な音が聞こえる。
(…熱い……)
 左半身に熱を感じながら、仄暗い中、硫黄は静かに覚醒した。
 目の前には、煤けた木の天井。体の背面にゴワゴワチクチクとした感触。
 左手側に視線を向けると、火のついた囲炉裏。その空間に在って唯一の灯りであり、音と熱の正体だ。
 上半身起き上がる硫黄。
 見回すと、そこは如何にも日本昔話に出てきそうな、板張りの床に三方が土壁、硫黄から見て右手側だけ障子の引き戸となっている部屋。
 硫黄は、部屋中央に据えられた囲炉裏脇に敷かれた筵の上に仰向けに転がっていたのだった。
 隣に、クルミが横たわっている。安らかな寝息をたてていることから、特に命に別状なく眠っているだけと判断出来た。
(…ここ、どこだろ……? アイスとかいうヤツの城もそうだったけど、こういう和風な感じって、SFFじゃ見たことないよな……。…確か、オレとクルミさんは雪崩に巻き込まれて……)
 そこまで心の中で呟いたところで、硫黄はハッとし、
(バッグはっ? )
慌てて再度、周囲を見回す。
 すぐに、自分の座っている筵の上、転がっていた時には頭があったであろう位置の近くに見つけ、
(よかった……! )
 腕を伸ばして取り、抱きしめた。
 普段はバッグの存在など、外からSFFをプレイしていた頃には自分でバッグを持っている感覚がそもそも無かったし、SFF内に入ってしまってからも、大して気に留めていなかったが、今、バッグの中にはクランがいる。
 ホッとしたところへ、
「目ぇ覚めただか? 」
 少女のものらしい声が掛かった。
 声のした障子方向を見ると、障子の影から、黒髪を無造作に後ろで束ね、黄土色に黒の細い縦線の入った膝までの丈の質素な和服を着た、小学校高学年くらいの少女の姿。
 声だけ掛けて、少女は障子の向こうに消え、ややして、ヤカンを手に再び現れ、
「眼鏡の姉ちゃんのほうは、まだ眠ってるだな」
囲炉裏を挟んで硫黄の向かいに膝をつき、自在鉤にヤカンの手を掛けながら、
「お前さんたちは運が良いだよ。雪に埋まったのがオラの目の前だったから、すぐに掘り起こされて」
(…この子が助けてくれたのか……)
 硫黄が礼を言い、自己紹介とクルミをあまり知らないながらも出来る範囲で紹介すると、少女はニパッと明るく笑み、
「どういたしましてっ! オラは、コメコっていうだ! 」
(コメコ、か。…でも、目の前って……? )
 自分とクルミが雪崩に巻き込まれた時、自分たち以外には、ぴいたんとアイス、それからナマハゲしか周囲にいなかったように思うし、こんな小さな女の子が、あんな雪深い中に? と、疑問を持つ硫黄。
 それを、ほぼそのまま言うと、コメコは立ち上がり障子の向こうへ。藁の束を抱え、一緒に赤い何かを手に戻って来た。
 そして、藁の束をマントのように纏い、赤い何かを顔の前へ持ってきて見せる。赤い何かは、無表情な仮面だった。
(…ナマハゲ……)
「オラだよ。オラと、あの女が戦ってるとこを、お前さんたち見てたべ? 」
 驚く硫黄。
(…この子が……)
 妖精なのだろうから実年齢は硫黄よりもだいぶ上の可能性があるが、その外見を小学校高学年くらいと思ったのは、童顔であることや140センチほどしかない身長からではなく、一番には、腕や脚の細さであったためだ。こんな細い腕で、あれほど大きな武器を操っていたのか、と。戦闘中に見ていた時には、遠かった上に動きが速かったため、体格的な面では、アイスよりは小さいことぐらいしか分からなかったのだ。
 何も言わず、ただ自分を見つめるだけの硫黄に、コメコ、
「どうしただ? 」
「ああ、うん。小さいのに強いんだな、って思って、驚いたんだ」
 するとコメコは藁を脱ぎながら俯き、もとの硫黄の向かいに腰を下ろしつつ、
「強くは、ねえだよ……」
それまでの快活さから一転。
「強かったら……。オラが、もっともっと強かったら、さっきみてえなチンケな嫌がらせを繰り返して出て行ってくれるのを待つとかでねぐて、あんな女、さっさと追い出してやれるだ……」
 瞳に影を宿す。
 聞けば、コメコの暮らす、このドーミョージ村(ビレッジ)は、スウィーツランド国内ではあるものの、やはりテーマパーク・SFFの中ではないそうだ。
 村の在る盆地・ドーミョージ盆地(ベイセン)の隅、ウンペイ山脈(マウンテンズ)とカノコ連山(マウンテンレンジ)に挟まれた地に、アイスが城を築き住むようになったのは、3ヵ月ほど前。当時は、まだ季節的に、終り頃とは言え冬だったため誰も気に留めなかったが、それから1ヵ月が経ち、おかしいと気付き始めた。春が来ない、と。
 初めはタイミングのみを理由に疑い、その行動を見張ることで、氷と雪を操る能力を有していることを知り、春が来ないのがアイスのせいであると確信したという。
 そこで、追い出すべく、村人全員で城へ向かったところ、ひとり残らず氷づけにされてしまったらしい。
(ああ、それで、この子だけが何らかの理由で難を逃れて、ってことか)
「…オラが、もっと……」
 傷ついた獣のような目で繰り返すコメコを前に、硫黄は、
(…なんだ……? この気持ち……)
嫌悪に近い違和感を覚えていた。
(きっと、今の話の中で何かが気に入らなかったんだろうけど……。…何だろ……? )
 しかし、
(…まあ、こんなザックリと聞いただけで、勝手に悪い印象を持ってもな……)
 もっとじっくり聞けば自動的に解消されることかも知れないし、と気持ちを切り替え、
「ところで、お前さんたちは、どうしてあんな所にいただ? 」
との質問に答える。
 もともとはスーパーモンブラン山頂にいて、アイスによってクランを氷づけにされた上でクラン・クルミと共に移動させられ、あの城で牢のような所に閉じ込められていたこと。そこに行方不明になっていた妹・燐がいたこと。目の前で燐がコメコに連れ去られたため追って外に出たこと。
「…そうか、あの綺麗な着物の姉ちゃんは、お前さんの妹だっただな? …オラが
ちゃんと連れて逃げれてたらよかったのにな……」
 最後のほうは消え入るように言ってから、コメコは、いきなり床をドンッと殴って、
「ほんっと、あの女、許せねえだ! 」
大声。
 そこへ、
「コメコちゃん」
障子の向こうから女性の声。
 呼ばれて立ち上がり、コメコが障子を開けると、そこには、湯気のたった鍋を手にした、コメコの物と同じような質素な和服を着た恰幅のよい中年女性がいた。
 女性は硫黄に目をやり、
「ああ、目が覚めただな! 良がった! 」
コメコに鍋を手渡しながら、
「これ、巻繊汁。多めに作ったで、食べさせてやるといいだ。あったまるから」
「ありがとう! おばちゃん! 」
 礼を言ったコメコに笑みで返すと、女性は回れ右。背後わりとすぐの所にあった木製の引き戸から出て行った。
 戸の向こうは外で、夜の空が見えたが、月明かりだろうか? その下の雪が白金色に輝き、屋内よりむしろ明るかった。
 戸が閉まるまで見送って、鍋を手に硫黄の向かいへ戻ってきたコメコに、硫黄は無言の問いをする。中年女性が訪ねて来たことで生まれた疑問。
 答えてコメコ、
「隣の家のおばちゃんだよ」
(ああ、うん。それは、そういった存在なんだろうなって思ったけど……)
「お前さんたちに、って、巻繊汁を持ってきてくれただ」
(それも、会話で分かってるけど……)
 そうじゃなくて、と硫黄は口を開く。
「村の人たち全員が氷づけになったんじゃなかったの? 」
 コメコはキョトン。逆に問い返すように、
「なっただよ? オラもなっただ」
(……へ? それで今、氷づけの状態じゃなく普通にしてるってことは……? 召喚魔法なんて使えるような、多分だけど賢者(セイジ)か何か上位の魔法職っぽいクルミさんのノーマリゼでもダメだったのに……)
 硫黄は驚き、また、期待を込めて、
「溶かせるの? 」
「んだ。スライムのおっちゃんならな」
「スライム? ……って、魔物? 」
「悪いスライムじゃないだよ。初めて会った時は、大きいんでビックリしたけどな。
 あの女の所へ皆で行って氷づけにされた時、オラは氷づけの状態で飛ばされて、偶然、おっちゃんの上に落ちただ。そうしたら氷が溶けたから、おっちゃんに皆のことも頼んでみたら、おっちゃんは自分じゃ動けねえから連れて来いって。んで、運んで溶かしてもらっただ。
 お前さんの氷づけになった仲間は、どこにいるだか? 連れて来れるなら、オラが、おっちゃんに頼んでやるだよ」 



ママのパンケーキが食べたいので、私、もとの世界へ帰ります!(21)


「……」
「……」
「……」
 夜中、コメコ宅の囲炉裏脇の筵の上で、硫黄は目を覚ました。
 氷づけになった仲間・クランは今も四次元バッグの中に入って一緒にいると話すと、明朝に早速「スライムのおっちゃん」のもとへ案内してくれることになり、硫黄と、隣家の中年女性が帰って程なくして目を覚ましたクルミは、そのままコメコの家に泊まったのだった。
(…話し声……? )
 頭だけを僅かに動かして声のほうへ目をやると、囲炉裏を挟んで向かい側にコメコが座り、俯いて、何かを掬うような形に上に向けた両掌に視線を落としていた。
 その手の中は、ほんのり桜色に光っている。
「…絶対に、助けてやるだ……。もうちょっとの間、辛抱してくんろ……」
 表情は、優しく悲しげ。
 と、不意にコメコと目が合った。
「すまねえ。起こしちまったか……」
「いや」
 起き上がる硫黄。光が気になるので、視線はコメコの手。
 硫黄の視線を追い、自分の手に辿り着いて、コメコ、手の中が硫黄に見えるよう傾けて見せる。
 そこには、小さな小さなガラスの瓶。細い紐でコメコの首と繋がっており、中身は、ガス状と思われる微かに発光している桜色のもの。
「オラの友達のサクラだ。春が来ないせいで、すっかり弱っちまっただ」
「それはスライムのおっちゃんには治せないの? 」
「オラもそう思って聞いてみただ。けど、無理だって。
 おっちゃんは、あの女の直接したことなら何でも治せるけど、間接的なのは治せないらしいだ。サクラが弱ってるのは冬が続いてるからで、あの女に何かされたワケじゃねえしな」
(「何でも」って言いきれるってスゴイな……。おっちゃん、何者……?
 スライムって、SFFの魔物としては聞いたこと無いけど……)
「それに、おっちゃんが言うには、この辺りが今、冬が続いてるのは、確かにあの女がいるせいだけど、あの女の周りが冬になることは、あの女にもどうすることも出来ないんだって」
(…それって……。あのアイスって奴、実はすごく可哀想な奴なんじゃ……? 自分じゃどうしようもないことで嫌われて……)
「だから出て行ってもらうしかねえだ! 」
(…とか言われるし……。大体、あの強そうなアイスに嫌がらせなんて、このコメコって子だって危険だろうし、ここは発想の転換で、この子がサクラさんを連れて、どこか暖かい所へ行くんじゃダメなのかな……? )
 先程も感じた嫌悪に近い違和感がぶり返し、硫黄は自分自身に途惑う。
(親切にしてもらってるのに……。雪崩から助けてもらって、クランさんの氷を溶かすために動いてくれる約束も……。
 何かきっと……。何かが、すごく気に入らないんだろうな……)

 突然、カンカンカンカンカンカンッ!
 外から、けたたましい鐘の音。
 その音に反応してクルミが目を擦りながら起き上がり、特に頭を介していない様子で枕元の眼鏡をかけた。
 コメコはサクラの瓶を胸元へと仕舞い、一度、目を伏せ、祈るように愛おしむように上から手で押さえてから、勢いよく立ち上がって、障子へ早歩き。
 障子を開け放ち、入口の戸の手前の壁に掛けてあった仮面と藁のマントを引っ掴んで素早く身に着け、戸の横に立て掛けてあった出刃包丁形の大剣を背に差しながら、外へ出て行く。
(……? )
 硫黄が外を覗きに行くと、そこには、もう、コメコの姿は無かった。
 大きな月に照らされた雪の上を、村の人と思われる人たちが数人、皆同じ方向へと小走りで向かっている。
(…何だろ……? )
 硫黄も外へ出た。



 村の人たちの後をついて行くと、村全体を囲っているものと思われる高めの塀の上に、コメコが仁王立ちし、外を見据えていた。
 塀の下、内側には、村の人たちが20名ほど。
 その一番後ろに硫黄がついて数分、
「どうされたんですか? 」
 息をきらしながらクルミがやって来、硫黄の隣へ。
(どう、されたんだろう……? )
 見て来よう、と、硫黄は村の人たちの間を縫って塀まで行き、よじ登って、その上部から顔を出した。
 クルミも続く。
 コメコの視線は左手方向。
 そちらを向いた硫黄の目に入ったのは、雪が舞い上がって煙のようになっている様。
 移動して来、すぐの所まで迫っていた。
 煙に包まれ、白い毛を持つ狼の姿をした魔物・スノーウルフ(LV88)10体。ババ内・スーパーモンブランの北~北東の雪深い地域に生息する魔物だ。
 スノーウルフの群れが村の塀の端の位置へ差し掛かったところで、コメコ、チラリと村の人たちのほうを振り返り、短く、
「皆は、このまま、そこにいるだ」
 言うと、スノーウルフたちのほうへ体の向きを変えつつ、塀の外側へと飛び降りざま抜刀。大きく振り被った姿勢。着地しながら、
「かまいたち! 」
 まだスノーウルフたちへは刃の届かない距離で、振り下ろした。
 村の周囲にはアイスの城の近くほどの積雪は無かったが、切っ先から出現した、コメコの身長ほどもあるブーメラン形の空気が縦方向に回転しながら高速でスノーウルフへ向かって行くのが、雪によって可視化されている。
 硫黄は驚いた。
(…どうして攻撃なんて……っ? 放っておけば、アイツら、かなりの確率で、村の横を通り過ぎて行くだけだったと思うんだけど……っ! )
 などと思っているうちに、ズザッ……!
 空気のブーメランが最前列の2体のうち右側の個体を両断して赤く色を変え、その後ろに続いて駆けていた個体に深々と刺さり、形を失った。
 急ブレーキをかけるスノーウルフの一団。
 鮮血に染まった白い大地を踏みしめ、低く唸って、コメコを正面から睨む。
 大剣を構え直し、睨み返すコメコ。
 瞬間、地面を蹴り、一斉にコメコに飛びかかるスノーウルフ。
(いくら、この子が強いって言ったって、この数をひとりじゃ……! )
 SFFの中に入ってしまってからスノーウルフと戦ったことは無いが、レベルから考えて、と。
 慌てて塀を乗り越え、外側へ下りる硫黄。
 同時、
「プロテクティブウォール! 」
 塀の上から右手を伸ばし、クルミが唱えた。
 スノーウルフたちは、コメコの前に出現した無色透明の壁に間髪入れずに次々と勢いよくぶち当たり、怯む。
 その隙に硫黄はコメコの隣へ移動。胸の飾りをステッキに変えて高く掲げ、塀から出ているクルミの手を巻き込まないよう調節しつつ、
「マジカルヘビーQハートシャワー! 」
それでもスノーウルフの頭上は完全に覆うように、ピンクの雲を発生させた。
 スノーウルフたちへと降り注ぐ、凶暴なハートの雨。一頻り降ったところで、すぐさま、
「エクスプロージョン! 」
 ドンッ! 震動を伴う爆音とともに舞い上がった土と雪が視界を奪う。
 目を凝らす硫黄。蠢く影が見えた。
「コメコ、オレが合図したら薙ぎ払って」
 コメコに指示を出し頷くのを確認してから、硫黄、クルミを仰ぎ、
「クルミさん! プロテクティブウォール解除! 」
「承知しました! 」
 クルミが手を下ろし、透明の壁が消える。
「コメコ! 」
「わがた! 」
 コメコが大剣を水平に構えたところへ、視界クリアな範囲へ飛び出して来たスノーウルフ5体。
 横一閃。
 崩れ落ちるスノーウルフたち。
 辺りは静けさに包まれた。
 硫黄はステッキを構えて様子を窺う。
 ゆっくりと落ち着いていく視界。
 完全に落ち着いた時、白い色だったはずの地面に、白はほぼ無い。
 土の茶色と朱殷の肉片、もともとは白かったスノーウルフたちの毛の赤色だけが、やけに鮮やかだった。
 コメコが興奮気味に、
「姉ちゃんたち、強いだなっ! 」
 硫黄は吐き気と目眩が止まらない。
 これまでの中で、最も強い吐き気と目眩。
 立っていられず、しゃがみ込む。
 原因は分かりきっていた。
 無駄に殺してしまった、と。
「どうしただ? 」
 心配げに、コメコが硫黄の顔を覗く。
 硫黄は大きく息を吐き、吐き気を散らしてから、
「どうして、何もしてないスノーウルフに攻撃なんてしたの? 」
 責めているワケではない。単純な疑問。
 ゲームとしてプレイしていた時には、レベル上げ他、Sやアイテムを手に入れるためなどで、硫黄自身も先制攻撃をしていた……と言うか、それが当たり前のことだった。魔物を見かけたら、とりあえず攻撃することが……。
 今は、命を奪っているのだという実感がハンパないため、出来るだけ戦いたくないと考えているが……。幸い、ゲームだった頃の蓄えが充分あり、金には困っていないので……。
 そのため、コメコにも、攻撃をする利点があったのでは、と。
 明日、行動を共にする予定の相手に、悪い印象を持っていたくなかったから。
 しかし、コメコは責められたと感じたのか、暗く、少し怒ったような口調で返す。
「オラが攻撃した時には何もしてなくても、そのままにしといたら、してたかもしれねえだ。しなかった保証があるだか? 」
「この村の塀には結界が張られてないの? 」
「張られてるだよ。けんど9日か10日くれえ前に、カヌレ村だったか、魔物に結界を破られて襲われたって聞いただ」
(うん、確かにあった。オレ、その場にいたし)
「国から優遇されてるSFF内の村だから、襲われても、空間移動装置なんてあって避難がスムーズだし、それで物的損害が出ても、国の負担で、すぐに復旧してもらえるけんど、この村じゃ、そうはいかない。襲われてからじゃ遅いだ」
 硫黄の胸に、三たび、嫌悪に近い違和感。
(…この感じ……。アイスを追い出しに村の人全員で出掛けて行った話を聞いた時と同じだ……)
 3度も繰り返し、硫黄は、やっと分かった気がした。
 過剰な反応なのが気に入らないのだ、と。
 コメコも村の人たちも、聞いた分には、アイスから特に何もされていない。
 氷づけについては、正当かどうかはともかく防衛のための反応であったと容易に想像がつく。
(けど、事情も合せて聞くと……)
 コメコはカヌレ村のことを、SFF内だから国から優遇されている村、と言った。
 自分たちの村は違うと。だから襲われてからでは遅いのだと……。
(守らなきゃいけないんだ……。臆病になって、当然だよな……。
 どこの世界にも、あるんだな。こういう格差……。
 そのせいで、クランさんを固めてるアイスの氷みたいに厚く冷たくガチガチに心を固めて……。
 いつか、望みどおりにアイスをあの場所から追い出せて、春がやって来たとしても、心の氷は溶けないままなんだろうな……。SFF内と外での格差が無くならない限り……。
 溶ける日が、そんな春が、来るといいのにな……。
 見ず知らずのオレやクルミさんを雪崩から救い出して、その後も親切にしてくれてる、本当は優しくて温かな人たちなんだから……)

ママのパンケーキが食べたいので、私、もとの世界へ帰ります!(22)


 一面真っ白な雪に覆われた大地が東側斜め45度からの太陽光を反射している中、沁みる目を細め、先頭を行くコメコに続いて歩を進める硫黄とクルミ。
 もちろん踏み固めた土やなんらかの舗装の施された道路に比べれば歩きにくいが、コメコの隣家の中年女性が貸してくれた、靴の下に取り付ける木と縄で作られたカンジキという装備のおかげで、雪に足をとられることなく歩けている。
 ただ、
(……)
 硫黄は、遠くに小さく霞んでさえ見える山を見、溜息をついた。
 その山の麓の洞窟が目的地「スライムのおっちゃん」の住んでいる場所。
 距離的には徒歩10時間ほどで、朝に出発すれば夕方に到着できる、歩くことに慣れた今となっては何でもない距離なのだが、目的地が、明らかに遠くにある形で見えてしまうと、どうしても気が遠くなる。
(……? 今、何か…… )
 遠くに向けていた視線と意識を、硫黄は、手前で何かが動いた気がしたため戻そうとした。
 瞬間、
「っ! 」
 ほぼ真下から高速で何かが飛んで来た。
 避ける間も無く、何かは顎を直撃。
 軽くヨロける硫黄。
 大した痛みは無いが条件反射で顎を押さえつつ、その何かを目で追う。
 硫黄のすぐ足下に着地した何かは、純白まふまふな毛並みをした体長10センチメートルほどの小さな小さなウサギ。スノーラビット(LV85)だ。
 スノーラビットの周囲が、モコモコ動く。
(っ? )
 いつの間にか、足下が無数のスノーラビットで埋め尽くされていた。
 気付いた直後、
「っ!!! 」
 小学6年生の時の運動会で1年生の玉入れのカゴを支える係になった時のような状況になった。
 一撃一撃はどうということは無いが、とにかく動きが速く数も多いため身動きが取れない。
 目だけで確認すると、クルミとコメコも同じ状況だった。
「エスリンさん! コメコさん! 」
 スノーラビットからの攻撃を連続で受けながらの、クルミからの声が掛かる。
「3秒間ほど目を閉じていて下さい! 」
(目を……? )
 理由等一切分からないまま言われるまま、目を閉じる硫黄。
 それをちゃんと待って確認したようなタイミングで、
「フラッシュ! 」
クルミの声。
 ほぼ同時、光が閃いたのを瞼の上から感じた。
 2秒ほどして、
「もう開けて大丈夫です」
との声に目を開けると、もともと雪と太陽光でかなり明るかったのが、ほとんど周囲が見えないくらいの光に満ちていた。
 それでもほんの少しの時間の経過と共に確実に明るさが落ちているので、一瞬前、目を閉じているよう言われていた間に、非常に強烈な光が放たれたのだろうと推測できる。
 目が慣れてきたのと光が弱くなってきていることで、周りの様子が何となく見えてきた。
 スノーラビットたちが、光に目が眩んだのだろう、動きを停止している。
 そこへ、コメコが抜刀ざま、進行方向を中心に180度、水平に振り抜いた。
 体が小さく体重も軽いスノーラビットたちは、その大多数がコメコの刃に触れることすらなく風圧で飛ばされ、道が空く。
 追撃しようとしたコメコを、
「通れるようになったんだから、もういいよ。行こう」
と硫黄が制し、一行は先へ。


                   *


 コメコの隣家の女性が持たせてくれた弁当で昼食を済ませ、再び歩き始めて小1時間。
 その幹や枝、葉の一本一本に至るまで丁寧に雪でコーティングしたような美しい白銀の針葉樹林を抜けたところで、
(……? )
 進路に、不自然に全く雪の積もっていない小さな山が現れた。
 何故この山だけ雪が積もっていないのだろうと思いながら、山を正面に歩を進める硫黄。
 斜め前で、コメコも首を傾げる。
「こんな所さ山なんて……? 」
 林から出た時点では山は少し遠くにあるように見えたのだが、コメコが言い終わった時には、もう目の前。
 間近で見ると、ごく一般的な山、というのとは違った。ススキのような細長い葉の枯れて乾燥しきったものを無造作に山積みにしてあるような……。
 と、山と目が合う。
(…目……? )
 刹那、山は長い鼻を振り上げてファオーンと高く鳴き、巨木の如く太い4本の脚で立ち上がった。
 毛を生やして牙を立派にした超巨大な象のような生物。
(…魔物、なのか……? )
 山だと思い込んでいたため、小さめ、と感じたが、魔物でこのサイズは大きい。トフィー村からスフレ村へと向かう途中に遭遇したラティメリアよりも大きいかも知れない。
 驚き思わず立ち尽くす硫黄の隣で、クルミは声を潜め、
「マンモスです。遥か昔に絶滅したはずの魔物なのですが……。これもアモーバの封印が解けた影響なのでしょう」
(本来いないはずの魔物……? じゃあ、この間のラティメリアも、アモーバの影響……? 現存する魔物を凶暴化させるだけじゃなくて……。すごいな、アモーバ……)
 クルミは変わらず小さな声で続ける。
「逃げましょう。刺激しないように、そっと。いくらエスリンさんやコメコさんが強いと言っても、この人数で太刀打ち出来る相手ではないので」
 硫黄は頷き、ちょっと前までの硫黄と同じように立ち尽くしマンモスを見上げている斜め前のコメコに、声を掛けようとした。
 しかし、一瞬早く、コメコは抜刀。大声を張り上げ、
「かまいた……」
 慌ててコメコの口に飛びつき塞ぐ硫黄。空いているほうの手で大剣も押さえる。
 だが、時既に遅し。
 マンモスの長くいかにも屈強な鼻が、硫黄たち3人を目掛けて飛んできた。
 咄嗟にクルミ、
「プロテクティブドーム! 」
 無色透明のドームが3人を覆う。
 おかげで直撃は免れたが、
(っ! )
 一同はドームごと宙へと飛ばされた。



(ぶつかるっ! )
 硫黄たちを包んだドームは考えられないほど高速で飛び、飛ばされてから数秒後、ほぼ垂直の崖が目前に迫っていた。
 硫黄は固まる。
 が、ポムッ。
 絶壁にぶつかったドームはゴムまりのように弾み、水平方向への勢いを殺されて落下。崖と森の間の木の無い場所の深雪に受け止められた。
 クルミが、ごくごく普通にドームを解く。
 その様子に硫黄、
(…平気だって分かってたんだったら、言っといてよ……)
大きく息を吐き、へたり込んだ。
「大丈夫ですか? 」
 クルミは心配げに硫黄を覗き込む。
 コメコは興奮気味。
「なんか今の、楽しかっただなっ! 」
 硫黄は、もうひとつ溜息。
「それに」
 コメコは興奮を引きずったまま続ける。
「得しただ」
(…得……? )
 硫黄の無言の問いに頷いてから、コメコは崖のすぐのところまで近づき、それから崖づたいに右手方向へ歩き出す。
 ついて行く硫黄とクルミ。
 コメコは、ややして足を止め、崖にポッカリ開いた幅・高さともに2メートルほどの大きな穴を指し、
「ここが、スライムのおっちゃんさ住んでる洞窟だ。マンモスのおかげで早く着いただ」
(…ここが……)
 早速中へ入って行くコメコに続いて数歩、
(……? )
クルミがついて来ていないことに気づき、硫黄は立ち止まり、振り返る。
 クルミは入口で周囲を見回していた。
「クルミさん? どうしたの? 」
 硫黄の問いに、クルミ、
「あ、いえ……。記憶違いかも知れません……」
 答えになっていない返答をし、入って来た。



 洞窟特有の湿気。感じないが外よりは暖かいらしくピチャピチャいう足下。当然、雪は無いので、カンジキを外して進む。
 明かりは必要無かった。入口からの光が届かなくなる前に、微妙にカーブしているため奥のほうは見えないが、そこにあるらしい光は届き始め、その明るさで充分歩けた。
 洞窟に入ってほんの数分。
「おっちゃん! 来ただよ! 」
 コメコが駆け出す。
 今の硫黄の位置からは見えないが、カーブの先に「スライムのおっちゃん」がいるのだろう。
「今日はな、おっちゃんにお願いさあって来ただ」
 親しげに話し掛けるコメコの声が聞こえる。
 カーブを、曲がる、というほどではなく通過すると、開けた場所。これまで進んで来た洞窟と同じ壁に囲われているが天井も高く、いや、そこそこの高さまである壁の上に天井は無く、そこから光が降り注いでいた。
 光の注ぐ先、洞窟の最奥に、光を受けてパールのように優しく白く輝く丸みのあるゼリー状の物体。
 その手前に立ち頻りに話すコメコの声に合わせて表面がプルプル震動する以外は全く動かない、あれが、スライムのおっちゃんなのだろうか?
 大きい。手前にいるコメコを基準にすると、高さはコメコ2人分。縦10人×横10人=100人分。つまり200人分といったところだ。
 硫黄とクルミがその場に来たことを目の端で認めたようで、コメコは振り返り、まずはゼリー状の物体に向けて、
「おっちゃん、この2人がエスリン姉ちゃんとクルミ姉ちゃんだ」
続けて硫黄とクルミ向けに、
「姉ちゃんたち、これがスライムのおっちゃん」
 やはり、ゼリー状の物体がスライムのおっちゃんだった。
 紹介されたのを受けて前へ出ようとする硫黄。
 それを、
(っ? )
 クルミがいきなり、隣から硫黄の胸の前へと腕を突き出し、止めた。
「クルミさん……? 」
「…記憶違いでは、ありませんでした……」
 いつになく低く呟くクルミ。
「あれは、アモーバです」
(アモーバっ? ……って、魔物が凶暴化する原因のっ? オレが人間の世界へ帰るために倒すか封印するかしないといけない、あのアモーバっ? )
「一旦、出ましょう」
 言って、クルミは踵を返す。
 急な展開に動揺する硫黄。クルミの声に微かな震えがあるのを聞き取り、努めて冷静にあろうとしているのだと知って逆に頼みに感じ、ただ従う。
「姉ちゃんたちっ? どうしただかっ? 」
 洞窟を戻ろうとする硫黄とクルミの背後から、コメコが驚いたように声を掛けた。
 その時、
「待って下さい。クルミ……」
どこからともなく、女性の優しい声。
 一瞬、金色の光がキラキラと横切り、視界を奪う。
「クルミ……」
 再び、女性の優しい声。
 視界が戻った時、硫黄たちの前に、ギリシャ神話の神を思わせる衣装を纏った金色ソバージュヘアで色白長身の美しい女性が立っていた。
 モンブラン神殿の女神・マロンだ。
(…マロン、様……? )
 

ママのパンケーキが食べたいので、私、もとの世界へ帰ります!(23)


(…マロン様……。本物……?
 …って、まあ、今さら、あのアイスって奴が、またマロン様の格好でオレたちの前に出て来る意味が分からないけど……)
 硫黄の心の声が聞こえでもしたかのように、マロン、
「はい、本物です。神殿で、私の姿をしたアイスにお会いしたのでしょう? 」
言って、ニッコリ笑った。
 簡単に信じた硫黄の隣で、クルミは警戒している様子。
 無理もない。偽物と見抜けないまま、どのくらいの期間か、マロンを装ったアイスと過ごしてしまっていたのだから。
 しかしマロンは余裕な態度。
「クルミ、疑っているの? それなら証拠として、私しか知らないあなたの秘密を言ってみましょうか」
 ふふっとイタズラっぽく笑い、
「あなたのお尻にはハート形の……」
 真っ赤になって叫び、言葉を遮るクルミ。
 一度大きく息を吸って吐き落ち着いて、もうひとつ、全く違った意味を持つと思われる溜息を吐いてから、
「確かに長官ですね。このノリは間違いありません。逆に、何故アイスと入れ替わっていることに気付かなかったのか、今となっては不思議です。思い返せば違和感しか無いのに…‥。
 …何と言うか、真面目で……」
 マロンは笑顔のまま、
「あらー、まるで私が真面目ではないみたい」
 だがクルミには圧のようなものが感じられたのか、ハッと口を押さえ、
「す、すみません! 」
 そこへコメコ、
「姉ちゃんたち、知り合いだっただな? 」
 驚いたふうに口を挿む。
「世の中ってホント狭いだ。
 マロン姉ちゃんが氷づけさなって、あの女の城に捕まってんのを、いつもみてえに嫌がらせに行って偶然見つけて、敵の敵は味方だかんな、運び出して、おっちゃんに溶かしてもらおうと連れて来たら、姉ちゃん、おっちゃんの娘だったしな」
(…へ……っ? )
 単語同士のズレが大きく、一瞬、コメコの言っていることが理解出来なかった硫黄。
 隣でクルミが驚きのあまりか掠れた声で、
「…娘……? 長官が、アモーバの……? 」
 そう呟いたことで整理され、
(マロン様が、アモーバの娘っ? )
やっと理解した。
 マロンは小さく頷き俯いて、時々クルミを窺うように盗み見ながら、ポツリポツリと紡ぐ。
「ごめんなさい。積極的に隠すつもりではなかったし、況してや騙す気など無かったのだけど……。
 もともと妖精の間では父の評判は良くない上に、現在進行形で父のために魔物が凶暴化していたりして世間様にご迷惑をかけてしまっている今、それを知られて嫌われてしまうのが怖くて、普通にしていて知られないのならよいのでは、などと考えてしまって……。
 …クルミ、他の誰でもなく、あなたにだけは嫌われたくなかったので……」
 それをクルミが、
「長官」
低い声で遮った。
 マロンは、ビクッ。
「私が、長官を嫌う……? 長官が、魔物だからですか? 」
 答えを待つように少しだけ間を置き、軽く息を吐いてから、クルミは続ける。
「見くびらないで下さい。長官は長官です。妖精か魔物か人間族か、そんなことで判断しません」
「…クルミ……」
 マロン、涙ぐみながらクルミを抱きしめ、
「ありがとう、クルミ」
 クルミはマロンの背に腕をまわし、宥めるようにポンポンとやってから、
「ですが」
静かに体を離す。
「長官のお父様であるとの理由だけで、お父様を無条件に受け容れることは出来ません。
 私の大切な長官のお父様ですから良い関係でありたいと思っています。
 色々と聞きたいことがございますので、お答えいただけますか? 」
「もちろんです、クルミ」
 マロンが頷いたのに頷き返し、クルミ、先ずはと2つの質問。
・お父様の封印は、いつ解けたのか?
・魔物の凶暴化が、お父様によるものであるとのことは、今し方、長官も仰っていたが、その目的は?
 答えるマロン。要約すると、
・アモーバの封印は、何等かの原因により突然解けたのではなく、時間の経過により徐々に効力が弱まり段階的に解けていった。完全に解けたのは330年前。
・魔物の凶暴化はアモーバの存在自体によるもので、そこに意思は無く、当然、目的など無い。その証拠が、現在のこの姿。存在するだけで魔物に力を与え、与える量に応じて凶暴性も増させてしまうアモーバの能力は、年月を経るごとに強大になっており、この姿は能力を抑えることに集中するためのもの。そうでなければ、マロンのように、妖精や人間族と変わらない、四肢のある本来の姿となって二足歩行で動ける。
 と、硫黄が話についていけたのは、ここまで。
 アモーバが本来は妖精や人間と変わらない姿であることの補足としてマロンが続けた言葉で、再び置いてけぼりを喰らったのだった。
「抑えていても、ご存知のとおりの影響力なので……。私とアイスの幼い頃は、まだ本来の姿で動けていたのですけど……」
「私と、アイス……? 」
 聞き返すクルミに、マロン、
「アイスは、私の双子の妹です」
 頭が全く追いついていかない硫黄。
(…いや、言ってる意味は、もちろん分かるんだけど……)
「…おっちゃん……」
 コメコが地を這うように低く暗い声を発する。
「なら、おっちゃんは、自分の娘を攻撃しろって、オラに頼んだだか……?
 …オラもな、『妖精王物語』は知ってるだよ。姉ちゃんたちの会話で、おっちゃんが物語に出て来るアモーバだって知って、驚いた。そんな有名人だっただな、って…ホント、それだけだけんど……。だってあんな伝承、どうせ国が都合いいようにでっち上げただけだかんな。国なんて税金むしり取るばっかで何もしてくんねえし……。
 けど、おっちゃんは違う。おっちゃんはオラや村の皆を助けてくれた。魔物だけんど、とっても優しいおっちゃんだ。
 なのに、どうして、そんな酷いコト言うだ?
 オラはな、クルミ姉ちゃんとは考え方が逆で、あの女がおっちゃんの娘だって知って、もしかしたら本当は、あの女もいい奴なのかも、って思い始めてるだ。おっちゃんの娘なら悪い奴なワケがないって。
 子供を守るのが親の役目だなんて理想論を言う気は無いだよ。オラだって赤子の時に親から捨てられた身だ。村の皆に言わせれば『村の入口にある日突然舞い降りた天使』『天より授かった、村人全員の大切な子供』だけんど、つまり、そういうことだもんな。皆が優しいから、捨ててもらえてよかったって思ってるけんど。……世の中には、酷い親もいっぱいいるらしいから。
 …おっちゃんも、実は酷い親なんか……? 」
「コメコさんは、アモーバから頼まれてアイスを攻撃していたのですか? 」
 クルミからの問いに、コメコ、
「んだ。最初に村の皆と行った時以外はな。……オラ自身があの女を追い出してえのも本当だけんど。
 村の皆の氷を溶かしてもらった後に、そう頼まれただ。
 あの女は強えからオラじゃチンケな嫌がらせ程度しか出来ねえ、って言ったけんど、それで充分だって。あの女が何か悪いコトをしようと企んでるかも知れねえから、それが出来ないよう邪魔していてほしい、って。オラが時間を稼いでる間に、おっちゃんが、一時的でねぐ永続的に何とかする方法を考えるから、って」
 説明してから、アモーバに向き直る。
「なあ、おっちゃん。なしてオラに、娘を攻撃しろなんて頼んだだ? オラの力じゃ、あの女を殺せはしねえと思うけんど、大怪我くれえは何かの間違いでさせるかもしれねえ。
 そうなっても、よかっただか? 」
 アモーバの白く輝く表面が、一度、プルンと大きく波打った。
「仕方のないことだよ。生み出した責任を取らなけりゃいけないからね。…子に対しても、世の中に対しても……」
 アモーバのほうから聞こえたし、この場にいる中で声を聞いたことの無いのは彼だけなので、彼の声なのだろう。意外と若い。硫黄の同世代より、もう少しだけ落ち着いた感じの、若い男性の声。
「…生み出した、責任……? 」
 コメコは震える声を抑えるよう、一旦俯き、それから、バッと顔を上げてアモーバを見据える。
「間違いだった、って言うだかっ? あの女が生まれたことが間違いだったって……!
 …もしそうなら、オラ、おっちゃんのこと心の底から軽蔑するだよ……! 」
 コメコが言うだけ言うのを待っていたように、彼女の言葉から少し置いて、
「間違いだったなんて、思ってないよ」
 微かに震動する表面が、優しく光を反射する。
「……マロンとアイスは、ボクに愛を教えてくれた。
 封印が完全に解けて程なくして娘たちが生まれて……」
 静かにゆっくりと語るアモーバ。
「ボクは全ての魔物の父と言われているけれど、それは共通祖先的な意味で、本当に子と呼べる存在はマロンとアイスだけなんだ。
 妖精をはじめ他の種族に害ばかり及ぼしてしまう魔物の祖であり望んでいないにもかかわらず力も与え続けてしまうことで、他の魔物たちよりも特別疎まれていたボクは、世界を呪い恨んで壊してしまおうとした。皆の知る『妖精王物語』だね。
 そんな、かつての自分が嘘みたいに、娘たちを得た瞬間、あれだけ呪って恨んだ世界を愛しく思った。幸い封印が解けたことは知られていないし、このままずっと娘たちと静かに暮らしていきたいと願うようになった。
 幼い娘たちと暮らした日々は、失うことが怖くてたまらなくなるくらいに優しい優しい夢だった。
 けれど、存在するだけで周囲を冬にしてしまう能力を持つアイスは、昔のボクと同じに世界を呪って恨んでいるようだった。静かに暮らしていたとは言え、暮らしていく中で全く他者との関わりが無いワケじゃ無くて、もともと気温の低いこの地に在っても、一部の寒さに強い魔物たち以外からはあからさまに嫌われて、寂しかったんだと思うよ……。成長と共にアイスは、若い頃のボクに似た残虐性を垣間見せるようになった。
 アイスと静かな生活を守りたくて、ボクは、アイスが他者を傷つける度に厳しく叱った。…厳しくしすぎてしまったんだろうな……。
310年くらい前、アイスは、ここを出て行ってしまった……」
 消え入るように口を噤んだアモーバ。マロンが引き受ける。
「アイスが出て行った時には既に現在の姿で力を抑えていて動けない父に代わり、私がアイスを捜しに出ました。
 情報を得るため、妖精の中に紛れ、長官の地位に就いて」
 そこまでで一旦、言葉を斬り、申し訳なさげにクルミを見つめた。
「それで……。ごめんなさいね。あなたを欺くようなことになってしまって……」
 クルミは優しい笑みをつくって首を横に振って見せる。
 コメコが、
「おっちゃん」
 両腕をいっぱいに広げてピトッとアモーバにくっついた。
「何も知らねえくせに色々言ってごめんな。
 おっちゃんは、やっぱ、いい奴だ」
 クルミが質問に戻る。
「私が魔物の凶暴化についての調査に出る際と、妖精王を召喚しようとした際に、止めなかったのは何故ですか? 」
「それは、父が死か、あるいは封印を望んでいるからです。父は自分で死ぬことは出来ないですし、現在、精一杯力を抑えていますが、他の方からしていただく封印の状態には程遠いですから」
 答えるマロンは悲しげ。
「私としては、父と共に在りたいのですけど、父が辛そうなので……」
 硫黄は聞いていて胸を締め付けられるのだが、クルミは、どういった心境なのだろう? 小さく息を吐いた上で、淡々と質問を続ける。
「長官の言葉でなければ全く信用の出来ない答えですね。どのみちお父様の命を奪ったり封印したり出来る者などいないと踏んだ上での発言と邪推出来てしまいます。
 その可能性のある者がいたとしても同じことを仰ることが出来るのか、と」
「クランのことですね? クランが実は妖精王・グースの末裔であり全てを託されたと、私には情報の域を出ていませんが……。そこまででアイスに取って変わられてしまったので」
 そこへコメコ、
「クランって、氷づけになってエスリン姉ちゃんのカバンの中にいる赤い髪の姉ちゃんのことだか? 」
 クルミが目を剥いてコメコを振り返った。
 硫黄は溜息。
(…これは、まだ秘密にしておくべきことだったのにな……。ほら、クルミさんも睨んでるよ……)
 マロンは苦笑。
「それ、言ってはダメだったみたいですよ? まだ父のこと信用出来ていないのですから」
「けんど姉ちゃんたち、クラン姉ちゃんの氷さおっちゃんに溶かしてもらうために、ここへ来ただよ? 」
(うん、確かにそうなんだけど……。まさかスライムのおっちゃんがアモーバだなんて思わないから。
 だって、コメコやマロン様や村の人たちはちゃんと溶かしたからって、アモーバを倒したり封印したり出来る可能性のあるクランさん相手には何か変なコトをしないとも限らないし……)
「でも、そうだったのですね……。クランが氷づけに……」
 苦笑を消し、マロンは労わるように、
「クルミがコメコさんに連れられて、ここへ来たのは、そういう事情だったのですね? 」
 渋々といった感じで頷くクルミ。
「それでしたら、先ずは私に試させて下さい。
 私のことは、もう本物と認めて信用してくれているのでしょう?
 私自身もアイスに氷づけにされましたが、完全に不意をつかれてのことでしたので、溶かせるかも知れません」
(…マロン様が溶かせるかも……? )
 硫黄は視線でクルミに問い、頷いたのを受けて、四次元バッグからクランを出した。
 表面のゴツゴツした分厚い氷が、空いた天井からの光をキラキラと反射する。
(クランさん……)
 氷柱花のクランは、凍らされたあの瞬間のまま。
 マロンがクランを氷ごと抱きしめる。
 直後、マロンは金色半透明のゼリー状となり、クランの氷全体をスッポリと包み込んだ。
「長官……。そのお姿……」
(…マロン様がアモーバの娘って、本当…なんだ……)
 半透明の内で、氷がみるみる溶けていくのが見える。
 溶かし終え、もとの人型に戻ってクランから離れたマロン、
「すごい! マロン姉ちゃんも、それ、出来るだな! 」
感心するコメコに、ニッコリと笑んで返した。
 クランは、まるで生まれたてのよう。何となくボーッとしている。
(…クランさん……)
 遠巻きに窺う硫黄。
 降り注ぐ光に目を細め、クラン、確かめるように手のひらをグーパーグーパー。それから、やっと、
「長官、ありがとうございます」
口を開いた。
(クランさん……よかった……! )
 硫黄はホッとする。
 と、クランと目が合った。
 クランは何故かちょっとはにかんだ上目遣いで、小さく笑って見せる。
 ドキッとする硫黄。
(……? か、可愛い……? な、なんか、すごく……)
 ふんわりしてしまっている硫黄の視界の中、クランは、いつもの彼女らしいキリッとした感じを取り戻し、マロンに向き直る。
「氷づけの状態でバッグの中から全てを聞いておりました。驚く限りです」
 マロンは優しい笑みで受け止め、
「無事でよかったです。あなたも、私のことを信用してくれますか? 」
「はい、当然です。氷を溶かして下さいましたし。ただ……」
 チラッとアモーバに目をやるクラン。
 マロン、頷き、
「そうですね。仕方のないことです」
「それより長官、至急、お伝えしなければならないことがございます」
 クランは、急に重々しい口調。
 その、ただ事ではないことを思わせる様子に、硫黄は、ふんわり状態から復活。
「氷づけになっていたために誰にも伝えられなかったのですが、昨晩からSFF内の町や村が見たことの無い魔物に襲われ甚大な被害が出ていると、ラズからテレパシーで連絡がございまして。長官と連絡が取れないと困ってもおりました。
 各地でプレイヤーの方々が応戦して下さっているとのことなのですが……」
(…見たことの無い魔物……? それって、やっぱりアモーバの影響……? )
「父の存在は、現存もしくはかつて実在した魔物に影響を与えるだけです。ラズは魔物に詳しいはずなので、そのラズが見たことの無い、と言っているとなると父ではないでしょう」
 硫黄の心の声が聞こえたかのような、クランに対する返しをしてから、更に続けて、
「具体的には、どのような魔物なのですか? 」
 聞いてみます、と答え、右耳を右手のひらで押さえるクラン。そこから誰かと会話をしているような独り言が始まる。ラズとテレパシーで話しているのだろう。
 ややして右手を下ろし、
「雪や氷で作られた人工物のような魔物だそうです。寒い地方に生息する種限定でもともと現存の認められていた魔物も交ざっているそうですが……。
 それから、明らかに魔物側で、軍服を着た銀の長髪の謎の人物の目撃情報があるそうです」
 アモーバの表面が、これまでに無く大きく、ブルルンと波打った。
「…アイス……」
 アモーバが震える声で呟く。
「…もう、命を奪うしかないのか……」
(…アモーバ……)
 聞いているほうまで切なくなるような、悲しい悲しい声。
 その時、硫黄の視界の上方で、何かが強く光った。 
 見れば、空いた天井から巨大な氷柱が落ちてくるところだった。
(っ! )
 このままでは、位置的にクランとマロンが直撃を受ける。
「危ない! 」
 咄嗟に2人に飛びついて、共に地面に転がる硫黄。
 氷柱は2人の立っていた場所に激突し、衝撃で10分の1ほどの大きさに砕け、それでも殺されなかった勢いで地面に突き刺さった。
 10分の1になっても、人ひとり分くらいの大きさ。
(…こんなのが当たってたら……)
 硫黄は冷や汗。
 また落ちて来やしないかと仰ぐと人影があった。
(……! )
 アイスだった。

ママのパンケーキが食べたいので、私、もとの世界へ帰ります!(24)


 ポッカリと空いている天井の中央、無色透明の薄く小さな足場に立ち、右腕を、掌を上空へ向ける形で上げた格好で、一同を見下ろすアイス。
 硫黄はブローチをステッキに変え、クラン・コメコは抜刀、クルミもマロンを背に庇うようにして身構えた。
 アイス、左手でコメコを指さし、
「そこの腐れナマハゲが我が愛しの親父殿の居処へと入って行くのを目撃した者の報告で来てみれば、随分と面白い話をしているな。
 なあ、親父殿? 」
 答えを待つように、少しの間。コメコを指していた手を自身の胸へと持っていく。
「私の命を、奪うと……?
 しかも、面子もなかなかに面白い。魔物の祖たる親父殿に、魔物でありながら今や我が国の妖精共の世界に於いて重鎮となられた姉上。そして、かつて親父殿を封印した敵であるはずの妖精王・グースの末裔……」
 変わらず右腕は上げたまま、一同を見下ろす角度より更に下を向き、ふふ…ふふふ……と笑い、
「…面白い……。面白いぞ……! 」
呟いた後、バッと顔を上げ、
「面白ついでに、まとめて逝ね! 」
叫びざま、その場から飛び退くと同時に右腕を振り下ろした。
 直後、上空から、
(っ! )
 先程の氷柱の比などではない、硫黄たちの今いる、このスペースの面積よりも底面の大きいと思われる氷塊が降ってきた。
 洞窟の天井へと到達したそれは、やはり、このスペースより大きく、硫黄の位置からでは当然、確認出来ないが、厚みもあるのだろう、重く、そして硬いらしく、洞窟の壁を圧し拉ぐように破壊しながら、一同に迫って来る。
 逃げ場が無い。
「皆さん! ここはどうか、私を信じて父の中へ! 」
 これまでの印象に無い大きな声、素早い動きで、半ば強引に、自分の近くにいたクルミを、クランを、アモーバの中へ押し込むマロン。続いて硫黄の腕を掴む。
 と、硫黄、コメコがひとり、少し離れた所で、こんな大きな氷塊を斬れるつもりでいるのか、氷塊を睨んで剣を構え微動だにしないでいることに気付き、
「コメコ! 」
声を上げた。
 その声に、マロンは硫黄の腕を掴んでいる手とは反対の手を、体は全く移動せずゴムのようにビヨーンとコメコに向かって伸ばし、腰に巻きつけて引き寄せる。
(へ……っ? スゴイ! 便利! )
 硫黄は感心。
 その間に、硫黄・コメコ共々、アモーバの中へと飛び込むマロン。
 アモーバの体内はジェル状のもので満たされており、圧迫感はあるが纏わりつく感じではないためか不思議と不快ではなく、むしろ心地良く、呼吸も普通に出来て視界もクリア。
 クリアな視界にアモーバの外の状況が映る。間一髪だった。
 硫黄・マロン・コメコが飛び込んだ瞬間、氷塊の底面が硫黄の頭の高さを通過。アモーバ以外の全てを砕いて地面へ達したのが見えたのだった。
 地面にぶつかっても割れなかった氷塊は、思っていたとおり厚くアモーバの体半分の高さがあり、アモーバに触れた部分だけが溶けて穴が開いた状態。
 埋まっている部分の周囲は氷に邪魔されて何も見えないが、見上げれば、大きく拡がった天井の中央へと戻って来たアイスが、こちらを見下ろしている。
 目を見開き強張った表情。口元だけでククッと笑うと、右腕を勢いよく上から斜め下へと振った。
 前の2回の攻撃時と比べるとだいぶ小さい、アイスの腕と同じくらいの大きさの氷柱が出現。こちらへ飛んで来た。
 しかし、アモーバからは逸れ、前の攻撃の氷より硬かったのだろう、砕けずに突き刺さる。
 笑いながら連続して左右の腕を振っては繰り出される氷柱。狙いが定まらないのか、そもそも狙っていないのか、その殆どが周囲の氷に刺さり、やがて砕いた。
 アイスは止まらない。初めは小さかった笑い声も次第に大きくなり、もはや高笑い。
 狂ったような笑いと共に続く猛攻。アモーバに効いている様子は無い。
 アモーバの中で難を逃れ、ただ成り行きを見守るしか出来ない硫黄・マロン・クルミ・コメコ。
 クランだけが、他の皆に背を向け右手を右耳に、
「私よ」
ラズへの状況説明のため動いている。
 ラズからの報告の中にあった「銀髪の人物」でほぼ間違いない者からの攻撃を受けていること。アモーバに庇われ無事でいること。その人物がアモーバの実の娘でありマロンの妹であること。現在地の説明。
「…ええ……。……ええ、ありがとう。そうしてもらえると助かるけれど、他が手薄になっても困るから、無理はしないでね。…ええ……。じゃあ、また……」
 右手を下ろし、マロンを振り返るクラン。
「ラズが、可能であれば援軍を寄越してくれるそうです。あまり期待は出来ませんが……」
 マロン、頷き、
「そうですか。こちらはこちらで何とかするしかないようですね。
 父を数に入れることは出来ませんが、それでも幸い、状況的には不利とは言え、戦闘力的にはアイスひとりより私たちの合計のほうが上のはずですので、何か考えましょう」
(何か……。不利な状況を変える、何か……。…不利な原因は、場所が狭い上にアイスに見下ろされる形になってることで、どちらか一方が解消されればいいんだけど……)
 そこへ、
「アイス! 」
天井のほうから、アイスを呼ぶ少女の声。
(…燐……)
 一昨日アイスの城で見かけた時と同じ和服に身を包んだ、ぴいたんが、天井の縁、アイスの斜め後ろの位置に立っていた。
「アイス! 」
 もう一度、名を呼ぶぴいたん。アイスは攻撃の手を休めて振り返った。
 瞬間、
(っ? )
 ぴいたんは天井の縁を蹴り、届くはずもないアイスに向かって跳んだ。
(燐っ! )
 案の定、2メートルも跳べずに垂直に落下していくぴいたん。
 受け止めるべく、硫黄はアモーバの中から飛び出すが、先にアイスが落下予測地点へ回り込み、受け止める。
 ぴいたんの髪を一度呼吸してから、そっと地面へ下ろし、
「なんて無茶なことを……」
大きく息を吐きつつ独り言のように叱るアイス。
 それを、
「どうして、大好きなお父さんを攻撃するの? アイス、私に話してくれたよね? お父さんのことが大好きだって」
逆に叱るぴいたん。
 アイスは一瞬だけ完全に動きを停止。驚いた様子で、
「…確かに話した……。…しかし何故……? 聞こえてなどないはず……。それ以前に、このように普通に動き普通に言葉を発するなど……。
 君は、催眠にかかっているはず……」
(催眠っ? )
 そんな手を使って? 気持ちを無視して? ……卑怯な! と怒りを覚える硫黄。
 ぴいたんはアイスの視線を避けるように俯いて、少し間を置き、言い辛そうに、
「…初めから、催眠にかかってなんていなかったの……。ただ、操られてるフリをしてたほうが、アイスに堂々と甘えられると思って……。
 …ごめんなさい……」
(…かかってなかったのに、どうして、そんな……)
 硫黄には全くワケが分からない。
 アイスも同じだったらしい。催眠術にかかっていなかった、と質問の答えにはなっているものの、余計に驚きの度合いを増した表情で、信じられない、といったように首を小さくゆっくりと横に振りながら声を掠れさせ、
「…怖くは、なかったのか……? いきなり攫われて、操られそうにまでなって……」
 ぴいたんは顔を上げてアイスを見つめ、静かに笑む。
「怖くなんてないよ? だって、アイスの心は冬の朝の澄みきった空気の中にある景色みたいで、ハッキリと目に見えるから。私に、ただ傍にいてほしいだけだって、本当にそれだけだって、分かるから。嘘に気づけなくて恥ずかしい思いをすることもないから」
(…「恥ずかしい」……)
 ぴいたんの発した、たったひとつの単語が、硫黄に刺さった。やっぱりか、と。自分のせいだったのだと。
(…そうだ、結果的にでも燐の気持ちを無視してたのはオレのほうだ……。超特大ブーメランだったな……)
「今だって、私が操られてるフリをしてたんだって知っても怒ってないことが、ちゃんと分かるし……。
 操ってると思い込んでたから、私は人形と同じだったんだろうけど、本当の気持ちを話してもらえて嬉しかった。嘘偽りの無い心で優しく抱きしめられて、私ね、アイスの冷たい温もりを好きになったの」
 そこまでで一旦、ぴいたんは言葉を切り、笑みを消して、アイスの目の更に奥の奥のほうを見つめる。
「だから、これ以上アイスに傷ついてほしくなくて……。…私が操られてないって知ったら、今までみたいに本当の気持ちで接してくれなくなるんじゃないかって思うと怖かったけど、そんなことより……。
 大好きなお父さんが敵のはずの人たちと一緒になって自分の命を奪おうなんて考えてるって知って、裏切られたみたいで辛かったよね? でもね、それが辛いのは、アイスがお父さんのこと、やっぱり好きだからだよ? 
 お父さんが不便な姿で苦痛に耐えながらしか生きられない世界なんて間違ってる。だから自分が、この世界を壊してやるんだ、って。そのために家出もして……。お父さんの傍にいると、そんなの、お父さんが全力で止めるに決まってるから、って。
 全部がお父さんから始まって、お父さんでいっぱいなのに……。
 ねえ、これ以上、自分を追いつめないで……。傷つかないで……。…もう、やめ……」
 アイスは感極まったふう、ガバッと勢いよく強く強く抱きしめることで、ぴいたんの言葉を遮り、髪に頬を埋めて、
「…わかった。そうしよう……。…すまない。本当に、すまなかった……。
 ……ありがとう」
涙声。
(…燐……。目の前にいるのに……)
 そう、ぴいたんは実際には、ほんの2・3歩、歩いて腕を伸ばせば届く距離にいるのだが、硫黄には、
(たった何日かの間に、随分遠くに行っちゃったんだな……)
何故か果てしなく遠くに感じられ、立ち尽くした。
 置いてけぼりをくったような単純な寂しさに、アイスに対しての謎の敗北感と少しの嫉妬。……そんなものが、生温かい風と共にぬるりと心を吹き抜けていく。
 倦怠感、脱力感……。そっとしておいてほしい気持ちになっていた。
 が、
「おっちゃん! 今の話、聞いただかっ? 」
 コメコの、自分が中にいるために姿の見えない相手に話すべく張り上げた、よく通る声が、硫黄に話しかけているワケでもないのに問答無用で耳から入って来て頭の中を掻きまわす。
「あの女……おっちゃんの娘のアイス姉ちゃんが町や村を襲ったのは、おっちゃんを自由にしてやりたかったからだっただ! やっぱり、おっちゃんの娘だな! 優しいだなっ! 
 家出したのも、おっちゃんが厳しくしたから嫌になったとかでねぐて、ちゃんと、そこに愛を感じてただ!
 おっちゃんの言ってた『幼い娘たちと暮らした優しい夢』って毎日は、アイス姉ちゃんにとっても、きっと、宝物だっただ! 」
 苛立ちを感じるも、それが間違いであると分かっているため、軽く息を吐いて散らす硫黄。
 そこへ、
「ちょっとだけ、いいかな? 」
アモーバの声。
 条件反射で目をやれば、アモーバの体が、中にいた皆をその場に残し、上に向かって細長い形に伸びていくところだった。
 伸びていきながら人のような形に変わっていき、3階建て住宅くらい……10メートルほどの高さまで伸びて止まった時には、完全な人型。白の短髪、石膏像のような白くなめらかな肌にシンプルな白いカットソーとパンツを身に着けた、マロンやアイスによく似た顔立ち、外見年齢30歳くらい、男性の体格をした姿となった。
 直後、その巨体は形を変えないままスッと縮み、マロン・アイスより少し大きいだけに。
 裸足でヒタヒタとアイスのほうへ歩いて行くアモーバ。
 アモーバが自分のほうへ来ていることに気づいたアイスは、ぴいたんを離し、自分の後ろに隠す。
 アモーバはアイスの正面で足を止めた。
 対峙する2人。空気がピンと緊張する。
 暫しの後、バチィーンッ!
 洞窟内に派手な音を響き渡らせて、アモーバがアイスの頬を張った。
 地面に叩き落されたように倒れるアイス。
 首から上がもげてしまいそうなくらいに強烈なビンタに、
(…うわ……。痛い……)
硫黄は、それまでぴいたんに関連してアイスに対して抱いていたモヤッとした気持ちをすっかり忘れ、見ていられず目を背ける。
 背けた先でぴいたんが動いたのにつられ、結果的にすぐ戻すことになったが……。
 ぴいたんが両腕を大きく広げて、アイスを背に庇う形でアモーバとの間に割り込んだのだ。
(燐……! 何をやって……! )
 慌てて、足を踏み出す硫黄。
(危険だと思ったから、アイスは後ろにやったワケで……! それをワザワザ……! )
 やはり怖いのだろう、アモーバを真っ直ぐに見据えるぴいたんは、震えている。
 硫黄がぴいたんの所へ行くより、またアイスのほうが早く、立ち上がり、ぴいたんの両肩にそっと手を添えて、アモーバの前から退かした。
 アモーバに向き直るアイス。
「父さん。覚悟は出来てる。殺してくれ。
 子供の頃にそうだったように殺した数だけ殴られたら普通に死ぬくらい、それでも釣りがくるくらい、この1日で、私は多くを殺した。
 結局中途半端に終わることになるが世界を壊すと決めて、ここを出て行った時には、既に済ませていた覚悟だ。
 もとより、生まれてなどこないほうがよかった命だろうし」
 そして、ぴいたんに視線を移し、引き寄せて、身を屈め額にキスをしてから、穏やかに目を覗き、
「君は、君のいるべき所へお帰り。
 知っているよ。妖精王の末裔の仲間の魔法少女。彼女は君の姉さんだね? 」
言って、
「さあ、お行き」
硫黄のほうへと、優しく背を押す。
「嫌だ……! 」
 ぴいたんは足を踏ん張って抵抗。
「アイス、死なないで……! 」
 頭だけでアイスを振り返りながら、
「家族のとこへ帰れって、アイスが本心からそう言うなら、それは、そうするけど……。死んじゃ、嫌だ……! 」
 と、ぴいたんは自ら押されるままの方向へと1歩進み、アイスの手を外しざま体の向きを変え、追って伸ばされた手もかわして、再びアモーバの前へ。
「おじさん! 」
 正面から取り縋り、
「お願いです! アイスを殺さないで下さい! それがダメなら、私も一緒に殺して下さい! 」
(燐っ? )
「アイスのしようとしていることを知っていて止めなかった私も、同罪ですから! 」
 無言で徐にアモーバが動く。
(……! )
 止めるべく動こうとした硫黄だったが、アモーバは、ぴいたんに一切の危害を加えることなく、ただ押し退け、アイスへと両の腕を伸ばし、静かに、恐る恐るともとれるくらい遠慮がちに、抱きしめた。
 瞠目するアイス。
 アモーバ、
「生まれてこないほうがよかった命だなんて、思ったこと無いよ。
 ……生まれてきてくれて、良かった」
 沈黙が流れる。
 ややして、アイスは目を伏せ、アモーバの肩に頭を預けて、
「…それ、ずっと聞きたかった……」
 小さな小さな声。
 アモーバは誠実に聞き取ってから、
「…うん……。ゴメン……。勇気が無かった…‥。
 この世界を、自分の命さえも呪って恨んでいるように見えるキミに、生み出した張本人であるボクがそれを言って、生み出されて迷惑していると言われてしまうのが怖くて……。言えなかった……」
両腕に力を込めて、しっかりと包み、ひと言ひと言、丁寧に紡いでいく。
「だけど今、家族以外にもキミを愛してくれている人がいるのを知って、キミもその人のことを愛してるんだって確認出来て、やっと言えたよ。
…生まれてきてくれて、ありがとう……」  


ママのパンケーキが食べたいので、私、もとの世界へ帰ります!(25)


 抱擁を緩め、アモーバは優しく笑んでアイスを見つめる。
「キミの気持ちは、ちゃんと受け取ったよ。気持ちだけで充分すぎるくらい嬉しいから、各地で続いてる攻撃をやめさせてくれるかい? 」
 アイスは無言で頷き、アモーバから離れて、無色透明の薄く小さな足場をつくっては、もともとよりも広くなった天井へと向かい、そこから更に上へ上へと上っていく。
 見守りながら、アモーバ、同じくアイスを見上げているぴいたんの隣に立ち、
「アナタには、色々と心配をかけてしまったみたいだね。これからも、懲りずに娘のこと頼めるかな? 」
 視線はアイスのまま、はい、と答えたぴいたんの横顔は、満ち足りていて、硫黄の心を、再び生温かい風が吹き抜けた。
(花嫁の父って、きっと、こういう気分なんだろうな……。分かんないけど……)
 紛らすべく、他の皆を形ばかり真似て上空を仰ぐ。
 天井より20メートルほど上で足を止めたアイスは、SFFの方向を向き、両腕を大きく広げた。
 傾き赤く染まった日の光を受けて輝く粒子が、風に乗って飛んでいく。
(…キレイ……)
 粒子に見惚れる硫黄。
 と、アイスが抜刀しつつ、凄い勢いで下りてきた。
 目で追いきれず、先に、ガキンッ! と金属同士のぶつかる音。
 音のしたアモーバの背後、クランとアイスが剣を合わせ、押し合っている。
(な、何っ? )
 全く状況の掴めない硫黄。
 暫し押し合った後、アイスが押し負けて後方へよろけたのを、マロンが咄嗟に、先程コメコにしたように手を伸ばし、支えた。
 駆け寄り、心配げに覗き込むぴいたん。
 大丈夫、といったようにアイスは手のひらを見せ、ぴいたんを退がらせつつ体勢を立て直す。
 アモーバを庇う形で立つアイスの隣に、コメコも並び、剣を構えた。
「…アモーバよ……」
 クランの口から出た声は低い。
(…クランさん……? )
 様子がおかしい。遠くを見ているというより何も見えていないようにさえ見える目……これは以前に2回あった。
(でも、剣に操られるのは克服して、その後は普通に使ってたのに……。…声も、おかしかったか……)
 どこかで聞いた声だった。太く重みのある、地鳴りのように響く声。
(…グース……? 剣じゃなくて、今度はグース本人に操られてる……? )
 クランは剣でアモーバを指し、
「貴様なぞが幸せに笑うなど許されない。多くの命を奪っておいて、罪の意識は無いのか?
 封印では手緩い! 果てるがよい! 」
「…うん、いいよ……」
 言いながら、アモーバはアイスとコメコの間を通り、
「さあ、殺ってくれ」
静かにクランを見る。
「父さん! 」
「おっちゃんっ! 」
 声を上げるアイスとコメコ。
 耐えるように唇を噛み俯くマロン。その肩をそっと抱くクルミ。
 クランはアモーバからクッと顔を背け、
「…に、……なあ……」
 何かを呟いたが、低すぎて聞き取れない。
「気に、いらねえなあ……」
 繰り返すクラン。
「気に……」
 顔の向きをアモーバへと戻し、
「いらねえなあっ! 」
叫びざま、270度ほどの弧を描きアモーバの頭頂スレスレの高さで剣を振り抜いた。
 ややして、…パラ……。
 パラパラパラ……。
 何処からともなく微かで断続的な音。
(……? )
 ぴいたんが右腕を上げ、
「プロテクティブドーム! 」
クランも含めたドームを作る。
 直後、ドドドドドドドドドドドドドドッ!
 アモーバ側に立つ一同の背後を中心に壁の2メートルより上の部分がいっきに崩壊した。
 微かな音は、この前兆だったのだ。
(…クランさんの空振りのせい……? )
 周囲を見回す硫黄。
 一同の背面などは、山の向こうに見えるはずの風景が見えている。左右は、これまでほぼ垂直でしっかり固かったのが崖崩れ状態。軟らかい土が剥き出しの不安定な斜面となった。ちょっとのことで再び崩れてきそうだ。
(タイミング的に、そうだよな……。剣は壁に全然届いてなかったけど、コメコの「かまいたち」みたいなものか……)
 崩壊が一旦治まり、様子を見るように少しだけ時間を置いてから、ぴいたんはドームを解く。
 ドームの外の地面は土砂で埋まっていたが、幸い背面の開いた部分から多く流れ出ていったらしく、崩れた土砂の量の割には浅くて、硫黄の腰くらいまで。ドームを解いた瞬間に、少しだけ、ドームの範囲内に崩れてきた。
 クラン、他の一同に背を向け、ドームだった範囲内から1歩出て土砂の積もった足場の悪いところへと登って振り返り、変わらず視線は何処を向いているか分からないが一同を見下ろす形をとって、再度アモーバを剣で指す。
「貴様と同じく多くの命を奪った娘に、卑しい魔物の分際で妖精を騙った娘は勿論、貴様なんぞを惜しむ者共は妖精・人間族問わず同罪。共に果てよ」
 言って、剣を片手で高々と空へ突き上げ、
「グラウンドビッグウェーブ!」
 剣が赤い稲妻を纏う。
 それをクルッと逆手に持ちかえ勢いよく足下の軟らかい土へ。切っ先が触れる寸前で止めると、一同を囲う土がクランだけを避けて彼女の身長の5倍ほどの高さまで上がった。
 舞い上がったというよりは、重量感を保ったまま生き物のように、しなやかに。
「待ってくれ! 」
 アモーバが叫ぶ。
「ボクひとりでいいだろうっ? 妖精や人間族の子たちは全く関係無いし、娘たちの罪だって、全てはボクのために負ったものだ! ボクさえいなければ存在しなかった罪だ! 」
 クランに聞き入れる様子は無い。
 生き物のような土が、荒波が如く一同に被さってきた。
「プロテクティブドーム! 」
「プロテクティブドーム! 」
 ぴいたんとクルミが、ほぼ同時に唱え、2重のドームが出来る。
「無駄だ」
 鼻で笑うクラン。
 ドームに土が達した。
 ピシッとヒビが入り、消えてしまうドーム。
 アモーバが、
「ゴメン、キミのお友達みたいだけど」
マロンに対して早口で断りを入れ、
「皆、耳を塞いでいて」
やはり早口で、今度はその場の一同に言う。
 早口に押し流されるようにして、特に自分の考えを挿むことなく耳を塞ぐ硫黄。
 一同が耳を塞いだことを目視、確認したようにアモーバは頷き、胸を左手で押さえて、
「アアアアアアアアァァァァァァァァ」
声を発する。
 しっかり耳を塞いでも聞こえる、高くよく通る大きな声。
 周囲の空気がビンビン震える。土の波の進攻が止まった。
 クランは苦痛を感じているらしく顔を歪めるも、姿勢は保ち、技を継続させる。
 土は暫し、見えない何者かと戦うように、一旦引いて、また寄せてを繰り返したり、頂点を大きく膨らませたりしていたが、やがて、ドサッ。ただの土に返って重力のまま落ちる。
 同時、クランは自分は抱きしめるようにして蹲った。
(クランさんっ! )
 アモーバが声を止めた。
 塞いでいても聞こえていたため、すぐに気づいて耳から手を放す一同。
 そこへ、
「攻撃を続けて下さい……っ! 」
 クランが苦しげに、しかし鋭く叫ぶ。
(…声……。今、いつものクランさんの声だった……)
 アモーバは頷き、一同に、
「耳を」
言ってから、再び発声。
 強く強く、自分を抱きしめ身悶えするクラン。
(…そうか、クランさんは自分の中のグースと戦ってるんだ……。前に剣と戦った時みたいに……)
 と、クランが顔を上げた。縋るように硫黄を見つめ、喘ぐように口を開く。
 当然、何を言っているか分からないが、クランが自分に助けを求めているのを感じ、歩み寄る硫黄。
 周りの一同が驚いた様子なのが目の端に映ったため、振り返り、大丈夫と頷いて見せてから。
 本当に、大丈夫な気がしていた。
(…大丈夫じゃなくても、オレもクランさんと一緒に戦いたい……! )
 そう、無事という意味での大丈夫ではなく、覚悟の意味での大丈夫。
 クランの前で地面に膝をつき、顔を覗くと、クランは、硫黄の顔のほうへ、ゆっくりと両手を伸ばし、耳を押さえている手の上に被せるように触れ、
「聞こえますか? 」
 クランの声が聞こえたが、口は動いていない。
(…これって、テレパシー……っ? )
「よかった……聞こえているのですね? 」
(っ? オレが心の中で言ったことも聞こえるのっ? )
 もしかして今までも……? と心配になる硫黄。これまでに心の中で何か変なコトを言ったりしなかったか、と。
「ご心配には及びません。今だけです」
 硫黄は、ホッ。
「耳か、あるいは耳に接しているものに触れる必要がありますので」
 そうなんだ、と、一旦納得。しかし、あれ? と思う。
(でも、ラズさんとの時は? )
 耳には触れているが相手の耳ではなく自分の耳。そもそも相手がその場にいない。硫黄の心配の部分とは無関係だが口を動かし声に出して話している点も違う。
「相手の耳への接触は、テレパシーを使う者同士での交信なのか、そうでないかの違いです。自身の耳に触れるのは私の癖で、意味はありません。
 声に出すのは、その場にいらっしゃる他の方へ向けた、通信中であるとのアピールです。黙り込んでいて感じ悪いとか、何も無いのに笑っていて気持ち悪いなど、思われたくないので」
 なるほど、と、硫黄は今度こそ納得。
 クランは続ける。
「お気付きかと思いますが、今、私の中には妖精王がおります。アモーバからの攻撃もあり、何とか抑えることが出来ていますが、たった今まで、私は妖精王の霊に操られていたのです。
 妖精王……。このお方……いえ、この者は、もはや恨みにまみれた悪霊です。この身に宿し、そう確信いたしました。
 すぐにでも再び乗っ取られてもおかしくない状況でもありますので、この者を、一刻も早く体内から追い出したいのです。ご協力願えますか? 」
 ああ、自分に助けを求めていると感じたのは気のせいではなかったのだな、と、
(どうすればいいの? )
「死なない程度に衝撃を与えて下さい」
(死なない程度……。…でも、既に受け続けてるアモーバの攻撃だって、きっと、中にグースがいるから無事なだけで……)
「追い出した瞬間に耳さえ塞げばよいので問題ありません。
 このアモーバの攻撃に加え、別の方向からの衝撃が加われば、追い出せるように思うのです。
 例えば、何か入れ物に入った物を取り出す際に、引っ張るだけではダメでも、同時に横に揺らすと取り出せたりするでしょう? 」
(んー……いまひとつイメージが湧かないけど……)
 これまでは、きちんと伝えるために努めて落ち着いた調子で話していたのだろう、
「とにかくお願いします! 抑えているのも、もう限界近いです! 」
最後は切羽詰まった様子で脳内に叫ぶクラン。
 圧されて頷く硫黄。しかし、
(…クランさんを攻撃なんて……)
 抵抗感しか無い。過去2回、クランに襲われた時も、硫黄は防戦一方だった。
(オレの攻撃方法は威力の加減なんて出来ないし、そうじゃなくて素手で殴ったりとかなら確実に威力は弱いだろうけど、そんな、自分が攻撃してる実感が強すぎる方法なんて、もっと無理……)
 と、そこまでで、硫黄はあることに気がついた。
(…そうだ! 与えるのは「衝撃」なんだ……! グースに操られるとか、もともと物理より精神の話だろうし、衝撃を与えるのは心でも……いや、むしろ、そっちのほうが効果的かも……! )
 自分の考えに力を得、すぐに実行に移そうとする硫黄。
(…なんか、ぶん殴られそうだけど……)
 一瞬、躊躇するも、
(いやいや、それってつまり、確実に衝撃を与えられるって、ちゃんと自信を持ててるってことだから……! )
 頑張って自分を励まし、実行。
 具体的な方法などは頭を過ぎった程度で、おそらくクランに伝わっていないが、知らされないまま突然のほうが、より効果的と考え、そのまま。
(さよなら、オレのファーストキス! 相手がクランさんなら本望だっ! )
 鼻と鼻がぶつからないよう顔を傾け、クランの唇に唇を重ねた。
 やわらかくて、でも弾力のある、えもいわれぬ甘やかな、初めての感触。
 自分からしておきながら、ドキッとする硫黄。時が止まった錯覚を起こした。
 クランが、カッと目を見開き、硫黄の手の上から自分の手を引く。
 錯覚から引き戻され、
(殴られる……っ! )
硫黄は固まったが、クランの手がしたのは、両耳を塞ぐことだった。
 直後、クランの頭頂から、蒸気のようなものが勢いよく大量に噴き出し、空中に、王都フィナンシェに現れた時と同じく巨大な、グースを形づくった。
                                                                                                                                            


ママのパンケーキが食べたいので、私、もとの世界へ帰ります!(26)

 
 アモーバの声が止んだため、硫黄は耳から手を外す。
 突然、ガッと腹に何かが巻きつき、直後、強い力で引っ張られた。
 マロンの伸ばした腕によって、他の皆の所へと連れ戻されたのだった。クランも同時同様に。
 クランは先ずマロンを見、硫黄を見、それから順にその場の全員に視線を送りながら、
「すみません、ご迷惑をおかけ致しました。皆さん、ご無事でしょうか? 」
 マロンが微笑み頷いて返す。
「ええ、皆、何ともありません。あなたが悪いワケではないのだから、気にしてはいけませんよ」
 ありがとうございます、と返し、クランは続けた。 
「あの者……グースは、子孫の私が言うのもなんですが、英雄などではありません。かつての戦いの時には、どのようだったかは分かりませんが、今、この身に宿し感じたグースの感情は、悪を憎む正義漢のそれではなく、何か、個人的な強い恨みに支配されているようでした」
「…個人的な…ですか……」
 考えを巡らせている様子で呟いて、マロン、アモーバに、
「お父さん、何か心当たりはありますか? 」
 俯き、んー……と、一生懸命思い出そうとしているふうのアモーバ。何か思い出したらしく、あ、と声を漏らし、
「…ひとつだけ……。でも、そのくらいのことで……? それに、その延長線上のことで、恨みを持つのは、むしろボクのほう……」
独り言のように呟いてから、
「昔、例の妖精王物語の少し前なんだけど、皆から嫌われていたボクに、ひとりだけ、優しくしてくれてた妖精の女性がいて、彼女……サクラっていうんだけど」
(…サクラ……? )
 硫黄はコメコに目をやる。
(確か、コメコの首の小瓶の中にいる友達もサクラだったよな……)
「うん。コメコちゃんといつも一緒にいる彼女が、そうだよ」
 えっ? と驚くコメコ。
「だって、おっちゃん、そんなこと一言も言ってなかっただよ? 」
「ん、言うほどのことじゃないと思って。…あと、優しくしてもらったのに弱ってるのを何もしてあげれなくて、だから言えなかったっていうのもある……そっちのほうが大きいかな……?
 しかも、本当に何も出来ないワケじゃなかったから余計に……。…板挟みっていうか……分かるよね? 」
(分かる。娘との板挟み。……反応が怖くて言えない言葉があったり、何かフツーだな。アモーバ……)
 親近感を持つ硫黄。
 しかし、
「サクラはグースの奥さんだったんだけど」
(は? )
「ボクに優しくするのがグースには気に入らなかったみたいで暴力振るわれて、それでもグースの所へ帰ろうとするから『そんな男のとこへ帰るな』って引き止めて、一緒に暮らすようになったんだ。
 あの戦いの発端は『他の生物たちを蹂躙する凶悪にして強大な力を持つ生物どもの親玉を討つ』って大義名分を掲げてサクラを連れ戻しに来たことだったから、もしかしたら、それかな? ……って」
(それだよ! )
 硫黄は頭を抱え、溜息を吐く。
(それが『そのくらいのこと』って、やっぱ、イケメンにはブ男の気持ちは分からないんだな……)
 と、フツー、との前言を撤回しようとした。
 そこへ、
「恨む理由が本当にそれなら、ちっちぇーだな、グース。子孫であるクラン姉ちゃんには悪いけんど」
コメコが怒った調子で口を開く。
「自分の大切な人が皆から嫌われているような人物に対して優しいのは誇るべきことなのに、暴力振るって。
 失くしたくないなら、ちゃんと大切にすればいいだ。頭悪いんか? 逆恨みもいいとこだ。
 それに、連れ戻しに来るにも、本来の目的を前面に出さねえで『凶悪な生物の親玉を討つ』とか、体裁気にしたんかな? ……まあ、『自分が暴力振るったせいで他の男に妻を取られました。連れ戻しに行きたいです』じゃあ、誰も協力なんてしてくんねえだろうけんど」
(…そう、だよな……)
 コメコの言うことは、過剰な反応が気になる部分も多いが、いつも正しい。グースの気持ちを分からなくもないと思ってしまった自分を、硫黄は恥じた。
「そんなんじゃ、グースより、おっちゃんのほうが良ぐで当然だな。なあ? サクラ? 」
 言って、目を伏せ、サクラの小瓶のある辺りに、服の上から、そっと手を置くコメコ。
「サクラは、オラと知り合う前に、色々と大変な思いをしてきただな。全然知らなかっただよ。ごめんな……」
 コメコの手の下が、ぼんやり桜色に光る。
 クランが、ハアーッと大きな大きな溜息を吐いた。
「恨みの理由は、恐らくそれで間違いないでしょう。グースが体内にいる間に伝わってきたイメージのようなものと合致します」
 そして俯き、もうひとつ、今度は長い長い溜息と共に、
「逆恨みとは……。我が先祖ながら本当に情けない……」
言い終えて顔を上げ、
「皆さん、移動しましょう。霊体のため直接攻撃をすることは出来ませんが、たった今、私にしたように、再びどなたかに憑依されては厄介です。移動したところで逃げられるものなのかも分かりませんが……」
 頷く一同。
(でも、どうやって……? 皆はテレポでいいけど、オレとぴいたんは……。普通に走っても、一瞬で追いつかれそうだし……)
 これまでテレポを避けてきた理由も添え、硫黄がそう言うと、マロン、ニッコリ笑って、
「私、遠投は得意です」
(……? …ちょっと何言ってるか分からない……。
 オレとぴいたんを、ぶん投げて遠くへ飛ばすってこと? ゴムみたいによく伸びる、その腕なら、確かに得意そうだなって思うけど、さすがに、それと比べたら、まだテレポのほうが安全な気が……)
 クルミが真面目に提案する。
「私のドームで保護してはいかがでしょうか? 」
(ああ、ここへ来る途中でマンモスに飛ばされた時と同じ状態ってことか……)
 それを聞いたコメコ、興奮気味に、
「なら、オラも、そっちがいいだ! 」
(遊園地のアトラクションじゃねーんだよ……)
 その時、既に日が落ちているため薄っすらとだが、頭上に影が差したのを感じ、仰ぐ。
 翼の生えた白馬の腹と荷車の底裏。
(…あれは……)
 ソルトのウインドライドで飛ばしたアレクサンドラ号と、アレクサンドラ号に繋がれた荷車だ。
 空を大きく旋回しながら少しずつ高度を下げ、やがて、崩れた背面の向こうへ降り立つ。
 アレクサンドラ号の背にはソルトとラズ。荷車には、見覚えのあるランキング上位のプレイヤーばかり6名が乗っていた。
 そこから荷車を切り離し、アレクサンドラ号の背に乗ったまま、ソルトとラズだけが硫黄たちのもとへ。
(…ソルト……)
 硫黄の胸がキュッとなった。
 ソルトとは、スーパーモンブラン登山中にケンカ別れして以来。
 アレクサンドラ号からヒラリと降り、ラズが降りるのに手を貸しているソルト。
 硫黄は歩み寄り、
「ソルト」
斜め後ろから声を掛ける。
「ゴメン。スーパーモンブランでのこと……。いつも助けてもらってたのに、酷いコト言って……。
 それなのに、また、こうして助けに来てくれて、ホント何て言っていいか……」
 不安な気持ちでソルトの後ろ寄りの横顔を見つめ、反応を待つ。
 ソルトは、ラズをきちんと着地させてから、硫黄を振り返ったかと思うと、
(……! )
 手首を掴んで引き寄せた。
 硫黄はソルトの胸へと倒れ込む。
 硫黄を抱きしめるソルトは震えていた。
(…ソルト……? )
「…『何て言っていいか』…なんて……」
 声も震えている。
「『ありがとう』って笑ってくれたら、それで充分だよ……」
 そして、抱く腕を緩め、泣いているように見えるくらいに優しい表情で、
「君は知らないはずだけど、君のパソコンの画面、スーパーモンブラン登頂を果たした瞬間から、ぴいたんのと同じように真っ白になっちゃってたんだ。ついさっき、ぴいたんのほうも一緒に、この場所が映るようになったけど……。
 …無事で、よかった……。僕が一緒にいたら、こんなことにはならなかったんじゃないか、って思えて……。僕のほうこそ、ゴメン……」
 硫黄、首を横に振り、
「ソルトは悪くないよ。オレが言い過ぎた……。ゴメン……じゃなくて……。……ありがとう」
言って、笑って見せる。
 頷き、笑顔を返すソルト。
 それから、落ち着きを取り戻した口調で、画面が白くなった後、ラズに助けを求め色々と調べてもらったこと。その中で、硫黄だけでなくクランとマロンまで連絡がつかなくなっていると知り、これは何かとんでもないことが起こっていて、硫黄がそれに巻き込まれているのではと心配したこと。そうこうしているうちに、SFF各地の町や村が同時多発的に雪や氷の魔物に襲われる事態に見舞われ、ラズは、そちらの対応に追われ、ソルトも戦闘に参加せざるを得なくなったこと。そこへ、クランからの応答があり、硫黄も一緒にいることと居場所の情報を得、また、やはり大変な状況下にあることも判明したため、ソルトひとりで向かおうとしたのだが、準備をしている間に突然、魔物が攻撃をやめ去って行ったので、ラズと、ラズの呼びかけで急遽集まってくれた上位ランカーと共に、こちらへ向かったのだということ、と、経緯の説明をして、
「聞いてたのとは、随分、状況が変わったみたいだけど」
硫黄と同じ側の立場として存在しているアイスを見、宙に浮かぶ巨大なグースを見、
「今は、どういう状況なの? 」
(状況説明……どこまで話してあるんだろ……)
 クランに目をやる硫黄。
 それを受け、クラン、代わって口を開く。
「長官の妹君から襲撃を受け、長官の父君であるアモーバに庇われて無事でいる、というところまで、お伝えしてありますね? 
 その件が解決したことを伝えようとしていた時に、私が妖精王グースの霊に憑依され、皆さんを襲ってしまいましたが、エスリンさんとアモーバの協力で憑依を解くことに成功しました。
 そして今は、またどなたかが憑依され操られでもしたら厄介ということで、この場を離れようと、主に、テレポの使用に不安のあるエスリンさんとぴいたんさんの移動方法について相談していたところです」
 それなら、と、ソルト、
「エスリンとぴいたんは、アレクサンドラ号に乗せて行くよ。3人まで乗れるし、単体なら結構スピード出るからね。
 ランカーの皆は、ここへは当然初めてだから乗せて連れて来たけど、何処でもいいから移動しようっていうだけなら、テレポで行けるし」
 その案に頷いた硫黄とクランに頷き返し、ぴいたんに声を掛けに行くソルト。
「お兄さんのこと、黙っててゴメン。無事でよかった」
 しかし、ぴいたんは気不味そうにアイスの後ろに隠れてしまう。
 それはそうだろうな、と硫黄。
(だって、燐のしてることって、はっきり言って浮気だし……)
 続けるソルト。
「エスリンと君は僕のアレクサンドラ号でってことになったから。さあ、行こう」
 手を差し出すも、隠れ続けるぴいたん。
「どうしたのだ? 」
 ぴいたんを窺うアイス。
 アイスが動いたことで露になった姿を、明らかにソルトから隠れる方向へ隠れる方向へと移動していくぴいたんに、アイスは、ソルトの差し出している手を遮る形で立ち、
「どちら様かは存ぜぬが、すまない。私の可愛い人が、貴殿の存在によって困っているようだ。
 急を要していることは承知しているが、少し離れてはいただけないだろうか?
 貴殿の馬に乗るよう、説得は、私が責任を持ってしよう」
 ソルトは苦笑しながら、アイスに、お願いします、と言い、彼女の向こうの見えないぴいたんに、優しく、
「とにかく、無事でよかったよ」
とだけ言い、硫黄のほうへ。
(…ソルト……)
 向かって歩いて来る途中、薄っすらとだが、細く長く渦を巻いて、白い何かがソルトの頭頂部に吸い込まれていくのが見えた。
(……? )
 曲線を描き糸のように長く続く渦をソルト側から辿っていくと、グースに繋がっていた。
 グースは少しずつ小さくなっていっている。
(今度はソルトをっ? )
 どうしていいかも分からないが、ソルトに駆け寄る硫黄。
 瞬間、渦がいっきに太くなり勢いも増して、グースが完全にソルトの中へと収まってしまった。
「危ない! 」
 クランの短い叫びと同時、ガチッ! 低く鈍い、金属のぶつかる音。
 クランが、剣で、ソルトの槍の先端を受け止めていた。
 死角からの攻撃で、全く見えていなかった。
 ソルトは槍を引き、何処か遠くを見ているような、何も見えていないようにさえ見える目を、顔ごとアモーバに向け一瞥してから、アレクサンドラ号に跨り、崩れた背面の向こうのランカーたちのもとへ。
 そして、硫黄たち一同を背に、ランカーに向け、低く太く地鳴りのように響く声で、
「我が名はグース。妖精王グースである! 」
名乗り、プレイヤーは知らない妖精王物語を語り、
「他の生物たちを蹂躙する凶悪にして強大な力を持つ生物どもの親玉の封印は、解けてしまった。
 悪の根源たる奴……アモーバを倒すべく、我はここに復活を遂げた! 」
 それから、馬上で上半身だけをバッと翻し、硫黄たちを槍で指す。
「勇気ある者らよ! 世の平和を脅かすアモーバと、奴に与する者どもを、今こそ討ち果たすのだ! 」

                               

ママのパンケーキが食べたいので、私、もとの世界へ帰ります!(27)


 大きな真円の月が低い位置から照らす。
 グースに乗っ取られているソルトの掛け声を合図に動き出す、ゲームSFFにおける上位ランカー6名から成るグース陣営。
「オールオフェナプ! 」
 LV290、回復役でありながらランキングは堂々の3位で「癒しの女神」の異名に相応しく(?)マロンのコスプレをした高僧(ハイプリースト)・わたあめが唱えた。
 赤が基調の80年代女性アイドルのような丈の短いフリフリしたドレスを纏った、LV260ランキング7位の人形使い(パペットマスター)・ルビーが、操物である自身と同じフリフリの赤い衣装を身に着けた2頭身の愛らしい人形を十数体出現させる。
 同立7位、色が青と違うだけでルビーとお揃いの服装をした野獣使い(ビーストテイマー)・サファイアも、同じく自身の操物である、魔物よりもよっぽど化け物っぽい黒色で影のように輪郭のハッキリしない野獣、やはり十数体を出した。
 LV275ランキング5位、アロハな犬の着ぐるみを着た魔導士(ソーサラー)・フラダンスの犬が、硫黄たちに向けて右手を突き出し構えている。
 陣営を離れ硫黄たちのほうへ向かって来ているのは、LV288ランキング4位の剣士(ソードマスター)で間違いなく某アニメの主人公に憧れ意識している黒ずくめの偽二刀流キリタ、LV255で9位の歩き巫女を思わせる姿の暗殺者(アサシン)・千代女(ちよめ)。
 すぐ後ろに、サファイアの野獣たちも続く。
 ゲームだった時には敵に回ることの無かった確実に強い彼らを前に、硫黄は、逃げなければマズイと思い、急いで周囲の皆を見回した。
「皆、逃げよう! テレポで! 」
 自分とぴいたんにとっても、そのほうがリスクが低いように感じられた。
 考えればテレポを使わない方法もあるかもしれないが、向かって来ている近接攻撃の彼らは、もう、すぐそこまで迫っているし、遠距離の攻撃は、いつ、まさに今来ることも予想出来る。考えている時間は無い。先程マロンが本気か冗談か分からない感じで言っていた遠投の方法も、実行に移すには確認事項が多すぎる。
「テレポ使えない人は? 」
 挙手を求める動作をしつつの硫黄の質問に、クラン・コメコ・マロン・アモーバが手を挙げる。
 それを受け、
「じゃあ、クルミさんはマロン様を、ラズさんはクランさんを、アイスはアモーバを連れてって。コメコはオレが」
パパッと割り振る硫黄。
 ぴいたんに話し掛ける形になるのを嫌った割り振り。
 アイスと共に同じ側になってから、すぐに話し掛けていれば、まだ大丈夫だったのだろうが、完全にタイミングを失っていた。もう、どう話し掛けてよいのか分からない。
 皆が頷いたのに頷き返してから、硫黄はコメコの腕を掴み、
「テレポ! 」
 しかし、
(……? )
 移動しない。
 もう一度、
「テレポ! 」
(…あれ……? )
 移動出来ない。
 硫黄だけではない。周りを見れば、皆、何度もテレポを唱えるも、まだ誰ひとり移動していない。
(…まさか……)
 不安が過り、
「マジカルピュアハート! 」
宙にハートを描いてみる。
 普通に出来た。
 「ライト」と唱えたクルミ、手のひらの上に小さな氷塊を作っていたアイスと、順に目が合う。
(魔法が使えなくなったワケじゃなくて、テレポだけ……? )
「人間族の方々からのお便りで時々知らされる事例でありますね。テレポが出来ない、というものが。目の当たりにしたのは初めてですが……」
 クランの言葉に、
(ああ、そう言えば時々……。よりによって、こんな時に……! )
 思い出す硫黄。ゲームSFFで時々起こる不具合。
 突然、アモーバが駆け出し、グース側から見ての、こちら側の最前列へ。
「ボクひとりの命なら、無条件に差し出す! 」
 グースに向けて真っ直ぐに叫ぶ。
「どうして、ボクだけじゃダメなんだ! 」
 そんなアモーバを、
「お父さん」
マロンはニッコリ笑顔で押し退け、
「下がってください。邪魔ですよ? 」
前に出た。
「グースは、こちらの話になど耳を貸す気は無いのです。
 お父さんが私たちを守りたいと思って下さっていることは分かっています。けれど、もう戦うしかないのですよ」
 言って、向かい来るキリタと千代女、サファイアの野獣たちを見据えるマロン。長い髪がブワッと逆立つ。
 一旦後方へと頭を反らし、勢いをつけて前方へ振った。
 キリタ・千代女・野獣へと高速で、もともと長い髪が量も100倍ほどに増えた上で更に伸びる。
 足は止めないまま背中の二刀を引き抜くキリタ。千代女も杖に模していた仕込み刀を抜く。
 その間に彼らより前に出た野獣たちを、1体残らずマロンの髪が鋭く真っ直ぐに貫いた。
(…マロン様って、戦うんだ……)
 霧のように散って消える野獣たち。
(……強い! )
 髪を斬って落として進むキリタ。
「あらあら、酷いコトしますね。髪はオンナの命ですのに」
 マロンは愉快そうにコロコロ笑って言う。
 キリタと足並みを揃えつつ軽く髪をかわす千代女。
 サファイアの周囲、また新しく十数体の野獣が出現し、戦線に復帰した。
「皆、耳を! 」
 アモーバの言葉に、硫黄たち一同は反射的に耳を塞ぐ。
「アアアアアアアアァァァァァァァァ」
 アモーバの発声。
 野獣たちはその場に崩れて動かなくなり、キリタと千代女は少しダメージを受けた様子で足を止め、耳を塞いだ。
 他のランカーたちも耳を塞ぎ、ルビーの人形もキャンセルされた中、両陣営でアモーバ以外唯一、攻撃を続けるマロンの髪が、両手が塞がっているために武器を使用出来ないキリタ・千代女を襲う。
(……そうか! マロン様だけは、アモーバの発声中も攻撃出来るんだ! …さすが親子。相性いいな……! )
 かわすことしか出来ないキリタと千代女。
 執拗に繰り返されるマロンの攻撃。身の軽い千代女は難無くかわし続けるが、キリタには掠り始めた。
 わたあめが耳から手を放し、苦しげな様子ながらキリタと千代女に杖を向け、
「プロテクティブフィルム・ダブル! 」
 キリタと千代女の全身を無色透明の薄い膜がピッタリ覆う。
 耳から手を外し、丁度目の前に迫っていたマロンの髪を斬り落としざま、攻撃態勢で再び向かって来るキリタ。そのすぐ斜め後ろに続く千代女。
 驚いたように声を止めるアモーバ。
 一同も耳から手を放す。
 わたあめが一旦、杖を下ろし、今度はキリタひとりに向けて、
「リカバリ! 」
 クランがマロンの前に出、地面に剣を突き立てて、
「グラウンドアタック! 」
 初めは細く低く次第に太く高くなりながら津波のようにキリタ・千代女に襲い掛かる土柱。
 2人は跳び越え、着地の勢いでキリタがクランに、千代女がマロンに斬り掛かった。
 咄嗟に割り込み、コメコがキリタの、アイスが千代女の剣を、剣で受け止める。
 グラウンドアタックのための消耗でへたり込んだクランにラズが駆け寄り、
「リカバリ! 」
 と、クランが空を見上げた。
 つられて見ると、キャンセル後に再度作り出されたらしいルビーの人形十数体が、降ってきている。
 キリタを軽く突き放したところだったコメコが、たまたま自身の真上に落ちてきた個体を特に何を考えているワケでもない感じで剣で刺した。
 ボンッ!
 人形が爆発。尻もちをつくコメコ。巻き添えをくってキリタも尻もち。
「びっくりしたー。これ、爆発するだな」
 コメコの発言に、
(…そっか、あの6人のこと、オレは何度か一緒に行動したこともあったりとかして、当たり前に知ってるけど……)
 皆と情報を共有しておいたほうがよいと考え、人形を刺激しないよう一体一体捕まえてはミニハートを仕掛け、ポイッと少し離れた所へ投げてから起爆させる作業を繰り返しつつ、硫黄は、知る限りの6人+ソルトの情報を伝える。
 最中、上空からゴロゴロと雷鳴。
 見れば、一同の頭上を覆うバチバチと細かい稲妻を纏った黒い雲。
 その場から離脱するキリタと千代女。
 フラダンスの犬が叫ぶ。
「グレートサンダー!!! 」
「プロテクティブドーム! 」
 被せるようなタイミングで素早く唱えるクルミ。
 雲から、雲の面積そのままの極太の柱のような落雷。
 数秒ともたず壊れるドーム。
「プロテクティブドーム! 」
「プロテクティブドーム! 」
 ぴいたんとラズが即座に唱え、クルミも、
「プロテクティブドーム! 」
唱え直し、3重のドームが完成。雷を受け止める。
 こんな雷に打たれたらマズイと、祈るようにドームを見つめる一同。
 そこへ、ドームの外側の空中、ルビーの人形十数体が新規で現れた。
 直後、
(っ? )
 人形たちは自ら雷柱へと飛び込む。
 ドガーンッ!
 大爆発が起きた。
 ドームが壊れ、雷はそのまま突き抜け一同を直撃……しなかった。
 突如、周囲が無色透明のジェル状のもので満たされ、保護されたのだ。
 アモーバだ。
 アモーバが巨大なスライムの姿となり、他の一同を覆ったのだ。
 周囲のジェルが激しく震動する。
 ジェルはフッと消え、代わりにすぐ横に、傷つき苦痛に顔を歪め膝をつく巨大な人型アモーバ。
「お父さん」
 マロンが、その顔を見上げ、窺う。
 クルミがアモーバに向けてリカバリを唱えた。
 ここぞとばかり、アモーバを集中攻撃しようと一斉に掛かってくるキリタ・千代女・新たに作り出されたルビーの人形とサファイアの野獣。
 マロンが、伸ばした2本の腕を鞭のようにしなやかに地面に対して水平に弧を描いて動かし払いのけた。
 人形たちは、その場で爆発。
 残る掛かってきた彼らの位置が上手いこと味方の一同のいる範囲外、ドーナツ状になったのを見計らい、硫黄、
「マジカルヘビーQハートシャワー! 」
 味方の範囲を避け、ピンク色の雲を発生させる。
 降り注ぐ凶暴なハートの雨。
 躊躇はしない。戦闘になった時点で覚悟は決めていた。プレイヤーを攻撃する覚悟。それがソルトであっても。
 もっとも、ソルトに限って言えば、死んでも生き返れることが分かっているのだが……。
 逆に言えば、他は分からない。自分やぴいたんのような存在の人もいるかもしれない。
 けれど、もはやそんなことを言っている場合ではない。
(敵味方にハッキリ分かれて戦う以上……)
 そう、今、心の中でさえ初めて「敵」という語を使ったが、それによって、完全に覚悟が固まった。
(…クランさん……。ぴいたん……。クルミさん……。コメコ……。マロン様……。アモーバ……。アイス……。ラズさん……。
 皆で一緒に、生き延びるんだ……! )
 一頻り降ったところで、
「エクスプロージョン! 」
 野獣たちは全滅。瀕死のキリタと、シャワーを避けきり爆発を少しくらった程度で再び攻撃態勢に入ろうとしていた千代女を、マロンが腕で巻きつけて捕らえ、見えない遠くまで、ぶん投げた。
 近接の相手がいなくなった隙に、おそらく元々のHPが高いために回復に時間のかかっていたアモーバが全回復。体が、普通の人間サイズと呼べる程度、マロン・アイスより少し大きいだけまでに小さくなる。
 アモーバが立ち上がるのに手を貸しながら、マロン、硫黄や他の皆が持ったであろう疑問を感じ取ったのだろう、口を開いた。
「グースからの攻撃でなくても普通に効くのですよ、父にも。体力があるので、なかなか倒せはしないでしょうけど。
 無効なのは、私とアイスからの攻撃だけです」
 そこまでで一旦、言葉を切り、チラッとアイスを見て、ふふっとイタズラっぽく笑う。
「アイスも、自分の攻撃は父に効かないと知っているはずですよ。
 先程、私とクランのことは本気で殺しに来てたのでしょうけど、父には、傷ついたアピールをしたかったのでしょうね。コドモですね。可愛らしいでしょう? 」
「…う、うるさいな……っ! 」
 図星だったのか、アイスはちょっとだけ頬と耳を赤らめ、そっぽを向いた。
(…ホントだ。カワイイ……)
 それから、紛らす目的もあってか、グース陣営のほうへ目をやり、
「ほら、戦いに集中しろ。奴等、何か始めたぞ」
 はいはい、と返事をし、体ごとそちらを向くマロン。
 距離のあるまま睨み合う両陣営。
 グース側では、ルビー・サファイアがそれぞれ既に数回目となる操物造出。
 しかし、
(……? )
 これまでとは明らかに違う。
 人形と野獣が入り交じって組体操のように土台から順に組み上がっていっている。1段組み上がる毎に表面が滑らかに一続きになっていき……。
 何か大きな物が作り出されようとしているように見え、硫黄、
(これって多分、完成させたらダメなやつだ……! )
 急いで空中にハートを描きつつ、
「マジカルピュアハート! 」
 唱え、唱えてからルビーとサファイアのどちらに向けるか一瞬迷ったが、とりあえずは確実に完成を妨害出来ればと、組み上がっていっている最中の操物そのものを狙った。
 同じことを思ったらしいコメコが、
「かまいたち! 」
 アイスが無言で操る剣で描かれた円から放出された吹雪によって可視化・加速され、かまいたちは相手方へ向かっていく。
「プロテクティブウォール! 」
 わたあめが唱えた。
 目標の前に立ち塞がる壁。
 硫黄は予定よりも少しタイミングを早め、ハートがウォールにぶつかる瞬間に、
「エクスプロージョン! 」
 そこにタイミングを合わせるべく、吹雪を強めるアイス。
 爆発と同じタイミングで、かまいたちがウォールに到達。
 壊れるドーム。変わらず吹雪の支援を受け、組体操中の操物へと突き進むかまいたち。
 これは、言うまでもない。先程のフラダンスの犬の雷とルビーの人形の真似だ。
(うん、いい連係! )
 突然、かまいたちと操物の間に割り込む人影。
 ソルトだ。
 ソルトが槍を正面に構え、
「ツイストドリル! 」
 器用にも、かまいたちの刃の役割をする進行方向を向いた細い部分と、槍の先端を合わせ、そのまま押し返した。
 ドリルのように回転する風に巻き上げられた土埃のために、かまいたちが更に勢いを増し真っ直ぐに硫黄たちのほうへ返って来ているのが見える。
「プロテクティブウォール! 」
「プロテクティブウォール! 」
「プロテクティブウォール! 」
 ぴいたん・クルミ・ラズが揃って唱え、強固そうな3重の壁を作るも、全く勢いを殺がれることなく突破するかまいたち。
 真正面に在って咄嗟に自身の後ろを確認してから避ける行動をとる硫黄とアイス。
 コメコは迎え撃つつもりか、剣を構え直した。
「コメコ! 無理だっ! 」
 叫ぶ硫黄の視界を、金色の光が横切る。
 直後、色の白い左の手首より先と、サクラの入った小瓶が宙を舞った。
 一瞬のことで、何が起こったのか分からなかった。
 目の前には、地面にペタンと座ってマロンを抱え、呆然としているコメコ。
 強張り目を見開いたマロンの首がスライドして胴体から離れ落ちていこうとするのを、ただ何度も何度も元の位置まで持っていく。
(…マロン、様……? )
 見ているうちに、マロンがコメコを庇ったのだということだけは、少しずつ、何となく、理解出来てきた。
 アモーバがマロンのもとへ歩み寄って来、コメコから抱き取って、静かに地面へと腰を下ろし、首がズレないよう気を遣っている様子で支え、膝の上に横たえる。
「…お父、さん……」
 マロンが口を開いた。注意して聞かなければ聞き取れない、小さく掠れた声。
「痛いの痛いの飛んでけ、って、して……。小さい頃に転んだ時みたいに……」
 アモーバは、泣いているようにしか見えないほどに優しく優しく笑んで頷き、マロンの髪を撫でた。
 マロンの表情が穏やかにほどける。
 大袈裟な抑揚をつけ、アモーバ、
「痛いの痛いの、飛んでけー! 」
 マロンはニコリと明るく笑った。
「…本当に、お父さんのおまじないは、よく効きますね……。…もう、全然痛くないです……」
 砂時計の砂のよう。キラキラサラサラ……零れてく。
 口元に笑みを宿したまま、マロンは目を閉じた。
 アモーバがマロンを胸に掻き抱き、肩をうち震わせる。
(…アモーバ……。…マロン、様……)
 グース陣営に、ユラリと揺らめく大きな影が見えた。
 ルビーの人形とサファイアの野獣の組体操の完成品である、それは、高さ8メートルほど。魔物よりもよっぽど化け物っぽい黒色をした野獣寄りの形。
 仮に大野獣とでも呼ぼうか、背の丸まった中途半端な二足歩行、そこそこのスピードで、こちらへ向かって来る。
 アイスが小さく舌打ち。
「無粋な奴等め。邪魔はさせぬ」
 暗い声で言い、剣を構えた。
「プロテクティブウォール! 」
 クルミが、悪意の感じられる位置とタイミングで壁を出し、大野獣をぶん殴る。
 壊れる壁。ものともせず進む大野獣。
 想定内だったのだろう、クルミは、
「その通りです。邪魔などさせません」
動じるどころか、一度目をつむることで溜まっていた涙を追い出し首を強く横に振るうことで散らしてから、大野獣と、その向こうのグース陣営を見据えた。

 

ママのパンケーキが食べたいので、私、もとの世界へ帰ります!(28)



「オラのせいで……。…ゴメンな……。マロン姉ちゃん……おっちゃん……。ゴメン……。…ゴメンな……」
 マロンを抱きしめて座るアモーバの背後、茫然自失状態から戻ってきたコメコが幽霊のように立ち、俯き小さな声で「オラのせい」と「ゴメン」を繰り返す。
 迫り来る大野獣。
「来るぞ! 」
 アイスが声を上げつつ剣を構え直した。
 大野獣のスピードが上がる。
 剣を一旦収め、右方向へと捌けざま右手のひらを大野獣に向けるアイス。
 大野獣の前半身だけが氷づけになり、突進が止まる。
 だが暫しの後、ミシミシと音。直後、氷が砕けた。
 再び動き始める大野獣。
「プロテクティブビッグウォール! 」
「プロテクティブビッグウォール! 」
「プロテクティブビッグウォール! 」
 ぴいたん・クルミ・ラズが唱え、高さ10メートル超の3重の壁が現れる。
 ぶち当たり弾かれる大野獣。破ろうと何度も体当たり。
 突然、
「ぅおああああああああああああああああーっ! 」
 それまでただ静かに肩を震わせていたアモーバが叫んだ。
 攻撃のための発声とは違う、低く轟く、まさに獣の咆哮。
(…アモーバ……)
 一頻り吠えると、アモーバは地面にそっとマロンを横たえ、少しフラつきながら立ち上がって巨大化。早歩きで壁を回り込み大野獣のもとへ。掴み掛かって転がしてから、グース陣営へと真っ直ぐに突き進んで行く。
「待て! アモーバ! 先走るなっ! 」
 硫黄の止める声など全く聞こえていない様子。
 起き上がろうとする大野獣。
 すかさずアイスが、太さ長さともに自身の5倍ほどの大きさの氷柱を落とす。
 大野獣は硬かったらしく貫くことは出来なかったが、再び突っ伏した。
 それを確認したように頷いてから、アイスはアモーバの背を追う。
「アイス! 」
 ぴいたんが壁を解除し他の2人の壁を避けてアイスについて行った。
(燐……! )
 すぐにぴいたんを追いたいが、状況的に迷う硫黄。
「…おっちゃん……。アイス姉ちゃん……」
 呟き、グース陣営へ向かって行った3人を見送るコメコ。続いて、横たわるマロンに目をやり、
「…マロン姉ちゃん……」
 それから、両手のひらで挟む形で自分の頬を2回パンパンッとやり、シャンと背筋を伸ばしてキッと顔を上げ、3人に続いた。
 クルミがマロンを振り返る。
「マロン様、少しの間お傍を離れることをお許しください。
 私は攻撃は出来ませんが、私と近い気持ちであると思われる皆さまを支援したいのです」
 言って、壁を作るために前に出していた手を下ろし、駆け出した。
「ラズ」
 クランの呼び掛けに頷くラズ。腕を引っ込めてマロンのもとへ。
「シークレットガーデン! 」
 唱えてからマロンをグルッと囲うように、手の先からサラサラと微小な種子のような茶色がかった光る粉末を出して蒔く。
 粉末の端と端がつながったところで背の低い茂みが出現。マロンを隠した。直後に蕾がついて一斉に開花。中にいるマロンごと消える。
 そこへ、起き上がった大野獣の前足が、ラズを見ているクランの背後へと伸びた。
 気配で察したか振り向くクラン。
 硫黄は、伸ばされた前足の下をくぐりざま、ステッキでチョンと触り、
「マジカルミニハート・エクスプロージョン! 」
吹っ飛ばす。
 クランが剣を片手で高々と突き上げ、
「グラウンドビッグウェーブ! 」
 剣が赤い稲妻を纏う。
(これって、グースに操られてた間に使った……)
 硫黄は離脱。
 クランは剣をクルッと逆手に持ちかえ、勢いよく地面へ。寸前で止める。
 大野獣の周囲の土が、クランだけを避けて生き物のようにしなやかに、大野獣の頭頂部までは少し足りない高さまで上がり、高さが足りていないことなど完全に無視してガッシリした肩と丸まった背に、その重量に任せてのしかかった。
 続けてクラン、
「アントヘル! 」
 大野獣を中心に擂鉢状に地面がへこむ。
 蟻地獄のように中央へと流れていく土に巻き込まれ、大野獣は沈み、頭頂まで埋まった。
 見えなくなっているマロンの近くのまま、ラズ、
「ラフレシア! 」
蟻地獄に手のひらを向ける。
 微細な糸状のものがキラキラと宙を舞い、蟻地獄の中央に着地。突如として5枚の肉厚な花弁を持つ赤く大きな花が現れ、蟻地獄に蓋をした。
 力を使い果たしたようい膝を折るクラン。
 ラズが駆け寄り顔を覗いてから、硫黄に、
「行っていいよ。妹ちゃんのトコ。このおっきいのは当分出て来れないし、姉さまを回復したら、姉さまとラズも行くから」
 頷き、ラズの「リカバリ! 」を背で聞きながら、硫黄はグース陣営へ走る。



 グース陣営の手前にいたぴいたん・クルミ・コメコ・アイスに硫黄が合流した瞬間、ドーンッ!
 地面が縦に大きく揺れた。
 ジャンプしていたアモーバが、陣営中央に単身着地したのだ。
 その場のグース陣営全員の足が地から離れる。
 すぐさまアイスが、その足下を凍らせた。
 降りると同時にツルッ。滑って転倒するグース陣営の一同。
 グース陣営全員が体勢を崩している中、アモーバは一切の迷い無くソルトだけを狙って、大きなハンマーのような拳を打ち下ろす。
「オフェナプ! 」
 クルミがアモーバにバフをかけた。
「プロテクティブウォール! 」
 わたあめの声とともにソルトの頭上に現れる壁。
 構わず打つアモーバ。
 壁が壊れる。
 自力で拳を避けるソルト。空振りとなった拳が凍土を砕きめり込んだ。
 続けてもう一方の拳を振りかぶるアモーバ。
 その背中に、
「サンダー! 」
 フラダンスの犬の雷。
「プロテクティブウォール! 」
 ぴいたんが防ぐ。
 ソルトは、またアモーバの拳を避けた。
 避けるために不安定な体勢となったタイミングで、コメコ、
「かまいたち! 」
 それをも回避するソルト。
 と、グース陣営の向こう、小さな影が高速で近づいて来ているのが見えた。
 直後、アモーバの斜め頭上に、先程マロンによって遠くへ投げられていた千代女が、抜刀した状態で戦線復帰。
 アイスが間に入るつもりか動こうとしたが、それよりも早く、アモーバはめり込んでしまっていた拳を引き抜きざま、空中の蝿を叩き落とす感じで、ソルトへの攻撃のための前傾姿勢のまま払う。
 かわして着地する千代女。
「…を……」
 アモーバは俯き暗く呟いてから、ガバッと身を起こすのを通り越し反り返り気味になって、
「邪魔を、するなあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ! 」
叫び、直立に戻らないまま、大腿の横で握っていた拳を両方とも千代女に向けた。
 千代女にはかわされたが即座に軌道を変え、千代女から最も近い位置にいたフラダンスの犬をぶっ飛ばす。
 間髪入れずに次は、操物を自らの都合でキャンセル出来ないために大野獣をクランとラズによって閉じ込められてしまっていることで攻撃する術を持たない、ルビーとサファイアを踏みつけに掛かった。
 巨体で大暴れされ、味方でも迂闊に近づけない。
 そこへ、
「どのような状況ですか? 」
 クランとラズが合流。
 アモーバは、ルビーとサファイアを踏みつけ蹴飛ばして、今度はわたあめ。
 しかし、全く似てはいなくともマロンのコスプレをしているわたあめを前に、動きが止まる。
 そうして出来た本当に一瞬の隙を突かれた。
「ツイストドリル! 」
 ソルトがわたあめの前を塞ぎ槍を突き出す。
 技のわりに距離が近い。槍そのものが当たる距離だ。
 刹那、アモーバとソルトの間に飛び込む影。
 ガキンと金属同士のぶつかる音。足下に落ちる刀身部分。サーベルの刀身だ。
 カハッと血を吐くアイス。脇腹が大きく抉り取られたようになっている。
(アイス……! )
 少し後れてソルトの口端からも血が伝った。
 ニヤリと笑むアイス。
 見れば、ほぼ付け根から折れてしまった刀身の代わりに護拳から氷の刃が伸び、ソルトの腹を貫いていた。
 膝をつくアイス。
「アイス! 」
 ぴいたんが駆け寄ろうとするのをクルミは止め、
「お父様! アイスさんを、こちらへ! 」
呆然としてしまっていたアモーバに声を掛ける。
 アモーバはハッと我に返った様子でアイスを抱き上げ、戻って来ようとする。
 その背中を狙う千代女。
 阻止すべくコメコ、
「かまいたち! 」
 千代女にとっては、おそらく見たことの無い攻撃であり、実際に目に見えもしない攻撃。だが勘が良いのか装束の裾を少し切られた程度でかわす。
 そうこうしている間に到着するアモーバ。ぴいたんの前で屈み、アイスの様子を見せた。
 追って来た千代女を、
「プロテクティブドーム! 」
 クルミが、味方全員を覆うドームで阻む。
 アモーバの腕の中のアイスの抉れた脇腹に手をかざし、ぴいたん、
「トリートメン! 」
 外傷治癒特化の呪文を施すも、傷が大きすぎて効果が見られない。
 泣きそうになりながら繰り返し唱えるぴいたんの隣で、同時にラズがリカバリを唱える。
 グース陣営でも、わたあめが杖を掲げ全体を回復しようとしていた。
 今のうちに叩いておきたいと考え、
「クランさん! コメコ! 」
 2人を誘って動こうとする硫黄。
(? )
 頭上に影が差したのを感じ、仰ぐと、大野獣が降ってくるところだった。
 ルビーもサファイアも瀕死のようだが、キャンセルされていなかったのだ。
 ラズが、
「プロテクティ……」
 ドームを2重にしようとするも間に合わず、壊れるドーム。
「アイスのこと、お願いします」
 アモーバが、ぴいたんとラズにアイスを預け、着地したところだった大野獣へと走って突き飛ばし、転ばせて組み敷く。
 とりあえず大野獣のことはアモーバが押さえれているので、再度クラン・コメコに声掛けし、硫黄は他へ回ることにした。
(まだ、ほとんど回復してないから、先ずわたあめさんを! )
 当然、立ち塞がる千代女。
「ここはオラに任せるだ! 」
 足を止め剣を構えるコメコに、硫黄とクランは頷いた。
 瞬間、ドンッ!
 背後で爆発音。続いて高温の強風。
(っ? )
 振り返ると火の海。
 ぴいたん・クルミ・ラズが各々ドームで身を守り無事であることは、すぐに見て取れた。
(アモーバは……っ? )
 アモーバの姿が見当たらない。
 ぴいたんのドームで一緒に守られていたアイスが、状況の殆ど変わっていなかった傷口を強引に自身の氷で塞ぎつつ、ユラリと立ち上がり、手を突き出して、炎の拡がっている範囲に沿って動かす。
 炎が凍った。
 一部、氷の密集している箇所が動き、氷を払い落としながら身を起こすアモーバの姿。
(…よかった……! 無事だった……! )
 大野獣の影も形も見えないことから、火の海は、大野獣が内に含む人形の影響か何かで爆発してのことだったのだろう。
 グース陣営へと視線を戻す硫黄。爆発に気を取られた短い時間に、陣営に残っていた全員の回復が済んでいた。
 千代女も陣営へ。
「アイス! 」
 ぴいたんの悲鳴。
 条件反射で目をやると、アイスがぴいたんに凭れるように崩れ、支えきれずにぴいたんも一緒に倒れるところだった。
(アイス……! )
 アモーバが歩み寄り、暫し固まって見下ろしてから、見下ろしていた間より更に前傾姿勢となって、叫ぶが如く大きな口。
 可聴域外なのか全く声は聞こえないが、空気が、大地が、震える。
 周囲から、ただならぬ気配。
 魔物が、この戦場を遠巻きに囲み集まってきていた。狙いは明らかにグース陣営。見据え、唸る。その数、実に数千‥‥‥いや数万・数十万か。
(アモーバが、呼んだ……? )
「ついに本性を現しおったな! 」
 ソルトが槍でアモーバを指した。
「そうしてまた、凶悪にして強大な力を持つ生物どもを煽動し罪無き者らを蹂躙するのか! 」
 硫黄は、目と目の間の骨の辺りと胃の辺りに、何だかモヤモヤしたものを感じる。
(本性? 本性って何だ? 家族を殺されたり傷つけられたりして怒らないほうが、どうかしてるだろ。
 罪って何だ? 罪無きって? 今、魔物たちが相手にしようとしているのは、ソルト含めグース側のプレイヤーたちだ。結果的に最初に当たった攻撃は、こちら側から向こうへのものでも、先に動いたのは向こう。自分に危害を加えていない相手を傷つけるために動くことは罪じゃないのか? 逆に、自分を傷つけようと向かって来る相手を迎え撃つことは罪なのか?
 昔のことは知らない。
 少なくても今のアモーバは、ただ娘たちと静かに暮らしたかっただけなのに……。
 きっと気の遠くなるくらい永い孤独を経て、やっと手に入れたささやかな幸せも許されないの? 昔の罪で? )
 アモーバが口を閉じ上体を起こしたのが合図か、魔物たちが一斉にグース陣営へと向かって行く。
「そうはさせぬ」
 言って、フラダンスの犬とわたあめに視線を送るソルト。
 頷く2人。
「サンダー! 」
 フラダンスの犬が近くにあった大きな岩を粗めに砕き、
「プロテクティブフィルム! 」
わたあめが、その1つ1つをコーティング。
「パーフェクトトルネード! 」
 ソルトが空へと槍を突き上げた。
 コーティングされた岩の欠片を巻き込んだ竜巻が、魔物たちを切り裂きながら移動していく。
 もともとパーフェクトトルネードはソルトの技の中で最強の技だが、グースの力か、とんでもない威力。
 見るに堪えない惨状。
 切り裂き尽くし、竜巻は硫黄たちのほうへ。
「プロテクティブドーム! 」
「プロテクティブドーム! 」
「プロテクティブドーム! 」
 ぴいたん・クルミ・ラズによる3重のドーム。
 しかし表面に掠っただけで壊れ、一同は竜巻に吸い込まれた。
 (っ! )
 吹きつけると言うより、叩きつける、斬りつけると言ったほうが適当。風そのものが凶器。岩の欠片で更に。
 避けようにも翻弄され、吸い込まれてものの数秒で体に傷の無い箇所がなくなるほど。呼吸さえままならない。
 意識が遠のく……。もう痛みも息苦しさも……。
(……? )
 不意に、風とは別の方向へ強く引っ張られた。周囲の風が止む。
 アモーバが人型のまま、掴まえ胸へと抱え込み、庇ってくれたのだ。
 硫黄が最後だったようで、皆、そこにいた。酷く傷つき目を閉じ力なく、ただ、そこにいた。
 遠い意識の中、翳む竜巻の外、ソルトがルビーに目配せし、頷いたルビーが人形を作り出すのが見える。
 人形たちが自ら竜巻に飛び込んだ。
 爆発。竜巻は火災旋風のようになる。
 熱いはず。なのに感じない。頭の中? 心の奥? いや、もっともっと遠く、優しく暖かな光に包まれて、浮かぶというほどでなく浮かぶのは、テーブルの上のパンケーキとコーヒー。
 アモーバが、強く強く腕の中の一同を抱きしめつつ、スライム型に変形していく。
 その際中、硫黄の脳裏を、音なのか視覚的な文字列なのか分からない酷く感覚的な何かが過った。
(…これって、呪文……っ? )
 意識が復活。
 感覚的であるにもかかわらず、硫黄は確信に近い感じで、そう思った。
(…聞いたことの無い呪文……。何が起こるか分からなくて怖いけど、一か八か……! )
 硫黄はアモーバから這い出し、既にほぼ変形を終えているが意外としっかりした表面のアモーバの上に立つ。
 風の刃と岩の欠片、それから新たに加わった炎が、容赦なく襲い掛かってきた。
(…痛……あつ、い……。…でも……っ! )
 腹にグッと力を込め、足を踏ん張って、ステッキを掲げ、
「マジカルステラハート! 」
 ステッキ先端のすぐ上に直視出来ないほどの明るく輝く恒星のような、直径1メートルの球に丁度収まるくらいの大きさの立体的な白いハートが、ピンク色のフレアを纏って現れた。
 過る間隔に任せて硫黄は続ける。
「スーパーノヴァエクスプロージョン! 」
 ハートの恒星は、硫黄と足下のアモーバを避ける角度に大爆発。
 衝撃で火災旋風を吹き飛ばした。
 すると、消えたハートの代わりに小さな小さな黒い渦。
 当然見たことなど無いのでイメージだが、
「ブラックホール……? 」
 呟くと、偶然に呪文と一致していたらしく、直前に吹き飛ばした全てがその内へと吸収されていき、最後は渦ごとステッキの飾り部分へ取り込まれた。
 次は再び感覚に任せて、ソルトのほうへステッキを向け、
「ホワイトホール! 」
 先端から炎の風が勢いよく噴き出し、吹き飛ばす前の火災旋風を形成して、ソルトと、その他のグース陣営を襲う。
「プロテクティブドーム! 」
 わたあめが唱えるも、ドームは風圧のみで壊れた。
 ソルトが槍を空へと突き上げ、
「グラウンドビッグウェーブ! 」
(ソルトの体なのに、クランさんの……っ? …ああ、でも、もともとグースの技か……)
 逆手に持ちかえ、赤い稲妻を帯びた切っ先を地面の寸前まで一気に下ろすと、ソルトの周囲、ごく狭い範囲の土が、しなやかに生き物のように、彼の上背より少し高い位置まで上がる。
(…っていうか、自分に向けてる……っ? )
 ソルトに被さる土。
「アントヘル! 」
 ソルトの姿が土中に消えた。
 火災旋風に巻き上げられ斬り刻まれ焼かれる、わたあめ・フラダンスの犬・ルビー・サファイア・千代女。
 硫黄は状況が分からなくならない程度に目を背ける。
 旋風が治まった時、そこには誰の姿も無かった。
 体に力が入らず、立っていられなくて頽れる硫黄。
 突然、ソルトの消えた辺りの土がボコッと盛り上がったかと思うと、バンッと弾け、ソルトが現れた。
 ソルト、
「グラウンドアタック! 」
(またクランさんの技……っ! )
 向かい来る土柱はクランのものよりも大きく勢いもある。
(あんなの喰らったら……! もう今だって、生きてるのが不思議なくらいなのに……! …オレも、アモーバも、中の皆も……! )
 何とかしなければと思うが、指一本動かせない硫黄。
 その時、
(っ? )
 足下がジェル状となり、硫黄はアモーバの中へ沈んだ。
 アモーバの中にいる他の一同は、全員傷つき倒れ動かない状態。
 土柱は目の前。
(…もう、ダメだ……っ! )
 瞬間、アモーバと土柱の間に、桜色の光が割り込んだ。
 光は、巨大な人型アモーバと同じくらいの大きさの、桜色の緩やかなウェービーヘアをした色白の女性の姿となり、両腕を広げて、アモーバを背に庇う格好で立った。

                                                                                                                         

ママのパンケーキが食べたいので、私、もとの世界へ帰ります!(29)


 土柱に急ブレーキ。フッと消えた。
「サク…ラ……」
 驚いたような擦れ声でアモーバが呟く。
(…サクラ……? サクラって、コメコの小瓶の中の……? グースの奥さんっていう……? )
 同じく驚いている様子だったソルト、一呼吸おいて落ち着き、
「サクラよ。やはり御主は未だこの地に存在しておったのだな。
 さあ、我がもとへ来い。今ならば、その全ての罪を許そう」
優しげに言う。
 サクラは無言でフルフルと首を横に振り、ソルトに背を向けて、アモーバを包み込むようにフワっと抱きしめた。
「…サクラ……」
 また驚いたふうのアモーバ。
「ボクを、許してくれるの……? 」
 と、アモーバの外が見えなくなり、代わりに、若い葉の隙間から光降り注ぐ森の中の泉が映し出される。
(…これは……? )
 そこで水浴びをしている桜色ロングウェービーヘアの全裸の女性。
 たまたま通りかかったらしいアモーバは、女性と目が合い、
「ごめんなさい! 見てませんから! すみませんっ! 」
慌てて逃げだした。
 女性は泉から上がって素早くほぼ白の淡いピンクのダボッとしたドレスを身に着け、アモーバを追いかけ追い越し行く手を阻んで、つくりの上品な美しい顔に悪戯っぽさを含み微笑む。
(…この女の人、サクラさん……? これって、アモーバかサクラさんの記憶……? )
 ディゾルブで切り替わる場面。
 大きく濃色に成長した木の葉が陽光を遮る前場面と同じ泉で、戯れ控えめな視線をかわすアモーバとサクラ。
 再びディゾルブ。巡る季節。
 ほんのり色づいた森の中、木に登って赤く熟れた実を採っては下に落とすアモーバと、ドレスの裾を広げて受け止めるサクラ。しっかりと目を合わせ笑い合う。
(なんか、楽しそうでいいな。微笑ましい……)
 続いて紅葉も終わりかけの森。フカフカの落ち葉の上に、両腕を開いてうつ伏せに倒れ込むサクラ。
「サクラっ? 」
 膝をつき姿勢を低くして窺うアモーバ。
 サクラは顔だけをアモーバへと向け、
「私ね、今、世界を抱きしめてるの。この世界が愛しくてたまらない」
そして上半身起き上がり、
「アーちゃんといるとね、世界がとてもキラキラしてるの。こんなの初めて……」
 アモーバも頷き、
「ボクも……」
サクラを見つめる。
「ボクにも、キミ越しに見る世界は、とても輝いて見えるよ」
 至近距離から見つめ合う2人を黄味を帯びた陽が包む。
 どちらからとなく更に顔を近づけ、目を閉じて……
(オレ、何を見せられてんのっ? いや、絵面は美しいけれどもっ……! )
 どうにもいたたまれない気分になり、目を背ける硫黄。
 そうしている間にまた、場面が替わっていた。
 その形状から、この攻防で完全に壊れてしまった現在アモーバが住んでいたのとは別物と思われる、ほの暗い洞窟の中から、ひとり、外の深雪を恨めしげに眺めるアモーバ。
(…そっか、サクラさんは寒さが苦手だから、冬は会えないんだ、きっと……。…アモーバがひとりでいる部分があるってことは、これはアモーバのほうの記憶か……)
 一転、明るい光に満ちた場面。
 やわらかな日差しに揺れる色とりどりの野の花に埋もれて座るサクラの膝枕で眠るアモーバ。
 不意に上がった「あっ」という声に目を覚まし、風にさらわれたハンカチをキャッチするべく伸ばされたサクラの腕に、それまで袖に隠れていた大きくはっきりとした痣を見た。
 驚いて起き上がり、
「これ、どうしたのっ? 」
アモーバはサクラの腕を掴み寄せる。
 アモーバの手をそっと外し、袖を下ろして隠し、サクラ、
「私、今日はもう帰るね」
立ち上がった。
「待って」
 追い縋り再び腕を掴むアモーバ。
「旦那にやられたの? 」
 サクラは俯き黙ってしまう。アモーバはもう一方の手でサクラのもう一方の腕も掴み、目を覗き込んで、
「そうなんだね?
 ……もう、そんな男のとこへ帰るのやめなよ。ボクと一緒に暮らそう」
(……? ここで、この台詞ってことは……? )
 硫黄は首を傾げる。
 これまで、見て取れる季節から、場面は時間の流れに沿って進んでいたようだから、と。
(さっきのアモーバのオレたちへ向けたサクラさんについての説明は、審議ありだな……。優しくしてくれてたことに間違いは無くても……。
 …ああ、でもアモーバから見れば、オレも他の皆もコドモなんだろうから、言葉を択んだ結果かも……? いや、どうかな……? 「そのくらいのこと」って言ってたし……。まあ、何にしても嘘をついたつもりは無いんだろうけど……)
 場面は急展開。アモーバとサクラの住居らしき洞窟の前を2000は下らないグース率いる軍勢が塞ぐ。
「サクラ、耳を塞いでて」
 発声での攻撃をしつつサクラを抱き上げ軍勢の間を強行突破するも、軍勢はすぐに後ろを追いかけて来る。
 アモーバは辛そうだ。腕の中のサクラが目を覗いて頷いて見せる。アモーバは発声をやめ、足を止めてサクラを下ろす。
 サクラは耳を塞いでいた両手を外し、軍勢を振り返って両手のひらを向けた。
 サクラと軍勢の先頭の間の地面から、勢いよく何かが飛び出した。木の根だ。長く伸びしなやかに動き絡まって壁を作り軍勢を阻む。
 今のうちにと、手を取り合い駆け出すアモーバとサクラ。
 そうして抜けた森の先の風景に、硫黄は見覚えがあった。だいぶ距離があるが、フィナンシェが見えたのだ。
(そうか、この森はババだったんだな……)
 2人の行く手を、背後に迫っているはずのとは別の、やはり2000以上はいると思われる軍勢が遮る。
 再度サクラに耳を塞ぐよう指示し発声するアモーバ。
 直後、
(っ? )
 サクラの口からクランの剣によく似た剣の切っ先が突き出た。
 そのすぐ背後には、テレポでもして来たのだろう、グース。少し後れてババの中から率いていた軍勢。
 固まり、アモーバは発声を止める。
 勢いよく剣を引き抜くグース。
 アモーバ・サクラ・グースが血に染まった。
(…サクラさんは、グースに……)
 崩れていくサクラを条件反射的に地面スレスレで受け止め片膝を地について、呆然とした表情でいるアモーバ。
 次第に顔を歪め、抱きしめて肩を震わせる。
 グースは斜に見下ろし、
「貴様なぞにサクラは渡さぬ」
 サクラを静かに丁寧に横たえるアモーバ。フラつきながら立ち上がり、深い前傾姿勢で大きな口を開け、声の無い叫び。
 何処からともなく現れ、その場を埋め尽くす数えきれない魔物。
 飲み込まれていく軍勢。
(…こんなことって……。これが、皆の言うところの妖精王物語の……? )
 硫黄は衝撃を受けた。
(…これじゃあ、この時のことだって……。
 グースはサクラさんにも、おそらくアモーバとのことを指して「罪」って言ってたけど……。確かに、既婚者なのに他の男を愛することは裏切り行為で罪かも知れないけど……。その女を受け容れることも……。でも、オレはコドモだから、よく分かんないけど、それで命まで奪っちゃうようなヤツだから、もしかしたら、サクラさんがアモーバにちょっかい出す前に、サクラさんとグースの間で何かあったんじゃないの? そのせいでサクラさんの気持ちがグースから離れてたんだとしたら……?
 そうだとしたら、オレ的には、この時のことだって「罪」だって言いきれない……)
 そこまでで、普通にアモーバの外側が見えるようになる。
「ボクなんかに優しくしたせいで、キミは死んでしまったのに……。
 キミが死んでしまって悲しくて……。それまでボクは、ボクを疎む世に対して拗ねて、漠然と、滅ぶなら滅んでしまえと凶暴化してる魔物たちをただ放置していたけど、何千年も生きてきて、たったひとりで生きてきて、やっと手にした幸せを……キミを、奪われて、ああ本当にボクは嫌われてるんだな、って、はっきりと世界を呪って恨んで、初めて積極的に力を使った。多くの命を犠牲にしてしまうと知りながら……。もう、いいや、って……。キミが愛しいと言っていた世界を壊してしまおうとした。
 …ついさっきも……。すっかり強くなったグースに簡単に抑え込まれてしまったけど……。
 こんな残虐で身勝手で最低な弱いボクを、許してくれるの……? 」
(…アモーバ……)
 硫黄は張り裂けそうな胸を必死で繋ぎ止める。
(…お前は、残虐でも身勝手でも最低でもねえよ……。それが、心ってもんだ。多分……。
 お前の立場だったら誰でも、少なくてもオレは、同じことしてた……。
 そして、弱いなんてことは、絶対にない。スライムの姿がどれだけ不便で苦痛か、それもやっぱりオレには分かんないけど、一番には自身と娘たちのためだったんだろうけど、アイスに見ていることを辛くさせてしまうほどのそれを、300年以上もの永い間、耐えて、世界をも守ってきたんだから……)
 アモーバの言葉に応えるように優しく光るサクラ。
「ありがとう……」
 泣いているのか、アモーバの声は震えている。落ち着かせるように息をひとつ大きく吸って吐いた。
「その上で更にお願いなんて図々しいって分かってるけど、聞いてくれるかな……?
 娘と、そのお友達を守りたいんだ。キミが手伝ってくれたら、きっと出来るから……」
 サクラは光って応答。コメコの小瓶の中にいた時のガス状となり、アモーバの中へ。
 刹那、
(っ! )
 アモーバの中を切り裂く勢いで木の根が張り巡る。
 ソルトが槍を空へと突き上げ赤い稲妻を纏わせているのが見えたが、それはまだ発動していない。明らかにサクラがアモーバの中へ入ったことで起こったこと。
 それまで倒れ動かない状態だったアイスが力を振り絞るようにしてぴいたんへ手を伸ばし胸の中へと包み込んだのを見たのを最後に、硫黄の視界は暗転した。                                                                                                       

ママのパンケーキが食べたいので、私、もとの世界へ帰ります!(30)


「……! ……リン! エスリン! 」
 名を呼ばれて、硫黄を目を覚ました。
 目の前には、
(…ソルト……)
 何だかとても懐かしい黒髪茶眼のリアルソルトと、その向こうに見慣れた天井。
(オレの、部屋……)
 背中が硬くて冷たい。
(…オレ、どうして床になんて転がって……? )
 頭がボーッとしている。
 ソルトがホッとしたように息を吐いた。
「パソコンを見てたら背後に気配を感じて、振り向いたら、君が突然、閉まってるドアから放り出されるみたいにして現れて、床に転がったんだ」
 言いながら、机のほうに目をやるソルト。
 つられる硫黄。
 硫黄のパソコンのモニターの左右に無理に並べたノートパソコン各1台。
 うち右側、燐のパソコンがバリバリと大きな音をたて、画面内では、アモーバの体を苗床にガッツリと地面にまで根を下ろした巨木が、天高く伸びていっているところだった。
 硫黄の脳裏を、これまで……SFFの中に入ってしまってから、グースとの戦いの果て、アモーバの中へとサクラが入り勢いよく根が張ったところまでが、駆け抜ける。
 跳ね起き、燐のパソコンに飛びつく硫黄。
(夢……とかじゃないんだ……)
 縦方向への成長が止まり、今度は枝を伸ばしていく巨木。それも止まり、カメラが引いて、その全体像が映し出された。
 大きい。周囲に大きさを比較出来るものが何ひとつ無いが、高さは雲を貫いていて、枝の端から端の幅が地面から天辺までの高さより長い。……大きさを比較出来るものが無いと言ったが、地面のちょっとした凸凹に見えるものが実は本来大きさを比べられるはずのものだったりするのか。
 また近くへと戻ったカメラに、蕾。
(…これは、桜か……)
 空が白み始めた。蕾が急速に膨らんでいく。
(オレが人間の世界に戻ったってことは、アモーバは死んじゃったのか、それとも封印と同じような状態なのか……)
 日の出と同時、桜は満開。
(…燐、は……? クランさん、は……? 皆、は……? )
 胸がザワザワする。
(…燐……)
 恐る恐る、部屋の中を見回す硫黄。
 いない。
 情報を求め……てはいるが、怖くて、燐のパソコンへと視線を戻そうとするも、体が動かない。
(ダメだ! 動け! 目を背けてても起こってしまった事実なら変わらない。
 でもきっと、絶望するには、まだ早い! 背けてる間に、間に合うものも間に合わなくなるかも知れない! ) 
 硫黄は必死に自分を励ます。
(動け! 動けっ! )
 そして、ギギギ……と重たいドアが開くように、オイルの足りないロボットの歩みのように、何とか戻すと、満開となった桜がはらはらと花びらを散らす以外は全く動きの無い画面。
 次に確認した硫黄のパソコン画面では、HP・MPともに満タンで状態異常も特に無いエスリンが、北の大都市・シェ―フォアピンの教会内に佇んでいる。
 燐のパソコンの桜の場所……先程まで硫黄のいたはずの場所はゲームとしてのSFFには存在しなかったため位置は分からないが、気温が低く雪深い地域ということから、スーパーモンブランより北であることが推測出来、そうなると、ゲームSFFの教会の中ではシェーフォアピンの教会が最寄。
(…ゲーム内では、オレは死んだことになってるのか……)
 続いてソルトのパソコン画面。
 ソルトが操作していないにもかかわらずアバターのソルトが動いており、フィナンシェは、王宮という名の妖精王記念館へと、迎え入れられたところだった。
 聞けばソルトは、硫黄たちと合流し、ぴいたんと会話した後から、操作がきかなくなったのだという。
(…そっか……。じゃあ、オレたちと敵として戦ったソルトは、やっぱ、グースでしかなかったんだ……)
 とりあえず、その部分に関してのみ、
(…よかった……)
ホッとし、スッキリして、硫黄は画面に集中。
 と、燐の画面に動きがあった。
 アモーバの体によって地面から少し浮いた状態となっている桜の巨木の根の隙間から、ぴいたんが這い出て来たのだ。
(…生きて、た……! )
 硫黄は、ぴいたんのもとへ行くべく、自分のパソコンに向かう。
 ゲームとしては行ったことの無い……どころか存在すらしなかった場所だが、グースに乗っ取られる前のソルトが行けたのだから行けるはず、と
 教会を出、シェーフォアピンから出、魔法、テレポ、と順に選択すると、その行き先として新しく「妖精王勝利の桜」というのが追加されていた。
 間違いなくそこだ、と、移動する硫黄。
(…別に、グースがアモーバを倒したり封印したりしたワケじゃないんだけど……。
 皮肉な名前だな……。勝利どころか、グースにとっては、最後まで逃げきられた敗北の象徴のはず……。よっぽどおめでたい思考回路でも持ち合わせてない限り……)



 ぴいたんは、幹のすぐのところで、頭上を一面覆う花を、ほぼ真上に見上げていた。
 ババ内を進みスーパーモンブランに差しかかった辺りでワイルドピッグからの攻撃に倒れたのを救ってもらった時に一瞬だけ目が合って以降、結局一度もコミュニケーションをとらないままであったため近づくことが躊躇われ、遠くから硫黄は見守る。
 ややして、ぴいたんは両腕を上に伸ばした。
 その視線の先、あくまでも画面内の話なので、ぴいたんの体の大きさを基準としたサイズだが、直径30センチの球に収まる程度の大きさの、大きなザ・日本産といった黄味がかった鮮やかな赤のサクランボが、ゆっくりと落ちてきている。
 サクランボは、ぴいたんの手に触れると、黒髪の赤ん坊に姿を変えた。
 抱き止めるぴいたん。
(…赤ん坊……。黒髪の……)
 さすがに黒髪という理由だけではないと自身も信じたい。
(もしかして、コメコ……? )
 硫黄は、直感的に、そう思った。
 ぴいたんは赤ん坊を右腕だけに抱き直し、空いた腕を再び上へ伸べた。
 今度は黄土色の、前のと同じく直径30センチの球に収まるくらいのサクランボが落ちてきている。
 その実は、ぴいたんが触れると茶髪の赤ん坊に。
(…クルミさん……? )
 ぴいたんが細い腕で2人の赤ん坊を何とか右腕のみで支え、また左腕を伸ばすので、硫黄は急いでエスリンを駆け寄らせた。
 近づくと、ぴいたんと赤ん坊たちにNPCの表示が現れる。
(…燐……。NPC扱い……? )
 次は深紅の、前2つの倍近い大きさのサクランボ。
 特に言葉はかわさないまま、ぴいたんから、そっと赤ん坊を渡されるエスリン。
 赤ん坊たちの名前は、それぞれ「コメコ」「クルミ」となっていた。
 深紅の実からは赤髪の赤ん坊2人、「クラン・ベリー」「ラズ・ベリー」。
 2人のこともエスリンへ差し出してくるぴいたん。
 立ったままでは、とても4人も支えきれないので、地面に腰を下ろし、受け取る。
(…クラン、さん…‥‥? )
 クランのほうと、目が合ったのを感じた。
(クランさん……)
 更に腕を伸ばすぴいたん。
 落ちてきているサクランボは銀色。抱き止められ銀髪の赤ん坊に姿を変えた。名前は「アイス」。
 深く深く胸の中に包み込み、ぴいたんは肩をうち震わせる。
(…皆、生きてた……。こんな、赤ん坊の姿になっちゃったけど、でも、生きてた……! 生きてて、くれた……! )
 硫黄は、エスリンとぴいたんの腕の中にいるひとりひとりに、順に目をやった。
(良かった……! )
 涙が頬を伝う。
(…ありがとう……! )
 そこへ、見覚えのある十数名の人々がやって来た。
 名前は初めて知ったが、コメコの隣家の中年女性・アズキ。彼女を先頭に、ドーミョージ村の人たち。
 アズキ、
「ずっと、こっちのほうから地響きがしてたでな。心配さなって皆で見に来ただ」
 やはり台詞は普通にテキストで表示された。
 アズキはエスリンの腕の中のコメコを覗き込み、
「コメコちゃん、だか……? ああ、やっぱりコメコちゃんだ……」
言って、エスリンから抱き取る。
「すっかり、めんごくなっちまって……」
(……)
 硫黄はアズキの胸中を思った。
 朝、元気に出掛けて行った、当然普通に帰って来ると思っていた、我が子のような存在の者との再会が、こんな変わり果てた姿でだなんて、と。
 しかし、
「コメコちゃん、お帰りなさい」
 アズキは穏やかにコメコに語りかける。
「生きててくれて良がった……。
 最近は、いつもオラたちがコメコちゃんに助けてもらうばっかだったけんど、これでまたオラたち、コメコちゃんに色々してあげられるだな」
 アズキの言葉に胸がジーンとなる硫黄。
 アズキは視線をコメコからエスリンとぴいたんに移し、
「おめえさんたちが、コメコちゃんを守ってくれただな? 」
 その問いに硫黄は、プレイヤー同士の会話と同じようにチャットを用いエスリンを通じて返答を試みる。
「いえ、アモーバ……スライムのおっちゃんが、コメコのことも他の皆のことも守ってくれたんです。
 そのために、この桜の木の姿になってしまいました。眠られている状態なのか、亡くなられてしまったのか、分かりませんが……」
 伝わったらしく、アズキは、そうだっただな、と頷き、コメコをしっかり抱きしめつつ、桜に向かって深く頭を下げた。
 他の村の人たちも全員、祈るように手を合わせる。
 硫黄もあらためて桜を見つめた。
(ありがとう、アモーバ……。皆を守ってくれて……)
 そして心の中でさえ言葉にせずに付け加える。言うべきではないと思ったから。
 悔しい、と。
 早朝の眩しすぎる陽を受けて、季節を逃した花びらが舞う。
 雪のように、涙のように、光に白くとけて消え入るように。
 はらはら、はらはら……。
 とめどなく、はらはら、はらはら……。
 
 
                                                                                                      

ママのパンケーキが食べたいので、私、もとの世界へ帰ります!(31)


「母ちゃん! エスリン姉ちゃんが来ただよ! 」
 硫黄が人間の世界へ帰ってから、人間の世界の時間で1ヵ月が経った。
 知り合った時と同じくらいの外見年齢にまで成長したコメコに手を引かれ、かつてコメコがひとりで暮らしていた家に増築した祈祷所を入ると、硫黄の年齢を追い越し大人の女性となった、白の小袖に紫袴姿のぴいたんが、笑顔で迎えてくれる。
 グースとの戦闘からSFF内の時間にして2週間後に、テーマパークとしてのSFFのエリアが拡大され、このドーミョージ村や隣のチョーメージ村、住む人のいなくなったアイスの城、アモーバの桜辺りまでがテーマパークSFFとなったが、ぴいたんの祈祷所は名前のイメージこそ近くとも教会とは全くの別物。ぴいたんが自分たちを救ってくれたアモーバへの感謝の祈りを捧げながら、5人の子供たち……クラン・クルミ・コメコ・アイス・ラズを育て日々を暮らしている大切な場所だ。
 ぴいたんとお茶をしながら話していると、コメコと同じくらいの外見年齢、つまり共に戦った時と比べだいぶ幼い子供たちが、かわるがわる覗きに来る。
 硫黄は現在、普通にプレイすることは全く無く、ほぼ、ぴいたんと子供たちに会うためだけに毎日ログインしているのだが、それでもSFF内の時間では100日ほどの間が空くし、手土産は欠かさないし、たくさん遊んであげるので、訪問を喜ばれているのだろう。
 子供たちには大きかった頃の記憶が無い。
 それでよいのだと、ぴいたんは満ち足りた様子だ。
 と、1階から、
「オヤツでーす」
母の声。
 それを受け、
「オレ、ちょっと離席するよ」
 ぴいたんに断りを入れてから、SFF内のエスリンにも席を立たせる。
 またすぐ来るつもりなので、ログアウトは面倒なためしない。
 エスリンにまで席を立たせるのは、エスリンとぴいたんと、あと1人、バーバという名前のプレイヤー以外の人間族と関わったことの無い子供たちが、長時間固まったまま動かない知り合いを見たら心配するのではとの気遣いだ。

 テレポを使うべく村を出ようとしたエスリンを、もう帰ってしまうのか、と子供たちが囲む。
 その様子が、それぞれ大きかった頃の印象そのままだったり、全く違ったり、面白……可愛いなあ、と思いながら、
(ゆっくり食べても30分くらいかな……? ってことは2日か……)
 明後日にまた来ると約束し、村を出てテレポ。
 行き先はアモーバの桜。正式名称「妖精王勝利の桜」。
 ここならば、SS映えするとの理由から人間族が多いことに加え、SFFエリア拡大と同時に町や村と同じ扱いとなったため魔物に襲われる心配も無いので放置している人もよくいるから。
 …一番の理由は、それではないが……。
 それが一番ならば、マカロンタウンでもシュトレンでもフィナンシェでも、賑わっているところならばどこでもよい。
 一番は、日課の消化だ。
 硫黄は1日1回、ぴいたんに会うついでに必ず、ここを訪れることにしている。
 忘れないため。怒りを更新するため。
 他人の体(アバター)を奪い、その体で逆恨みとしか言えないような私怨を晴らそうと優しき者を傷つけた、独善的な悪魔のような人物。
 そんな人物を何も知らずに手放しで歓迎し為政者として受け容れた世の中。
 そのようなものに慣れてはいけない気がして……。
 絶えることなく開花を続け、はらはらと散り続ける不思議な桜。
 モヤッとした気持ちを抱えながら眺め、「妖精王勝利の桜」などという皮肉な名称に心の中で嘲笑(わら)う。
(…ざまあみろ……)



 パンケーキのほんのり甘い香りとコーヒーの香りの混ざる階段を下りた先、ダイニングテーブルの上に用意されているのは2人分。硫黄のと母の……。
 一見寂しく見える食卓で花咲くのは、
「ママね、オヤツ作る前にリンちゃんのとこ行ってたの」
「へえ、そうなの? オレも今、行ってたとこだけど、入れ違いだったんだね」
SFFの、主にぴいたんと子供たちの話。
 警察に行方不明者届を提出しようとしていた母に、迷ったが本当のことを話したところ、母自らSFFを始め、燐に会いに行くようになったのだ。
 そう、先程チラッと触れたバーバというプレイヤーは、母だ。
「リンちゃん、ママよりお母さんらしくなっちゃったよね」
 嬉しそうに楽しそうに語る母。
 その順応性の高さに、我が母ながら本当に驚く。
 気づいてないはずがない。
 こちらの100倍の速さで時間が進む世界に暮らす燐。
 それほど長い時間は残されていないことに……。
(何も考えてないように見えて、ちゃんと択び取ったんだよな。きっと……。抵抗感で時間を無駄にしないで、大切に過ごすこと……)
 大人らしくはないがオトナだな、と、硫黄は母に尊敬の念を抱く。
(…いや、燐のことが大好きなだけかな……? )
 しかし、それは更にすごいことだと思う。
 無意識に、など……。
(…オレも、大切にしよう……)
 残り少ないことが分かっている燐との時間はもちろん……。
(オレには、無意識になんて無理だから……)
 大好きな人と過ごす時間、その人が自分にしてくれること、自分がしてあげられること……。
 当たり前のことなんて、何ひとつ無い。
 そう言えば以前、クランさんとこんな話したな、と思い出す。
(…燐……。クランさん……。ママ……。ソルト……。クルミさん……。コメコ……。アイス……。ラズさん……。アズキさん……。ラムさん……。アプリコット……)
 幾人もの顔が、浮かんでは消える。
 もしも当たり前と感じたなら、それは意識して大切にするべき。
 「当たり前」の正体は「幸せ」なのだから……。




                                 (終)


 
                                                                                                      
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Author:獅兜舞桂
獅兜座(しっとざ)座長・獅兜舞桂(しっとまいけー)です。
よろしくお願いします。

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